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エピローグ

 都内、集合団地の裏手にある公園。
 平日の昼下がりのためか、遊ぶ子供の姿もない。時折、犬を連れて散歩する婦人や老人の姿が見られるだけだった。
 そんな中で、ベンチに腰掛ける二人の大人。男と、女。男はスーツの上にコートを着ている。地味だが、しっかりとした仕立てのものだ。女の服は対照的にくたびれている。服だけではない。彼女の雰囲気が、くたびれていた。
「姉さん」
 顔を上げた女は、疲れきった表情をしている。
「あんたに姉って呼ばれるの……何年ぶりかしらね」
 男は少し首を傾げた。
「四十一年前じゃないかな。僕が中学に入った頃だと思うから」
 女は苦々しい顔を作る。
「……あんたのそういうところ、嫌い」
「そう?」
「何故、ここがわかったの」
「探したから」
「……どうして。どうして探したのよ」
 女は歯を食いしばるようにして言った。
「あんたはもう、私のことなんて忘れたんじゃないの。私のこと、姉だなんて思ってなかったでしょ! いつだってそうよ。『詠子さん』なんて呼んじゃってさ。他人行儀に」
「他人」
 男は冷静だった。
「そうかな。そんなつもりじゃなかったんだけど」
「じゃあ何のつもりだったの」
「……ねえ。もしかして姉さんは」
「何よ」
「そのことをずっと……、気にしていたの?」
 男は心底意外そうに、尋ねた。
「…………」
 女は深くため息をついた。
「ショックだったの。幼い頃からずっと面倒見てきたつもりの弟に、……姉として見てもらえないなんて」
 ――それをきっかけに、全ての自信を失っていった……。女はそう言ってうなだれた。男は不思議そうに彼女を見ている。
「何もかもがうまくいかなくなった。結婚も駄目になったし……」
「それが、全部僕の……?」
「あんたのせいにするつもりはないわ。……私が馬鹿だったの。あんたがどうであれ、私は私って胸張っていれば良かったのよ」
 女は自嘲的な笑みを浮かべ――やがて、がくりと首を折った。
「眞由美に……会いたい……」
 男は顔を上げた。
「会えるでしょ?」
「え?」
「教団と関わりを断った今なら、認められる。そういう条件だった」
「……そう」
 女はため息をついた。その瞳が潤む。
「……そうだったわね……」
「それでね、姉さん」
 男はためらいがちに口を開いた。
「何よ」
 鼻をすすりながら、女は答える。
「僕が姉さんのことを『詠子さん』とか『世津佳さん』とか呼び始めた理由なんだけど」
「……いいわよ、今更理由なんて」
「中学で、英語を習い始めたでしょ」
「……それが?」
「英語だと、兄弟でも名前で呼び合うよね。あれに憧れたんだ。元々僕は末っ子で、みんなに名前で――素って呼ばれてたし。僕も呼んでみたかったんだよね」
「はあ?!」
 女は弾かれたようにベンチから立ち上がった。小型犬を散歩させていた老婦人が、ぎょっとしたようにこちらを見ている。
「……あんた、馬鹿?!」
「…………」
「馬鹿は、私か……」
 男は深くうなだれた女を見下ろしながら、小さく微笑んだ。
 
 「絆」は、「個人」を縛るものではない。
 望んで、紡ぎゆくものなのだと。
 崩壊したように見えても、また結び直すことができる。
 ――そう。
 今、この日から……、
 僕は「絆」に手を伸ばして生きていこう。それは、僕にとって必要なものだから。
 
「姉さん」
「……何?」
「今度、会わせたい人がいるんだ」
「誰? ……奥さん?」
「違うよ」
 男は笑う。
「変なふたり組だよ。綺麗な顔して実は情けない外科医と、まだ若くてエネルギイに溢れてるんだけど、妙に達観している大学生……」
「何それ。どういう関係のふたり?」
 友人?
 親戚?
 ――いや。
 最初から答えは決まっていた。
 
「家族……かな」

 それ以上でもなく、それ以下でもなく。他の言葉で言い表すことのできない、それは確かな「絆」のかたち――。