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エピローグ

 腹に響く低音とともに、夜空に弾け滲むきらめき。絵音はそれを目で追いながら、小さなため息をついた。
「どうかした?」
「ううん」
 草摩の問いに、彼女は横に首を振る。
「ちょっとだけ、思い出してしまったの」
「…………」
 それだけで、彼には彼女の脳裏に何が浮かんでいるのかがわかった。
 黒髪の長い、大きいけれど切れ長の目。澄んだ細い声で、しかし彼女は――。
「済んだことね」
 絵音はあっさりとそう言い、わずかに腰を草摩の方へとずらした。草摩は反射的に体を引こうとして、しかし思いとどまる。――何のためにこんな、夏の終わりの花火大会に誘ったのだか。
 それでも、まだあの事件から一ヶ月も経っていないことも事実だった。
「そういえば」
 絵音は言う。
「花火大会の日って月が目立たないのね。ちゃんと暦を調べているのかしら」
「そうだな」
 草摩は頷く。
「言われてみれば……」
 月を覆う花火というのはどうもイメージがわかないし、風情も半減するような気がする。
「そういう小さな気遣いって、素敵ね」
 絵音は言って微笑んだ。風が吹けば彼女の髪が草摩にかかりそうな、そんな距離。
 そして――風が吹いた。
「俺は」
 草摩は絵音をじっと見つめた。
「やっぱり許せない」
「…………」
「吉原さんのことも、……あの人のことも」
「……なっちゃんはどうしているの?」
「とっくに退院しているらしいよ」
 草摩は言った。
「新学期からはふつうに登校するだろうってさ」
「お咎めはなしだったのね」
 絵音はそう言って微笑んだ。
「良かったわ」
「…………」
 草摩はため息をついた。――きっとそう言うと思っていた。けれど……。
「俺が怒るのは――許さないのは」
 草摩の表情を見て、絵音はす、と笑みを消した。
「諦めたくないからだ」
「…………」
「だから」
 彼らの頭上で、花火が開く。
「絵音さんも――諦めないで欲しい」
「――何を、」
「わかるでしょ?」
「…………」
「ね?」
「……それってもしかして」
 絵音は少しだけ余裕を取り戻した表情で尋ねる。
「遠まわしな告白ってやつ?」
「そういうことを本人に向かって聞くなよ」
 草摩はふくれっつらになって絵音を睨んだ。その表情がどことなく仔犬に似ていて、絵音は噴き出して笑う。
「あ、しかも笑う?! ここで笑う?!」
 そして、また。花火。
「ご、ごめんなさい」
 絵音はわれに返って謝罪した。草摩は宵闇にまぎれてもはっきりと分かるほど顔を赤く染めていた。――可愛いなあ、と思う。きっと、自分は草摩のことなら好きになれるだろう。なれるからこそ……。
「私は臆病よ」
 ぽつり、と絵音は言った。
「…………」
「人を信頼するのも、好きになるのも嫌い」
「……うん」
「人に弱みを見せるのが大嫌い」
「うん」
「裏切られるのが嫌だから、心を預けない」
「うん」
 草摩は頷く。
 それでも、絵音はまだ諦めていない。草摩はそう信じていた。
「草摩君は、怖くないの?」
 絵音は初めて、草摩から目を逸らした。それでも、草摩は彼女を見つめ続ける。
「怖いよ」
 ぽつりと呟かれた答えに、絵音は意外そうに目を見開く。
「それでも――信じてしまうんだ。好きになっちゃうんだ」
 草摩は言った。
「諦められないんだ」
 夜空に咲く偽物の花が、ふたりを照らし出している。
「この世の中に綺麗なものが何にもないなんて、思えない」
「…………」
「俺は」
 一際大きな輝きを残し、花火が終わる。
 一瞬の静けさ。
「絵音さんと、一緒にいたいんだ」
「…………」
 絵音が草摩を見て微笑む。しょうがないわね、というような表情。それでも、とても優しい笑顔だった。
「ありがとう」
 草摩の手が絵音の指先を握る。夏なのにひんやりと冷たい彼女の指。わずかに汗ばんだ彼の手のひらには、それがひどく心地良かった。