instagram

第二章 赤い消失―missing body― 6~10

  6

 捜査員たちは署から運ばれた弁当を食べていたが、伊吹や辰巳、島原は東家や草摩と一緒に食堂で佳世の料理を口にした。
「それで、桐生さんの車はまだ見つかってないんですか?」
 友早の問いに、伊吹は頷いて答える。
「割合良くある車種だし、ナンバープレートなんてすぐ偽装できるよ。道具はネットで簡単に手に入る」
 草摩は淡々と言う。眞由美が気遣わしげに彼を見た。
「大丈夫? 草摩君……」
「…………」
 草摩は軽く頷いたが、そのまま顔を上げることなく目を伏せた。大丈夫なはずがない。それでも、自分には桐生を探すという義務があるから……。
 ――義務……なんだ。草摩はぎゅっと手を握る。
 自分がまずい新興宗教に入信してしまったら、桐生はちゃんと連れ戻しに来てくれるといった。それと同じことだ。彼は何か犯罪事件に巻き込まれている。だから、草摩がちゃんと日常に連れ戻してやるのだ。――父は、帰って来られなかったから。
「『オリーブの恵』が絡んでいる可能性もあるということなので、一応ここと教団を結ぶルートで聞き込みもしています」
 辰巳が言った。
「かなり通常より捜査員が増員されていますね」
 伊吹がそう呟いた。慧一はゆるく苦笑する。
「公私混同と思うならそう言ってくれて構わんがね、私は手をこまねいて見ていられんのだよ」
 どうやら、慧一が自ら指示したのだろう。友早は草摩の顔をそっと窺うが、彼の表情は浮かない。何かが引っかかっている。そんな表情だった。

  7

 昼食を終えた後、伊吹は関係者一人一人を警察にあてがわれた部屋――三階の白の廊下の部屋に呼び、話を聞いた。
 佳世は昨夜全く三階に足を踏み入れていないと言った。ほとんどの時間を一階の居間や食堂、台所で過ごしていたし、九時半頃桐生や眞由美を三階に案内したのは、二階の友早の部屋の前で会った慧一だったという。その慧一と入れ替わるように佳世は再び一階に戻り、次に十二時ごろ辰巳や島原を二階の彼らの部屋に案内した。そのまま同じ階の自室に戻ってしばらく経った頃、慧一が倒れた草摩を運び込んできた……。証言にも不審な点はないし、他の者たちの話とも完全に一致する。それは友早にも言えることだった。何しろ警察関係者が三人もいるので、証言のポイントもわきまえている。
 慧一が眞由美と桐生を三階に案内してから再び草摩とともに三階に上るまで、誰も三階には行っていないらしい――少なくとも、内部の人間は行っていない。だが、一体誰が外から犯行を行なえただろうか。梯子説も伊吹にはピンと来ない。
「気になるのは……『オリーブ』か」
 確かにこのロザリオ館は「オリーブの恵」の本拠地からそう離れてはいないから、桐生をずっと狙っていたと考えればここでの犯行に不思議はない。しかし……。
「わざわざ県警本部長の別荘で……?」
 草摩も言っていたが、確かに危険すぎるのではないかと思える。しかも、桐生が泊まる部屋などどうやって分かったのだろう。
 検査の結果、眞由美の部屋の水はシロだった。草摩はそれを聞いてまた何か考え込んでいたが、これもまた意味のあることなのだろうか。
「…………」
 伊吹はテーブルに肘をついて頭を抱えた。
 桐生本人が見当たらないせいで、犯行方法も分からない。毒殺なのか、殴られたのか、撃たれたのか。それによってトリックも変わってくるというのに。分かっているのは出血していたということだけだ。
「まいったな」
 ため息をつき、伊吹は部屋の中を歩き廻る。と、部屋のドアがノックされているのに気付き、ぴたりと足を止めた。
「俺です。草摩です」
「……どうぞ」
 最後の一人、七条草摩。椅子に勧めて座らせ、自分も向かいに腰掛けた。
「とりあえず、こちらが把握している昨晩の皆の動きを話すから、君の認識と違っているところがあったら言ってくれ」
「はい」
 草摩は眼を伏せ、真摯な面持ちで伊吹の言葉に耳を傾ける。彼は一言も口を挟まず、時折かすかに頷いていた。
「……間違いないか?」
 念を押され、草摩は頷く。
「はい」
「…………」
 伊吹はメモをテーブルの上に置いてため息をついた。
「正直……行き詰まっている」
 伊吹はこの館の見取り図を広げて見せる。
「やけになってどの部屋も全部調べたが、何も出てこない」
 この期におよんで尻込みしているわけにもいかず、慧一にマスターキイを借り、二、三階の部屋も、一階のキッチンや物置にいたるまで、全てを調べた。しかし、何も出ない。
「…………」
「怪しいといえば三階の黒の部屋の血痕だが、それだけでは……」
 草摩は眼を伏せ、図面に視線を滑らせた。
「この館、地下室があるんですね」
「そうだな。……まあ、そこは調べていないが」
「唯一の出入り口がキッチンですからね……食物とかの貯蔵庫って感じですよね」
「ああ。広さは割合とあるようなんだけどね。ただ、入り口はキッチンっていうのがな……」
「抜け穴なんかはないんですか?」
 地下室の存在に興味を示して尋ねる彼に、伊吹は苦笑した。
「そんなもの、ないだろう」
「そう……でしょうね」
「まあ、いよいよ切羽詰まってくれば調べるかもしれないが。俺もあまり無遠慮なことはやりにくいんだ」
「何故ですか?」
 当然だろう、というように伊吹は肩をすくめる。
「ここはO府警本部長の別荘だ。ちょっと事情が違う」
「なるほど……そうでしょうね」
 草摩は視線を伊吹からそらして呟いた。
「ま、その代わり協力は惜しみなく得られるがな」
「…………」
「地下室のことも聞いたんだが、実際ずっと鍵をかけっぱなしだそうで、夫人も鍵の在り処を知らないそうだ。夫人が知らないとなると、誰も知らんだろうし使ってもいないだろう。しかもこの建物の中では、唯一マスターキイで開かない鍵らしい」
「……そうですか」
 草摩は図面を見つめて首を傾げる。
「そういえば……、二階の白の廊下。叔父さんたち夫婦の部屋と、友早の部屋。二つ部屋があるんですね」
「ああ。元々は一つの大きな部屋だったのを分割したらしい。シャワールームやトイレは共用になっているらしいけどね。……ほら、足すと他の廊下の部屋とほぼ同じ大きさだろう。それがどうかしたのかい?」
「いや……、この建物って実際あんまり綺麗な対称でもないんだなって」
「どういう意味だ?」
 草摩は眼を伏せて黙る。一瞬、何かが見えたような気がした。気のせいだろうか……。
 伊吹は答えを待つのをやめ、口を開いた。
「本部長の代になってから、いろいろと改築や改装をしているらしい。気になるなら、本部長に聞いてみるといいだろう」
 草摩は頷いた。そして、伊吹の顔をじっと見つめる。
「…………」
 しばらくは気付かない振りをしていたものの、そのまま数分ほど経つとそうしてもいられなくなって、伊吹は草摩に尋ねた。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「伊吹さん……眞由美さんを疑ってますね?」
 伊吹は思わず息を呑んだ。

  8

 慧一と共に食器の片付けをしながら、佳世は溜息をついた。
「一体どうなっているのかしら……」
「この家に桐生君はいない。生きているにせよ死んでいるにせよ、それは確かだよ」
 慧一は答える。
「だが、誰がどうやって連れ出したのか……それが分からない」
「誰でもどうやってでも構いませんわ」
 佳世はそう言った。
「ただ、早く草摩君を安心させてあげたいんです。あの子の目……見ました?」
「ああ……」
「本当……兄にそっくりでした」
「ああ」
 慧一は短く答えながら、佳世を見遣る。
「彼はまだ十九歳。しっかりしているな、草摩君は」
「ええ」
「それにしても、『オリーブの恵』はこの件にどう関わっているんだろう」
「あの教団がもし、このことだけじゃなく他の犯罪行為に関わっているのなら……」
 佳世は目を細めてじっと前に視線を向けた。
「早く何とかしていただきたいわ」
「……分かっている」
「兄の件にも関わっているのなら、なおさらです」
「…………」
 慧一が答える前に、キッチンに友早がやってきた。
「父さん」
「何だ?」
「眞由美の父親から電話があったんだ。そっちで何が起こってるんだって」
「そうか。私が説明しようか?」
「その方がいいかもしれない。いつ帰って来られるんだ、危険はないのかって、眞由美も答えられなくて困ってたから」
「……悪いが、まだ帰すわけにはいかないだろうな」
 慧一は小さく呟く。
「……父さん?」
 友早の問いには答えず、慧一はキッチンを出る。佳世はため息をつき、その後姿を見送った。

  9

 辰巳は県警本部から持参したノートパソコンで、送られてきた資料に目を通していた。今回宿泊していた全員について、「オリーブの恵」との関係を徹底的に洗わせたのだ。中には自分の資料も入っていておかしな気分ではあるが……。
「…………」
 桐生という男が、教団を脱会したがっていた者の手引きをしていた。それは事実らしい。しかも、どうやら先日殺害された七条一騎から引き継いでいたようだ。佐藤晃平然り、である。
「やはり教団関連か……?」
 辰巳は眉を寄せて画面をスクロールする。
「…………?」 
 一点に目が止まった。ゆっくりと文字を追い……驚愕の表情を浮かべる。――須藤眞由美の母親は、「オリーブの恵」に入信して家出中だという。
「では、まさか……」
 辰巳は口の中で小さく呟く。手引きしたのは彼女なのか? 騒然となった館の中で、朝まで部屋から出てこなかったというのも、もしかすると……。
「…………」
 この情報は、おそらく既に本部長や伊吹警部にも送られているはずだ。辰巳はパソコンの電源を落として立ち上がると、伊吹のいる三階の白の部屋へと向かった。

  10

 伊吹は額に浮かんだ汗を拭いた。
「どうしてそう思った?」
「いえ……そう考えるのが、一番矛盾がないから」
「じゃあ、動機は……」
「そんなの、わかんないですよ」
 草摩は肩をすくめた。伊吹は溜息をついて椅子に深く体を沈めた。
「……君の考えを聞かせてくれ」
「あの夜、最初にカードゲームを切り上げたのは桐生でした」
 軽く眼を閉じ、思い出そうとするようにこめかみを指で抑えながら草摩は言う。
「それを聞いて眞由美さんもシャワーを浴びたいと言った。友早も同時だったけど、それはまあ関係ないでしょう」
 伊吹は頷いた。
「桐生の部屋がどこになるかは分からなかったでしょうが……、好都合なことにふたりだけが三階だった。それで、眞由美さんは桐生の部屋を訪ねた」
「その後は大体想像がつくな。桐生氏の隙をついて、頭を殴るか何かして気絶させたところに君と本部長が来た。慌てて内鍵を閉め、自分はどこかに隠れる。君たちがいなくなったのを見計らって自分の部屋に運んだ」
「それはちょっと無理があります。桐生の頭の位置、眞由美さんから見ると大分高いですよ。目立つ凶器なんて持っていたら桐生が気付きます。だからやっぱり、眞由美さんが自分の部屋に共犯を手引きした。梯子か何か……、窓を使ったのかな。殴ったのは多分そいつです。きっと男でしょう」
「…………」
 伊吹は口をつぐんで草摩の言葉に耳を傾ける。
「それで、眞由美さんと一緒に桐生を彼女の部屋に運んだ。後は桐生を窓から降ろし、あいつの車を使って共犯者だけが逃走。梯子も積んでね。大まかに言うとこんなところかな」
 伊吹が頷くのを見遣り、草摩は困ったように微笑んだ。
「ええ……、多分こう考えているのではないかと思ったんですけど、それおかしいですよ」
「……何?」
 伊吹は眉を寄せた。
「須藤眞由美じゃない、というのか?」
「三階、黒の部屋の血痕はどう説明します? あれ、何型でした?」
「……AB型だ。しかもあれはまだ新しかった」
「桐生自身の部屋には血痕がなかったのに、別の部屋にあった。しかもずっと鍵の閉まっていた部屋に。これは説明がつきません」
「…………」
「それだけじゃない。黒の部屋には絆創膏を使ったあとのごみまでありましたよね。指紋は出なかったみたいですけど、あれは桐生のものだと思います」
「君にはそれらが説明できるのか」
 伊吹の問いに、草摩は首を横に振った。
「でも……、眞由美さんじゃないとは思います」
「そうか?」
 伊吹の表情を見て、草摩は訝しげに眉をひそめた。
「何か証拠でもあるんですか?」
「証拠はないが……動機と考えるに十分なものはある」
「何です?」
 草摩の問いに答えるより先に、部屋の扉がノックされた。
「辰巳です」
「……入ってくれ」
 入ってきた辰巳と草摩を見比べながら、伊吹は言った。
「辰巳警部補も知っているな?」
「は……、須藤眞由美の母親についてですか」
「?」
 不審顔の草摩を気にするように辰巳は伊吹を見遣った。
「彼に言っても?」
「ああ、構わない」
 伊吹に言われ、辰巳は草摩に向き直った。
「須藤眞由美の母親……篠原詠子は今、『オリーブの恵』中堅幹部なんだよ」
「…………」
 草摩は一瞬息を飲み、目を見開いた。
「どうだ、草摩君。方法論の細かい穴には目をつぶっても……十分可能性はあると思うんだが」
「母親の依頼で、という線ですね」
 辰巳も同意してうなずく。
「ああ」
 伊吹は答えて草摩をじっと見つめた。草摩の黄昏色の眼が幾度か瞬き――やがて呟いた。
「なんか……俺、ピンと来なくて……」
「何故だ?」
「だって眞由美さん、桐生に初めて会った時からあいつに興味津々だったんですよ。辰巳さんも覚えているでしょう?」
「……あ、ああ。確かに」
 辰巳は思い出して頷く。初対面のはずなのに眞由美の態度は桐生に対して妙に馴れ馴れしく、友早は妬けるだろうなと思ったことまで覚えている。
「今からどうにかしようって思っている相手に、あんな風に近づくでしょうか?」
「油断させるためとか……」
 草摩は首を横に振って言葉を続ける。
「もし眞由美さんが主犯や共犯だとするなら、外部犯のように見せかける工作をすればよかったんです。あんな変な密室を作る必要はなかった。窓の鍵を開けておくとか……その方が簡単でしょう?」
「だが、今のところ動機につながるものを持つのは彼女だけだ」
「…………」
 草摩が答えないうちに、伊吹の胸ポケットの携帯電話が鳴った。伊吹は舌打ちをしてそれを手に取る。
「伊吹だ」
 電話の向こうの声に耳を傾けていた伊吹の表情が、やがて驚愕に染まった。