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第二章 赤い消失―missing body― 11~12

  11

 二階の廊下で見かけた眞由美に島原は声をかけ、彼女を自室へと呼んだ。
「ここ、ちょうど私の部屋の真下なんですね」
 眞由美は天井を見上げて呟く。島原は躊躇いがちに口を開いた。
「あの、貴方のお母さんのことなんだけど……」
「…………」
 眞由美はまっすぐに島原を見つめ、少し微笑んだ。
「いつか、聞かれると思っていました。友早にも言っていなかったけど、きっとそれくらいのことすぐ調べられるだろうって」
 島原はどこか後ろめたい気持ちにかられながら、告げる。
「篠原詠子さん。『オリーブの恵』幹部ね」
「ええ」
 眞由美は淡々とした顔で頷く。
「父とは私が十五の時に離婚しました。親権は元々母にあったけど……今は父にあります」
「ええ、知っているわ」
 島原は高く纏めた髪にそっと手を触れさせる。それは緊張した時の彼女の癖だった。
 眞由美の表情は変わらない。そのあまりに感情を見せない顔には、違和感があった。ポーカーフェイスなのだとしたら大したものだが、そうでないとしたら……。
「私も、母に連れられて教団の……なんていうのかしら、布教講演会みたいな集まりに連れて行かれたこともあったんですよ。それを知った父が、慌てて私を引き取ったんですけど」
「……そう」
 眞由美はかすかにみじろぎして、目を天井に向ける。
「母は自分を不幸な人間だと、ずっと思い続けていたみたいでした。劣等感もものすごくて」
「…………」
「原因は沢山あったんでしょうけど……私はそういうの、嫌だった」
 眞由美は軽く首を傾げて微笑んだ。
「どうしてみんな、自分が不幸だって思いたがるんでしょうか」
「そうね」
 島原は頷く。
「確かにそういう人っているわね。不幸自慢が好きで、他人が自分よりも苦労しているって絶対に認めたがらない人。まあ、貴方のお母さんがそうだって言うんじゃないけど」
「いえ」
 眞由美は苦笑した。
「多分、うちの母親はそういうタイプだったんです。だから、父親と離婚した後宗教に奔ったんでしょうね。結婚も後悔していたし、何でも弟がすっごく賢くて、親もそっちばっかり贔屓していたって言っていました。本当かどうかはわかりませんけど」
 眞由美は軽く肩をすくめる。その声音に暗いものはない。
「あのね、島原さん。『オリーブの恵』の集会所で言われたことってただ一つなんですよ」
「何なの?」
「みんなでしあわせになろうって。それだけ」
「しあわせに……?」
「信者って、自分が不幸だと思っている人たちばかりでしょう?」
「そうだとは思うけど、みんなで……って何?」
「わからないですけど……でも、脱退者を許さないのは抜け駆け禁止ってことかなって思いません?」
「……なるほどね。一人だけここを出てしあわせになろうなんてずるい、と」
「ええ、多分」
「そうだ」
 島原はふと気付いた。
「あなた、教祖のこと知ってる? お母さんから聞いたことない?」
 眞由美は首を横に振った。
「母が本格的に宗教にのめり込んでからは、父が私とは会わせていないから……」
「信者さえ教祖を直接見ることはないらしいわね」
「らしいですね。神秘性を高めるためでしょうか」
「さあ……どうなのかしら。今まで逮捕されてきたいろんな宗教団体の教祖たちって、大体薄汚くって神秘性のかけらもないけどね」
 島原の言葉に、眞由美は力なく笑う。
「確かに。どうせなら絶世の美男子がいいですよね?」
「そうね」
 眞由美は、やがて笑みを消して真面目な表情になった。
「ちか、いえ桐生さん。本当にどこに行っちゃったんでしょう」
「ええ、そうね……」
 島原は溜息をつく。
「正直に言っちゃうけど、私も他の警察関係者も、貴方がグルじゃないかって思っていたのよ」
「……だと思いました」
 眞由美は苦笑する。
「同じ階の部屋って私だけだし。例の教団とも繋がりがあるから」
「ええ。でも……少なくとも私は違うと思った。それに実際、この件が『オリーブの恵』と関係があるって断定しているわけでもないし」
「ありがとうございます」
 眞由美は微笑む。島原は軽く咳ばらいして言った。
「念の為に聞いておくけど、お母さんとは本当に会っていないのね? それはお母さんに聞いても確かかしら」
「ええ。今どこにいるかも知りません」
「そう。また何かあったら確認することも必要だろうと思うから、そのときは協力してね」
「はい」
 今のところ、眞由美が事件に関わっている可能性を完全に否定できたとは思わない。だが、今ここでこれ以上問い詰めても何も出てこないことは明白だった。――また、新しい事実が見つかるまでは。
 島原はまっすぐ彼女を見つめた。
「貴方はどう思う? 桐生さん、誰に……」
「…………」
 眞由美はしばらく考え込んだ後、首を横に振った。
「分かりません……」
「…………」
 部屋の扉がノックされた。
「島原巡査?」
 辰巳の声だ。
「入っていいかな?」
 その声がいつになく切羽づまっているように聞こえ、島原は腰を浮かせる。
「どうぞ」
 島原の声より一瞬早く、勢い良くドアが開いた。
「あ」
 眞由美に気付いて辰巳は一瞬しまった、と言いたげな顔になるが、すぐに島原に向き直った。
「大変だ。『オリーブの恵』教祖が死んだ」
「え?!」
 眞由美が声を上げ、島原が聞き返す。
「教祖って、誰だか分からなかったんじゃないんですか?」
「いや、緋宮響が確認したって」
「替え玉ではないの?」
「それも今から捜査だ。東本部長は県警本部に向かわれた」
「では、こちらの方の捜査は……」
「伊吹警部は引き続きここを捜査するけど、いったん教団の本部に行くそうだ」
「分かりました」
 島原は頷いて立ち上がる。
「私たちは?」
「俺たちはこっちの事件の関係者だし、ここで捜査を続ける。それから……」
 辰巳は苦笑を浮かべる。
「本当はこっちが本題。夕飯の準備が整ったそうだ」
「…………」
 眞由美と島原は思わず顔を見合わせた。

  12

 三人が階下に降りると、既に佳世と草摩、友早がいた。昼と比べると捜査員の数はずっと減ったようである。草摩は相変わらず軽く眉を顰めた表情で眼を伏せていた。
「なんだか随分減ってしまったわね」
 佳世が無理に明るい声でそう言いながら皿を並べる。
「本部長と伊吹警部が行ってしまいましたからね」
 辰巳はそう返して席に着いた。
「教祖が殺される……」
 草摩がぽつりと呟いた。
「え?」
 友早が聞き返す。草摩は顔を上げた。
「教団側が警察に言っていたんでしょう? 教祖が殺されるって」
「そうね」
 島原が強張った顔で頷く。
「本当に死んだってわけですか」
「そうだね」
 辰巳も目を伏せた。
「でも、まさか本当に死ぬとは……」
「皆そうでしょう? 正体不明の教祖が殺されるなんて言われても、ねえ」
 眞由美がとりなすように口を開く。草摩が鸚鵡返しにつぶやいた。
「正体不明ね……。で、殺されたんですか?」
 草摩の問いに辰巳が答える。
「あ、いや、殺害とは断定されていないよ」
「え?」
 皆異口同音に聞き返した。
「どういうことです?」
 代表して尋ねた草摩に、
「死因は服毒による窒息だと聞いている」
「発見は誰が?」
 今度は佳世が問い掛ける。
「教祖の世話を任されている信者だそうです。多分、決して教祖の正体を明かさないという条件で側においていた者でしょうね。通報したのもその信者……」
「ということは、自殺かもしれないですよね」
 草摩は独り言のように呟いた。
「そうだね。まだ何とも言えないが……」
 辰巳は頷いて言う。
「明日か今日の夜中には伊吹警部が帰ってくるはずだから、聞いたら教えてくるかもしれないよ」
「草摩、気になってるのか?」
 友早に尋ねられ、草摩は曖昧に首を振った。
「気になるっていうか……タイミングがいいなって」
「タイミング?」
 草摩の父親が死んで一ヶ月。死因は刺殺で、犯人はまだ捕まっていない。だが、慧一らの口ぶりからすると教団が関係している可能性があるといえそうだ。そして昨夜、桐生が忽然と姿を消した。彼もまた教団と関係があった。彼が見つからないうちに、今度は当の教祖が死んでしまった。これが全て関係ないといえるだろうか。
「…………」
 草摩は眼を伏せて箸を止めた。
「草摩君?」
「あの、俺……食欲無いんで。すみません」
 佳世に頭を下げ、部屋の鍵を握って食堂を出る。
 青の部屋に近い東の階段を俯いたまま上り、草摩はふと足を止めた。床に何か落ちている。
 小さなカード。
 屈み込んで拾い上げてみると、桐生がサーヴィスエリアで貰ったトランプだった。数字は四。スートはスペード。ちょうど、なくなっていた十三枚のトランプのスートがスペードだった。
「…………」
 そのカードに導かれるように視線を辺りに走らせると、床に近い柱の隅に並んだ四つの黒いスイッチに目が止まった。そのうちの一つだけオンになっている。ちょうど柱の陰になっていて、見つけにくい場所だ。何故こんなところにスイッチが……?
 ――もしかして……。
 草摩はふと思い浮かんだ可能性を試すように、別のスイッチと切り替えてみた。
「あ」
 カチッという音とともに辺りが一変する。いや、正確には変わったのは色。ライトの色が、変わった――青から、西の廊下を染めているはずの赤に。
「これは……どういう……」
 草摩は額にじっとりと汗が滲むのを感じた。
「もしかして、あのとき桐生は……」
 ――青の部屋ではなく、血痕のあった黒の部屋にいたのではないか。廊下のライトが切り替えられていたせいで気付かなかったのでは……。
「そうか」
 草摩はトランプのカードを握りしめて呟く。
「俺たちがエレベータを使ったから」
 階段を使っていればきっと気付いたはずだ。だが、エレベータで一度視界が遮られたせいで慧一さえ気付かなかったのだろう。
「でも、一体誰が……」
 とても簡単な仮説が、ふと頭に浮かぶ。いや、それは仮説でもない。ただの直感とでもいうしかない。だが、常に彼の頭にある無条件の仮定を――全てにおいて譲れなかった、その仮定を考慮すれば……あり得なくはない。
 ――まさか……。
 草摩はしばらくの間、赤く染まった廊下にじっと佇んでいた。