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第三章 白い幻惑―missing mind― 7~9

  7

 窓の外が薄明るいのは月が出ているからだろう。草摩は黙って慧一を見つめていた。二人の距離は一メートル半ほど。草摩にとっては窓の方が近い。
 先に口を開いたのは慧一だった。
「私がここにいる理由はわかるね?」
「マスターキイでしょう?」
 慧一は笑って首を振る。
「いや、それは方法だ」
 手の平にキイを弄びながら、
「私が言っているのは――」
 ほとんど唇を動かさないで告げた。
「君を殺す理由だよ」
「…………」
 その言葉に、草摩はほとんど反応を見せなかった。だが背筋を冷たいものが這うのを感じる。恐怖の色を見せないのは彼の矜持というものだ。
 慧一は再び微笑む。
「君は、本当に一騎に似ているな」
「…………」
 草摩は答えない。慧一は重ねて言った。
「何か聞きたいことは?」
「教祖とはどういう関係なんですか?」
 慧一はかすかに身じろぎした。
「それだけか?」
「ライトを切り替えて位置感覚を狂わせたとか、桐生の馬鹿が死んだふりしたせいで計算が狂ったとか、そんなことは言われなくても分かっています。細々したことには興味なんてない」
「…………」
 慧一は少し目を見開き、やがて口元を緩めた。
「……そうか」
「答えてくれるんですか?」
 草摩の問いに慧一は頷いた。
「まだ時間はある。それに人間には誰しも自己を誰かの前に曝け出してしまいたい衝動があるものだよ。私も例外ではない」
 慧一の表情は昔から草摩が知っている穏やかなものだ。だがその裏に隠された深い闇に、草摩は既に触れてしまっている。草摩はそっと自分の左腕を右腕で押さえた。微かな震えを悟られたくはなかった。
「彼と私の関係か……」
 慧一は少し眼を細めて遠くを見遣るような仕種をした。
「彼は緋宮響の息子だ。父親は分からん。彼女が米軍基地周辺で働いていた時にできた子らしいがね」
 草摩の方へと視線を戻し、
「緋宮響は私の義理の妹だ。異母兄妹というやつだな」
「父親は……同じ?」
「ああ、そうだ。私が知ったのは成人してからだが……、父は緋宮藍子(あいこ)という女とずっと関係を持っていたらしい。母も知っていたようだが、私には知らせなかった」
 草摩は口を挟まずじっと聞いている。
「その妹――響から連絡があったのは十年程前。彼女の母親と同じように、父親に認知されない私生児を生んだ、しかもその子どもの体が弱くて困っていると聞いた。兄として、放ってはおけなかった」
「その子どもが――教祖ですか」
「そうだ。プラチナブロンドで、澄んだ瞳の――響も美人だったが、彼のほうがもっと綺麗だった。名は私がつけた。その名を知るのは私と響だけだった……」
 慧一は眼を伏せて優しく微笑む。
「…………」
「彼はきっと天才だった。人の心を読む天才だったんだよ。学校にも行っていないのに豊かな知識をもっていたし……。惜しかった。あの才能をもっと別の方向に使っていれば、或いは……」
 一度言葉を切って苦笑した。
「いや、そんなことはどうでもいいな。そう――あれは彼が十歳の時だった。忘れもしないよ」
 不意に慧一の眼がガラス玉のように平べったい光沢を持って見えた。軽く舌で唇を湿し、慧一は囁くように草摩に告げた。
「私は彼に教えられたんだ」
「……何を、ですか」
 慧一は透明な微笑を浮かべた。
 彼に親友として一騎の話を聞かせていたときだった。今もはっきりと覚えている。あの時の薄水色の瞳。

 ――あなた、その人が憎いんでしょう?

「…………!!」
 草摩の体が凍りつく。
「じ……」
 掠れた声が漏れる。
「じゃあ……父さ……」
「ああ。私だ」
「……な……」
 草摩は窓の方へとじりじりと後退りながら呟いた。
「何で……」
「『何故』……ね」
 慧一はコツコツとつま先で床を打った。
「もし今私が理由を説明したとして、君はそれを信じるのか?」
「…………」
「理由さえあれば納得できるか? 安心できるのか?」
 草摩は眼を伏せる。慧一はそんな彼を眼下に見ながら、
「佳世のことは愛している。友早のこともだ。それとこれとは関係ない。ただ私は一騎が嫌いだった。会った時からそうだったんだ。それを何故か友情と勘違いしていた……何故だろうな」
 自問するように呟き、視線を天井に投げた。
「私も良くは分からんよ。だが、自覚してから――彼に教えられてから、彼に一目置くようになった。響が宗教団体を作ろうとしたときも後押ししてやったしな。警察の捜査が及びにくいように庇ってもやった。……まあ、彼は難病を患っていたしね。大抵の願いは叶えてやりたかった」
 草摩の脳裏に桐生の言葉が甦る。警察関係者がバックにいるのかも――そんなような意味のことを言っていた。彼は知っていたのだ。一騎が誰に殺されたのか……誰が「オリーブの恵」の庇護者なのか……。
 草摩の喉が音を立てる。
「二週間ほど前、教祖から連絡があってね。私と彼とはメールで連絡を取り合っていたんだが」
 慧一の声が草摩の思考を妨げた。
「これ以上七条の関係者には手を出すな、と。何故かそう言ってきた。でなければ破滅すると」
「…………」
「今から思えば……桐生君が彼に会いに行ったのかもしれないな。一騎は相当あの教団について調べ上げていた。その資料を桐生君が持っていたとしたら――」
 慧一は軽く首を左右に振った。
「だから、彼を――そして自分自身を守るために、桐生君には生きていてもらうわけにはいかなかった」
 彼の表情がここで始めて暗く翳った。
「しかし、うまく返り討ちにされたな。彼を自殺に追い込んだのは桐生君だ。彼に言ったんだろう。私がもうすぐ逮捕されると……」
「逮捕?」
 草摩の口の中は乾ききっている。慧一は屈託なく肩をすくめた。
「桐生君もいろいろ嗅ぎまわっていたようだし……、今から思えば一騎自身も気付いていたのかもな。桐生君と一騎がどういう関係だったのかは私も知らないが……私が知らないということははじめから一騎には信頼されていなかったということかな? まあどうでもいいことだがね」
 慧一は草摩の目を覗き込むようにして言った。
「そうだ。私は確かに破滅する。教祖の部屋にあるパソコンを調べていけば私との繋がりも明らかになるだろう。もともとお粗末な計画だったんだよ」
「…………」
「それでも、私は一騎を消したかった。理由なんて、私もわからん。ただ殺したかった」
「そんな……」
 聞いている草摩の眼に涙が溜まった。
「理由もなく、殺したんですか」
「理由があったらいいというものでもないだろう? 理由とか動機とか、そんなもので言い訳をして自己の行為を正当化するつもりなんて私にはない。もし理由があったとしても――人を殺す寸前にはそんなものは頭からとんでいるよ。ただ、思うだけだ。死ね、死んでくれ――とね」
「……叔父さんは」
 今になってはこの呼び方はどうかと思ったが、それ以外に目の前にいる男を呼ぶ方法がない。草摩は搾り出すようにうめいた。
「人を殺すことは……悪いことだと思っていない……?」
「どうだろうな」
 慧一は軽く天井を見上げた。
「この前桐生君が言っていた、あれは面白かった。自己の遺伝子を保全するために、人は人を殺してはいけないとか」
「…………」
「一般的にはどうだろうな、『どうして人を殺してはいけないのか』という答えは。彼にも聞いてみたかったが……」
 慧一の頭には教祖がよぎったのだろう。草摩はそう思った。
「『なら君は殺されてもいいのか』と反問しても、それは答えになっていない。自分の命に執着しない人間が現れたら通じないお粗末な議論だ。いや議論でさえないな。これに関しては桐生君に同意するよ」
「俺は、叔父さんの考えを聞いているんです!」
「…………」
 慧一は視線を上に投げた。
「悪いことだ、勿論。でなければ社会の維持は出来ない。だから犯罪者は刑務所で隔離する。罰を与え再犯を防ぐ。そういう仕組みになっているんだ。少数のわがままで社会の秩序を乱してはいられない」
 草摩は首を横に振った。
「そんな……そんなことを聞いているんじゃ」
「私が一騎を殺した理由を説明するとするなら」
 慧一は草摩の言葉をさえぎった。
「防衛のためだ」
「……防衛?」
「魂の防衛……と言ったら胡散臭いかもしれないが、そんなところだ。一騎を消す事が、私にとっての防衛だった。社会的な意味でも生物学的な意味でも何でもない。ただ、防衛としかいいようがないね。私は一騎から自分を防衛した。その為に、彼を殺した」
 腑に落ちない表情の草摩に、慧一は笑った。
「分からなくて結構。私は既に自分の生命に執着していない。私はこの社会を維持するためのルールに、価値基準に従えなかった。そういう人間だったんだ。それだけのことだよ」
「…………」
「今もそうだ。桐生君に眼にもの見せてやりたい、それだけの理由で――」
 慧一の手が草摩の首元に伸びた。
「それだけの理由で、君を殺す」

  8

 伊吹は全速でパトカーを走らせていた。――彼の予想があたっているとしたら……。まだ大した根拠があるわけではない。だが、彼は直感を信じることにした。
 来生の言った通り、始めから一番可能性のある人物だったのだ。「彼」の地位に判断を曇らされていた。伊吹はギリギリと歯を噛む。先ほど確認したところ「彼」は既に県警本部にはおらずロザリオ館に帰宅したという。
――今一番危険なのは……。
「草摩君……」
 赤信号にひっかかりそうになり、ライトとサイレンを点ける。夜の静寂を突き破り、運転する捜査員はアクセルを踏み込んだ。
 ――そういえば桐生は今どこにいるのだろう。疑問がよぎるが探している暇はない。だが間違いなく生きている。今はそれで十分だ。
 辰巳の携帯電話には繋がらなかった。彼は島原の携帯電話に掛ける。
『はい』
 寝ぼけ声の島原に伊吹は指示を飛ばした。
「今すぐ七条草摩の部屋に向かえ! 辰巳と一緒にだ!」
『は?』
「早く!! 本部長がいたら取り押さえろ!」
『東本部長を?!』
「とにかく行け!」
 日ごろに似ぬ伊吹の怒声に島原は気を飲まれたらしい。
『……分かりました』
 伊吹は電話を傍らの座席に投げ捨てる。これで草摩にもしものことがあったら、七条一騎に顔向けが出来ない。
 人通りのない夜の直線道路。パトカーの速度は既に時速百キロをゆうに越えていた。

  9

「くっ……」
 窓ガラスに背中を押しつけられて呻き声が洩れる。鍵のかかっていない観音開き仕様の窓は容易に開いた。
 慧一は草摩の首に手を回したまま微笑む。
「ここから突き落としても、二階から落ちたくらいでは死なないだろうな」
 片手で首を抑え込まれる。背中から冷たい夜の大気が流れ込んできた。全力で草摩はもがいたが、圧倒的に不利だ。体格も何もかも――。
 悲鳴を上げようとしても喉を抑えられているせいで大声が上げられない。それでも草摩はかろうじて声を振り絞った。
「か……、か……ぞくは……?」
「うん?」
 慧一は怪訝そうな顔で草摩を見下ろした。
「さっき言っただろう? 私の価値観は社会とは違う。私の一番大切なものは――私の『神』だ」
「……か……み?」
「そうだ」
 草摩は肺から振り絞るように息を吐いた。耳鳴りがうるさい。体に力が入らない。
 ――俺はまだ親父のところには行く気はない!
 スピード狂の桐生に告げた自分の声が、遠く聞こえる。
 行くつもりはねえったって……。草摩は頭の隅でぼんやりと思った。このままじゃ行っちまう……。
 ――俺が死んだら桐生はどうするだろう。泣いてくれるだろうか。泣き顔なんて。想像つかないけれど。
 思い浮かべた顔が、突然言葉を発した。――うまくん! 草摩君!
 草摩は閉じかけていた眼を開く。今の音は外から聞こえた。
「何?!」
 慧一の顔が警戒に染まる。
「この声……」
「草摩君!」
 今や、その声ははっきりと聞こえていた。
「飛び降りなさい!」
 聞き覚えのある声。懐かしい声。
「そこから飛び降りて!」
 草摩は怯んだ慧一を、渾身の力で突き飛ばした。
「な……!」
 慧一がたたらを踏んだ隙に、草摩は窓から身を躍らせる。重力に従って落下して行く先に、見覚えのある長身があった。
「きりゅ――」
 その名を口に出すより先に、草摩の体は彼の差し出す腕の中に衝突した。肩の関節と腕の節々に痛みが走る。
 よろけた彼が土の上に座り込み、その上に重なるように草摩は倒れた。小さくパキッ、という音がする。
「ぃつ………」
「あ、眼鏡」
 草摩がうめくと彼の体の下で、桐生は折れた眼鏡を手に持ち困った表情で呟いていた。気が抜けて呆然と桐生を見つめる。桐生は草摩に和らいだ眼差しで手を伸ばした。
「怪我はありませんか? 草摩君」
「…………」
 草摩の喉がぐっと音を立てて詰まる。
 眼下にある桐生の顔は、憎らしいほどに何一つ変わっていなかった。いつもと違うところといえば眼鏡がないだけだ。無論こんな短い間でそう変わるわけもないのだが……。
「草摩君?」
 きょとんと眼を見開くいつもの表情を見下ろし、草摩は震える拳を振り上げた。
「お……お前は!!」
 全く力の入らないその拳を、それでも草摩はポカポカと桐生に振り下ろす。
「ちょっと、わ、痛いですって、本当、痛いですよ」
「痛がってろ、あほう!」
「…………」
 なおも拳を叩きつける草摩の顔を、パトカーの赤いライトが掠める。
 桐生は何とか拳を避けようとしながら体を起こした。
「草摩君」
 何度も名前を呼ぶ。
「草摩君」
 彼の手はいつの間にか止まっていた。桐生の腕がそっと草摩の背を叩く。
「…………」
「怪我はありませんか?」
 優しい声音。草摩は声もなく俯いている。
 パトカーから駆けて来た伊吹は、芝生の上にへたり込んでいるふたりを見て眼を見開いた。
「桐生……さん?」
 桐生は口早に告げる。
「東慧一は二階。東向きの部屋です」
「草摩君は無事ですか?」
「ええ、恐らく。飛び下りたのも二階からだったから……もし痛いところでもあれば、後で病院へ連れて行きます」
 桐生の言葉に頷き、本館に向かって駆け出す。伊吹の車に遅れて何台かのパトカーがやって来た。
「草摩……君」
 桐生は彼の襟首を掴んだままの草摩に声を掛ける。激しく上下する肩を撫でさすり、
「痛いところはないですか?」
「うるせえよ」
 草摩は小さく呟いた。
「……はい」
 言われたとおりに桐生が黙ると、草摩は顔を伏したまま告げた。
「差し引きゼロだ」
「……?」
「お前が今回俺を騙したことと、お前が父さんの――父さんを殺した犯人を割り出してくれたことと」
「…………」
「帳消しにしてやる」
 草摩はまだ顔を上げないが、桐生は静かに微笑んだ。
「ありがとうございます」
 草摩の肩はまだ激しく上下している。
「……二度と俺を騙すな」
「はい」
「勝手に……」
 草摩は桐生の襟首を掴んでいた手を離した。
「……勝手にヤバいことに巻き込まれるんじゃねえよ」
「…………」
「俺を……一人にするな……」
 桐生は少し間を置いた後、草摩の頭をそっと撫でた。
「……はい」
 ようやく父親の葬儀が終わった――そんな感じがした。だが、今回彼の心から失われた何かは……きっともう戻ってこないだろう。草摩は確信を持ってそう言えた。一体何が失われたのかも、実際はよく分かっていないけれど……。
 ただ涙だけがとめどなく流れる。今一体何が悲しいのかさえ彼には分からない。
 ――分かりたくなかった。慧一の言うことなど何一つ分かりたくなかった。それでも――父親は彼に殺された。それが事実だ。なのに草摩は全く気付けなかった。一騎の葬儀の時もその後も何度も会っていたのに、彼は気付けなかった。慧一の態度はいつでもまさに父の親友のそれだった。優しくしてもらった記憶も、慰めてもらった記憶もある。草摩にとってはいつでも慧一は良き叔父だった。
 今でも彼の優しさが嘘偽りだったとは思えない。佳世や友早のことは愛しているとも言っていた。草摩を憎んでいるとは一言も言わなかった。それでも、ためらいなく草摩を殺そうとしたのは同じ慧一だ。一体どれが本当の慧一なのだろう。分からない。
 ――いや、分かる。どれも本当の慧一なのだ。草摩を思いやる慧一の姿も、一騎を刺殺した慧一も。どれも慧一なのだ。彼の中では何一つ矛盾などなかった。そのことが、草摩には恐い。
 細かく震えている草摩の背を、桐生の大きな手がさする。
「草摩君、本当にすみませんでした」
「……うん」
 小さく頷く。桐生が抱えてくれる感触は、父親のものと似ていた。
 芝生を踏み分ける足音が近づいてくる。草摩が顔を上げるとそこには辰巳と、その後を追ってきたのであろう眞由美がいた。
「千影さん!」
「草摩君」
 口々に名を呼び、駆け寄ってくる。
「二人とも無事ですか?!」
「僕のほうは何ともありませんよ」
 桐生はそう言って微笑んだ。草摩はのろのろと桐生の上から体をどける。
「草摩君は?」
 辰巳に尋ねられ、草摩はうなずいた。
「大丈夫です。どこも痛くない」
「七条君」
「…………」
 目を上げると、眞由美は真剣な表情で草摩を見つめていた。
「立てそう?」
「うん」
 草摩は頷き、よろめきながらも立ち上がる。足をくじいたのか、痛みに顔が歪んだ。タイミング良く差し出された桐生の腕に、軽く掴まる。
「おぶってやろうか?」
 辰巳の申し出は笑って辞退した。――大丈夫。自分は一人で立てる。一人で歩いていける。ただ、こんな風に少し支えてくれる手があれば。
「なあ、桐生……」
「何です?」
「手で掴んでみても分かんないってことも……あるんだな」
「…………」
 桐生の横顔が何を答えていいのか迷っているようだった。
 草摩は小さく息を洩らし、笑う。
「草摩君?」
「でも、いいや。分かんないってことが、分かったんだし」
「…………」
 ――お前が生きているから、今はそれだけでいい……。
「貴方は、一人じゃない」
 桐生はぽつりとそう言った。
「友早君も、佳世さんもいる。それだけじゃない。貴方は決して一人にはならない」
「…………」
「だから、大丈夫」
 疲れきった頭では彼が何を言いたいのか分からなかった。けれど、一つだけ。どうしても言いたいことがある。一つだけ――どうしても。
「お前は俺の保護者だろ。ちゃんと責任を果たせよな」
「…………」
 桐生は一瞬立ち止まり、やがてくすくす笑いながら頷いた。
「そうですよね、草摩君のウェディングは見たいですし。頑張って可愛い奥さんをゲットして下さいね」
「そんな悠長に構えてると、俺はお前より先に結婚しちまうぞ」
「構いませんよ、僕は新婚さんを生温い目で見守るの得意ですから」
「生温いのか!!」
 ――愛しい日常。もう二度とあんな形で途切れることがないように……。草摩はそんな想いを込め、桐生の肩をどついた。