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第三章 白い幻惑―missing mind― 5~6

  5

 辰巳は腕時計を見た。ちょうど十二時を過ぎたところだ。あくびを噛み殺す。
 先ほどまで彼の部屋には草摩がいた。廊下の床で見つけたというトランプと、光源の色を切り替えられるスイッチの存在――余計にややこしくなったと頭を抱えた辰巳に、草摩は首を横に振った。何か胸に想うところがあるのか――尋ねても草摩は聞こえなかったような顔をして答えなかった。
「ふう……」
 桐生が消えてから丸一日が既に過ぎた。まだ一日なのか、もう一日なのか――。
 不意に、彼の胸ポケットから電子音が流れ出した。慌てて携帯電話を取り出し耳に当てる。
「はい、辰巳です」
『伊吹だ』
 聞こえてきた低音に意識が覚醒する。
『まずはそちらから、報告することはないか』
「あります」
 辰巳は唾を飲み込み、口を開いた。
「廊下のライトの色のことなんですが――」
『切り替えられるようになっていたか?』
「は」
 何故分かったのだろうといぶかしむ辰巳の耳に、その疑問を氷解させる声が流れ込む。
『来生警部がな。その可能性を検討しろと』
「しかし、スイッチは随分分かりにくいところにありましたし……本部長は何も」
『ああ』
「それから、もう一つあります。トランプのことなんですが……」
『トランプ?』
「ええ。食堂からなくなっていたスペードのトランプの、四が見つかりました」
「どこからだ?」
「それが……」
 言いかけて、辰巳は考える。
「発見者は草摩君ですから、彼から直接お聞きになったほうが良いかもしれません」
『まだ起きているかな?』
「先ほどまでここに――私の部屋にいましたから、おそらく」
『分かった。代わってくれ』
 辰巳は保留中に切り替えて自分の部屋を出る。駆け足で廊下を急ぎ、草摩の部屋のドアをノックした。
「はい?」
 ドアの向こうから草摩の声がする。
「辰巳だ。開けてくれるかな」
 ほどなく草摩が顔を見せた。辰巳は携帯電話を差し出す。
「伊吹警部と繋がっている。トランプを見つけた時の状況、君から直接話してくれ」
「…………」
 草摩はじっと辰巳の顔を見守り、やがて小さく頷いた。どこか顔色が悪いような気がするのはきのせいだろうか。携帯電話を受けとった草摩はドアを閉めて鍵を掛ける。内鍵に手を伸ばしかけ――やめた。
「代わりました」
「ああ」
 草摩は窓際に歩み寄りながら口を開いた。
「トランプは、ライトの切り替えスイッチのあった柱の前に落ちていました。数字は四です」
『切り替えスイッチの話は聞いたよ』
「柱のちょうど裏側にあって、見つけにくい場所でした」
『その存在を知っているのは、何人くらいかな』
「さあ……友早が言うには叔父さんと叔母さんと彼くらいじゃないかって話ですけど。でもあのトランプ……まるでスイッチのある場所をこちらに教えようとしているみたいな置かれ方で……」
『…………』
「何か意味があるんでしょうか」
『実はな、そのトランプの一部がこちらの現場でも見つかっている』
「え?!」
 草摩は息を詰めた。
『十と三だけが、自殺した教祖の部屋から見つかったんだ』
「自殺? 教祖は自殺だったんですか?」
『内鍵がかかっていて、こちらの場合は外れもしていなかった。それに怪しい節は全くない。……ただ、彼が死ぬ前に彼の部屋を訪れた人物は存在する。二つマグカップが残されていたし、青酸カリなどは彼が普段から持っていたとは考えられない』
「…………」
 草摩は軽く目を眇めた。
「でも、なんでわざわざマグカップを残していったんでしょうか? そんなの、洗ってしまっておけば教祖の部屋を訪れた人物がいるなんて誰にも分からなかったのに」
『…………』
 伊吹は考えているのか答えない。
「あと、青酸カリって割合手に入りやすい毒物ですよね」
『まあ、そうだな。さすがにそこらで普通に買えるとは思えんが』
「…………」
 唐突に、伊吹の声が遠ざかった。
 草摩の意識が研ぎ澄まされ、幾つもの声が自分の内部で弾けては消える。
「四……十と三……」
 草摩は窓ガラスに何度かそれを書いた。
 四……算用数字で書き直す。4……。
「十と……」10……。
「三……」3……。
 それを何度も繰り返す。何度も何度も書いた。
 窓に残る指の跡。それをじっと見つめる。
 眼を閉じる。
 開ける。
 閉じる。
 開ける。
 彼自身の唇が彼に何かを告げようとするかのように震えていた。既に彼のどこかで答えは――。
「…………」
 草摩の手が止まった。
 4。
 10。
 3。
 いや、違う。
 4。
 それと、
 10と3。
「…………!!」
 草摩は大きく眼を見開いた。
 全てが止まる。
 ――周囲の物音が聞こえるようになって、ようやく草摩は後ろを振り向いた。
 背後に立っていたのは、東慧一。
「……叔父さん」
 呟いた草摩の手から辰巳の携帯電話を取り上げ、勝手に電源を切ってしまう。草摩は黙って慧一の行動を目で追った。
「あの時……」
 不意に慧一は呟く。
「彼が言っていた破滅というのは……こういう意味だったのか」
「いつ、帰ってきたんですか」
「ついさっきだ。誰も私が帰ってきていることは知らない」
 穏やかな微笑。
「君を除いては、誰もね」

  6

 伊吹は何度か携帯電話に向かって呼びかけたが、声は返ってこなかった。
「どうなってんだ……?」
 呟いたところへ来生が駆けて来る。
「伊吹」
「どうした?」
「二週間ほど前、桐生は教祖と会っている」
「――?!」
 伊吹は息を飲んだ。
「どういうことだ?」
「それも、ちょうど七条一騎の殺されたすぐ後に」
「…………」
「七条一騎の殺害と……桐生千影の失踪、教祖の自殺。どれも関連があるんじゃないのか?」
「…………」
 伊吹はふと自分のメモに目を留めた。
 4。
 10。
 3。
 4……。
 10と……3……。
「おい……」
 呼び掛けてくる来生の声を遮り、伊吹は叫んだ。
「分かったぞ!」
「何がだ?」
「千だ。形と、十の三乗だ」
「……は?」
「トランプだよ。トランプだ」
「…………」
 来生は黙って伊吹のメモを覗き込む。
「な? 分かるだろ?」
 伊吹は指先で4、となぞって見せた。
「これだ。4は形が千に似ている」
「……それと、十の三乗。千、か」
「ああ。つまり、これは桐生自身の」
 伊吹は言いかけてはっと来生の顔を見遣った。
「さっき草摩君が気付いたのは、これだ」
「何?」
「草摩君は気付いたんだ。これが千を――桐生千影を意味するってことに。それと多分そこに隠されたメッセージも」
「なるほど……彼が何かを伝えたい人間と言えば草摩君しかいないだろうな」
 伊吹は来生に告げた。
「俺はロザリオ館に戻る」
「ああ」
 来生は頷いた。そして、低く呟く。
「なあ、伊吹」
「……なんだ?」
「最初から分かっていたんだろう? 怪しかったのは、……」
 来生はそこで口を閉じた。
「…………」
 伊吹は黙って身を翻す。
「…………」
 足早に歩み去って行く背を見送りながら、来生は深いため息をついた。
「そうだな。それでも……」
 それでも、何なのか。来生にはその続きを口に出すことはできなかった。
 暗い夜空を見上げる。満月が白々しいほどにまばゆく輝いていた。