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第一章 青い邂逅―missing you― 4

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 ロザリオ館についた彼らを、東慧一の妻の佳世(かよ)とその息子、友早(ともはや)が出迎えた。佳世は一騎の妹で、草摩の叔母にあたる。つまり、友早は草摩の従兄というわけだ。
「久しぶりね、草摩君」
「ええ。父さんの葬式以来ですね」
 軽い口調で言ったつもりが、佳世ははっとしたように口を噤んだ。ああ、そういえば叔母さんも兄を失ったのだ、と草摩は思い出す。自分だけが肉親を亡くしたのではないのだ。無理に乗り越えたように振る舞おうとして、かえって叔母を傷つけたかもしれない……。しまったな、と思った。
「こんにちは」
 その佳世に、桐生が声をかけた。佳世は顔を上げて微笑む。
「良くいらして下さいました」
「いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます」
 草摩は友早に尋ねた。
「なあ、叔父さんは?」
 友早が肩をすくめた。
「今県警。せっかく休暇申請したってのに、なんだって他県の警察に呼ばれてるんだか」
「帰ってくるの?」
「晩には帰ってくるわよ」
 その問いには佳世が答えた。
「友早君、こんにちは」
 桐生の挨拶に、友早は軽く眉を上げた。二人は一騎の葬式の時に一度会っているのだが、友早は桐生をうさんくさいやつと認識したらしい。確かに桐生の物腰は丁寧だが、どこかわざとらしい慇懃さがある。特に同性であれば、警戒心を抱くこともあるだろう。
「……どうも」
 友早は今年二十歳。私立K大生で、草摩とは髪や目の色が良く似ていた。草摩よりは背が高いが、桐生よりは低い。
「さ、中に入ってちょうだい」
 佳世に促されるようにして、彼らは中に入った。
 ロザリオ館は古い洋館であり、その名は建物の形に由来していた。東西南北に向かって中央から建物が伸び、正十字形を形作っている。周りは山で木々に取り囲まれており、日があまり建物の中に差し込まないため方向感覚を失いそうになる作りだ。だが、三方向に伸びる廊下は常に青・白・赤のいずれかにライトアップされている。北は光源がないために薄暗く、つまり黒色で、総じてその四色は陰陽五行説に基づいて決まっているらしい。草摩は五行説を良く知らなかったが、桐生のみは何やら含みのある表情で微笑みながら頷いた。
 この洋館の原型が建てられたのは明治時代で、何度も改築されてはいるのだが、建造物の形はそのまま残されている。その当時の東家の当主がキリスト教徒だった、という説もあるらしい。
「面白いですね」
 桐生の感想に、佳世は頷いた。
「とにかく広いので……。三人で過ごすにはちょっと向きませんでしょう? 慧一さんの部下の方や、親戚、それにお友達をよく呼ぶんですの」
「……僕はどれにも当てはまりませんね」
 さりげなく言った桐生の言葉が、少し草摩の胸に引っかかる。桐生と血縁関係があるのは草摩だけであって、他には誰もいないのである。そういえば桐生の両親は早くに亡くなり、兄弟もいないらしい――こいつ、実は天涯孤独なんじゃないのか。草摩は軽く唇を噛む。
 青い廊下を進んで十字路の真中付近まで来た時、桐生はふと上を見上げた。
「この上……エレベータですか?」
「あ、ええ、良くお分かりになりましたね。ちょうど十字の真上にあるんです」
 佳世は軽く苦笑する。
「二階と三階を繋ぐだけですのでね。あまり必要ないと思ったんですけど、慧一さんがつけるってきかなくて。客室や私たちの部屋があるのは全て二階と三階ですけど、ふだんは階段を使いますから」
「一階の真中は大広間だからね、母さん」
「ええ」
「普段は使っていないのですか?」
「普段といっても……。昨シーズンまではありませんでした。つい最近ですのよ、工事したの」
「工事が終わってからは、俺たちも今回が初めてってわけ。それに面倒だから、結局エレベータは使ってないんだ」
 友早のぶっきらぼうな説明にも、桐生は気にする様子もなく頷いた。その袖を引いて草摩が尋ねる。
「なんで分かったんだ? エレベータが上にあるって」
「モーター音が聞こえましたし、あと天井の高さが低くなっていますから……何かあるんだろうなって。思い当たるのがエレベータだったんです」
「へえ?」
 草摩は上を見上げた。確かに少し前からなだらかなスロープになって、天井が低くなっている。
「桐生さん、背がお高いから気付かれたのかもね」
 佳世が笑う。
「一体何センチおありなの?」
「百八十四センチです」
「あら、随分高い」
「NBAの選手の中に入れば僕も小柄な方ですよ」
 煙に巻くようなことを言って、桐生は屈託なく微笑む。
「友早!」
 そのとき前方の扉が開いて、女性の甘い声がした。草摩はびっくりして友早を振り向く。友早はさりげなく視線を逸らした。佳世が苦笑して説明する。
「友早の……彼女ですって」
「へえ……」
 草摩がまじまじ友早を眺めると、その頬が赤く染まっていく。照れているのだろう。
 食堂から姿を見せたのは、おそらく友早とは同い年の女性だった。茶色に染めた短い髪がコケティッシュな容貌によく似合っている。ミニスカートから伸びた足は、細くて長い。
「私のほかにもお客様?」
 彼女は長い睫毛を瞬かせ、草摩と桐生を順に見つめた。その眼が、桐生を捉えて大きく見開かれる。――あ、やばい。草摩が友早の表情を伺うと、案の定不機嫌になって桐生の方を睨みつけていた。桐生だけがのほほん、としている。
 佳世が空気を読んだのか、取り持つように紹介した。
「こちらは須藤(すどう)眞由美(まゆみ)さん」
「はじめまして」
 桐生が頭を下げ、草摩も軽く会釈する。眞由美は軽く礼を返したが、どうにも気になるのか桐生をちらちらと窺っている。――それはまずいって。草摩は一人、冷や汗を流した。
「で、こちらが友早の従兄弟、七条草摩君よ。それから――」
「僕は草摩君の保護者の、桐生千影です」
「ホゴシャ?」
 不思議そうに聞き返す眞由美に、友早が手早く説明した。
「言ったろ、俺の伯父さんがこの前事件に巻き込まれたって」
「あ、ああ、そういえば七条って……」
 ニュースで見たのを思い出したのだろうか、草摩に気遣わしげな視線を向けた眞由美に、桐生が告げる。
「それで、僕が草摩君を引き取らせて頂いて」
「桐生さんって、言葉遣い綺麗ですね」
 くすくすと笑って眞由美が言う。
「ただの癖ですよ」
「それはともかく、眞由美、どうかしたのか?」
 友早が割って入る。その顔に少し焦りの色が見られて、草摩は彼が可哀相になった。友早は十分すぎるほどに好男子だと思う。ちょうど良いくらいに日焼けした肌や茶がかった髪や眼は、彫りの深い顔のつくりとマッチしていて、都会的な雰囲気を醸し出している。――ただ、相手が悪過ぎる。草摩は内心ため息をついた。桐生のまとう、どこか不可思議なムードは友早にはない。そして、何故かそういう陰のある男に女性は惹かれやすい、らしい。草摩は最近それを特に感じるのであった。
「別に? 友早が戻ってくるのが遅いなあって思って」
 眞由美さん、浮気するなよ。祈るような心地で胸中に呟いた。まあ、桐生が彼女に興味を示すことはなさそうだが……。
 どこかぎこちなくなった空気を、電子音がかき乱す。
「あ、電話だわ」
 佳世は呟き、
「ごめんなさい、お部屋は食事の後で案内しますから、食堂で待っていてくださる? きっと慧一さんからだと思うわ」
「はい」
 桐生の返事も待たず、佳世は食堂を駆け抜けて電話機の方へ走った。
「叔父さん、大変だな」
 草摩が友早に声を掛けると、彼は少し苦い表情になって、
「ああ……。この前、教団からの脱走者が警察に駆け込んできたんだって」
「え?」
 草摩は日々新聞には目を通しているが、そんな記事は全く見た覚えがなかった。彼の不審そうな顔を見て、友早は頷く。
「発表してないから。その人が危険な目にあうとまずいだろう?」
「それで……?」
「その人は外部の人間の手引きで脱出したらしいんだけど……、どうも教団はかなりやばいことに手を染めてるみたいなんだ」
「やばいこと?」
「…………」
 友早は辺りを見回し、眞由美が近くにいないことを確認する。化粧直しに行ったのかもしれない。桐生は離れた場所で壁にかかった絵画を見ていた。
「……集団リンチで、人が死んでる可能性があるって」
 草摩は息を呑む。友早の横顔もやや青ざめていた。
「その人が加わったり見てたりしてたわけじゃないんだけど、どうやら教団内でもそんな噂があるらしい。脱走者や脱会を申し出てきた信者が対象になってるみたいで」
「それは……だいぶまずいんじゃないのか」
 友早は重く頷いた。
「俺もそう思うんだけど……。多分、今裏づけに動いてるところじゃないかな」
「悠長だな」
「ああ」
 ふと、草摩の胸に疑問がかすめた。
「じゃあ、なんで信者は『教祖が殺される』なんて言って騒ぎ始めたんだろう?」
「え?」
「犯罪に手を染めた教団が、どうして警察に頼ろうとするんだ? 自分たちのやったことがばれたらやばいってことくらいは分かるだろう」
「それもそうだな」
 友早は少し考えて言った。
「カムフラージュのつもりかもしれない」
「…………」
 草摩は釈然としない面持ちだったが、その時、
「桐生さんってお仕事何されてるんですか?」
 眞由美の高い声が聞こえて彼らの話は中断された。
「…………」
 振り向いた友早の顔が険しいものになっている。
「草摩。何なんだあの男は」
 と聞かれても、草摩は困る。
「何って……親父の古い知り合いで、遠縁の」
「そうじゃない!」
 友早は話を打ち切り、足早に眞由美たちに近づいた。草摩もつられて歩き出す。
「ええと、須藤さん、でしたっけ? 学生さんなんですか?」
「やだ、眞由美でいいですよー。みんなそう呼ぶもの。ね、千影さんって呼んでいいですか?」
「はあ……」
 桐生が助けを求めるようにちらりと草摩を見遣った。と、彼の横にいる噛み付きそうな表情の友早が目に入ったのか、桐生は少し顔を引き攣らせる。
「ああ、ええと、仕事は、その、医者です、僕」
 口早に答えると、眞由美はすっごおい、とオーバーに驚いて見せた。何がすごいんですか、と桐生は内心思っているだろう。
 草摩は苦笑した。学歴や職業についてとやかく言われることは、彼の一番嫌うことだと草摩は既に知っている。確かに桐生は普通の人間とは違っているが、それは彼のパーソナリティの問題で、学歴や職業とは一切関係がない。個人のキャラクタよりもステイタスを重視する。それはそれぞれが自分で判断しなければならない複雑な属性を持つキャラクタより、世間一般で認められている単純な基準に則ればそれなりに他人を計ることができるステイタスを用いる方が簡単だからだろう。桐生はそんな簡便さに流れる人間は嫌だという。草摩も同感だ。
 真由美は愛想良く言葉を続けた。
「私ね、桐生さんって占い師かなって思った」
「はあ?!」
「何となくミステリアスだし……。似合いそう! きっと流行りますよ」
「そうでしょうか……」
「……何とかしろよ、草摩」
 友早の怒りが臨界点に近いことを察し、草摩は大声で叫んだ。
「おい、桐生!」
「あ……ちょっと失礼しますね」
 桐生が軽く眞由美に会釈し、草摩のもとに足早に歩み寄った。
「何ですか?」
 草摩は軽く頭をかいた。

「いや、用事は別にないんだけど。何となく救いの手を……」
「友早、草摩クンとのお話終わったの?」
 背後では眞由美が先程と変わらぬトーンで友早と喋っている。
「…………」
 草摩は思わず天井を仰いだ。
「女って恐いな」
「全員じゃありませんが……」
 桐生は苦笑した。
「……ああいうタイプは苦手ですね、僕は」
「そうか」
 何となく、草摩はほっとした。桐生は彼の顔を見遣り、
「ところで、どうして僕が占い師なんですかねえ」
「……知るかよ」
「皆さん」
 食堂の入口で、佳世が呼びかけた。
「慧一さんたちが戻ってきましたから、夕飯にしましょ」
「叔父さんの他にも誰か来たのかな?」
 呟く草摩を後目に、桐生が佳世に近付く。
「配膳、お手伝いします」
「あら、お客様ですのに……」
「いいんですよ。……どうやら、慧一さん、部下の方たちを連れて帰っていらっしゃったようですし、人数が増えて大変でしょう」
 なるほど、と草摩も佳世に手伝いを申し出る。
「助かるわ。ありがとう」
「いえ……友早君にはすまないことをしてしまいましたからねえ」
 桐生は再び苦笑を浮かべて呟き、佳世は不思議そうに首をかしげる。草摩はやれやれ、と肩をすくめた。