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幕間

 ――二週間ほど前。それはとても奇妙な会談だった。

「桐生千影さん」
 年齢よりもずっと大人びた口調で、少年は静かに微笑んだ。一部の狂いもない、完璧な笑み。長い銀糸の髪は重力に逆らうことなく真っ直ぐに流れ落ち、サファイヤを嵌め込んだような瞳は一種異様な輝きを宿して桐生を見つめていた。
 そこはとても狭い部屋。しかし、調度品は上等なものばかりだ。
「お座り下さい。ご用件は?」
 桐生は勧められるがままにソファに腰を下ろし、開口一番に尋ねた。
「どうして僕に会って下さったのですか?」
「貴方に興味があるからです」
 少年はそう応えた。
「七条一騎という男にも興味がありました。会ってみたかった」
「何故?」
「僕の邪魔をするのが上手だったので」
 少年の白い肌は、太陽の光を知らないかのように透き通っていた。
「七条一騎は、僕にとっての摩擦係数でした」
「その値はどれくらいでしたか?」
「さあ……、今となっては分かりません。でも」
 桐生の黒曜石の瞳と彼の視線がぶつかる。
「きっと、僕にとって貴方の摩擦係数は限りなく一に近い」
 ――いつか僕は前に進めなくなる。
「…………」
「お話は何です?」
 細い足を組み、少年は桐生を見つめた。桐生は落ち着き払って言う。
「七条一騎を殺したのは、東慧一ですね」
「…………」
 僅かな動揺が彼の表情に浮かび、しかしそれはさざなみすら立てずに消えた。
「貴方の望みは」
 少年はゆったりと手を膝の上で組んだ。
「僕の死ですか?」
「…………」
 桐生は黙った。
「叔父が何をしようと無関係、と言いたいのだけれど」
「原因は分かりますか? 彼らは親友同士だったと聞いています」
 薄い肩が軽くすくめられる。
「叔父が彼を殺した原因は、ありていな言い方をすれば嫉妬ですね」
「嫉妬?」
「そう」
「それは……貴方が七条一騎に興味を抱いたから?」
「単純化すればそうとも言えるでしょう」
 少年は組んでいた手を解き、腕を左右に広げた。 
「この教団は僕の実験場なんです」
「人の心を操るのは楽しいですか?」
 桐生は穏やかな無表情である。
「楽しいかどうかは問題ではありません。むしろ貴方と今お話している方がとても楽しい」
 彼が話題を振った意図を読み取り、桐生の唇がかすかに震えた。
「彼が七条一騎を憎むように仕向けたのは、貴方ですね」
「仕向けるなんてことが可能ですか?」
「貴方にならできたと思います」
「どうしてそう思うのですか?」
「どんな事象でもデータさえあれば結果は予測できる。多くのパラメータを持つ数式を扱れば――そして、蓄積されているデータが多ければ多いほど、精度が上がります」
「それで?」
「人の心も同じこと。人格を形成するのは環境と経験――遺伝よりもそちらの方がはるかに大きな要素だと僕は思います。だからデータさえ十分なら人格をトレースすることも可能でしょう。付き合いの長い人間同士なら自然とできてしまうことですけれど」
 少年の思考力と記憶力をもってすれば、あっという間に十分なデータを脳内に蓄積してしまうだろう。
「貴方の言いたいことは分かりました」
 少年は頷く。
「さて、お茶を淹れましょうか」
「え?」
 桐生の表情に僅かな困惑が浮かんだ。少年は微笑する。
「貴方の思考を出し抜くために言いました。僕はそう簡単にトレースされませんよ」
「…………」
 少年は立ち上がり、キッチンへ姿を消す。
「本当に淹れてくださるんですか?」
「ええ。不味いかもしれませんけれど」
「何故?」
「貴方にできるせめてものおもてなしです」
「…………」
「僕が今まで会った中で、貴方が一番頭の良い人だ」
 桐生は苦笑する。
「貴方に会った人間は何人いますか? 直接言葉を交わした者は」
「僕がこの地位についてからは三百六十七人ですね」
 少年はあっさりと応えた。桐生の思い浮かべていたよりは随分多い数字だった。少年は軽く補足する。
「宗教と政界って繋がりが強いんです。財界もね」
「なるほど」
「でも同じ人と二度は会いません。時間の無駄ですから」
「では、僕ももう会ってもらえない?」
「いえ、きっとまたお会いすることになります」
「そうですか」
 軽く頷いた彼に、少年は真面目な表情で頷いた。
「ええ。きっと」
 桐生は二組のソーサーを持ってくる彼を見つめた。彼は微笑んで口を開く。
「さて、時間もないのでそろそろお話を替えても宜しいですか?」
「どうぞ」
 少年はカップに満たされた紅茶の表面を、軽く窄めた唇から流れる息で波打たせた。
「今の僕の興味はただ一つです」
「僕と一騎氏の関わりについては、お話しする気などありませんよ」
 間髪入れぬ桐生の反応に、しかし少年は首を横に振る。
「そうではありません。しかし」
 彼の瞳に好奇心が宿る。
「そこに拘るせいで判断がぶれましたね……今のは非常に興味深い現象でした」
「…………」
 彼の瞳が微動だにせず桐生を捉える。
 
「貴方は人を殺したことがありますか?」

 桐生は落ち着いた様子で、しかし少しだけ息を止めた。
「まず殺人の定義をお伺いしましょう。教団の殺人は貴方の殺人ですか?」
 彼はあっさりと頷く。
「刑法上どうであれ、僕の殺人でしょう。はっきりと教唆はしていませんが」
「貴方が信者を殺した理由を教えて下さい」
「僕の質問に答えてくれたなら」
「…………」
 桐生は軽く息をついて口を開いた。
「人の死因に深く関わったことはあります。ですが、僕の前科に殺人罪はない。これをもって答えとしてよろしいですか?」
「それで結構。では僕もお話しましょう」
 少年は鷹揚な笑みを浮かべた。
「それを僕に望む人が多いからです」
「……え?」
「母は僕を本当に神の子だと思っている。父は神だったのだと。だから、父は母を残して去らざるを得なかったのだと」
 ――馬鹿げた話ですが。少年は肩をすくめた。実際、彼の父親は母親を捨てたのだ。それだけのこと。
「確かに、僕の存在は彼女の理解を超えているのかもしれません」
 彼が三歳のとき、緋宮は彼が人の心が読めるのだと確信した。慧一を巻き込んで新興宗教を立ち上げようと画策し、形になり始めたのが、彼が五歳のとき。その過程で何人もの大人に接したが、既に少年の頭脳に敵うものはいなかった。
「本は叔父がいくらでも買ってくれたので、不自由しませんでした」
「そうですか」
「本当は買う必要などないんですけどね。図書館で借りれば十分です」
「……なるほど」
 桐生は頷く。写真を撮るように、もしくはビデオを撮るように眼に映るものを記録し、いつでも再生可能な状態に保存する。少年にはそれができるのだろう。
「父がどのような人間だったのかは分かりませんが、僕と母とは全く似ていない。外面も内面もね。遺伝とは面白いものだ」
「それで」
「ああ、そう。話が逸れました」
 少年は微笑んだ。
「人間は意外と誰かに支配されたがっているものなのですね」
「緋宮響も、東慧一も?」
「そうです。彼らはむしろその傾向の強い人間だと言えます」
 ――貴方と違ってね。
 無邪気な表情は年齢相応のそれだが、その寸分狂いなく傾げられた首の角度が、それは計算されたものだと桐生に伝えていた。
「それは七条一騎も同じでしたよ」
「ますます会ってみたかった」
「結局のところ、支配を望む信者に応えるために異端者を殺していると。そういうことですか?」
「罪の意識の共有は支配に有効です。恐怖を同時に与えることができるのも大きなメリットですよ」
「……お時間もないでしょうから、最後に一つだけ質問させていただきます」
「どうぞ」
「人を殺すことは悪いことだと思いますか?」
「いいえ」
「……何故?」
「楽しみにしているからですよ」
 少年は透き通った表情を浮かべた。それは、世界で最も純粋な笑み。
「貴方が僕をどうやって殺してくれるのか」
「…………」
「僕らをどうやって破滅に追いやってくれるのか」
「……抵抗するつもりは?」
「ありません。だからこそ先ほどの答えをしました」
 桐生は苦笑した。――それは、彼なりの気遣いなのだろう。
 人を殺すことを否定しないということは、自らが殺されることを否定しないのも同じ。そういう姿勢を見せることで、少年は桐生の意図を理解したことを示したのだ。
「僕はこれからもきっと貴方の邪魔をします。でもそれを見逃せば良い」
 そうすれば、桐生は彼個人に何もしない。
「七条の関係者には関わらないことです」
「ご警告ありがとうございました」
 少年はちらりと時計を見た。桐生は察して立ち上がる。
「それではそろそろお暇しましょうか」
「本庄には上手く言っておきます」
 先ほど彼が目撃された、信者の名前だろう。
「どうぞご心配なく」
「お心遣い感謝します」
 桐生は軽く会釈して扉へ向かう。少年が立ち上がり彼の後を歩んだ。長身の桐生を見上げるようにして微笑む。

「では、また――近いうちに」