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エピローグ

 高速道路は空いていて、相変わらず桐生は百キロを超えたスピードを出している。春めいた陽光が眩しく、草摩は軽く眼を細めながら過ぎ行く風景を眺めた。
 
 ロザリオ館から彼らが出発したのはあれから三日後。手続きやら何やらで時間をとられたものの、彼らに対する扱いは丁重で、被害者に対する応対そのものだった。
 実際、桐生が純粋な被害者なのかというと怪しいところもあるが、警察はそれを問題視しないと決めたらしい。眞由美の部屋の水差しを再検査したところ、微量ではあるが睡眠薬が検出された。結果的に草摩の見立てはあたっていたということになり、警察の中でも慧一の容疑は動かぬものとして認識されたらしい。
 表向き、慧一の自殺と教祖の自殺とは無関係として扱われ、マスコミもそれをそのまま報道した。七条一騎殺害事件との関連性も、無論桐生が丸一日失踪していたことも、何も報じられなかった。未成年である草摩と慧一の遺族に対する配慮もあっただろうが、実のところ警察による身内意識が働いたのではないかとも思う。慧一はあくまでO府警本部長だったのだ。全てが明るみに出れば、不祥事の誹りは免れない。
 
「なあ、桐生」
「はい?」
「どうして教祖の死んだ状況と、お前の失踪した状況が同じにしてあったんだ?」
 それだけがどうしても分からない点だった。教祖がどんな人物なのか想像もつかないのだが、桐生には彼の思惑がわかるかもしれない。何となくそう思った。
「僕もわかりません。でも」
 桐生はちらりと草摩を見た。
「彼なりの遊び心じゃないんでしょうかね」
「遊び心?」
 自殺するときに遊びも何もないだろう――そう思って訝しげな表情をする草摩に、桐生は笑った。
「多分、彼はそんな常識なんて持ち合わせていなかったんでしょう。彼はあくまで自分の価値観の中でしか生きられなかった」
「それの通用する世界が、教団か……」
「そういうことかもしれません」
 そしてその価値観を魅力的だと思う人間たちが、彼の元には集った。
「自殺が遊びねえ……」
「ま、遊びとイコールではないと思いますけど」
 何となく、彼の思考をトレースしてみる。
 
 僕の死の状況が何らかの事態に干渉する。それはとても贅沢なことだと思います。死してなお何かに影響を及ぼすことができるなんて、普通なかなかありませんからね。
 
 あっけらかんと言い放ちそうな気がした。あの、どこか夢幻の空気を纏う不可思議な教祖は。
「教祖の名前って、結局分からないんだっけ」
「そうですね」
「ちょっと会ってみたかったな」
 草摩はぼそっと呟いた。
 テレビでは教祖の死を嘆き悲しむ信者の姿が映し出されていた。教団の巫女であった緋宮響は、忽然と姿を消してしまったという。教団の行方がどうなるのか、今の段階では分からない。
「ねえ草摩君」
 桐生は静かな口調で言った。
「彼の価値観が人を惹きつけた理由って何だと思いますか? 明らかに反社会的であったにも関わらず、信者が集った理由は」
「…………」
 草摩はしばらく考え、やがて呟いた。
「『みんなでしあわせになる』……か」
 それは教団の教義。
「思考を停止して新たな価値観に身を委ねること。それが、自らの疎外感と原因を作り出した社会と対立しているものであればあるほど、きっと心地良いことだったのでしょうね」
 まるで独り言のように、桐生は言った。
「そして、それすら彼は見抜いていたのかもしれない……」
「何のために? 何が目的だったんだ?」
「……目的とは、その行為に結果が存在することが前提になる」
 桐生の横顔は穏やかで、それでいて無機的な硬質さに覆われている。
「つまり、何らかの手段をとることで何か結果を出し、そうして現実を自分の望む姿へ変える、もしくは状況に影響を与える、ということ」
「うん」
 煙に巻かれているような話であるが、草摩には何とか理解することができた。
「彼は死を選んだのだから、自分の行為の結果は見ることができなかった。だから、目的がなんだったのか僕らには分からないし、もしかしたら最初からそういう意味での目的はなかったのかもしれない」
「でも」
 草摩は言う。
「経過ならあった訳だろ。教祖は『経過』を見たかったのかもしれない」
 ――たとえば、彼の手の内で自らを歪ませていった叔父のように。
「そうかもしれませんね……」
 呟いた桐生の横顔を見て、草摩は少し口調を強めた。
「もう一つ、聞いておきたいことがある」
「え?」
 桐生はきょとんとした表情で聞き返した。そんな表情をしたって騙されるわけにはいかない。草摩はぐっと気を引き締める。
「お前、最初から叔父さんをはめるつもりだったのか」
「どういうことですか?」
「お前が死んだふりしたのは、叔父さんを破滅させるためか」
「…………」
 桐生は少し眼を細めた。前方が眩しいからかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、確実に表情は読めなくなっていた。
「どうなんだ」
 桐生はゆっくりと口を開いた。
「……僕は医者です」
「知ってる」
「人の死を願うことは許されない」
「…………」
「青酸カリは教祖の私物です。慧一さんに頼んで譲ってもらったと言っていました。だから僕は自殺幇助などしていない」
「そ、そうなのか……? じゃあ何であの時そう言わなかったんだよ……」
 眼を白黒させる草摩を横目で眺め、桐生は口の端に浮かんだ笑みを深めた。
「ねえ草摩君」
「何だよ」
「君は僕が言ったことを信じるんですか?」
「え?」
「僕が今更『あれは教祖の私物だった』と言って、そう信じるんですか?」
 草摩はすぐに頷いた。桐生の表情が少し揺れる。
「どうしてです?」
「だってそりゃお前」
 草摩は笑った。事件後彼が初めて見せた、心底明るい笑みだった。
 
「お前は俺を騙さないんだろ? 約束したじゃん」

「…………」
「それに、親父が言ってた」
 草摩の眼にうつるのは澄んだ青空。
「『信じて欲しい人がいたら、まず自分からその人を信じろ』って。容疑者を取り調べるときも、まずは相手の言うことを全部鵜呑みにしてみるんだって。そうしたらいずれ相手の方からボロを出してくれるらしい」
「へえ……」
 桐生は何度か瞬きをして、やがて微笑んだ。
「一騎さんらしいや」
 その表情に一瞬どこか少年らしいものを垣間見て、草摩は少し息を呑む。いつも大人びた余裕を見せる桐生にしては、珍しい表情だった。
 
 ――いつか、
 
 桐生は思い出す。最後に会ったとき、教祖が彼に言った言葉。
 
 ――いつかきっと、その少年は貴方の過去を探り出しますよ。
 
 草摩より年下のくせに彼を「少年」と呼ぶこともおかしかったのだが、桐生はそれを聞いたときに平然として返したものだ。
 
 ――僕は彼を恐れてなどいません。
 
 恐れてなどいない――本当だろうか。桐生はハンドルを握る自分の手を見る。
 教祖の声が脳裏に蘇った。

 ――貴方は人を殺したことがありますか?