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愉快犯

 後から思えば、本当にひどい「遊び」だったと思う。でも、あの時の私はそんなこと、ちっともわかっていなかった。
 ――わかっていたとしても、やっていたかもしれないけど。

  × × ×

 私達は、若くて、ちょっとばかりお化粧やおしゃれが上手で、ただそれだけでちやほやされることを、当たり前だと思っていた。だからこそ、私たちには見栄えの良い彼氏が必要だった。
 女子大の新入生だった私たちは、当たり前のように学外のサークルにばかり見学に行った。女子大生だけで集まる部活になんて興味はない。近隣の、いわゆる難関大との合同サークルに入ったり、難関大内の部活のマネージャーになったりすること、それこそが「勝ち組」への道なんだと――私たちは知ったような顔で語り合っていた。勝負は早々に始まっているのだ。出遅れてはいけない、と。
 私は、K大医学部の合唱部に入った。もちろん、うちの大学にも合唱部はあるのだけど。混声合唱がしたいのだと、私は入部動機を言った。我ながらあからさまな嘘だったけれど、誰もそのことをどうこう言ったりはしなかった。私のような動機で入部してくる存在には皆慣れているのだろう。――ただひとり、あの女を除いては。
 私は彼女と同じソプラノのパートではあったのだけれど、彼女はピアノが上手くて伴奏にまわることも多かったから、それほど会話を交わす機会はなかった。だが、私はずっと彼女が気になっていた。茶髪全盛の私達の中ではかえって目立つ長い黒髪、白い肌、涼やかな目元。清楚な美人という言葉がぴったりだった。だが――いや、だからこそ、私達からはあまり好かれていなかった。彼女はソプラノの中では唯一の医学生だった。私達が一生懸命に取り入ろうとしている男子生徒たちに、彼女はとても自然に、そして対等に、接することができる。そういうところが気に入らなかったのだ。
 だから――私達は、彼女に辛く当たることにした。
 わざと彼女を誘わずに休日の予定を立て、男子を誘う。飲み会も、彼女には知らせないようにした。男子はそういうところには本当に疎かったし、彼女もまるで私達の企みなど何も気付いていない風に振舞っていた。そういう彼女の余裕が、更に私達の下らない嫉妬を煽ったことは言うまでもない。
 そして、ある時事件が起こった。彼女の楽譜が捨てられていたのだ。見つけたのは男子学生の高木君だった。私はその時、彼を狙っていた。なんとか仲良くなって、ふたりで夏祭りに出掛けようって約束を取り付けたくて、やきもきしていたのだ。
 高木君は眉をしかめて、部室のゴミ箱に突っ込まれていた折り曲がった譜面を広げた。
「これ、冴木先輩のじゃない? 何でゴミ箱に入ってんの」
「……さあ」
 彼女はうっすらと微笑んだ。
「誰か間違ったんじゃないかしら? でも良かった……見つかって。探していたの」
 彼女は楽譜を受け取り、そして、あら、と小さくつぶやいた。
「どうしてこんなところに……?」
「え」
 覗き込んだ高木君の顔が引きつった。
「どうしたの?」
 私は思わず彼に声をかける。振り向いた高木君は、強張った顔をしていた。
「ねえ、木村さん」
「なに?」
「このピアス、知らない?」
「…………」
 血の気が引いた。
 譜面の端っこに引っ掛かっているそれは――間違いない。
「な、なんで?!」
 私は声を上げた。
「なんで、私のピアスが……?!」
「木村さんのだったの。返すわね」
 彼女はにこりと微笑んで、私にそのピアスをずいと押し付けた。お気に入りの、キュービックジルコニアでできた石の揺れる、ピンクゴールドのピアスだった。そういえば最近見当たらないなと思っていたのだが、一体なぜこんなところに……もちろん、彼女の楽譜を捨てたのは私ではない。私達のうちの誰かかもしれないが、私ではなかった。彼女は一言も私を疑うような素振りを見せなかったし、私を責めもしなかった。ただ、私の横を通り過ぎるときに意味深な一瞥を私に投げただけ。――だが、それだけでもう、十分だった。
 私は、合唱部を辞めた。続けられなかった。高木君はあれから何も言わなかったが、どことなくよそよそしくなったし……他の女子からも「そこまでする?」という目で見られるようになってしまったからだ。今まで散々一緒になって嫌がらせしてきたくせに。そもそも私はやってないのに。私は憤慨したが、どうしようもなかった。敵に向かって一致団結した時の女子の団結力といったら。今まで彼女に向いていたそれが、今では私に向けられているのだった。
 どうしてこんなことになったのだろう? どうして、私が……。
 でも、仕方がない。
 最終的に、私はそう諦めることにした。私に非がない訳ではない。仕方がないことだ。最初から、彼女に理不尽な敵意など向けなければ良かった。そもそも後ろ暗いところがなければ、私はきっと、私がやったのではないと主張できていただろう。それができない時点で、私にはどうしようもなかったのだ。
 自分でも訳がわからないうちに、私は友人を失い、恋の芽は枯れ落ち、そしてひとりぼっちになった。

 そして、私が部を辞めてから三ヶ月後。彼女は――冴木百合子は自ら命を絶ったのだった。

 もちろん、お葬式には行かなかった。同じ部の人達は行ったらしいが、今更どんな顔をして行ったらいいか、私にはわからなかった。
 それからしばらくして、私の前にその人が現れた時――私はとてもびっくりした。
 大学からの帰り道。そこには久しぶりに見る高木君と、もう一人は初対面の男子学生。きらきらした明るい色の瞳が印象的な人だった。
「この人?」
 高木君がその男子に聞かれ、頷いている。
「あ、あの……何か用ですか?」
「今更なんだけどさ」
 高木君はふう、とため息をついた。
「あの人の、楽譜が捨てられた事件のこと。覚えてるでしょ?」
「あ……うん」
 私は俯く。――こんなことになるのだったら、冴木先輩に、ちゃんと話せば良かった。私じゃない、でも今までのことはごめんなさい、って。本当のことを全部、ちゃんと話せば……。
「木村さん」
 高木君じゃない人の声が、私を呼んだ。
「本当に今更だけど、でも君にとっては意味があると思うから」
「え?」
 思わず顔を上げる。その男子は、とても真剣な顔をして私をじっと見つめていた。
「あれは、自作自演だと思う」
「……え?」
「冴木百合子は自分で自分の楽譜を捨てたんだ。たまたま拾った君のピアスを使って、君を犯人に仕立てた」
「な、なんでそんなこと……」
「高木に聞いたけど、君達は冴木先輩を嫌っていたんだろう? 彼女はあまり相手にしていなかったみたいだけど……それでもやっぱり腹は立ったんだろうね。それで、誰かをひとり矢面に立たせて、事態を沈静化させようとした。たまたま君が選ばれただけのことだ」
「どうして、そんなことがわかるの?」
 私は信じられない思いで尋ねた。まさか、冴木先輩が、そんなこと。
「だって、おかしいだろ? 嫌がらせで楽譜を捨てたいなら、わざわざすぐに見つかる部室のゴミ箱には入れない。捨てられた楽譜が見つからないと困るから、引っ掛けて一緒に捨てたピアスの持ち主がわからないと困るから、目につきやすい部室に捨てたんだよ」
 彼は淡々と語った。
「それから――もうひとつの根拠は、その後君が孤立したことだ。もし君がやるなら、絶対に友人と一緒だよね。君が単独で行動するはずがないんだ。バレた時の言い訳とか、仲間にかばってもらう算段とか、そういうものなしに相手の持ち物を捨てるなんて、実力行使に出るはずがない」
「…………」
 私は絶句する。高木君は私と彼とを見比べていたが、やがて再び深いため息をついた。
「疑ったりして、悪かったよ」
「う……ううん」
 私は首を横に振った。
「でも、私達……私が先輩のこと嫌ってたのは本当だし。飲み会とか、遊びにも誘わなかったし。それに……」
「ああ、そのことなら」
 高木君は苦笑した。
「男子から誘ってたんだよ。いつも断ってたけどな、あの人は」
「……え?」
 私は今度こそぽかんと口を開けた。
「あの人は多分、全部わかってたんだ」  高木君は言う。
「自分が浮いていること、嫌われていることも……その理由も」
「…………」
「それで、効果的な反撃を考えついた……」
 その時、男子がちらりと高木君を見た。
「反撃なんて、そんな大げさなものじゃない。彼女にとってはただの『遊び』だっただろうね」
「……でも」
 私は何故か涙がこみ上げるのを感じた。
「先輩、もういないんだよね……私達、先輩にひどいことしたのに……もう、謝れない……」
「…………」
 高木君は悲しそうに顔をしかめ、男子学生は――何とも言えない複雑な顔でそらを睨んだ。
「……じゃあ、俺はそういうことで」
「お、おい草摩!」
 その、草摩と呼ばれた男子学生は、呼び止めようとした高木君をあっさり振り切って去っていってしまった。私のことも、振り返りもしなかった。――変わった人。でも、さっぱりした、気持ちの良い話し方をする人だった。少し小柄な背中が、人混みに紛れ、消えていく。
「急にごめんな」
 高木君は困ったように私を見た。
「この間、ふと思い出して……あいつにさ、木村さんとその、冴木先輩とのことを話したんだ。そうしたら、一度木村さんと話さなきゃ駄目だって言い張って。びっくりしただろ?」
「……う、うん。少しね」
 本当はものすごく驚いたのだけど。私は口ごもった。
 そんな私を見下ろしていた高木君は、ふう、と息をついた。
「立ち話も何だし……どこか入る? 時間、大丈夫だったら」
「時間は、大丈夫」
 私は顔を上げ、言った。
「あのね、……高木君」
「ん?」
「さっきの人に、ありがとうって伝えてくれる?」
「……わかった」
 高木君は笑って頷いた。
「そういや、あいつ名乗りもしなかったな……」
「…………」
 何ヶ月かぶりに、高木君と肩を並べて歩く。この人は、私のアクセサリなんかじゃない。なんだかひどく落ち着いた気分だった。
 わざわざ私を探して、話をしに来てくれた。そのことがとても嬉しくて――そうして彼女がもうどこにもいないこと、二度と話ができないことを思って、私はひどく悲しくなった。

  × × ×

 あの頃、私はひどい「遊び」をした。
 ピアスを差し出した時の彼女の顔を思い出すと、たまらなく――。
 でも、大丈夫みたい。この間、ふたりでいる彼女と彼を見たから。
 なあんだ、つまらない。だけど、まあ、いいとしよう。

 「私」はもう、私ではないのだから。「私」のために復讐をする権利はもう、ないのだ。
 茶番でもいい。
 私はただの、「愉快犯」だ。