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天の宅急便

「草摩」
 一騎は困ったように息子に声をかけた。
「…………」
 六歳と半年を過ぎたばかりの少年は頑なに背中を向けて動こうとしない。
 一騎が大失敗をやらかしてしまったクリスマス以来、彼は父親に対して完全にへそを曲げてしまっていた。
 ――まあ。無理もないか。
 一騎は頭を抱える。
 十二月二十四日の深夜、息子の部屋に忍び込んでサンタを演じていたとき、突然携帯に仕事の連絡が入ったのである。
 鳴り響く着信メロディ――ショパンの「英雄」。
 起き上がって呆然と父親の顔を眺めた草摩の顔。
 片腕に大きなプレゼントを抱えてわたわたしていた自分の姿。
 思い出すと泣き笑いをしたくなる。
 一騎は警視庁刑事課勤めの参事官であり、キャリア官僚だ。
 クリスマスイブであろうが何だろうが、担当している事件の報告なら連絡が入るのは当然のことだった。当然のことだったのだが。
 サンタクロースが父親であるという真実をあまりにも早く悟らされてしまった草摩は、ずっと不機嫌なままなのである。
 ――どうしよう。
 このまま年を越すのはいくら何でも気が重い。
 一騎はもう一度息子に声をかける。
「草摩」
「…………」
「お父さんはなあ」
 息子の背中を見つめて語り始めた。
「サンタさんのお友達なんだ」
「…………」
 小さな背中は黙して語らない。
 一騎はそれでも言葉を続ける。
「サンタさんのお友達だから、ちょっと頼まれてお前の分を届けたんだよ」
 我ながら苦しいとは思う。それでも一騎は淡々と穏やかに語った。
「サンタさんもな、世界中の子供たちに届けるのは大変だろう。だから、知り合いの子供には親御さんにプレゼントを預けて、渡しておいてくれって言うのさ」
「そんなの手抜きだ」
 草摩はぶすっとして言う。一騎は苦笑した。
「確かにそうだな」
「それに」
 小さな頭が振り向いた。
 細い毛は色素が薄く、濃い栗色をしている。前髪の下の大きな瞳は利発そうに瞬いていて、どこか黄金色の輝きを宿していた。
 一騎のくっきりとした鋭利な顔立ちと、亡くなった母親の愛らしい幼さがちょうど融合されている。
 一騎の最愛の一人息子だ。
「それに、証拠がないよ」
「え?」
 六歳の息子の唐突な反撃に、一騎は面食らった。
「サンタさんとお父さんが友達だっていう証拠がない」
 父親の言葉を聴いて覚えたのだろうか。確かに、証拠がなければ証明はできない。警察官として当たり前の心得である。
「…………」
 一騎は息子を見つめ、やがて口を開いた。
「よし」
「え?」
「証拠を見せてやろう」
 草摩は目をぱちぱちさせた。
 一騎はテーブルの上に置いてあったごく普通の白い定型封筒を手に取った。
 近寄ってくる息子にその中身を見せる。
「空だろう?」
「……うん」
「ここに」
 一騎は一枚の便箋を取り出した。
「サンタさんへ手紙を書いてごらん」
「手紙?」
「そう。今ここでお父さんが届けてあげる」
「今? ここで? ここにサンタさんがくるの?」
「いや? この封筒は特別なものだから、サンタさんのいる場所につながっているんだよ」
「……そんなこと、あるわけないよ」
「やってみないとわからないだろう? ほら」
 一騎にうながされ、草摩は紙に鉛筆でたどたどしく文字を書き連ねた。
 ――さんたさんへ。おとうさんとともだちってほんとうですか。ほんとうだったら、おとうさんにあやまります。でも、やっぱりさんたさんにきてほしかったです。
「それでいいか?」
「うん」
 一騎は息子からその紙を受け取り、封筒の中に収めた。しっかりと糊付けする。
「しばらく待ってろよ」
 一騎はぶつぶつと口の中で何かを唱え始めた。
 草摩は大きな瞳をさらに見開いて父親をじっと見つめている。
 三分ほど経っただろうか。草摩が焦れてきたころ、
「もういいぞ」
 一騎は封筒をびりびりと破り、中から出てきた紙を草摩に渡した。
「…………」
 草摩は疑念もあらわにその紙を受け取る。
「開いてごらん」
 草摩はあっと声を漏らした。
 そこに書かれていたのは自分の文字ではなくアルファベット、しかも流暢な筆記体だったのである。
「これ、これ何て書いてあるの?!」
「どれどれ」
 一騎は草摩から受け取り、目を細めた。
「『イブに行けなくてすまなかった。君の落胆は良く分かる。だが、プレゼントには気持ちを込めてあるから、気に入ってもらえると嬉しい』……だってさ」
「……すごーい」
 草摩は一騎の手から紙を奪い返した。
「すごいよ、お父さん」
「すごいだろう」
「うん」
 機嫌を直してはしゃぐ息子の姿に、一騎はほっと吐息をついたのだった。

 そして迎えた正月。
 親子二人で雑煮をすすっていたとき、草摩は突然父親に封筒を差し出した。
「父さん、ぼくすごい封筒を発見したんだ」
「何だって?」
 餅を喉に詰まらせそうになる。
「この封筒ね」
 草摩はにこにこして言った。
「天国から年賀状が届くんだよ」
「……そりゃすごい」
 一騎はそわそわと視線を動かす。
「ほら、見てて」
 草摩は封筒の中身を父親に見せる。当然空っぽだ。
「これを、こうして」
 以前一騎がやったのと同じように封をする。
「それで、年賀状が欲しい人を思い浮かべてお祈りをする」
「誰のが欲しいんだ?」
「お父さんと一緒」
 草摩は微笑んだ。
「お母さんだよ」
「…………」
 一騎は息を呑んだ。
 彼女は草摩を産んですぐに亡くなっている。記憶などないだろう。
 しかし――。
「そうか」
 一騎の声はかすれていた。
「年賀状をくれるのか」
「うん」
 草摩はびりびりと封筒を破り、中を父親に見せた。
 葉書が入っている。
 一騎はそれを受け取り、見て思わず声を上げた。
「何で……!」
 まぎれもない彼女の筆跡。
 印刷された干支のイラストの傍に添えられた言葉を読み、一騎は胸が熱くなった。

 “愛する夫と子供の幸せを、いつまでも祈っています”

「……夏海(なつみ)……」
 一騎は葉書を抱きしめ、そして草摩を抱きしめた。
 ――しあわせだ、と思った。

 あれから十三年が経った。
 一騎はこの世になく、大学生になった草摩は親戚の桐生の元に身を寄せている。
 だが、クリスマスと正月を迎えるたびに思い出す。
 桐生がデパートで買ってきたおせち料理をつつきながら語った草摩に、彼は興味深げに尋ねた。
「結局、どういうことだったんですか?」
「封筒には細工がしてあったんだよ」
 草摩はあっさりと言った。
「中敷を一枚作っておいて、最初はそっちの空の方を見せる。実はその中敷の裏側には既に後で見せる手紙なり葉書なりが用意されてるわけ」
 あとは簡単だ。
 あらかじめ塗っておいた糊で中敷を最初と逆の方にくっつけ、糊の上側で破る。そうすれば、
「最初は隠れていた方のスペースが見えるってわけ」
「単純ですね」
「そう。親父が捨てた後の封筒を見て気づいたんだ」
「でも問い詰めなかったんですか」
「うん。まあ、何ていうか」
 草摩は軽く髪を掻く。
「一生懸命だなあって思ったらさ。そんなことで怒ってる自分が馬鹿らしくって」
「では、お母様からの年賀状は?」
「…………」
 草摩は少し黙り、やがて微笑んだ。
「秘密、じゃだめ?」
「かまいませんよ」
 桐生は微笑んだ。
「そうですね、きっとお母様から届けられたんでしょうね」
「うん。そういうことにしときたいんだ」
 桐生は思う。
 筆跡くらいいくらでも真似られる。
 当時はまだ存命だった母方の祖母に頼んだのかもしれない。それとも別の大人に頼んだのかも……。
 けれど、
「草摩君の気持ちは」
 桐生は優しく呟く。
「天国と地上の架け橋になったのでしょうね……」
 今は亡き両親に思いを馳せ、草摩はしばし黙祷した。