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ハッピー・バースデイ・イブ

 師走に入ったからか、どこかしらすれ違うひとびとも気忙しげに歩いている。喧騒の中を縫うように歩きながら、絵音はもう何度目かわからないため息をついた。――この人と一緒に歩くの、いや。
「そんなにため息をついては、しあわせが逃げていきますよ?」
 ため息の原因にそう言われ、またため息が出る。
「桐生さん、サングラスとマスクで顔隠して下さい。目出し帽でもいいです」
「……それじゃ店に入れませんよ。強盗だと思われて通報されちゃいます」
 大真面目に答えるその顔は、確かに整い過ぎるくらいに整っている。眼鏡の奥で柔らかな光を湛える黒い瞳。それを縁取る睫毛は長く、眉はなめらかな弧を描いている。すっきりとした鼻筋、理知的な薄い唇。群集よりも頭ひとつ抜け出す細い長身。彼に視線が集まるのは仕方がない。だから、隣を歩く自分を値踏みするようにじろじろと見るのはやめてくれ。自分は彼の身内でもなければ恋人でもない。敢えてこの関係を名付けるのなら、何といえばいいだろう……仲間、だろうか。「彼」を囲む、仲間。パーティ。そう呼ぶと、まるでゲームのようだけれど。
 ふと、絵音は思いつきを口にした。
「最近、良くテレビに出ている女医さんがいますよね? 桐生さんもあんな感じを目指してみたらどうでしょう。きっと人気が出ると思うんですけど」
「いやあ、僕目立つの好きじゃないんで」
 ――どの口が言うか?! 腕に抱えていた紙袋をへし折りそうになり、絵音はあわてて力を抜いた。落ち着け、私。
「桐生さん、今でも十分目立ってますよ」
「え? 僕何か変ですか?」
 寝癖は直したし、靴下の左右は確認したし……何かついています? きょろきょろする三十代半ばの男を従え、絵音は再び深いため息をついた。

 そもそも何故絵音が桐生と出掛けることになったのか――それは絵音の恋人であり桐生の同居人でもある、七条草摩の誕生日が近いからである。今年はみんなでお祝いしよう。草摩の一番近しい存在である彼らは、そう決めていた。今日はプレゼントの購入と、パーティの食材の買出しである。
「すみません、つきあってもらっちゃって」
 恐縮する桐生に、絵音は笑った。
「いえ、こちらこそ車で来られて助かりました。……そういえば、彼には何と言ってでてきたんですか?」
「特には。まあ、何となく勘付かれているかもしれませんけれど」
「鋭いですもんねー」
「そりゃあ、貴方のことに関しては特に鋭いと思いますよ」
「そ、そんなこと」
 絵音はさっと頬に血を上らせた。
「彼、結構いつも桐生さんのこと気にしてるんですよ? 桐生さんのことにも鋭いと思います」
「あぶないあぶない」
 何があぶないのか、と見上げると桐生は何とも読めない笑みを浮かべていた。
「彼に貴方という人がいなかったら、僕うっかり草摩君を好きになってしまいそうです」
「は……?」
「冗談ですよ」
 絵音はため息をつく。自分のしあわせが逃げていったなら、きっとこの人のせいだ。
「ところで、桐生さんは何をプレゼントされるんですか?」
 わざとらしく話を変えると、桐生は穏やかに笑ってみせた。
「カメラです」
「カメラ?」
「ええ。……写真を、撮って欲しくて。いえ、僕が撮ってあげてもいいんですが」
 桐生は子供時代の写真を持っていない。アルバムは、かつての事件で焼けてしまった。それ以来、彼は避けるかのように写真を撮らないようにしてきたのだという。自分の姿をそこに留めることを恐れるように――。
「でも、最近思うんです。草摩君や貴方と一緒に写真に写りたいなって」
 桐生は優しく、ぽつりぽつりと語った。――彼らとともに過ごす時間は、桐生にとってとても大切なものだ。願わくば、彼らにとってもそうでありますように。想いを込めて、シャッターを切りたい。切って欲しい。
「ちょうど草摩君もデジカメ欲しがってましたしね」
「……そうですか」
 絵音は弱々しく微笑む。
「実は私もカメラ、苦手だったんです。奇遇ですね」
「ああ、そうですか」
 残念そうにつぶやく桐生から目を逸らし、
「でも……」
 絵音は冬空を振り仰いた。
「今度、三人で撮ってみましょうか。ほら、最近あちこちでクリスマスイルミネーションが始まってますし」
「ええ。でも、カメラマンはどうしましょうか」
「誰かに撮ってもらってもいいし……。屋内ならどこかに置いておいて、カウントダウン機能で撮れば」
「へえ、すごいですねえ」
 感嘆の声をあげた桐生が、ちらと絵音を見遣った。
「では、絵音さんは何を?」
「私……私はそんなたいしたものじゃないんですけど」
 絵音は腕に提げた紙袋に思いを馳せる。
「腕時計です」
「……草摩君、ずっとお父さんの形見を使っていますよね」
 桐生はつぶやく。絵音はうなずいた。
「ええ、もちろんこれからもそれを使いたい気持ちもあると思います。でも、ずっとそればっかりというのも。使いすぎて壊れちゃったら、悲しいし」
「……そうですね」
 桐生は笑う。
「時計を見るたび過去に巻き戻っていたのでは、過去だって心配しますよね」
「ええ」
 絵音もつられて微笑んだ。
「新しいのも古いのも、大切にしてくれたら嬉しいです」
「きっと、大切にすると思いますよ」
 桐生は自信たっぷりにうなずく。絵音は面映くなってうつむいた。
「しばらくは彼、シャッターチャンスを探してうろうろしてそう」
「はは、盗撮に気を付けないといけませんねえ」
「桐生さんを盗撮しても……ああ、そうか。売るんですね!」
「売る?!」
 冗談のつもりだったのだろう、桐生は絵音の反応に意外そうに眉を上げた。絵音はくすくすと笑う。
「ふふ」
 ――前言撤回。たまには桐生と出掛けるのも悪くない。草摩を話のネタに盛り上がるのは、なかなかに楽しいものだった。
 桐生も自分も、草摩をこころから想っている。それが何より大切な共通点で、その他は今となってはどうだっていいことだ。過去がどうだ、痛みがどうだ、そんなものはもういい。
「たまにはいいものですね」
 まるで彼女のこころを読んだかのように、桐生が不意にそう言った。絵音は驚いて彼を見つめる。桐生はいつものように読めない笑みを浮かべていた。
「若い子と話すと、気持ちが若返るんですよ」
「そんなオヤジくさいことを……」
 その顔でそんなことを言われると、何か夢が壊れるような気がする。絵音はがくりと肩を落とした。隣で桐生は、でも草摩君に妬かれない程度にしないとねえ、などと暢気なことを言っている。

 明日はあなたの誕生日。
 ありったけのしあわせを、あなたに贈ろう。わたしたちのしあわせは、あなたとともにあるの