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アフター・ハッピー・バースデー

 桐生は音を立てないようにそうっと鍵を開け、玄関に滑り込む。既に日付は変わってしまっているから、同居人の草摩はもう寝ているだろう。
「あれ?」
 リビングルームに入った桐生は足を止めた。草摩がテーブルに突っ伏して寝ている。部屋の電気も点けたままだ。
「草摩君……?」
 桐生は草摩の顔の側にある小さな箱に目を止め、おや、と首を傾げた。綺麗にラッピングされ、リボンが掛けられている。
 それはともかく、この草摩をどうしよう。
「一騎さんなら軽々運べるんでしょうけど……」
 草摩は男の割に小柄だが、桐生もかなりの細身である。
「僕が草摩君を担いだら確実に腰が逝ってしまいますねえ」
 背負うことくらいはできるだろうが、前屈みになってテーブルに突っ伏している草摩を背負うのは難しそうだ。
「起こすしかない……か」
 桐生は草摩の肩に手を掛け、軽く揺すぶった。
「草摩君、草摩君」
「ん……」
 草摩は眉を寄せて振り払おうとするが、桐生は意に介せずに揺すり続けた。
「草摩君、起きて下さい」
「むー……」
「起きないとー」
 桐生は草摩の耳元に口を寄せた。
「…………」
 ぽそぽそとつぶやく。途端、草摩ががばりと身を起こした。何を吹き込まれたのか、草摩の顔が青から赤へと目まぐるしく色を変える。
「あ、おはようございます、草摩君」
「お、おはようじゃねえよ! お前……」
「寝るならベッドで眠って下さい。風邪を引きますよ」
 涙を浮かべて抗議する草摩を笑顔で黙らせる。
「……これ、やる」
 草摩は椅子から立ち上がるとテーブルの上に置いてあった箱を手に取り、桐生に突き出した。
「今日、誕生日だろ」
 桐生はぽかんと口を開けた。
「え?」
「お前の誕生日、十月三十一日じゃなかったっけ?」
「あ、そうです」
「じゃあ今日だ」
「ああ、そうだったんですか」
 手をぽん、と打って大きく頷いた桐生に、草摩は眉を寄せた。
「お、お前なあ」
「それで、帰りを待っていて下さったんですね」
 桐生はプレゼントの箱を受け取り、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「ん」
「開けていいですか?」
「ん」
 照れているのか言葉少なな草摩を視界の隅に捕らえながら、桐生はラッピングを丁寧に剥がした。箱を開けて中を覗く。
「マグ、ですか?」
「うん。この間医局に行ったらさ、お前のマグ結構汚れてたし」
「ああ、忘れ物を届けてもらった時ですね」
「そうそう」
 桐生は真新しいマグカップを手にして微笑んだ。
「ありがとうございます。これからはこれでコーヒーをいただきますね」
「おう。じゃあ俺寝るわ」
「はーい。おやすみなさい」
 踵を返しかけた草摩がふと足を止め、振り返る。
「今度早く帰れたら、ケーキ食おうな」
「……はい」
「ろうそくは三十……」
「それはいりませんっ」
 きっぱりと言い切った桐生に、草摩は小さく噴き出す。桐生は手にカップを持ったまま、くすくすと笑った。

 ――日付は既に十一月一日だったけれど、そんなことはどうだって良かった。
 三十数年前の自分へ、誕生日おめでとう。