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第六章

 辰川家にインターフォンの音が響いた。キラはそわそわとしながら兄の側に近付く。
「りゅうちゃんかな?」
「いや、あいつは鍵持ってるだろ」
「……そうだよね」
 とたんに元気をなくして俯く妹の頭を撫でながら、春樹はカメラの映像を見て思わず声をあげた。
「あ……!」
 見覚えのある顔がじっとこちらを見ている。──カイル=エル=ムード。
 春樹はカメラと連動して外部につながるマイクを手に取った。警戒もあらわに、問い掛ける。
「何の用だ?!」
 カメラの向こうのカイルはやれやれ、というように首を横に振った。
『……命の恩人に、随分な言いぐさですね?』
「はあ?」
『すみません、用件を申し上げましょう』
 カイルは表情を引き締めた。
『まずは中に入れていただけませんか。以前掛けたご迷惑については謝罪します……私は今、硫平=鈴摩君の件で動いているのです』
「硫平の……?」
 春樹は少しためらったが、程なく心を決めた。――ひとまずは信じよう。だが、何か怪しげな行動を取るようならば、容赦はしない。
「わかった。今開ける」
 一年ぶりに見たカイルは、随分と雰囲気が変わっていた。翡翠の瞳は穏やかで、以前のような狂気の色はない。白っぽいスーツに身を包んだ彼は、手の中に不可解な物体を抱えていた。金属片とコードで形作られているようだが、絶縁素材らしい透明なフィルムでパックしてある。
「それ……」
 春樹は目を凝らし、小さく息を呑む。
「爆発物……じゃないよな」
「そうですよ」
「ぎゃーやっぱり罠かー!!」
「ち、違います」
 カイルは慌てたように手を振った。飛びかかろうとしていた春樹は、ぴたりと動きを止める。
「もう分解済みですから、安心して下さい」
「……もしかして、あんたが止めてくれた?」
 カイルは無言で微笑んだ。おそらくそれは肯定のサインだろう。春樹は決まり悪げに頭をかいた。
「そりゃあ……どうも。ありがとな」
「お礼なら、邑悸=社に言った方が良いと思いますよ」
「え?」
 意外な人物の名前に、春樹は顔を上げる。カイルは少しいまいましそうに顔をゆがめていた。
「私をここに向かわせたのは、彼ですから」
 お茶を運んできたキラに、カイルは軽く会釈する。彼女は春樹の隣に腰掛け、不思議そうに尋ねた。
「あの、いつ、仲直りしたんですか?」
「おい……」
 春樹は思わず脱力し、カイルは苦笑を浮かべる。
「……別に喧嘩をしていたわけではないんですよ、お嬢さん」
「あれ?」
「お前はちょっと黙ってろ」
 春樹はキラをさえぎった。場が和んだのはありがたいが、このままのペースで話を進めるわけにもいかない。
「その、爆弾を設置しようとしていたやつは?」
「取り押さえてARMADAに引き渡しました」
「……そもそも、何で邑悸=社はあんたをここに来させたんだ?」
 春樹は首をひねる。
「ARMADAにも警備隊がいるだろ? 何もわざわざ外部の人間を呼び出さなくても、手飼いのやつらの方が使いやすいんじゃないのか?」
「……ええ、正論ですね」
 カイルは紅茶を一口すすった。
「でも、警備隊のほとんどはついこの間まで一般人だった連中……もし貴方がたに危害を加えようとしている連中が『BGS』だったなら、ちょっと分が悪いでしょうね。しかもそれがARMADA出身なら、なおさら」
「ん?」
 春樹は顔を上げた。カイルはじっと彼を見つめている。まるで彼が気付くかどうか試しているかのように――。
「俺の聞き間違いでなければ……」
「はい」
 春樹が全てを口にする前に、カイルはあっさりとうなずいた。
「僕は、『BGS』です」

「……なあ、ほんまに大丈夫なんか?」
 一貴は何度目かの問いを発し、旧友の答えを待った。
 邑悸自身が本社のオフィスを訪れるのは久しぶりのことだが、ただそれだけで社内の雰囲気が引き締まるのを感じる。――それがこの男の持つカリスマ性なのだと、一貴は再認識した。
 だからこそ、心配なのだ。
「大丈夫だよ。……これで五回目」
 邑悸は振り向き、微笑んだ。その身を包むのはいつものスーツではなく、まるでかつての「BGS」の制服のような、つまりのところ戦闘服だった。黒い革製のように見える服地には対刃繊維が織り込まれており、また外から見えないようにさまざまな武器の類が収納できるようになっている。
「お前は指揮を執った方がええんとちゃうか?」
「指揮なら現場にいても執れるさ」
「けど……」
「もう決めたことだよ」
 きっぱりと言い切る。邑悸がこのように言うとき、彼の意思を翻させることは不可能に近い。一貴は経験的にそれを知っていた。
「…………」
 黙り込む一貴に、邑悸は表情を和らげた。
「ありがとう、心配してくれて」
「俺の言うこと無視するくせに、礼なんか言うなや」
 一貴はすねたように視線を逸らした。邑悸は困ったように首を傾げる。
「でも、本当にありがたいと思っているんだよ」
「…………」
「一年前、僕に言ったよね」
 ――お前のしたこと、忘れたらあかんで。殺人は確実に増えとる。
「ああ……言うたな」
 一貴は頷く。
「そのとき、僕は答えた――『それは僕の責任かい?』と」
「…………」
 邑悸の表情はいつになく固い。緊張のためだろうか。それとも、何か別のことが心を占めているのだろうか。
 邑悸はぽつりとつぶやいた。
「今回のことは、僕の責任だ」
「いや、それは……」
「僕の、責任なんだ」
 一貴の声をさえぎり、邑悸は繰り返す。
「ARMADAを離れた『BGS』たちを、僕はきちんとフォローしきれなかった。硫平のような幸運な者たちはほんの一握りだったのに……」
「お前だけのせいちゃう。それはARMADAという企業全体の、むしろ世界全体の落ち度やないか」
 一貴の言葉にも、邑悸は表情を緩めなかった。
「僕は『BGS』に自由を与えた――自由という名の、孤独を」
「…………」
 以前なら、「BGS」はARMADAの庇護の下に守られていた。ところが「SIXTH」神話の崩壊とともにそれは失われてしまった。「BGS」は社会に散らばった。しかし、彼らがそこで経験したことといえば……。
「『BGS』という言葉は、まだ消えていない……いや」
 邑悸は痛ましげにその目を伏せる。
「僕が思っていたよりもずっと長く、それは残るのかもしれない――」
 「BGS」だったものたちの上に、まるで聖痕(スティグマ)のように。
「お前、ビルのとこ行くんやろ? 行ってどうするんや」
 一貴は尋ねた。
「一網打尽に引っ張ってくんのか」
 邑悸は答えない。
「あいつらのしたことは結構な犯罪やで。いくらお前が同情したって、庇いきれへん」
「…………」
「なあ――」
「罪は」
 ようやく邑悸が口を開き、一貴は言葉を切った。
「贖うことができる。どんな罪であっても、心から贖いたいと願えば必ず方法はある」
「どうやってや……?」
 邑悸は一貴に向き直った。
「ふつうの犯罪者と同じように扱うしかないだろう。刑期が終わったら、僕が面倒を見る」
「…………」
 ――ウィリアムたちが大人しく刑に服すだろうか。一貴は疑問に思う。何より、邑悸自身は本当にそれを信じているのだろうか……?
「『BGS』だったからと言って、甘えは許されないんだよ」
 邑悸のブーツの踵が重い音を立てた。準備ができたのだろう。階下の会議室では元「BGS」チームの面々が邑悸を待っているはずだ。そこに――レイもいる。
「どんな事情があっても、社会の秩序は守られるべきだ。特別扱いは許されない」
 厳しい言葉に、一貴は反論しようと開いた口をつぐむ。――確かにその通りだ。「BGS」だからといって、差別を受けたからといって、他人に危害を加えることなど許されるはずがない。それを許してしまえば、「BGS」はさらに社会からつまはじきに遭う。
「スティグマを押すのは、社会だけじゃないんだ……」
 邑悸はかなしい微笑を浮かべた。――自分で自分に烙印を押す。その痛みを、悲しみを、そしてその罪を。邑悸は既に知っている。だからこそ、許すわけにはいかないのだ。
「……ほんまに、行くんか」
 それは疑問ではなく、確認。邑悸は頷いた。
「そうか……」
 一貴はため息混じりにつぶやく。どんな結末を迎えようとも、きっと誰もが傷つくのだろう。そんな気がしていた。

 懐かしい顔ぶれを見ても、レイの気持ちが弾むことはなかった。……こんなときでなければ、会いたい人たちだったのに。
 あずみ=佐崎もまたそれは同じだっただろう。レイの姿を見て駆け寄ってきたものの、言葉に詰まって俯いてしまった。互いの身を包むのは、ARMADA所属時代の制服。血と、硝煙の匂いが沁み込んでいる。まさかこれに再び袖を通す日が来るとは思わなかった。
「元気にしていた?」
 あずみの控えめな問いに、レイはうなずく。
「邑悸さんが親戚だったんだってね。良かった」
「……ええ」
「レイのこと、心配してたんだから」
 身寄りもなく、特に親しい友人もいなかった――誰よりも側にいた友人は、レイの目の前で命を落とした。ひとりぼっちになってしまうのではないかと、気遣っていたのだと言う。
「……ありがとう」
「当たり前じゃない、友だちだもの」
 あずみはそう言ってレイの手をぎゅっと握った。その微笑が、陰る。
「ところで、ビルは……」
 その名前に、レイは体を固くした。かつての同僚、戦友。そして今は――排除すべき犯罪集団の長。
「どうして……」
 あずみは唇を噛む。彼女自身は、ARMADAに籍を置き続けていた。警備隊とは関係のない、一般部署で職についている。差別を感じたことがないといえば嘘になるが、我慢できないほどではなかったし、味方になってくれる者もいた。だからこうして頑張っていられるのだろうと思う。
 ――ビルには、誰もいなかったのかしら……。
 かつては同じ道を歩みながら、ふとした瞬間に大きく人生を違えてしまったかつての仲間。一体どう相対すればいいのだろう。説得すればいいのか、力ずくで立ち向かうのか……彼女らはまだ戸惑いの中にいた。

 硫平は水をごくりと飲み干した。息の詰まりそうな昼食会も、そろそろ終わりに近付いている。
 目の前に出された熱いコーヒーに、ウィリアムはミルクとシュガーをなみなみと入れた。その彼に近寄ってきた男が、何か耳打ちをする。――みるみるうちに彼の顔色が変わった。
「おい!」
 ガシャン、とカップがソーサーに激突し、ベージュ色の液体が飛び散る。
「何だ」
 硫平はあくまで平静を装っていた。もしかしたら邑悸への内通がばれたのかもしれない……頭の中は既に戦闘モードに切り替わっている。
「春樹=辰川家の爆破に失敗した……! お前、裏切ったな?!」
 裏切るも何も、まだ仲間になるといった覚えはない。だが硫平はウィリアムを宥めにかかる。
「待てよ。俺はずっとここにいただろ。俺がどうやって連絡を取ったというんだ」
 何はともあれ、春樹とキラに危害は及ばなかったらしい。硫平はほっと胸をなでおろした。
「そんなもの、何とでもなる!」
 ウィリアムは立ち上がった。その瞳の中にはぎらついた猜疑心が見え隠れしている。――これは駄目かもしれない。
 今の硫平は身体チェックを受けたせいで武器と呼べるものを何一つ身に着けていない。テーブルを視線でさっとなでる。ナイフとフォーク。アイスピック。最悪の事態に備え、硫平はそれらの位置を頭に叩き込んだ。相手に武器として使用される可能性もあるから、いざとなれば一刻も早くそれに手を伸ばさなければならない。しかし、そんなものでいつまで持ちこたえられるだろうか……。
 ――邑悸さん……急いで下さい……!
 興奮して意味を成さないウィリアムの罵声を聞きながら、硫平はテーブルの下に隠れた拳をぎゅっと握り締めていた。