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第二章

 大きな窓から差し込む強い光は、ほとんどブラインドが遮ってしまっていた。
 瞬きもせずにスクリーンを見つめ、一定の速度で画面をスクロールしていく邑悸。一貴は旧友のその端正な横顔を眺めていた。その速さで本当に内容を読み取ることができているのか、いつも不思議に思うのだが、邑悸には問題ないらしい。文章やデータを映像として認識し、そこに解釈を加えて記憶に蓄積していくのだという。一貴にはできない芸当だ。
 スクロールが続くにつれ、邑悸は表情を険しくしていく。一貴はおそるおそる声を掛けた。
「どないや?」
「やっていることは仕様もない軽犯罪ばかりだね。だけど……」
 ため息交じりの言葉。
「徐々にエスカレートしているのが気になる」
 その集団を、ARMADAら企業は「ラッツ」と呼ぶ。彼らはここ半年以内に急激に目立ってきた犯罪者集団だ。
 始めはひったくり、窃盗などの軽犯罪。やがて強盗、傷害、詐欺など彼らが関わる犯罪の範囲は次々に広がっていった。とはいえ、一見ばらばらに見えていたそれらの事件が実はすべて同じ集団の仕業だとわかったのは、ごく最近のことである。逮捕された何人かをしつこく尋問して、ようやく突き止めたのだった。
 しかし、邑悸はそうと断定される前から犯罪集団の存在を仮定していた。
「何でわかったんや?」
 最後まで読み終わったのか、彼は椅子を回して一貴に向き直った。
「手口に共通点があったからさ」
「共通点……?」
「うん」
 邑悸は曖昧に微笑する。追求を拒絶しているのがわかった一貴は、話題を変えた。
「レイちゃん、元気か?」
「……え、」
 おや、と一貴は不思議に思う。珍しく邑悸が動揺をあらわにしたからだ。
「……うん、元気だよ。入学試験も終わったし」
「結局、一年スキップしたんやな」
「そうだね」
「そうか、レイちゃんがもう大学生か……」
 一貴は感慨深そうに目を閉じる。
「そういえば最近見かけたけど、えらい別嬪さんになっててびっくりしたわ」
「……そうかい」
「なあ邑悸」
 一貴が目を開けた。口元がにやにやと歪んでいる。
「そろそろレイちゃんにも、彼氏ができるかもしれへんで?」
「…………」
 邑悸がさっと顔を伏せたせいで、一貴には彼の表情が見えなかった。
「そうだね……早く、誰かが彼女を僕の元から連れ出してくれた方がいいのかもしれない」
 ぼそぼそとつぶやかれたそれは、一貴には良く聞こえない。
「何やて?」
「時間だ。会議に出てくるよ」
 顔を上げた邑悸は、いつものように毅然としていた。立ち上がるその姿は、一貴の目から見てもスマートで、さまになっている。彼を慕う女性は数知れず──しかし誰もその想いは報われていない。
 自分が独身なのは研究バカなせいだと割り切っているが、邑悸の場合はどうなのだろう。やはり過去のこと、そしてレイのことがあるのだろうか……。
「お前……ちゃんと、しあわせになれよ」
 一貴は見慣れた広い背中に向かい、小さくつぶやいた。
 
 
 かぐわしいお茶の香りと、甘いお菓子の匂い。
 高等部での最後の期末試験を終えたレイは、春樹=辰川の家を訪れていた。口に運んだクッキーは、舌の上でさらさらと溶けていく。
「俺の自信作なんだ」
 胸を張る硫平は、既に民間の警備会社に就職していた。その腕を見込まれてそこそこ責任のある部署についているらしいが、今日は非番なのだという。春樹は仕事、キラは彼の隣で紅茶をすすっている。
「相変わらずお上手ですね」
 正直な感想を告げると、硫平は照れたように笑った。
「レイにも教えてやるぜ。しばらく暇だろ?」
「ええ、入学までは」
 硫平が不意に彼女をまじまじと見つめた。
「お前、いつでもその口調? 疲れない?」
「…………」
 レイはきょとん、と首を傾げた。キラを見遣ると、キラもうんうんとうなずいていた。どうやら自分が敬語を使用していることについて言われているらしい、と気付いたレイは、
「えっと……」
 しばらく考え、次は逆の方向に首を傾ける。
「硫平さんは、一応先輩だったから……」
「いつの話だよしかも一応かよ」
「ご、ごめんなさい」
「りゅうちゃん、レイちゃんをいじめちゃだめ」
「いや、いじめてるつもりは……」
「邑悸さんにも、同じことを言われるんですけど」
 レイはふう、とため息をついた。紅茶の水面から湯気が立ち上っている。
「まあ、あのひとはだいぶ年上だしさ……俺もタメ口じゃ話せないよ」
「ですよね」
「ムラキさん、って」
 キラがちょんちょんと硫平の袖をつつく。
「レイちゃんの、好きなひと?」
「…………」
「…………」
 ふたりは思わず凍りついた。キラだけが無邪気に微笑んでいる。先に解凍された硫平は、軽く咳払いした。
「……どうなんだ、レイ」
「え……」
 レイは慌ててカップを持ち上げた。赤くなった顔を隠したいのだろうが、目元まで覆うことはできない。レイはもごもごとつぶやいた。
「好き……好き、ですけど、別に変な意味じゃなくって……」
「変な意味ってどんな意味だよ」
「え……その……」
「会ってみたいなあ」
 キラの言葉に、レイはほっとして話を変えた。
「いつか、こちらに伺いたいとおっしゃってましたよ」
「本当か?」
 硫平が軽く身を乗り出す。
「ええ。久しぶりに硫平さんに会いたいって」
「そうかあ……」
 硫平の頬が緩む。やはり、硫平にとって今でも邑悸は特別な存在だ。父親であり、兄であり……いつも彼を導いてくれた。任務の為に手を汚したことも数知れずあったが、彼は後悔していない。すべてが今の彼を形作る大切な経験だからだ。痛みも罪も罰も、すべて引き受けるつもりでいる。邑悸のせいにはしたくない。
「気をつけて下さいね、硫平さん」
 レイはふと真顔に戻った。黒い瞳がじっと硫平を見据える。――やはり、邑悸に似ている。遠縁の親戚だというのも、頷ける。
「『ラッツ』たちの実態は、ARMADAでもまだ掴みきれていないようですから」
「そうか」
 硫平も顔を引き締める。
「春樹も情報収集に協力していると言っていた。早く一網打尽にできるといいんだけどな」
「ええ……」
 キラが心配そうな顔で硫平を見つめている。レイは思った――キラの好きなひとは硫平なのだ。そして、その「好き」は、兄である春樹を思う「好き」とは違う。
 私はどうなのだろう……私の邑悸さんへの「好き」は、一体どちらに近いのだろう……。
 ――ピピピピピ……! 電子音が鳴り響き、硫平がさっと立ち上がった。
「春樹からの連絡だ」
 気遣わしげなキラの視線に見送られ、硫平は通信を開始する。
「硫平だ」
『硫平、俺だ。リィが「ラッツ」上層部の顔を撮ったって連絡をよこしてきたんだが』
「え?」
 硫平は思わず声をあげた。
「何だって? 『ラッツ』の? トップか?」
『トップかセカンドかはわからんが……何でもARMADAに照会する前にお前に見て欲しいんだとさ。今からそっちに送るが、いいか?』
「? ああ……」
 何故俺なのだろう。不思議に思いながらも、硫平は了承する。すぐにディスプレイ上へと転送されてきた。画質は荒く、モノクロ。赤外線を使って遠くから撮影したのかもしれない。だが、これは――。
「レイ!」
 硫平の声に、レイは立ち上がった。
「ちょっと、これ……!!」
「私が見ても?」
「いいから!」
 急かされるように、レイは画面を覗き込む。
「っ……!!」
 体中に震えが走った。
 画面の中の人物はサングラスを掛けている。だが、それでも見間違えることはない。そんなはずがない。
「これ……信じられるか……?」
「……う、そ……」
 彼らは口々にうめく。
 ウィリアム=バートン――元ARMADA「BGS」チームU-20所属。レイと硫平の同僚であり、戦友。間違いない。
 その彼が、口元を歪め彼方を不敵に睨んでいる。唇にはタバコが挟まれていた。彼らの知るウィリアム――ビルではない。だが、この顔は間違いない。間違えようが、ない。
「何で……?」
 足元がすうっと冷えるような感覚。レイの側で硫平が春樹に何か言っている。だがその言葉は耳を素通りしていくだけで、彼女には何も聞こえなかった。