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第七章

 レイたちの待つ部屋の扉が、静かに開いた。
「待たせてすまないね」
 彼らにとっては懐かしい声。しかしその姿を見た者に、動揺が広がった。レイもまた息を飲む。邑悸は彼らの見慣れた姿ではなかった。スーツでも、白衣でもない。その均整の取れた長身を包むのは、「BGS」の制服を彷彿とさせる戦闘服──。
「さあ、行こうか」
 驚愕の眼差しに気付いていないはずもないのに、邑悸はそう言って微笑した。
「邑悸さん!」
 邑悸はちらりと声の方角を見遣る。李=香蘭。
「何だい? 質問なら手短に」
「今回の作戦指揮は誰がとるのですか」
「僕だ」
「しかし……」
「現場で指揮を取る。人員不足だからね」
「邑悸さんも戦闘に?」
 セルマ=ランティス。──邑悸の顔がほころんだ。彼らは、成長していた。レイのことは間近で見守っていたから良く知っているがが、その他の者も当然ながら変化している。懐かしい顔ぶれ……それぞれが皆、いい顔になった。邑悸は感慨深く見渡した。
 ここに集う彼らと道を外した者たち、その間に何の違いがあったのか──邑悸にはわからない。
「そうだ。僕も行く」
 彼の言葉に、元「BGS」たちは口々にざわめいた。
「危険過ぎます!!」
 最も大きかったその声に、邑悸は静かに答える。
「その危険な場所に、僕は君たちを今から行かせようとしているんだよ」
「俺たちは慣れています」
 邑悸は笑って首を傾げた。
「僕の実力に疑問がある……ということ?」
 沈黙は、恐らく肯定だった。
「じゃあ、香蘭。セルマ。おいで」
 邑悸が名指したのは元「BGS」チームの中でも五本の指に入る実力者たちだ。二人は不審そうな顔で進み出た。
「時間がない。今すぐかかっておいで」
「え……?」
「早く」
 邑悸に急かされ、二人は顔を見合わせ──頷いた。腰を落とし、一斉に飛びかかる。
 邑悸は、小さく動いた。香蘭の腕に軽く触れたかと思うと、彼の体があっけなく宙を舞う。それを避けたセルマには足払い。二人が受け身を取れるように、しかし一撃で体勢を崩すように。邑悸自身は立ち位置さえ変えていない。
「……どう?」
 いつもの笑顔で問い掛ける彼に、もう誰も異議を差し挟むことはなかった。
 レイはほっと息をつく。――本当に……無茶をするひとだ。

 どことなく張りつめた空気。いつも硫平が戦闘のたびに感じてきたそれを、今また強く感じていた。研ぎ澄まされた勘が予兆をとらえているのか。
「ウィリアムさん!」
 部屋に駆け込んでくる青年──見覚えのある顔だ。名前は覚えていないが、おそらく同じくARMADAにいた者だろう。
 部屋にいた人々の視線が自分からそれた隙に、彼はさりげなく袖にアイスピックを仕込んだ。
 青年はウィリアムに何か耳打ちしている。硫平は耳を澄ました。
「ARMADA……下……むら……」
 途切れ途切れに聞こえた単語。どうやらARMADAが動いたらしい。硫平はとっさに判断した。機は、今だ。席を離れ、突進する。ウィリアムに耳打ちしていた青年を羽交い締めにし、目元にアイスピックを押し当てる。耳元で悲鳴。
「な──り、硫平さん?!」
 彼の名を知っている。──やはり、元同僚か。硫平はしかし腕の力を緩めなかった。
「硫平、お前やはり……」
「ビル」
 ウィリアムの刺すような眼差しも、硫平を怯ませることはできなかった。
「邑悸さんとの交渉の席につけ。今なら司法取引が可能になるかもしれない」
「仲間を売れ、と?」
「眼球の奥には何があるか、お前も知っているだろう?」
 硫平の腕の中で再び悲鳴が上がった。
「眼の後ろの骨はごく薄い。そしてそのさらに奥は脳──人間は誰もまぶたを鍛えることはできない。急所中の急所だ。ARMADAでそう習ったな、覚えているか」
 ウィリアムはふ、と笑った。
「仲間を売るか、仲間を見殺しにするか……究極の二択だなあおい?」
「売るんじゃない。助けるんだ」
 硫平を見返すウィリアムの眼差しは、どこか虚ろだった。硫平の背中を冷たい汗が伝う。いくら何でも人の目をえぐりたくはない。しかし銃を持つ相手に立ち向かうにはこれくらいしか……。
 ウィリアムの視線が横に動いた。軽くうなずく。
 ──ぱんぱん、と軽い音がして、硫平の抱える体が跳ねた。
「な……?!」
 硫平は目を剥く。手の中にあった青年の体はがくがくと痙攣し、やがてぐったりと弛緩した。頚動脈に手を触れてみるが――既に絶命している。硫平は慌てて手を離した。
「だからお前は甘いんだよ、硫平」
 硫平は息を飲む。ウィリアムは目配せで人質を殺させたのだ。彼はただ、笑っている。
「仲間? 仲間なんて、俺はもう信じちゃいないし必要ともしていない」
「…………」
 彼を取り囲むようにして立つ男たち。その手には銃が握られている。武装した複数名を相手にして突破できるとは思えない。これは、ここで殺される覚悟を決めるしかないか……。
 ――春樹。キラ。死を目前にして脳裏を過ぎったのは、一年間彼を暖かく受け入れてくれた兄妹たちだった。
 同い年のくせに何かと兄貴風を吹かせようとする春樹。口は悪いが、本当に面倒見のいい男だった。そして、硫平をもうひとりの兄であるかのように慕ってくれたキラ。彼女のその気持ちを裏切れず、硫平はいつだって兄であるかのように接してきた。本当は、彼女を……。
 ――こんなことなら、一度くらいデートしとくんだった。硫平の口元が緩む。あと数秒の命だというときに、自分は一体何を考えているのだろう。案外俗っぽいことしか浮かんでこない自分に苦笑した。
「殺せ。殺して、ARMADAへの見せしめにするんだ」
 ウィリアムの言葉を聞きながら、硫平は目を閉じる。己の人生は決して平坦ではなかった――それでも決して悪くはなかった。けれど、もし次生まれ直せるのなら……。
「いや」
 硫平は小さくつぶやく。
「それでも俺は……、俺として生まれることを望む」
 また同じように「BGS」として蔑まれ、疎まれる半生であっても、それでも。悔いだけは残さないように、その時々でせいいっぱい、胸を張って生きてきたつもりだから。
「ビル」
 硫平の声に、ウィリアムはちらりと視線を向けた。それと同時に、後頭部に押し当てられる固い感触。――銃身だ。
「一足お先に、地獄で待ってるぜ」
 ――銃声。
 響いた悲鳴は、硫平のものではなかった。はっと目を開けると、彼の横で男が一人くず折れている。その手の甲から噴き出す鮮血……。
「へっ?」
「そいつを人質にしろ!」
 ウィリアムの叫び声にはっと我に返り、硫平は床に落ちた銃身をすくい上げた。恐らく手を打ち抜かれた男の持ち物だったのだろう。思わぬ銃撃に硬直した男たちよりも素早く硫平は体勢を立て直し、銃の照準をぴたりとウィリアム自身に向けた。
「ちっ……」
 ウィリアムは床に唾を吐く。
「さすがだね、硫平」
 その声を聞いて、ウィリアムの顔色が変わった。
「遅くなって、すまなかった」
 硫平は驚愕に目を見開く。それでも照準だけは決してぶらさぬように。
「邑悸……さん?」
 未だ硝煙の上がる銃。それを構えるのは邑悸=社、そのひとだった。
 邑悸は小さく息をつく。さすがに先ほどは肝が冷えた。硫平の救出を最優先事項とする選抜隊の先頭に立って進んだものの、先ほどの光景を見た瞬間は間に合わなかったのかと……。
 背後にはレイ、そして数人の「BGS」らが立つ。彼らの、特にレイのサポートがなければ、もっと苦戦していたはずだ。硫平を救うことも適わなかったに違いない、と考えて邑悸はぞっとした。そして、思う――やはり、レイは僕のパートナーとなるべく生まれたんだ。その事実は邑悸を安堵させ、同時に苦しめる。それは自分の親が彼女に背負わせてしまった十字架。それでも、自分はレイを望んでいる……。
「なんで……俺の居場所がわかったんです」
 ウィリアムはつぶやいた。
「硫平のボディチェックは完璧だった……襟章だって、取ったのに」
「襟章、ね」
 邑悸は笑う。
「ARMADAではいつだって襟章が発信機だったものね?」
「なのに、何で?!」
 ウィリアムは突きつけられる硫平の銃になど見向きもせず、邑悸をにらみつけた。彼はいつも通りに微笑んでいる。しかしその表情にはいつもより影が色濃かった。本当はこの状況に胸を痛めているのだろう、と硫平は思った。「BGS」たちは彼のかつての部下、いやそれよりももっと近しく、まるで家族のように、彼を慕っていたはずだったのだから。
「硫平のつけていた襟章はダミーだ」
「え……?」
「襟章がついていれば、君はそちらにだけ気を取られるだろうと思った。だから、硫平には前もって別の形の発信機を渡しておいた」
 硫平は自分の襟元に目を落とす。
「細い棒型の発信機だ。襟の縫い目のところに仕込めるようになっている」
「な……!」
「君が『ラッツ』の上層部にいるということは、ARMADA流のやり方は君たちに筒抜けだということだろう?」
 邑悸は目を細める。
「……僕と頭脳戦をするには、まだ早かったようだね? ウィリアム=バートン」
 ウィリアムの唇は青く、ぶるぶると震えていた。それが怒りのためなのか、絶望のためなのか、硫平にはわからない。ただ彼に銃を突きつけているこの状態が、硫平にはひどく辛いものだった。
「代わろう、硫平」
 まるで心を読んだかのように、邑悸はつぶやいた。その手に持っていた銃を、ウィリアムの方へと向ける。距離はそれなりにあるが、先ほどの男の手を打ち抜いた手際を見せ付けられては、まさか邑悸が標的を外すとは思えない。――しかし、邑悸は一体いつ銃撃の訓練など受けたのだろうか。
「投降したまえ、ウィリアム。『ラッツ』は今日をもってARMADAが――いや、治安警備隊が制圧する」
 穏やかな低い声。いつだって彼の声は硫平ら「BGS」たちを安心させてくれた。それはウィリアムとて同じだろうに……。
「罪を償うんだ。今なら間に合う。わかるだろう?」
 ――やや長い沈黙を挟み、
「あんたに、何がわかる」
 ウィリアムはうなった。
「あんたに……、あんたに、俺の何がわかるって言うんだよ!! 知った風な口叩きやがって……余裕たっぷりなそのツラがむかつくんだ。反吐が出るよ!!」
「ビル!」
「お前もだ、硫平。家族ゴッコなんざ馬鹿らしいんだよ。所詮他人だろうが」
「…………」
「いつかゴミくずみたいに捨てられる。追い出されるんだ。そのときになってせいぜい泣きを見るがいい!」
 ウィリアムの視線が邑悸の背後に立つレイをとらえた。唇が皮肉に歪む。
「久しぶりだな、レイ=白瀧。お前はいつだって特別扱いだったっけ」
「…………」
 レイは何も語らない。ウィリアムは矢継ぎ早に言葉を投げかける。
「邑悸さんの秘蔵っ子だっけ?! 実は邑悸さんの親戚だったんだってな。そりゃあ出世もするだろうさ。……それとも親戚ってのは口実で、実は愛人なんじゃねえの?! 体を使って取り入るなんて、恐れ入るぜ」
「ビル! お前……」
 あまりの侮辱に声を荒げる硫平を、
「硫平さん、構いません」
 レイは静かにとどめた。
「ビルがそう思いたいのならそう思っておけばいい。……それが彼の心が見せる真実なら。そう信じることによって傷つくのは私ではなく、ビル自身です」
「……レイ?」
 硫平は不思議そうに彼女を見遣った。彼女の顔は一年前と変わらぬ無表情で、何の感情も読み取れない。
「ウィリアム」
 邑悸は厳しい声で言った。
「選びなさい。自ら投降し、法の裁きを受けるか。それとも――ここから私たちに強制的に連行されるか」
「…………」
「さあ」
 ウィリアムは――笑った。そして、ゆっくりと口を開く。
「そこまでして……生きたくねえよ」
 彼の唇を濡らすもの。それは、血だった。