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第十四章

  1
  
 帰宅し、ベッドに寝かせて一時間――アレックスは目を覚まさなかった。呼吸も脈拍も、落ち着いている。明らかな外傷に関しては硫平が手持ちの医療器具で消毒などの手当てをしたが、一見しただけでは分からないような怪我がないとは限らない。
 ARMADAに連絡するのはまずいだろう。それは春樹の意見で、硫平も躊躇いがちにではあるがそれを尊重した。確かに最近の教会とARMADAは今までになく共闘しているが、アレックスはあくまでカイルの従兄弟であり、袂をわかったとはいえどこまで信用して良いものかはわからない。
 キラがかたく絞ったタオルで、アレックスの顔を拭く。随分と頬がこけ、やつれていた。
 春樹は一縷の望みを託して那岐に電話を掛けた。最近ずっと繋がらなかったが、もしかすると……。
“もしもし?”
 ――繋がった!
 春樹は急がなければ回線が切れてしまうとでもいうように、慌てて答える。
「那岐?!」
“……春樹か”
 ため息交じりの疲れきった声。春樹はしかし躊躇しない。
「ちょっと訳有りの急患だ。面倒なことに巻き込むつもりはないが、何も聞かずに診てやって欲しい」
“…………”
 沈黙が答えだった。春樹は苛立ったように言葉を重ねる。
「なあ、ちゃんと金は払うから」
“……いや、俺は”
 那岐に遮られ、口をつぐんだ。
“すぐにでもここを出て行くつもりなんだ。悪いな”
 春樹は仰天する。
「え、で、でも」
“どうしても、というならARMADAの病院に連絡すればいい”
「それができないから頼んでるんだろ?」
“巻き込むつもりがなくても”
 那岐は淡々と言った。
“巻き込まれることだってある”
「…………」
 春樹はかっと頭に血を上らせた。
「お前、何があったか知らねえけどな、いい加減にしろ!!」
“お前に怒鳴られるいわれはないと思うが”
「うるさい!」
 春樹は思いきり叫ぶ。
「お前は何だ?! 医者だろ?! 人の命を救うのがお前の仕事で、お前はそうやって下町(ここ)で生きてきたんだろうが!! 見捨てるような真似するんじゃねえよ!!」
 そのまま受話器を叩き付ける。春樹は肩で大きく息をつき、アレックスを寝かせてある部屋に戻った。
 扉を開けると、硫平が顔を上げる。ちょうど彼の服を脱がせて包帯を替えていたところらしく、キラは部屋にいなかった。
「医者は来るのか?」
「ん……分からん」
 春樹は呟き、しかし言葉を足した。
「来る……と思う」
 ――お前は医者だろうが!!
 那岐はきっと、来るはずだ。

  
  2
  
 ――あまりカイルと仲良くするんじゃないぞ。父のその言葉に、彼はきょとんと首をかしげる。
「何故?」
 ――あいつは異端だからな。まったく、わが一族にあんなものが生まれるとは……。
「イタンって何?」
 ――とにかく、あまり深く関わるな。いいな?
「父さんはいつも、自分より幼い者には優しくしろって言ってるじゃない」
 ――あいつは別だ。俺たちとは違うんだ。普通の人間じゃないんだ。
「どこが違うの? どうして違うの?」
 ひどく悲しくて、悔しかった。
 答えられなくなった父親に、何かひどい言葉を投げかけた。怒る父親から走って逃げて、カイルを探す。僕があいつを守ってやらなきゃ。そう思った。彼の、小さい従兄弟。色素の薄い、儚げな造形。悲しげな瞳……。
 ――僕はどうすれば母さんや父さんから本当に愛してもらえるのかな。
 カイルは気付いていた。父母の、そして周囲の大人たちのどこかよそよそしい所作に。
「叔父さんも叔母さんも、カイルのことを愛してると思うよ」
 ――でも、……でも、なんか違うんだ。
 カイルは賢い子供だった。そして誰よりも真っ直ぐで、純粋だった。
 ――僕、アレクが一番好きだよ。アレクは、僕のことイタンだって思ってないでしょう?
「思わないよ。カイルはカイルだ」
 か弱い笑顔。
 ――アレクは強いね。強いし、正しいね。
「正しい? 別に、僕は……」
 だが、カイルは聞いていない。
 ――僕が正しいことすれば、父さんも母さんも僕のこと、ちゃんと愛してくれるかもしれない。
 自分の手のひらを、じっと見つめている。
 ――僕がイタンでも、正しいことをすれば……。
 違うんだ、カイル。あのとき僕は言えなかったけど、でも違うって分かっていたんだ。
 「BGS」であるお前がいくら正しいことを、良いことをしたところで、駄目なんだ。それは妬みとなって、恐れとなって、お前に跳ね返ってくるだけなんだ。ARMADAの「BGS」がいい例だ。
 ――それに、「正しい」って……何なんだ……?

「ん……」
「お、目を覚ましたぞ」
「マジ?」
「当たり前だ。骨折も脳障害もないって言っただろ」
「さすがは那岐センセ」
「おだてても診察料はまけないからな」
「チッ」
 アレックスは身を捩ろうとして激痛を感じ、一気に意識が覚醒した。
「ここは……?」
 慌てて身を起こそうとして――また痛みに悲鳴を上げる。見慣れないベッドに寝かされていた。
「無理すんなよ。一応那岐に診てもらったけど、あちこち打撲してるらしいからな」
 掛けられた声に顔を上げれば、二十歳前くらいの青年が二人、そして三十代の男が一人、こちらを見ていた。そのうちの一人は――。
「硫平=鈴摩?!」
 たしか、ARMADAの「BGS」部隊の中でもリーダー格の若者だ。以前から社外任務についているという情報があったが、何故こんなところに……?
「へえ、お前有名人じゃん」
「そんなことはどうでもいいから、春樹、さっさと聞きたいこと聞けよ」
 硫平という青年の顔をぼうっと眺めていたアレクは、急に様々なことを思い出して息を呑んだ。
「そうだ……カイル……」
『へ?』
 二人が声を重ならせて振り向く。
「カイルを、……カイルを止めなければ!」
 立ち上がろうとした彼を、二人がかりで止める。
「ちょ、まだ無理だってこら、動くな!」
「だが、……このままではあいつは、邑悸=社をっ……う……!」
 痛みに耐えかね、彼は再びベッドに落ちる。だが、今度は逆に硫平が食い下がった。
「何だって? 邑悸さんをどうするっていうんだよ?!」
「落ち着け硫平、相手は怪我人だぜ?!」
「うるさい! とにかく続きを」
「いい加減にしろ!」
 那岐に制止され、硫平はアレックスの襟首から手を離した。アレックスは荒い息をつく。
「あいつは、邑悸=社を殺しに行った……」
 硫平はぎりっと歯を食いしばり、彼を睨み付けた。
「ARMADA社内にいる邑悸を、そう簡単に殺せるとは思えないけどな」
 那岐は冷静に呟いた。春樹がうなずき、アレックスを促す。
「とりあえず――話を聞かせてもらいたい。まずはあんたのその怪我の原因からな」
 アレックスは深い息をつき、やがてぽつりぽつりと語り出した。
「私はカイルの組織の者に軟禁されていたのだ。隙を見て逃げ出そうとしたのだが、見つかって……三階の窓を突き破って飛び降りた」
「さ、三階」
 春樹はうげえ、と妙な声を出した。
「よくこの程度の怪我ですんだものだな」
 那岐は感心したように頷く。
「とにかく」
 アレックスは硫平の方を見つめた。
「ARMADAに連絡したまえ。彼が危険だ」
「は、はい」
 真顔になったアレックスの威厳に押されるように、硫平は部屋を飛び出して行った。

  3
  
「わ、私は」
 足元の水が大きく跳ねた。
「怯えてなどいません……!」
「そうですか?」
 カイルの手はぶるぶると震えている。それが緊張のためか、怒りのためか、それとも他の何かのためなのか、彼にはもうわからない。
 邑悸は、カイルとは対照的にひどく落ち着き払っていた。
「多分、貴方と僕は似た境遇だったと思うのです」
「……何のことです?」
 邑悸は優しげに微笑む。そしてその言葉を――口にした。
「僕も、『BGS』なんです」
「え……?」
 カイルは大きく目を見開いた。
「貴方と同じ、未登録でした。もっとも、僕の父母はARMADA系の研究所勤めだったので、ARMADAは僕を把握していたのかもしれませんけれど」
 カイルは絶句する。
「貴方も感じたことがあるでしょう。何ともいえない父母からのよそよそしさ。優しくはされているのに、一線を引かれている。何かの折に、『違う』のだと思い知らされる……」
 カイルの瞳が揺らいだ。その様子が、邑悸の言葉を肯定している。
「貴方のご両親は、貴方がまだ十代前半の頃に事故死されていますね。僕の両親は……」
 彼の表情に影が差した。
「僕が、殺した」
「な――」
 カイルは弾かれたように顔を上げた。
「何という……!」
「彼らは僕の遺伝子データを実験に使っていて、それは明らかに生体実験だった。だから……だから、彼らを愛し、信じていたからこそ、どうしても許せなかった……僕は愛されていなかったんだと思った」
 懺悔のように、邑悸は訥々と呟く。
「でも、彼らは……本当に僕を愛していなかったわけじゃないのかもしれない。方法は間違っていたのかもしれないけれど、彼らなりに『BGS』である僕を受け入れようとしていたのかもしれない……あの日から僕はずっと悩み、考え続けている」
 カイルは銃の照準を、邑悸の頭に合わせた。今の彼ならたやすく撃ち抜ける。そして、彼もそれを望んでいる。そんな気がした。
「ですから……ずっと待っていたんですよ。この時を」
 邑悸はふわりと微笑んだ。
「神は僕に罰を与えてくれなかった。人殺しである僕を堂々とのさばらせておくような、そんな神など信じられない。だから、代わりに罰を与えてくれる誰かを待っていたんです。僕は、僕の生を誰かに終わらせて欲しかった。それに……」
 邑悸の脳裏に、部下の「BGS」たちの姿が浮かぶ。硫平=鈴摩。セルマ=ランティス。小蘭=龍。エイブ=サリバン。ウィリアム=バートン。今は亡き、椿=水沢。そして――レイ=白瀧。
「『BGS』たちにこれ以上苦しんで欲しくなかった。僕のような悲劇を起こして欲しくなかった。ただ、それだけのこと」
 カイルは邑悸を見据え、口を開いた。
「貴方の言う通りかもしれない」
 呟きは、自分でも驚くほど静かだった。体中を揺さぶっていた震えが、少しずつ消えていく。
「私は怯えていたのかもしれない。正しいことに縋っていたのは、きっとそうすれば父母に無条件に愛してもらえると……もう彼らはどこにもいないのに、それでもそう信じていたから……そうなのかもしれません」
 そんなことはずっと前から分かっていた。もしここで邑悸を殺しても、何も変わらない。彼自身はきっと足掻き続けるしかない。人殺しという汚名までもを背負って、自分はどうするつもりなのだろう。
「それでも……私には信じるものがある。貴方とは違う。神を、私は信じている」
「何故? 何故……貴方は神を、そんな無力なものを信じられるのです?」
 穏やかな声で尋ねる邑悸に、カイルは誇らしさすら覚えながら微笑んだ。
「私の傍らに、アレクを下さったからですよ。私の大切な半身。魂の片割れ……」
 ぴくり、と邑悸の肩が震えた。
「何があっても、彼だけは私を理解してくれた……だから、私はずっと神を信じて来られたのです」
 だが、その彼をも自ら突き放してここに来た。アレックスを自分の側まで引きずり落とすわけにはいかない。こんなにどろどろとした憎悪にまみれた自分と共にあれば、彼までもが汚れてしまう。それだけは耐え難かった。
 もう、彼には何もない。カイルはきっと目つきを鋭くすると、両手で銃を構えなおした。邑悸はどこか呆然とした態である。
 「半身」。僕の父母が遺した、僕の遺伝子を組み込まれた「半身」。それは……。
 ――不意に、記憶が蘇る。
「邑悸は寂しくないわよ」
 本を読んでいた彼を眺めていた母が、突然そう言った。まだ彼が十歳を超えたばかりの頃のことである。
「何のこと?」
 自分は怪訝そうにそう返したと思う。母はにっこりと微笑んだ。
「もし私たちが――母さんや父さんがいなくなっても、邑悸を一人にはしないわ」
「何それ?」
 不安になって邑悸は母の顔を仰ぎ見た。その母の顔は少し寂しげで、辛そうで、それでいて満足げで……。
 あれは、受精卵だったレイに遺伝子操作を施し、それが成功した直後くらいのことではないだろうか? 母が言っていたのは、レイのことだろうか?
 初めて出会った時、レイはここで何と言って泣いた? 人知れず冷たくなっていた子猫の墓を二人で作りながら、彼女は何と言っていた? 側にいてあげられなかった、と――そう言っていたのではなかったか。
 レイは僕のために泣いてくれるのかな……僕はレイを泣かせてしまうのかな……。カイルの指が引き金を引くのを他人事のように眺めながら、邑悸は呟いた。
「すまない……レイ……」
 そして、目を閉じ――。

 パァン!!

 銃声は一度。何かが落ちるような音は二度。
 それすらも塗り潰して、雨音――。