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第十五章

  1
 
 耳を打った銃声。しかし、身体への衝撃はない。
 邑悸は目を開き、そして絶句した。
「……あ」
 カイルは――最後に見たのと同じ場所に倒れ伏していた。白い服を染め上げる真っ赤な血。いや、それよりも……。
「レイ……!」
 傷口は左胸の上のあたり。毒々しい赤が、邑悸に痛みを覚えさせる。実際に、彼は彼女の痛みを共有しているのかもしれなかった。
 彼の目の前に立ち塞がるレイ。その、白い顔が歪んだ。怒りとも悲しみともつかない、そんな表情で邑悸を見つめている。
「何で……」
 頬を伝っていくのは雨ではなく涙。
「何で……貴方は……っ……!!」
 ぐらりと傾いた体を抱きとめる。彼女の手から、カイルを撃った銃が落ちた。熱の失われていく、柔らかな肢体。蒼白な顔。レイは目を閉じている。
 邑悸は我に返った。
「レイ! レイ!」
 気を失っているのか、微動だにしない。
「早く……早く病院に……!」
 焦る邑悸に、小さな声が呼び掛けた。
「貴方にも……」
 泥に伏せた顔をあげ、カイルがこちらを見つめている。その顔は痛みにしかめられながらも、どこか放心したような穏やかさを漂わせていた。
「神は与えているのではないですか……貴方にも……」
「…………」
 邑悸は答えなかった。――レイは死なせない。絶対に死なせない。たとえ自分の全てを擲ってでも――彼女は、幸せになるべきなのだから。
「邑悸!」
 遠くで一貴の声がする。
「銃声が……!!」
 その光景を目にして、彼は悲鳴を上げる。
「レイちゃん?!」
 駆け寄る彼に、邑悸は答えた。
「病院には連絡したよ」
 抱きしめたレイの体は、しっかりと脈を彼に伝えている。
「あの男の傷も、致命傷ではないだろう。二人とも、死ぬことはない」
「……あ、ああ」
 意外に冷静な様子の邑悸に、一貴はその顔を覗きこむ。
「お前……」
 だが、彼の顔を眺めた一貴ははっと息を呑んだ。頬が幾筋もの水滴に濡れている。それは雨のようにも見えて、決してそうではなかった。
 一貴の驚きの気配が伝わってきたのか、邑悸は苦笑を浮かべた。
「泣くことなんて……僕にはできないんだと思っていたよ……」
 ――全てを失った日にも、僕は泣けなかったんだから……。

 間もなく救急隊が到着した。邑悸とレイ、そしてカイルが病院へと運ばれていく。
 取り残された一貴は、まるで雷に打たれたように立ち竦んでいた。
 
 
  2
 
 翌朝。空は昨日降り続いた雨が嘘だったかのように晴れわたっていた。だが木々は瑞々しい輝きを放ち、たっぷりと水の恵みを受けたことを全身で表している。
「なあ、本当に大丈夫なのかよ?」
「カイルのところに行ってやらなければならないからな」
 ひどく汚れていた聖服の代わりに身長の近い硫平の服を貸したのだが、それを着たアレックスは昨日とは別人のように見えた。
「命には別状がないそうだし、良かった」
「レイは……大丈夫かな」
 心配そうにつぶやく硫平に、春樹はその肩を軽く叩く。
「あいつも大丈夫だって連絡あったじゃないか」
「うん……まあ……」
「とりあえず、世話になった。礼を言う」
 アレックスはそう言うと、くるりと身を翻した。
「ああ、そうだ」
 何か言い忘れたのか、アレックスは振り向き――何故か、春樹にではなく硫平に――言った。
「キラさんにも宜しく言っておいてくれ。お粥、美味しかったと」
「……ああ」
 ――なんでお前が礼を言われるんだ。春樹の突き刺さるような視線を感じながら、硫平は小さく頷いた。

 ARMADAからの迎えの待つ玄関先までアレックスを見送った後、思い切って硫平は春樹に尋ねた。
「あのさ……」
「何だよ」
 まだ、心なしか春樹の機嫌が悪い。
「お前、あのドラッグ飲んだのか?」
「飲むようにってお達しがあっただろ?」
「……うん。じゃ、キラは?」
 春樹はやれやれ、といった風に肩をすくめた。
「本人に聞けよ」
「いや、だって……」
 硫平はうろたえる。
「『SIXTH』のあるなしなんて、どうだっていいことだって言ってたのはお前だろ?」
「そりゃあ、そうだけどさ」
「あいつはあんまり飲むことに抵抗はないみたいだけどな。一応お前に聞いてみたいってさ」
「何をだ?」
「飲んでもいいかって」
「……なんで?」
 こいつは馬鹿なのだろうか。春樹は苛立って舌打ちをした。
「気になるからだろう。お前の意向が」
「……は? なんで?」
 殴ってやろうかと思った矢先、
「あの、りゅうちゃん?」
 硫平の背後から、キラの顔が覗いた。
「あ……キラ」
 振り返ると、蜂蜜色の瞳がこちらを真剣に見つめている。その輝きに、硫平は思わず唾を飲んだ。
「今、お話してもいい?」
「あ、ああ」
 キラのちらちらと春樹を窺い見る目線からは、あからさまに席を外して欲しいという気持ちが読み取れる。肩をすくめ、春樹は自室に引っ込むことにした。
 キラは兄が退散したのを知ると、俯いて肩を落とした。
「レイちゃん、誰かをかばって怪我しちゃったんだってね」
「ああ、そうらしいな」
 想像はついていたが、やはり彼女の中で邑悸というのは特別な位置を占める存在らしい。もしかすると――邑悸にとってもそうなのかもしれない。今から思えば、彼のレイに対する扱いはどう考えても特別だったと思う。
「私もね、もしものときにはりゅうちゃんとかはるちゃんとか、かばってあげたいの」
 澄んだ笑みを浮かべるキラに、硫平は色をなした。
「キラ、それはやめてくれ。キラに怪我されたら、俺……」
 勢いで彼女の手を握り締めてしまう硫平に、キラは少しだけ頬を染める。
「でも……何もできないのは一番嫌。今まではいつだって、はるちゃんやりゅうちゃんの帰りを待ってるだけだったから」
「キラ……」
「別に、誰かを傷つけたり殺したりしたいってわけじゃないよ。そんなこと嫌だもの。でも、二人を狙うような人がいたら……駄目だって言われても、私はやっぱりその人を攻撃すると思う。りゅうちゃんも、自分の大事な人が危ない目に遭ってたらそうするでしょう?」
「……ああ」
「だから……私、お薬飲もうと思うの。駄目?」
 硫平は見上げてくるキラの頭を優しく撫で、微笑んだ。
「それがキラの決めたことなら、俺が反対することじゃないさ。春樹には了解を取ってるんだろ?」
「うん」
「でも、大丈夫。キラには誰のことも傷つけさせたりしない。キラが傷つくことだってない」
「どうして?」
 真っ直ぐな瞳を避けるように、硫平は少しだけ視線を宙に彷徨わせた。
「春樹と、俺が……絶対に守るから……な」
「う、うん……ありがと……」
 ――二人の会話はドアに耳を押し付けていた春樹には筒抜けだったのだが、彼らはそんなこととは少しも知らないのだった。

  3

 ドアが開く音にも見向きもしない。匡子はそんな甥の姿を見て、小さくため息をついた。
 病室には日光が燦々と降り注いでいて、それを遮るブラインドがベッドの上に縞模様を作っている。
 ベッド上のレイは、静かではあるが規則正しい呼吸を繰り返していた。容態は安定している。左腕は点滴につながれていて、空いている右手は邑悸がそっと握っていた。レイがここに運びこまれてからずっと、邑悸はそれを離そうとしない。
「邑悸」
 匡子の声にようやく振り向いた彼は、力の抜けたような微笑みを返す。
「叔母さん……」
「昨日から何か食べたの? 少しは休んだら?」
 邑悸は無言で首を横に振った。匡子は眉を顰める。
「体に悪いわよ」
「大丈夫です」
 視線を動かし、レイの寝顔を見つめる。邑悸はそのままの姿勢で、ぽつりと呟いた。
「貴方のくれた両親の遺書。僕は見ませんでした」
「え……?」
 聞き返す匡子を、邑悸は見ようとしない。
「ディスクごと割ってしまいました」
「……そう」
「どうせ、死ぬつもりだったし。近いうちに」
 匡子が答える言葉を見つけられぬうちに、邑悸は淡々と言葉を続けた。
「本当は彼らがどう思っていたにせよ、僕のしたことは――父さんと母さんを殺したことは、決して許されるべきことではありません。だから、僕は……」
 レイの手を両手で包み、祈るように捧げもつ。
「誰かが罰してくれるのを待っていた。誰かが僕を裁いてくれるのを。僕は、僕自身を裁くほど強くなかったんです。だから――」
 匡子は口を挟まない。挟めなかった。
「それでも、この世界には人を殺せる者はいない。いるとしても『BGS』たちだけ。だから集めた。いつか、彼らのうちの誰かが僕を殺してくれるかもしれない……そんなことを考えた日もありました」
 それなのに、彼らは邑悸を慕った。彼が、誰よりも人を殺す痛みを知っていたからだろうか。皮肉なことだ、と邑悸は笑う。
「だから、一般人からも『SIXTH』を取り除いてしまえばいいと思った。そうすれば、誰か……誰かが僕を罰してくれるかもしれないから……。それなのに」
 邑悸は一度言葉をきり、手に包んでいたレイの細い指に唇を寄せた。
「罰じゃなく――救いを、許しを……この子が与えてくれた……」
「邑悸……」
 匡子は小さくため息をつくと、彼の肩に手を乗せた。
「もう、馬鹿なこと考えるんじゃないのよ。貴方が死ぬことなんて、姉さんたちは決して願っていない」
「…………」
「それに、レイ……この子をひとりにしないで」
「……はい」
 邑悸が微笑を浮かべる。誰かを欺くためではなく、自分を隠すためでもない。純粋な、笑うためだけの笑み。邑悸のそんな表情を、匡子は初めて見たような気がしていた。

  4
 
 ――何故、自分は生きているんだろう。
 邑悸と自分の間に割り込んできた少女。今にも泣き出しそうな顔で、引き金を引いた。その目を見つめた途端――カイルの腕はひどくぶれた。彼を見つめていた少女の目はひどく真っ直ぐで、彼の心を貫くような強さを秘めた、まるで誰かのような……。
「目が覚めたのか?」
 見知らぬ天井を眺めていたカイルの耳に、その声が届く。彼の髪に触れるのは、暖かな手。
「……アレ、ク……?」
 声がひび割れ、カイルは咳き込む。
「水、飲むか?」
 慌てて立ち上がろうとするアレックスの手を、カイルはつかんだ。
「ん?」
 覗き込んでくる顔。見つめる眼。そう――あの少女の眼は、この眼に似ていた……。
「私……」
 何か、言わなくてはいけない。言わなくてはいけないことが、沢山ある。なのに……。
「何だ?」
 アレックスはただ、こちらを見て微笑んでいる。良く見ると、彼の体にはいたるところに包帯が巻かれていた。自分のせいで怪我をしたのだろうか。
 カイルは目を閉じ、呟いた。
「ごめ……ん、なさ……い……」
 以前こんな風に謝ったのは、いったいどれくらい前のことだろう?
「カイル?」
「ごめ、んなさい……」
 自分の非を認めて謝ることが、なぜか心地よい。作り上げた虚勢の殻が――堅くて脆い殻が、割れていく。多分、その中には小さいころのままの弱い自分が居て、こうしてアレックスに頼っている。
 本当は、もうどうでも良かったのかもしれない。両親に愛されたいと願っていた、その気持ちさえ今は遠い。ただ、こうして――変わらぬ存在が側にあること。それだけで、自分は十分満足できる。
 涙が溢れそうになって、カイルは眼を背けた。そのとき。
「帰ろう、一緒に」
 そう、聞こえた。
 ――空耳だろうか? そんな都合のいい台詞が聞こえてくるわけなんてない。縋るようにアレックスの方を振り向くと、彼は変わらぬ笑顔で微笑んでいた。
「一緒に帰るんだ、カイル。お前は我が侭で世話を焼かせる……どうしようもない子供だから」
「子供……?」
 少しショックを受けてカイルがつぶやくと、アレックスは微笑を深めた。
「子供の失敗は大人には笑って許してもらえるんだ。そうだろう?」
「……それは、アレクが大人だって言いたいんですか?」
「そうだ。俺はお前の保護者だ」
 顔を見合わせて、声を出して笑った。こんな風に笑うのも、いったい何年振りだろう。
 笑い疲れたカイルは、やがて眠りに落ちた――子供のように、唇の端に笑みを含んで。

  5

 夜が白みはじめた。
 レイはそろそろ目覚めるだろう。先ほどの医者の説明を思い出し、邑悸は少し緊張した。レイが起きたら、自分に何と言うだろう。期待か、不安か、それともその両方か。邑悸は自分の内にある感情に、うまく説明をつけられずにいた。
「ん……」
 レイが小さく身じろぎした。握ったままの指先が意味をなさない動きを始め、やがてぴく、ぴく、と震える。
「あ……」
 震えた瞼が開き、黒々とした瞳が邑悸を見つめた。邑悸はただ黙って、彼女を見つめ返すことしかできない。
「…………」
 しばらく浅い呼吸を繰り返していたレイが、やがて口を開いた。
「ば、か」
「……え?」
 レイは真顔で繰り返す。声はかすれていたが、言葉ははっきりしていた。
「邑悸さんの、ばか。だいきらいです」
「え……ええと」
 困惑する彼の顔をしばらく見ていたレイは、やがてくすりと笑って邑悸を安心させた。
「ごめんなさい。嘘ですよ」
 邑悸の手を握り返してくる、柔らかな掌。
「邑悸さんが、無事で良かった……」
「……レイ?」
「なんて顔してるんですか?」
 レイは困ったように彼を見上げる。そんなにひどい顔をしているのだろうか。邑悸は思わず手で自分の顔を撫でた。
「いや、だって……」
 はっと我に返り、邑悸は神妙な面持ちでレイを見つめる。
「本当にごめん。僕のせいで、君にひどい怪我をさせてしまった」
「黙って死なれるより、よほどいいです」
 そう言うと、レイは顔をふいと背けた。レイに似合わぬ子供じみた所作に、邑悸は苦笑する。
「怒ってる?」
「当たり前です」
 邑悸は黙って繋いだままの手を引いた。レイはちらりとこちらを見遣りながらも邑悸の方は見ない。彼はそれを良いことに、その白い手の甲にそっと唇を寄せ、キスをした。
「な……?」
 慌ててレイが振り向くのを見て、邑悸は微笑んだ。
「僕はもう大丈夫だよ」
 邑悸は、シーツの上に広がるレイの髪を優しく梳く。
「忘れようっていうんじゃない。なかったことにするわけでもない。僕の犯した罪は、僕が生きる限り消えない……それでも、君が僕に生きることをと望んでくれるのなら」
 レイの黒曜石のような瞳が、彼の言葉に肯定を返していた。
「それなら――僕は君の側で、君と生きていきたい」
 邑悸はそう言うと、レイの反応をうかがうようにじっと見つめた。
「…………」
 レイは胸の中で邑悸の言葉を反芻した。――君の側で生きていきたい。君と。私の、側で? 私と?
「それ……本当、ですか?」
 かすかに震えを帯びた声。
「僕は確かに嘘つきだけど、君に嘘はつかないよ。ばれちゃうしね」
 邑悸は澄ました顔でそう答える。
「で……でも……」
 混乱したように、レイは何度も眼を瞬く。彼女の頬は既に真っ赤だった。
「何だい?」
「私の、そ……側って……何で……」
「レイが好きだから」
「…………」
 レイは口をぽかんと開けて、停止した。邑悸は目を細めて甘く笑う。
「大体、君が目を覚ましたのだって僕がキスしたからなんだよ。眠り姫みたいだね」
「う、嘘……」
 慌てるレイに、邑悸はそのままの調子で付け加えた。
「うん、嘘」
「邑悸さん!!」
 レイは顔を真っ赤にして邑悸を睨む。邑悸はくすっと笑った。
「レイの寝顔は可愛いから、起こすには忍びなかったんだ。前もそうだったろう?」
「前って……」
「ほら、オフィスで。僕の腕の中で眠っちゃったじゃないか。膝枕もしてあげただろう? 覚えてる?」
「あ……う……」
 真っ赤な顔で口をぱくぱくとさせていたレイだが、やがてふと真顔に戻った。頬はまだ、赤い。
「邑悸さん……ずっとここに?」
「そうだよ」
 レイの視線が、繋がれたままの手にうつる。
「手も……ずっと握っててくださったんですか?」
「うん」
「…………」
「僕がレイの側にいたかったんだ。それだけだよ」
 レイに見つめられ、邑悸は微笑んだ。
「一貴の言うとおりだ。僕は君を贔屓してた。ずっと君を気にして、君を見ていた。他の誰よりも、君を」
「それは、私が……」
「違う」
 レイの言葉の先回りをして、否定する。
「君が、君だから。君は僕とは違う人間で、だからこそ惹かれたんだ。僕は、僕自身のことを憎んでいたんだから、君が僕と同じ人間なら愛せるはずなんてないだろう?」
 レイは黙ってうつむく。
「確かに、僕が君を気にするようになったきっかけは、君が僕と同じ遺伝子を持っていたからかもしれない。でも、君を好きになったのは……君だからだ」
 彼は胸のうちで苦笑する。きっと、僕のこの気持ちには、一貴の方が先に気付いていただろう。
 自分がレイを求める気持ちを、邑悸は勘違いしていた。遺伝子が引き合うせいだと、それ以上の何ものでもないと。罪深い自分には人を愛する資格などないと。自分の本当の気持ちから、目を背け続けていた。けれど、もうそんな必要はない。
 では、レイの気持ちは――どうなのだろうか。不意に、邑悸は不安になった。レイは自分をどう思っているのだろうか。ただの上司か、それとも。今までは考えもしなかったそのことが、急に気になり始める。
「君は僕のこと、どう思っているの?」
 分かっていてわざと尋ねているのだろうかとレイは疑ったが、邑悸の顔は意外と真剣だった。邑悸には、この胸の内を悟られていなかったらしい。レイはまた少し恥ずかしくなって、眼を逸らした。
「レイ?」
 心配そうな邑悸の声。レイはもごもごとつぶやく。
「き……嫌いなわけ、ないです……私は、邑悸さんを尊敬していますし……」
「駄目だよ」
 彼女の耳の側に唇を寄せ、邑悸が囁く。彼の指先が、彼女の唇を辿った。
「君に僕の嘘がわかるように、僕にだって君の嘘はわかるんだから。ちゃんと、聞かせて。誤魔化さないで」
 その真摯な声音に、レイの鼓動が高鳴った。
 ずっと邑悸を慕ってきた。それは他の「BGS」と同じ。けれど、その気持ちの大きさは。深さは、きっと誰とも違う。辛い思いも、悲しい思いも、たくさん経験した――それでも、邑悸がいてくれさえすれば、レイはそれで良かった。邑悸が、彼女の全てだった。
 たとえ彼自身が死ぬことを望んでいても、そんなことは許さない。独りで逝くなんて、私を残すなんて許さない。そう思った。
 彼女の望みは、邑悸の側にいること。そんな気持ちに名前をつけるなら、それは――。
「好き……です」
 レイは掻き消えそうな声で囁いた。
「ずっと、私は……邑悸さんが、好き……でした」
「レイ」
 甘くかすれた声で名を呼ばれ、レイはびくっと眼を開けた。
 鏡のように、お互いを映す瞳。彼の眼には、顔を上気させている自分の顔が映っていて――やがて彼の顔の下半分が視界から消える。レイの半開きになった唇の表面に、邑悸の吐息が触れてくすぐったい。そして、それは別の感触にかわり――。
「邑悸、いいかげん何か食べなさい……」
 ドアが開く音とともに聞こえた声は匡子のもの。そして、何やら荷物がどさどさと床に落ちる音がした。