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第五章

  1
  
 停車した軍用車の中で、二人は装備を確認する。銃と、替えのカートリッジを幾つか。予備銃。捕縛、牽引するための手錠。止血措置をするための包帯、麻酔薬、注射器、簡易縫合のためのキット。ブーツに仕込まれたエッジと、腰に止めてあるナイフ。体の各所を覆う、防弾パットの位置を微調整する。
 硫平が一通りの作業を終えたとき、レイが口を開いた。
「もし……」
「ん?」
 レイは、自分の手を見つめている。
「もし『BGS』と一般人の差がなくなって、偏見とか、そういうのも全部なくなったら……、硫平さんはどうしますか」
「…………」
 それは少々荒唐無稽に思えるくらい、でき過ぎた未来だ。硫平は少し考えた。
「どうするかなあ。とりあえず、家族を探すかもしれないな。探してどうなるものでもないような気もするけどさ」
 ゆっくりと、そう答える。
「ええ、そうですよね」
 レイは淡い微笑を浮かべた。
「多分、多くの人がそうすると思う。でも」
 硫平はその時気付いた。――レイには、両親がいない。どこの誰かも、分からない。硫平らの場合は、ARMADAに家族の記録が残っている。しかし、レイにはない。
 しかしレイはあくまで平静な表情と口調だった。そんな彼女が、硫平にはひどく痛々しい。
「私はどこにも行けない。どこにも行く場所がない。家族なんてどこにもいない。探しようもない」
「レイ……」
 レイは顔を上げ、控えめに微笑む。
「みんなの希望が叶えばいいな、とは思っています。いつか家族のもとに帰れたら、みんな幸せになれるかなって。そうなればいいって」
 自分ひとりの為に現状を維持したいと思うほど、レイは自分勝手ではない。――それでも。
「それでも、そのとき私はどうなるんだろうなって……思う」
 世界がどう変わっても、今と同じ。きっと、私に行き場はない。
「私には、どこかにいるはずの家族を信じることはできない。どこにもいないものだもの」
 レイはどこか遠くを見つめるような目で言う。悲しみも、怒りもない。ただ、静かな諦めだけがそこにあった。いつか家族に会える日が来ると、そんな淡い期待を抱くことさえ自分には許されていないのだと、レイの表情は語っていた。
「だから、私は邑悸さんを信じる。私は、そうやってここまで来たから……」
 硫平はちくりと胸の奥が傷むのを感じた。仲間の「BGS」は、信じるに足る、頼れる相手ではないのだろうか? 一貴所長や、匡子博士は? いや、レイが言ったのはそういう意味ではないだろう。レイはそこまで冷たい人間ではない。だとするならば――彼女にとっての邑悸が、あまりにも特別だということか。
 硫平は諭すように口を開いた。
「でも万が一、あの人が俺たちを裏切って――いや、あの人にそのつもりがなくても、結果的には隠し事をしているのかもしれない。その可能性は否定できないんだぜ」
「そうですね」
 レイはつぶやき、俯いた。硫平はその表情を追うことをやめて、視線を逸らす。――泣かないでくれよ。心の中でそう祈りながら。俺はどうやってお前を慰めたらいいのか、わからない。

  2
  
 ――教会からARMADAへ、「BGS」への「SIXTH」埋め込み技術の開発を正式に依頼する。
 アレックスの視線の先で、邑悸が沈黙を破った。
「理由をお聞かせいただけますか?」
「世界の安定の為には不可欠だと思うからです」
「そうはおっしゃりますが、アレックス司教、世界には犯罪が起こらないわけではないのですよ? それらを取り締まる立場の者が必要なことはお分かりいただけると思いますが」
「しかし『BGS』の存在ゆえにこの世界の均衡が危うくなっているのも、また事実です」
「そうでしょうか?」
 邑悸は不意に笑みの仮面を剥ぎ取った。無機質な光沢を放つ瞳の奥は、ただ暗く――。
「そもそも、ドラッグを開発したのは貴方がたでしょう。それまで世界で起きていた犯罪の数が減少の一途を辿っていたことはご存知のはず。それを、『BGS』とARMADAに対する感情的な反感から妨げたのは、貴方がたです。違いますか?」
 薄い唇からよどみなく吐き出される言葉に、アレックスは反論の糸口が掴めない。
「実際、貴方がたにとっては誤算だったのでしょうね。ドラッグが一般人の間にこれほどまでに普及してしまうとは」
「…………」
 アレックスは内心、まさにそのとおりだと思った。実際は、もっとドラッグの流通をコントロールするつもりだった。ARMADAに、もしくは「BGS」に敵対する意識を持つもののみに与え、対抗勢力として養成する。元々は一般人の「BGS」に対する敵意を増幅させる為に、開発したものだったのだから、もっと限定的に使われるべきものだった。それが爆発的に普及し、闇ルートで高額でやりとりされるまでになったのは、彼らにとっても大きな誤算だったのである。
「それだけ、人は人を殺す能力を欲していたということですかね」
 酷薄な笑みに歪む彼の唇を直視していられなくて、アレックスは視線を逸らす。
「少し、教会の教義に絡めてお話をしましょうか」
 邑悸は冷静な表情を取り戻し、膝の上で指を組んだ。
「そうですね、たとえば……『SIXTH』の由来でもある十戒について」
「?」
 アレックスは眉をひそめる。
「確か、現在の教会はあれを守ることを教義としている。違いありませんよね」
「ええ」
「その六番目――『汝殺すべからず』。『SIXTH』の組み込まれた一般人は犯しようがありません」
「そうです」
 アレックスは間髪入れずに頷く。だが邑悸はそれを見て、嘲笑の入り混じったような苦笑を浮かべた。
「ですが、それは生物学的に見た殺人についての見解にすぎないのではありませんか?」
「……おっしゃる意味が良く分かりません」
 アレックスが眉を顰めた。
「僕は、良くこの話を引き合いに出すのですけれど……」
 邑悸はゆっくりと、しかし隙のない口調で話を進める。
「『BGS』の弾圧期をご存知ですね。『BGS』が市民権、公民権、人権の全てを強奪された時期です」
「知っています」
 実際、教会は弾圧の先頭に立っていた。アレックスの胸に苦い気持ちがこみ上げる。指揮したのは己の先祖だが、全く馬鹿なことをしたものだと思う。そんなことをして、何が解決するわけでもないのに……。
「あの時代、『BGS』の何割が殺されたと思いますか?」
「『殺された』?」
 アレックスばかりではなく、一貴も怪訝そうに眉を寄せた。邑悸は先を続ける。
「実に六割の『BGS』が、自殺という形で命を落としたそうです。残り四割も、その後どうなったかは分からない。少なくとも、人間として生きることは不可能だったでしょう。社会的な抹殺です」
 邑悸の口調は、まるで何かを断罪しているかのようだった。
「あ……」
 一貴は小さく声を上げた。――「そのせいで死ぬ人が増えても、か?」先程、邑悸がその問いに答えなかった理由。きっと彼はこう言いたかったのだ。「今だって人は殺されているんだ」と。人を殺せないはずの一般人が「BGS」を殺す。そんなことが、あり得るんだと。
「…………」
 アレックスは息を呑んだ。邑悸の表情には、一切の色がなかった。伏せられた彼の眼は何を見ているのだろう……。
 だが邑悸はすぐに顔を上げ、アレックスに向けて微笑んだ。
「ですから、先天的に人が殺せるかどうかという区別は、現実にはあまり意味がないように思うのです。旧世界の記録と比べても、犯罪の発生率自体はそれほど変わっていません。無論、殺人事件は減りましたが」
「戦争もなくなったでしょう?」
「無論です。ですが、それは政治的意味合いが強い。政府がなくなり、営利企業が世界を統治することで民族間の対立が減少しました。宗教対立も、貴方がたが各宗派をよくコントロールしているおかげで起こっていません」
「しかし……」
「たとえ一般人が人を殺せるようになったとしても、企業間がうまく連携していけば戦争は起きないでしょう。かつてのように、軍需産業は割のいい商売ではない。人命をかけてまで奪い合うほどの価値があるものは、今この世界には存在しません。むしろ、戦争によるリスクのほうがずっと大きい。少なくとも、そういう価値観の共有は可能だと思いますが?」
「だが、それはあまりにも人間のモラルに頼り過ぎているのではありませんか?」
 邑悸は再び苦笑を浮かべた。
「それほど人間のモラルを危ぶむのなら、そうですね、どうせなら遺伝子『FIRST』から『TENTH』までお作りになったらいかがです? きっと貴方がたの目指す理想郷が出来上がりますよ」
 苦笑の中に、揶揄の色が混じっている。
「ですが、そうやって作り上げた人間は果たして人間といえるのでしょうか? 僕は疑問ですね」
「…………」
 ――そうかもしれない。アレックスはそう思った。人の手で人を改造し、たとえ人を殺さず、盗まず、嘘を吐かない、そんな「人間」を作り上げたとして、それは本当に「人間」と言えるのだろうか。
 それは、最近のアレックスがカイルに対して持っている疑問と同じものだった。彼がこだわる「正しい世界」――それは既にアレックスの理解の範疇を超えている。
「こちらの目的をお話しするなら、それは貴方がたの目的とはちょうど正反対です」
「邑悸……?」
 慌てたように口を挟む一貴を、邑悸は穏やかに制した。
「いいんだよ、一貴。実はね、僕の目的はこの前のARMADAの重役会で承認された。まあ、未発表だし、極秘だけど」
 一貴は唖然と口を開けた。
「な……なんで?!」
「何故……かな。僕の口車に載せられたのかもしれないね?」
 冗談とも本気とも付かない口調でそう言うと、邑悸は再びアレックスに向き直った。
 
「我々は『SIXTH』に関する真実を発表するつもりです。『SIXTH』には――殺人を抑制する効果などない、ということをね」

「な――?!」
 アレックスが息を呑み、一貴が顔を強張らせた。
 ひとり、邑悸だけが柔らかな、それでいて相手の表情を探るような、そんな目つきで微笑んでいた。
 
 
  3

 既に肺も脚の筋肉も限界を訴え、走るのを止めろと訴えている。だが、止めるわけにはいかなかった。少なくとも、彼女を追い掛けている足音が止まるまでは。
 だが、このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
 ――外に出るんじゃなかった……。
 今、社会がどういう状態にあるかは彼女も知っている。教会反主流派のゲリラとドラッグ服用者がそこかしこで小競り合いを繰り返していて、一般市民は次々とこの街からの脱出をはかっていたし、ゲリラ側も進んで市民に脱出の斡旋をしていた。
 ――だが、どこに行く場所があると言うのだろう?
 彼女は霞む眼に涙を溜めた。両親を亡くし、小さな弟を抱えた自分が一体ここを出てどこに行けるというのだ?
 お腹を空かせて泣く弟を見ていられず、何か買って来ようと外に出るとすぐにドラッグ服用者に目を付けられてしまった。この地域では、自分のようなブロンドは目立ち過ぎる。
 突然、彼女の前に人影が立ち塞がった。
「ぁっ?!」
 回避することもできずに倒れ込む彼女を腕に抱えたのは、どうやら若い男のようだった。
「大丈夫か?」
 必死でしがみつきながら背後を指差す。その男は、彼女にひとつ頷いてみせた。
「大丈夫、あっちならレイが何とかしたから」
「『何とか』……?」
 乾いた喉から振り絞った声はかろうじて言葉となった。
「あ……うん、まあな」
 歯切れの悪さに戸惑いながら振り向くと、そこには自分と同い年くらいの少女が立っていた。手にした拳銃からは未だ煙が立ち昇っている。その足元に転がっているのは――。
「ひっ……」
 彼女はようやく自分を抱きとめている男の正体を知った。ARMADAの「BGS」……! 思わず、力の入らない手で彼の胸を突き飛ばす。途端、よろけてぺたんと床に座り込んだ彼女に、彼は――硫平は苦笑を向けた。
「怪我はないみたいだな」
「あ……」
 ようやく先程自分のとった行動を理解して、彼女は慌てて顔を上げた。
「ご、ごめんなさい。私……」
「どうぞ」
 背後にいたレイがタオルと水を差し出す。
「ごめんなさい……」
 それを手に受け取ってから、彼女は俯いた。
「私、助けてもらったのに……」
「そんなこと気にすんな。慣れてる」
 硫平は肩をすくめた。
「街を徘徊してた中毒者(ジャンキー)共はあらかた鎮圧したか」
「ええ」
 ちょうどその時、硫平の元に連絡が入った。ドラッグ服用者のほとんどは射殺、または捕縛された。教会の反主流派ゲリラは、ARMADAの襲来とともにどこへともなく影をひそめてしまったらしい。
 ひとまず、この街は平穏を取り戻した。つかの間の、かりそめのものであったとしても。
 実は今回の作戦の指揮を取っているのは邑悸ではなく、スタッフの一人である。そのこともまた、レイや硫平をどこか落ち着かなくさせていた。邑悸は今、何をしているのだろう。何を考えているのだろう――。
 硫平は地面にへたりこんでいる彼女を見下ろし、声を掛けた。
「で、君。ひとりで帰れるか?」
「え、ええ……」
 彼女は立ち上がろうとして再びよろけ、地面に座り込んだ。
 硫平が苦笑して彼女に手を差し伸べる。
「送っていく。せめて一人で歩けるようになるまで」
「あ……ありがとう」
「俺は硫平。こっちはレイだ。名前は? もし構わないなら教えてくれないかな。呼ぶとき不便だから」
「私……私は」
 一瞬の躊躇の後、彼女は言った。
「私、ミーシャ。ミーシャよ」