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エピローグ

 一週間が過ぎた。
 カイルは今日退院し、レイも今日の検査を終えれば明日には退院できるという。
 邑悸は久しぶりに彼女の病室を出て、一貴の元を訪れた。さすがに、女性であるレイの全ての検査に立ち会う訳にはいかない。
「なんや、憑き物が落ちたような顔してんな」
 一貴に言われ、邑悸は微笑む。
「うん、そうだね」
「匡子博士が言うてたで。『邑悸があんなに天然な恥知らずとは知らなかった』って」
「恥知らず? 何のこと?」
 邑悸がきょとんとして聞き返す。一貴は肩をすくめた。
「レイちゃんとラブラブなんやろ?」
「レイは可愛いから仕方ないよ」
 邑悸は悪びれる様子もない。
「本当に彼女が僕と同じ遺伝子を持っているのかな。僕なんかの遺伝子を持っている彼女が、あんなに可愛いなんて」
「当たり前やろ。遺伝子ってのはあくまでも設計図やねんから。個人っつう完成品を作るのは、生き様とか環境とか、そっちの方がずっと大きいわ」
 一貴はにこにこと笑う邑悸を見て、ため息をついた。
「ま、レイちゃんが育った環境ってもんの中には、お前の影響も入ってるわけやけどな……」
「そう思うと嬉しいな。僕もなかなか捨てたものじゃない」
 邑悸は冗談のようにそう言い、思い出したように軽く手を打った。
「そうそう……僕の辞表、つき返されちゃった」
「ARMADAには、少なくとももうしばらくお前が必要やろ」
「仕方がないから顧問ということにしてもらおうと思って。社外に家を持って、通勤するよ」
「家?」
 今までは、邑悸はARMADA本社内に住居を構えていた。広いオフィスフロアの一角を私室として使用していたのである。
 邑悸はしれっと言葉を続けた。
「レイが高等部を出たら大学へ通いたいって言うし、僕が彼女の保護者になろうと思ってね」
「……さよか」
 一貴の口調がげんなりと、疲れを帯びたものになる。匡子の言っていた意味がだんだんわかってきた。何が保護者だ、二人の年齢はせいぜい十歳程度しか離れていないではないか。彼が保護者の仮面をかぶっているのは、レイが成人するまでの間だろう。邑悸がレイを他の男に渡すわけがない。
 だが、それはそれでいい。一貴はそう思う。問題は――世界の方だ。邑悸はによって「SIXTH」を奪い取られた、この世界。
「邑悸」
 一貴は静かな声で、その名を呼んだ。
「お前が幸せそうなんは何よりやけどな」
 ディスプレイ上にファイルを展開する。邑悸は黙ってそれを見遣った。データを読み取り、眉をかすかにしかめる。
「お前のしたことは忘れたらあかんで。殺人は――確実に増えとる」
 まだ、この世界に秩序は戻ってはいない。
 「人を殺す」ということの意味を、他の生命を奪うということを、まだこの世界は正しく理解していないのだ。今後、「BGS」が一般人とともに生きていけるのかどうかも分からない。最終戦争後、長きに渡って根付いてきた強い偏見が、一朝一夕の間に取り除かれるとは思えなかった。問題は山積している。
 邑悸を軽く睨む一貴だが、邑悸はひょいと肩をすくめただけだった。
「それは僕の責任かい?」
「え?」
「僕は自分の犯した殺人の罪は背負うよ。けど、他人のしたことにまで責任は負えないな」
「せやかて――」
「一貴」
 最近はほとんど見せなかった、邑悸の鋭い眼光。一貴は打たれたように口をつぐむ。
「人は自分の『選択』に責任をとらなければならない」
「…………」
「その責任を負わせるために、人は刑法を作り罪人を裁判にかける。今までは『殺人』の責任から回避することを許されていたけど、その方がよっぽど異常なんだよ」
「……けど、」
「君は人を殺したいほど憎んだことがない。幸せなことだ」
 邑悸の微笑が、一貴の胸に棘のように刺さった。
 一貴は俯く。
「お前、また狙われるかもしれへんで? レイちゃんかてそうや。そのリスクはちゃんとわかってるんやろな?」
「ああ」
 邑悸は穏やかに頷く。
「それは良く分かっている。僕は、僕の全てをかけてレイを守る」
「邑悸……」
「たとえそれを彼女が望まなくても……彼女は、僕の罪への救いなのだから」
 まるで神への祈りにも似た口調で、邑悸は呟いた。
 
 多分二、三世紀もすれば、人々の頭から「SIXTH」のことなど消え去り、歴史の中の一頁にその姿を変えてしまうのだろう。そして「BGS」のことさえも――生まれながらにして罪を背負わされ、重い宿命に苦しんだ者たちのことさえも。
 そのとき、歴史は邑悸にどう評価を下すのだろうか。悪魔か。それとも、英雄か。一貴には分からなかった。
 そして、きっと歴史の表舞台には残らないであろう一人の少女の名前――レイ=白瀧。だが、彼女こそがこの世界を変えたのだ。
 全ての始まりは、邑悸の両親が彼女を生み出したこと。レイの存在を知った邑悸は罪に手を染め、やがてARMADAを変え、世界を変えた――そして、最期に邑悸を救ったのは、レイだった。
 邑悸が悪魔や英雄なのだとしたら、レイは一体何だというのだろう。
 ――ああ、そうか。
 一貴は得心し、微笑んだ。彼らは英雄でも悪魔でもない。ただの人間なのだ。罪にまみれながらも生きていくことを選び、それでも誰かに縋らねば生きていけない弱さを持った、ただの人間。そんなことに、彼は今更気付いたのだった。
 一貴は祈る。
 「BGS」たちがどうか、しあわせに生きていけますように。
 
 命あるものは皆、そのために生まれてきたのだから。