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第八章

  1

 DOOM本社ビル、最上階の一室。二人の男が、豪奢なソファに腰を下ろしていた。彼らは従兄弟同士の関係にある。一人はこの会社の取締役の一人であるアレックス=テラ=ムード。もう一人は聖服に身を包んだ司教、カイル=エル=ムードである。
 アレックスはため息をつく。カイルの翡翠の瞳の中に映る自分自身は、ひどく憔悴していた。
「まんまとやられた」
「そうですか?」
 年下ではあるが、カイルの方にはやや余裕がある。
「邑悸=社……彼の目的は掴めませんが、社会にこのような混乱をもたらすのは得策とはいえないと思うのですが」
「こうやって騒動にすることさえもが、彼の狙いかもしれないぞ」
「まあ、そうですが……」
「全く、俺の立場はない。間違いなくトップ陣は全部すげ替えられるだろう」
 アレックスは脱力感に耐えるように、背もたれに深々と体を預けた。
 カイルは彼の言葉を気にする様子もなく淡々と言う。
「おそらく、DOOMはBUISとCROMによって乗っ取られるでしょう」
「ARMADAじゃないのか?」
 アレックスは不思議そうな顔でカイルを眺めた。彼はにっこりと微笑む。
「私が邑悸=社ならそうします」
「何故だ?」
「他の企業に恩が売れるでしょう? 彼の目的がDOOMの掌握にあるとは思えませんし、既に彼が作り上げたARMADAという名の牙城に異分子を抱え込むのはむしろリスクだ。拘る理由もない。むしろ彼らを外部においておいた方が後々役立ちます」
「そうかな?」
 アレックスは足を組んでカイルに真っ直ぐ視線を投げた。
「BUISやCROMがDOOMの最重要機密に触れる事になれば、ドラッグに関する詳細を知ることになる。彼らは極秘にARMADAへの、いや邑悸子飼いの『BGS』への対抗手段として、ドラッグを再開発するかもしれない」
「あり得ることです」
「となると、また同じ結末にはならないか。ARMADAに次ぐ『BGS』関連技術力を持つのは教会だということなど、既に公然の秘密だ。彼らは教会と手を組みたがるかもしれない」
 客観的に論理を述べるアレックスに、カイルは頷く。
「そう、きっとそうなるでしょうね」
「あの頭のきれる男が、それくらい読めない訳もないと思うんだが」
「私もそう思いますけれど……でも」
 邑悸は敢えて、そう仕向けるのではないか。カイルは確信めいた予感を抱きつつも、それを言葉にすることはせずに口をつぐんだ。
 アレックスはふと、思い出したように顔を上げた。
「そういえばうちがこの前彼に差し向けた暗殺者は……」
「さあ、返り討ちにあったのではないですか。何しろ『BGS』をたくさん飼っていますからね、極秘裏に処理されたのでしょう」
 カイルは投げやりに言った。元々そう期待もしていなかった作戦だが、こうも鮮やかに消されてしまうと面白くない。
「その『BGS』らに、この間接触したのだろう? どうだった?」
「ええ……洗脳(マインドセット)でもされているのではないかと思っていたのですが、意外にもそうではないようです」
「どういうことだ?」
「彼らは、とりあえず自分の意志でARMADAにいるということです。邑悸=社への信頼感も厚い」
 ハイティーンの少年少女たち――「BGS」が見せた真っ直ぐな眼差しを思い出す。
洗脳(マインドセット)の証拠を掴めばARMADAの非人道性を追及することもできたのですけれど」
 ――非人道性、か。アレックスは眉を潜めた。一般人たちは「BGS」たちに人権を認めてなどいないし、教会も同じだ。それでも、自分たちを正当化するためには「BGS」を利用する。
「とりあえず、これからのことを考えましょう」
 カイルは顔を上げ、きっぱりと言った。
「アレクには教会に戻っていただきます。邑悸=社――この男の真意を探らなくては」
「ああ」
「そして、この大混乱をARMADAがどう収めるのか――まずは、お手並み拝見といきましょうか」
 カイルは優しげに微笑する。
「…………」
 アレックスは黙ってカイルを見つめた。
 カイルのことは良く知っている。彼はアレックスの従兄弟であり、幼馴染でもあった。外界とは隔絶された教会の中枢部という環境の中では、他に年の近い子供はほとんどいなかった。ある意味、兄弟よりも近い間柄だといえよう。
 だが、最近時々分からなくなる。カイルが本当は何を望んでいるのか。――胸に残る傷跡に、一体何を燻らせているのか……。

 
  2

 ARMADA内の「BGS」専用寮の屋上。風が強く、訪れるものは滅多にいないが、そこは密かにレイのお気に入りの場所だった。常に空を覆っている厚い雲のために日差しは弱く、昼下がりでも少し薄暗い。
 椿の葬儀は午前中に終わった。やはり、レイは泣けなかった。仲間たちの泣き声や邑悸の読む弔辞をどこか遠くに感じながら、椿の遺影をただ見つめ続けていた。忘れない。絶対に、椿のことは、何ひとつ忘れないから。
 レイの脳裏を、昨日から今日にかけて起きた出来事が目まぐるしく行き移ろう。
 ――私は……レイと、一緒に……。椿の言葉が脳裏に蘇った。

 ――生きて。

「生き……て……」
 レイは呟き、視線を落とした。これからの自分の生で、一体何が起こるだろう。自分は一体どう生きていきたいのだろう。
 椿はレイと一緒に生きていきたかったと、そう言ってくれた。そのことが嬉しくて、そしてひどく悲しい。
 自分の周りで、いろんなものが目まぐるしく変わりつつある。それは分かっていた。そして、自分自身も……変わっていくような気がする。
 ――変わる? レイは冷笑のような笑みを浮かべた。自分のことなど、何一つ知らなかったくせに。自分がどうして生まれてきたのか、何のために作られたのか。何も知らなかった。
 手を広げ、レイは目を細めてその自分の手のひらを見つめた。何度も、血に汚れた手。その度に、大きな暖かな手が――邑悸の手が、彼女を導いてくれた。
「邑悸さん……」
 レイはその名を呟き、目を閉じる。握りしめた拳が、小さく震えた。

 先ほど昼食のために立ち寄った食堂で、「BGS」の同僚であるあずみ=佐崎に会った。あずみはレイたちと同学年で、椿と仲の良かった少女だ。椿と共にいることの多いレイにも、彼女の無口にめげず時々話し掛けてくれるような、人懐こく明るい性格。大半の同級生と同じようにまだチームには入っておらず、したがって任務にも着いていない。
「レイ、あの……椿のこと」
 泣き腫らし、沈んだ顔色の彼女から、レイは視線を逸らす。自分が責められているような気がしたのだ。――何故椿が死んで、自分が生きているのか。
 だが、あずみはレイの手を抱きしめるようにぎゅっと握った。
「昨日の夜、レイに会いたくって……どこ行ってたの? 心配していたのよ」
 茶色がかった大きな瞳がレイを見つめる。その予想外の言葉に、レイは驚いた。
「心配……?」
「だって、目の前で……! ショックだったでしょう? 話に聞いただけの私でも、すごく辛かったのに」
「それは、そうだった……けど」
 隣り合って席につき、あずみはテーブルの上に視線を落とした。
「多分、私がレイの立場なら……落ち込んじゃうと思ったから」
「……うん」
 実際はその後に邑悸によって知らされたことがあまりにも重大で、そちらの方がレイに与えた衝撃は大きかったのだが、だからといって椿の死から受けたショックが軽くなるということはなかった。今朝、邑悸と別れた後もどこかぼんやりとして、頭のどこかが痺れてしまったように感じている。それが悲しみのせいだということに、レイはその時ようやく気付いた。
「でも」
 レイは黙ってあずみを見た。彼女は涙に曇る眼差しで、どこか遠くを見つめている。
「私……もし死ぬなら、その時はひとりきりは嫌だな。誰か、大好きな人の側がいい」
「どうして?」
 怪訝そうなレイに、あずみは微笑んでみせた。
「死ぬときまで、自分はひとりぼっちなんだって思いたくないもの。ああ、この人と一緒に生きて来られたんだって、生きてきて良かったって、そう思いたい」
 ――「BGS」は、寂しいからね。あずみはそう言って、変かな? と笑った。
「椿はレイに看取ってもらえたの、嬉しかったと思うよ。勿論、死にたくなかっただろうし、悔しかったと思うし……生きたかっただろうけど、それでも、ひとりで逝くよりは、きっと良かった。レイは、椿と一番仲が良かったもの」
「……もし、そうならいいんだけど」
 レイは小さく呟いた。
 自分が側にいたことで、椿が最期に寂しい思いをしないで済んだのなら。それは嬉しいことだ。何もしてあげられなかったから、せめてそれくらいのことはしてあげられたのだと思いたい。
 ――ひとりは、寂しいから。
 レイ自身も、最期くらいは誰かの側で逝きたいと思った。私の寂しさを埋めてくれる、誰か……。
 レイはあずみに尋ねた。
「あずみはいるの? 側にいて欲しい人」
「え? あ、うん」
 少し頬を染め、あずみは答えた。
「いるよ……?」
「セルマ君でしょう」
「な……!」
 言い当てられて驚いたのか、あずみの頬が染まる。知られていないと思っていたのだろうか? 寡黙なセルマがあずみの前ではさらに無口になり、闊達なあずみもどこか歯切れ悪く恥じらっている。元々他人の感情の機微には敏いレイにはすぐに分かったし、椿ら他の友人たちもうすうす気付いていた。気持ちが通じ合っているのかどうかは分からないが、傍目に見れば彼らは初々しい相思相愛のカップルなのだ。
「れ、レイは?」
 照れ隠しのつもりか、あずみは間髪をいれずに問い返してきた。
「レイには、いるの?」
「私……」
 レイは視線を落とした。頭に浮かんできたのはただ一人の面影で……。
「私……も、いる……のかな……」
「…………」
 あずみは意外そうに目を見開いたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。レイにもそういう人がいて」
「……うん」
 多分、この気持ちはあずみがセルマに対して抱いているものとは違うだろう。それでも、もし自分が死ぬときには――「彼」に側にいて欲しい。そう思った。

 風が彼女の髪を乱す。レイは眼を伏せ、手で髪を押さえた。ちょうど、地上にいた幾人かの姿が眼に入る。
「あ……」
 小さな声が洩れる。研究所へ向かう通路を歩くふたりの男。長い金茶色の髪は、一貴所長だろう。そして、その隣を歩むのは……。
「邑悸……さん」
 ――ああ、この人と一緒に生きて来られたんだって、生きてきて良かったって、そう思いたい。あずみの言葉を思い出し、レイは胸の前でぎゅっと手を握った。
 ――君は……僕を裏切ったりしないよね? そう言ったときの邑悸の瞳は、ひどく揺れていた。自分と良く似た色の、黒曜石のような色の瞳が力なく瞬いていて、それを見ているとレイの胸は苦しくなった。邑悸にそんな目をさせたくない。邑悸にはずっと、いつも通りに微笑んでいて欲しい。
 レイはそっと自分の肩を抱きしめる。――私は邑悸さんに側にいて欲しい……邑悸さんの側にいたい。きっと、私の全てを理解してくれるのは邑悸さんだけだから。私には、邑悸さんが必要だから。
 レイは祈るような気持ちで、邑悸の背中を見つめていた。

  3

 突然、邑悸が立ち止まった。
「どないしたんや? 邑悸」
「……いや」
 振り返った邑悸の目線を辿った一貴は、寮の屋上にいる誰かの姿を認めた。だが、近眼の一貴にはそれが誰かまでは分からない。眼鏡の奥の目を眇めて尋ねる。
「誰や?」
「レイだよ……今、呼ばれたんだ」
「はあ?」
 邑悸は当然のように言うが、一貴には彼の言葉の意味が分からない。
「呼ばれた?」
「昨日、話した。彼女に、君に話したのと同じことを全部」
「……そうか」
 淡々と語る邑悸の表情を見て、一貴も破顔した。
「で? 何て呼ばれたんや、お前」
「具体的に何かが伝わってくる訳ではないよ。ただ、彼女の存在を感じただけさ」
 レイに向けていた視線をそらし、彼は前方に向き直った。
「さ、行こう」
 邑悸は一貴に何も言う隙を与えなかった。歩き出した彼の背中を見つめて、一貴は小さくため息をつく。――レイを見上げていたときの自分の表情を、彼は知っているのだろうか。あんなに柔らかくて穏やかで、愛しげな笑顔を、一貴は知らない。
「どうしたんだ、一貴」
 気付くと、十数歩ほど先を行っている邑悸が足を止めて振り向いていた。
「僕の研究を手伝うんじゃなかったのかい?」
 ――そう。邑悸の目的を知る為、彼の研究内容を深く探る為に、一貴は彼への全面的な協力を申し出た。邑悸は無論、彼の意図を悟っていただろう。その証拠に、邑悸は笑って言った――「いいだろう。ただ、君が僕の邪魔をするつもりなら、僕はいつでも君を殺すことができる。それを忘れないでくれよ」と。
 一貴は思う。――彼の目的が、レイを傷つけるようなことがなければいいのだが。
「今行くわ」
 空を見上げ、レイを探す。既に、そこに彼女の姿はなかった。