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第五章

 1

 沈黙を破ったのは、彼だった。
 「すまなかったね」
 隣りに座る邑悸の言葉に、レイは驚いたように顔を上げ、彼を見つめた。
「君たちにもっと注意しておけばよかった……。僕は、彼らを甘く見過ぎていたのかもしれないな」
「いいえ」
 レイは首を横に振った。
「邑悸さんのせいじゃありません」
 邑悸が意外に思うほどきっぱりと断言し、立てた膝に顎を埋める。
「…………」
 邑悸は無言でレイの横顔を眺めた。全てを押し包んだように静謐な表情からは、何も読み取れない。
「私、処分を受けますよね。任務の為じゃなく、人を殺してしまった」
 相変わらず何の感情も浮かべない、深い色の瞳。彼女は処罰を望んでいる、そんな気がした。だが……。
「いや」
 邑悸は否定した。
「そのつもりはない」
「何故ですか? 私、既に戦闘能力を失ったものに対して武力を行使しました」
 意外そのものといった表情のレイに、邑悸は苦笑する。
「今回の場合は任務内だよ。もし処分があったとしても、文書による通告程度だと思う」
「…………」
 レイは眉を寄せ、正面を見つめた。
「私――」
 静かな呟きが唇から洩れる。

「殺されるなら私だって……そう思ってました」

 邑悸は黙ってレイを見つめる。
「私はたくさんの人を傷つけてきたから。私、覚えているんです。自分が今まで何人を傷つけてきたのか。何人を殺してきたのか」
 邑悸は口を挟みかけて、やめた。レイを理解しようと思うなら――今は何も言うべきではない。
「だから、誰かを殺した後にはいつも――いつか、こんな風に私も死ぬんだろうなって思って……」
 目を見開いて、空を見上げて。体中の熱をただ地面に零し、血を垂れ流して。惨めに――無残に――こんな風に野垂れ死ぬんだと――。
「でも、椿は……誰かを抹消する任務になんかほとんどついてなくて……今回だってすごく緊張していました」
 レイは視線を落としたまま呟く。
「だから、なんで椿なんだろうって……どうしてって……私は、生きているのに……どうして、椿が……」
「じゃあ、君が彼らを殺したのは、何故なんだろうか」
 邑悸の静かな問いに、レイはうな垂れる。
「すみません」
「責めているわけではないんだよ」
 レイの頭にそっと手を乗せた。
「ただ……知りたいんだ。君の気持ちを」
「…………」
 しばらくの逡巡の後、レイは口を開いた。
「あの人たち……椿を撃った後、『俺にも殺れた』って……そう言ってたんです。『あの化け物を俺にも殺れた』って……」
 悔しそうに唇をかみ締める。
「私はずっと考えているんです。人を殺すってどういうことなのか――その重さとか、責任とか、罪とか、全て背負っていく覚悟をしてる……きっとみんなそうだと思う。でも、あの人たちは違う。人を殺す意味なんて分かっていない。今日会った教会の人も、私たちが人を殺せるのは『力』なんだって……管理されるベき『力』だって。でも、こんな……こんなの、『力』なんかじゃない……」
 レイの言いたいことは良く理解できる――人を殺すことができる「能力」を、「BGS」が肯定的にとらえることなどあるわけはない。それゆえに家族から離され、世間から白眼視され、面と向かって化け物扱いされるのだから。
 けれど、一般人はその能力を実は羨んでいる。恐れながら、憧れている。――それゆえのドラッグ。
 ばかげたことだと思わずにはいられない。人を殺せることが何故羨ましいのだろうか。ずっと一般人を装っていた邑悸にも、それは分からなかった。
 自らの手が父母の血に染まった感触は、憎悪に突き動かされての行動とはいえ決して心地よくはなかった。……むしろ、ひどく不快で。
 今、レイから伝わってくる感情は憎悪とは違っていた。だが、渦巻く負の感情が胸を焼く、その灼熱感はあのとき――邑悸が父母を殺したとき感じていたものとどこか似ていて……。
 ――今だ。
 邑悸はそう思った。レイに僕を――僕の過去を理解してもらうのは。そして、彼女自身に彼女のことを教えるのは。今が一番、適している。それは打算でも計算でもなく、ただの直感。邑悸には珍しく、己の衝動に従った。
「レイ」
 邑悸は、未だ正面を見つめたままの彼女にそっと声をかけた。
「話をしたいんだ。まだARMADAが『BGS』を保護していなかった頃の……一人の『BGS』の少年の話を」
「え?」
「君に、聞いて欲しいんだ」
 振り向いたレイの瞳をじっと見つめる。彼女は少し戸惑ったようだったが、やがてこくりと頷いた。
「ここじゃなんだから……僕のオフィスまで来てくれる?」
「はい」
 頷いて立ち上がった彼女が、邑悸にコートを返した。
「ありがとうございました。あの……」
 視線を逸らし、口篭もりながら言う。
「あたかかった、です」
 俯くレイに、邑悸は微笑みかけた。少し、切なげな微笑だった。
「……どういたしまして」

  2

「……くそっ」
 硫平は壁を殴りつけた。拳が痛んだが、それ以上にこめかみが痛い。きっと、歯を食いしばりすぎているせいだろう。 
 脳裏に浮かぶのは、今日命を落とした少女だ。線の細い顔立ちと、短くカットされた黒髪。特に目立つところのない少女だったが、良くレイと行動を共にしていたのを覚えている。レイはどこか人を寄せ付けないイメージがあったが、彼女はそれをものともしていなかった。何故椿はレイの側にいようと思ったのか。その理由は、もう永遠に分からないままになってしまった……。
 彼女は、今回が初めての大きな任務だった。――彼女はまだ、誰も殺したことがなかった。
 硫平はベッドの上に身を投げ、枕をきつく腕で締めた。
「なんで……なんで俺じゃねえんだよ」
 くぐもった声に涙の色はない。
 もし「BGS」が罪深き存在だというのなら、それでもいい。けれど、それならば何故彼の命ではなく、まだ罪に染まってもいない命が奪われてしまったのか。彼は今日編成されていた「BGS」チームの中でも最年長だったし、任務につき始めてからの時間も長い。必然的に、彼が殺傷してきた人の数は誰よりも多いはずだ。
 だからこそ、彼は思う。
「死ぬべきなのは、俺だったんだ……」
 それでも、彼は死ななかった。そのことに安堵している自分がどこかにいるのが、どうにもやりきれない。
 死にたくはない。それは誰だって同じことだ。殺されたくはない。きっと彼に殺された一般人たちもそう思っていた。それなのに、人を殺してきた自分は、殺されたくはないと思っている。
 罪ある人間をその罪故に殺したのだというのなら、硫平自身の罪はどうなるのだろうか。やはり殺されることでしか贖えないのだとしたら――そんなのは、嫌だ。
 殺されたチームメイトのことを悼んでいるようでいながら、だがそれは偽善に過ぎない。殺されるべきは自分だった、と言いながらも、それは今も生に安穏としていられる自分の立場だからこそ口にできる、ただの罪悪感の表出なのだ。
 チームリーダーとして、チームメイトを守れなかった。――自分は無力だ。硫平は痛感する。
「人なんか殺せたって、仕方ない……守れなきゃ、意味ない」
 硫平は仰向けに寝転がり、目を腕で塞いだ。天井の明かりがまぶしくて、その光が今の彼にはひどく不快だった。

 
  3

 弾圧期の余韻を色濃く残していた頃、「BGS」として生まれたひとりの少年は、科学者であった両親の愛だけを頼りに成長し、努力を重ねて様々な能力を身につけた。全ては両親への信頼から、その期待に応えたい一心であった。
 だが、ある時彼は裏切りを知る――彼らの少年への興味は、わが子に対するものというよりは、むしろ研究対象に対するそれであったということ。少年は観察され、分析され、情報化されていた。分厚い研究報告書には、彼に対する人体実験まがいの内容すらあった。彼は何も知らなかった。知らずにただ、信じていた。
 少年の世界を支えていた唯一の愛が崩れ去った瞬間、彼は世界を滅ぼすことを決意した――己の過去もろとも、彼は彼の愛と信頼の対象であった、ふたりの人間を葬り去った。
 
 邑悸の昔語りは、淡々と始まり、淡々と終わった。少年の名は、語られなかった。だがきっとレイは悟るだろう。彼女の隣にいるこの男こそが、物語の主人公であるということを。
 今日のうちにふたりの人間に自分の過去を明かすことになるとは、全くの想定外であった。一貴に話すということも、前もって意図していたわけではなかった。一貴がかなり真相に近いところまで迫り、隠したところでどうにもならないから話しただけである。それに、一貴の性格なら他言することはないだろうと踏んでいたこともある。どうせ望む望まざるに関わらず、一貴は彼の手助けをすることになるのだから。邑悸の手によって、そう仕向けられると決まっている。だが……。
「邑悸さん……?」
 しばらくの間、邑悸は黙り込んでいたらしい。ソファに隣り合って座っているレイが、心配げな瞳で見つめている。
「大丈夫ですか? すごく顔色が悪いです」
 邑悸は弱々しく微笑んでみせた。レイは俯き、自分の膝をじっと見つめる。点々と飛んだ血の跡。彼女はまだ、血の染み付いた戦闘服を脱いでいなかった。
「邑悸さんが私たちのことを私たち以上に理解してくれていたのは……、邑悸さんも『そう』だったからなんですね」
 呟くように言う。――不意に、邑悸は不安に襲われた。「BGS」だということを隠して一般人として振る舞っていた自分を、彼女は非難するだろうか。それとも騙されていたと、傷つくだろうか。心を閉ざしてしまわないだろうか。それは、一貴に対しては感じることのなかった動揺。レイに拒絶されることを思うだけで、邑悸は息苦しく感じる。何故、こんなことが起こるのだろう。邑悸は訝しむ。この反応は、「共鳴」ではない。それならば一体何だというのか。
「いた、い……です」
 ぽつり、と零れ落ちた言葉には、非難の調子は全く含まれていなかった。そのことに安堵しながらも、邑悸にはレイの言葉の意味が分からない。
「何が痛いんだい?」
「…………」
 それには答えず、レイは俯いたまま別のことを言った。
「邑悸さんは……ずっと、ご両親のことを愛していたんでしょう?」
「そう……だね」
 邑悸は躊躇いがちに頷く。
「だったら、すごく痛かっただろうなって、思って……それだけじゃなくて、本当に私も痛くなって……」
 胸元を握りしめる彼女の拳は、細かく震えていた。
 レイの痛みがただの「共鳴」なのか、心からの共感なのか、邑悸には分からない。だが、どちらでもいいような気がした。レイがそう言ってくれたこと、それが嬉しかった。
 邑悸は眼を伏せる。
「そうだね。愛していたから……世界中で、彼らだけは僕を愛してくれていると信じていたから……だからこそ、許せなかった」
「邑悸さんは、どうして私に教えて下さったんですか? 隠していたんでしょう? ご自分が『BGS』だってこと」
「その方が、ARMADAの実権を掌握するには便利だから」
 向けられたレイのまっすぐな視線から、邑悸は目を逸らす。その澄んだ色を直視する勇気はなかった――今はまだ。
「だから、君には悪いけど……この事は誰にも言わないで欲しい」
 一貴のときのように脅す必要はない。レイはきっとすぐに頷いてくれる。
「はい」
 思ったとおりの反応を返す彼女に、小さく会心の笑みがもれる。
「でも……邑悸さんはまだ、私の質問に答えてくれていません」
 レイの瞳はじっと追及してくる。邑悸はそれに促されるように口を開いた。
 もう、後戻りはできない。
「君も、僕の過去に無関係じゃないからだ」
「え……?」
 揺れる瞳。邑悸はじっと、それを見据える。もう、決して目は離さない。
「さっき言っただろう? 僕の父母は、僕の遺伝子を使って僕と同じように能力値の高い『BGS』を作ろうとしていたと」
「はい」
「実際、その実験のプロトタイプとして、ひとりの『BGS』の遺伝子操作に成功していた」
 これはきっとレイを傷付けるだろう。だが、いずれは知る必要が――知らせる必要のあることだ。そして何よりも、彼女には知る権利がある。
 邑悸はゆっくりと呼吸する。レイがどんな反応を見せようとも、必ず受け止めよう。そう思った。
「それが――その『BGS』が」
 レイを真っ直ぐに見つめる。
「君なんだ。レイ」