instagram

第三章

  1

 銃を向けてくる者たちに対しては容赦なく頭部や体幹部を狙い、それ以外の者たちではできるだけ四肢を狙った。不必要に命を奪う必要はない。
 硫平は他の六人にも目を配ったが、それぞれが十分に渡り合えている。射撃能力も体術も、何もかもが桁違いなのだった。身につけている装備のレベルも違う。銃火器はもちろんのこと、ARMADAの戦闘服には各所に仕掛けがある。例えばブーツの爪先は金属製だし、踵には鋭利なエッジが仕込まれている。軽い素材の上着も防弾、防刃線維でできているのであった。
 ――所詮は一人あたま数人、すぐに終わるな。蹴りかかってくる男の軸足の膝を蹴り砕き、ナイフを構えている最後の男の手の甲を撃ち抜く。
「ぐああ……ッ!」
 倒れた男の悲鳴に混じって、新たな声が背後から聞こえてきた。
「何だ? 何があった?!」
「ARMADAか?!」
 硫平は総毛立つ。想定外の戦力の乱入だった。
「ちっ……」
 舌打ちして振り返る。地下にいた男たちが十名ほど駆けつけてきたらしい。この均衡を崩すには十分過ぎるほどの人数――早いうちに地下通路を塞いでおかなかったのは俺のミスだ、と硫平は冷や汗を流す。
 通路に一番近い場所にいるのは――椿。
「椿、気を付けろ!」
 硫平が叫ぶのと同時に、目の前の男たちを一通り片付けたレイも異常に気付いたらしい。椿の援護に周ろうと振り向き――。
「え?」
 レイは、自分の目に映ったものが理解できなかった。

 椿の胸に二つ、赤が咲く。

「椿ッ!」
 硫平の声は完全に悲鳴だった。なんで――!!
 椿を撃ち抜いた男が歓喜の声を上げる。
「おい! 俺にも殺れたぞ?! あの化け物を――」
 その言葉を言い終える前に、彼自身が血だまりの中に沈んだ。硫平の放った弾丸に頭蓋を割られている。駆けつけたセルマが、通路から出てきた男たちを一掃した。彼の顔面も、ひどく蒼白である。
 だが、レイはそのどの光景も眼に映していなかった。
 ゆっくりと、重力にしたがって墜ちていく椿の身体。黒い短髪が広がり、弧を描く。
 レイは眼を見開いたまま、椿の側に駆け寄り、その肩に手をかけた。何が起こっているのか。わからない。何も、わからない。
「つば……き……?」
「レイ! 俺たちは地下に行く! お前は椿を頼む!」
 硫平の言葉はかろうじて耳が拾っていた。力なく頷き、椿の顔を覗き込む。
「椿……」
「レ……レイ……」
 蒼白な顔で、椿はレイを見上げる。
「ごめん……ミスした、わ……」
「だ、駄目。喋らないで」
 レイははっと自分を取り戻し、慌てて救護セットを探った。
「すぐ止血するわ。それから病院に――」
「……間に合わないわ」
 椿は痛みに眉をしかめながら、レイの腕に手を伸ばす。その胸から腹にかけて真っ赤な染みが広がり、床に血溜まりを作りつつあった。銃弾は防弾繊維の隙間を縫い、彼女の身体を貫いたのだろう。
 ――間に……合わない……? 椿が何を言っているのか、レイには良くわからない。
「レイ……レイ」
 椿の小さな手がレイの袖口を掴み、きつく皺を寄せる。
「……うん」
 レイの口から漏れるのは呆れるほど間抜けな呟きだった。
 椿が、死ぬ? そのことをようやく意識しても、頭が理解しない。
「レイ……」
 椿は荒い息を繰り返しながらレイを見つめた。目を細め、必死で口を動かす。
「もっと……私、もっと……」
「うん」
「レイと……いっしょ……に」
「うん」
 ――げほ、ぐ、ごほ、と喉に詰まった血を吐き出した椿の、その眼は既にレイではないどこかをさまよっていた。
「ねえ、レイ……」
「…………」
 椿はやがてレイを見つめ、一筋の涙を零した。
「わたし……レ、イと、……い……っしょに、い、」
 呼吸が喘ぎ、声が掠れる。

「――生きて」

 断ち切れたように途切れた声。ぱたん、と床に落ちた手をレイは握り、静かに呟いた。
「……うん」
 血で汚れた腕を、胸に抱きしめる。失われていく熱が、零れ落ちるのを止められない。

 ――生きて。

「……ぐ……」
 呻き声は体のどこかを撃ち抜かれ、背後に倒れている男のうちの一人のものだろうか。レイは黙って立ち上がり、銃をホルスターから外した。
「――――?!」
 レイと目が合った一人が顔を引き攣らせる。その顔に浮かぶのは純粋な恐怖。
「た……助けっ……殺さないでくれ……!!」
 ――レイは無言で引き金をひき続けた。プラントに充満していた男たちの呻き声が一つ残らず消えるまで。
 涙ひとつ溢さず、レイはその場に生き残っていた者全ての命を奪った。

  2

 邑悸の長い指が、オフィスの机を連続的に叩いている。
 先程一瞬、胸に「痛み」が走った。物理的なものではない。確かに、あれは「心」の「痛み」。邑悸がとっくの昔に失ったはずの、あの感覚……。
「レイ……か?」
 それ以外にはあり得ない。彼女以外に、邑悸にこの「痛み」を与えられる存在はこの世にないのだから。
 ほう、とため息をついて、邑悸は眼を伏せた。
「何かあったのかな」
 彼女自身の身に何かがあったというわけではないだろう。もしそうならばもっと「強く」感じるはずだ。邑悸は確信していた。
 彼らの絆が強くなればなるほど、邑悸は「レイ」を感じ取れる。
 今の彼女を襲っているのは、どうしようもないほどの怒りと哀しみだ。日頃感情の起伏に乏しい彼女にしては、考えられないほどの激情であった。
 ――いやな予感がする。邑悸が強く眉を顰めたとき、来客を告げるチャイムが鳴った。
『俺や。一貴や』
「どうぞ」
 ロックを解除し、扉を開ける。先ほど秘書を通して一貴から緊急で面会の申し出があった。邑悸は快く承諾したのだが――。
「一体何の用だい?」
 軽い調子で問う邑悸とは対照的に、一貴はどこか重く沈んだ面持ちを見せていた。
「ちょっと見て欲しいもんがあんねん」
 壁際に設置されたモニターの制御パネルにディスクを入れ、起動する。そこに映し出されたのは何者かの遺伝子データを処理したものだった。
「…………」
 邑悸は片方の眉を跳ね上げてそれを眺めていたが、やがて小さく噴き出した。
「やれやれ。こんなもの、どこから見つけてきた?」
「余裕やな。お前」
「まあ、いつまでも君に隠し通せるとは思っていなかったよ」
 邑悸は肩をすくめた。
「それ、僕のデータだろう?」
 あっさりと言う邑悸に、むしろ一貴は少し怯んだようだった。
「……そうや。お前がこの前襲撃されて怪我したときの血液から採ったもんや」
「ということは、僕は元々疑われていたってことかな?」
 笑みは崩さぬままに、邑悸はさらりとその単語を口にする。

「僕が『BGS』かもしれない――ってね」

「…………」
 一貴は無言で首を横に振る。
「そうやない。俺はどっちかっていうとレイちゃんのデータとお前のと、どっか被っとんのと違うかと思うたんや」
「へえ? それはまたどうして?」
「匡子博士も俺と同じ意見やってんけど……お前とレイちゃんの間に起こる現象、『共鳴』に似てる思うてな。お前らが近親でないのはわかってたから、直に調べてみるしかないやろ」
「……匡子博士には言ったのかい? 僕が『BGS』だってこと」
 僅かに、邑悸の視線が鋭さを増した。一貴は首を横に振る。
「言うてへん」
 邑悸は一瞬意外だというような表情をしたが、それはすぐに消えた。
「なら、それはいいとして……で、見つかった? 僕とレイとの共通点は」
「これ、どう考えても作為的なもんとちゃうか?」
 一貴がキーボードを操作すると、遺伝子配列を示す文字列がふたつ並び、それぞれがまだらに赤く着色された。
「お前のとレイちゃんのとで一致した場所や。どうやら性染色体以外はランダムに組み替えてあるみたいやな……それが『共鳴』を起こした原因やろ」
 一貴は言い募る。
「遺伝子上、お前らは兄弟よりももっと――」
「さすがだ」
 邑悸は片手を上げて一貴の言葉を遮った。
「確かに、レイの遺伝子は作為的に僕に似せられている。だけど、これは僕がやったことではないんだよ」
 邑悸はデスクのコンピュータを起動し、壁面にもう一枚のスクリーンを映し出した。
「ご褒美に面白いものを見せてあげよう――ARMADAが『BGS』の管理に乗り出すきっかけになった、本当の識別ナンバー・ダブルオーのデータを」
 一貴は眉を寄せた。
「……どういうことや?」
「こういうことだ」
 邑悸の指がキーを弾くと、スクリーンに一名の「BGS」のデータが映し出された。その名前の部分を読み上げた一貴の顔色が、驚愕に染まる。
「……『邑悸=社』……お前が、ダブルオー?」
「今ではレイの番号だけどね。僕と彼女には似た数値が多いから、上書きに適していると思って」
「どういうことや?!」
 一貴は呆気に取られながら問いかけた。邑悸はどこか虚ろな表情で、そのデータを眺めている。
「これは、極秘裏に登録されていたものだ」
「誰が登録したんや?」
 一貴のその問いに、邑悸はひどく顔を歪めた。
「――僕の両親だよ」
 そう言う邑悸の瞳は、一貴も見た事のないほどの昏い感情に染め上げられていた。