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第四章

  1

 レイを襲った男たちの所持品から、妙なものが見つかった。小さな錠剤である。ピルケースの中に、数粒が剥き出しで転がっていた。
「…………」
 邑悸はそれを手袋をはめた指先でつまみ上げ、注意深く観察した。表面は白くつるつるとしている。正規の薬剤には必ずそれを特定するための記号を刻むかプリントしなければならないことになっているにも関わらず、そのようなものは見当たらない。つまりは、違法ドラッグ。
 これこそが「SIXTH」の発現を阻害している薬剤に違いない――分析して結果を早く報告するようにと邑悸はスタッフに指示を出し、同時にこの事に関する緘口令を敷いた。このドラッグを誰が製造しているのかはまだ分からない。だが、その相手にまだこちらの手の内を見せる気はなかった。
「少し席を外すから、よろしく」
「どちらへ?」
 尋ねる秘書に彼は微笑む。
「レイのお見舞いに」
 今回だけではない。「BGS」が怪我や病気で入院した場合、必ず邑悸自身が見舞いに通う。どれほど多忙であっても必ずだ。天涯孤独な「BGS」たちが邑悸に心を寄せるのは、こういったところにも理由がある。彼らを決して道具扱いしない。ただの部下としても扱わない。もっと近しく親しく、あたかもそれは「家族」のような。
 オフィスの扉が、音もなく閉まった。

 
  2

 ARAMADA内の「BGS」専属病棟特別病室1122。レイは弾丸の摘出手術を受け、眠っていた。
「ダブルオーの容体は?」
 研究所の元所長、匡子=香月。彼女の問いに、手術担当医が答える。
「落ち着いてスリープしています。もうそろそろ目が覚めると思いますが」
「そう。じゃあ、邑悸に連絡した方がいいかしらね……」
 彼女が「甥」――邑悸が彼女の姉の息子であることは、幹部クラスの人間なら誰とも知っていることだ――の名を口にしたちょうどその時、病室の扉が開いた。邑悸が姿を見せる。
「レイの様子はどうです?」
 匡子は苦笑した。
「呼び出すまでもなかったわね。大丈夫よ、幸い神経も腱も損傷してない。後遺症は残らないわ」
「そうですか」
 ほっと息を付いた彼に、匡子は苦笑を深める。
「この子、貴方のお気に入りなのね」
「何故です?」
「あら。今までの経緯を良く見ていれば分かることじゃない?」
 高等部進学後間もなくチームに配属。これだけでも珍しいことだが、その後もレイは次々と任務を与えられてきた。異例の抜擢と言っていい。
「彼女に任せておけば安心できるんです。いつもそうでしょう?」
 確かにレイの任務遂行率はとても高い。だが、それは彼女が有能であるだけではなく、別のからくりがあると匡子は感じていた。
「貴方が、そうなるように任務を選んでいるのではなくて?」
 匡子は目を細めて彼を見つめた。
「レイに任務を与える時、貴方はとても慎重だと思うのだけど」
「……貴方は科学畑の人間だと思っていましたが?」
 邑悸の声音に険のある皮肉の色が混じるのを感じて、匡子は彼を追及するのはここまでにしておこうと思った。あまり彼に警戒されたくはない。もし彼が自分を危険視するようなことがあれば、すぐさま彼女は排除されてしまうだろう。彼女の身を守るのに、血縁関係などきっと何の役にも立たない。
 彼女が口をつぐんだ隙に、邑悸はすぐさま話題を変えた。
「しかし、市民の間に銃火器まで出回りだしたとは」
「……そうね」
「治安はこれからどんどん悪くなるでしょう」
「この子達は」
 とレイを指し示し、匡子は痛ましげに呟いた。
「また辛い思いをすることになるのね……」
「…………」
 邑悸が答えないうちに、けたたましい音でアラームが鳴った。スタッフの間に緊張が走る。
「何事なの?!」
 匡子が声を荒らげる。邑悸はレイに駆け寄り、彼女の顔を覗き込んだ。苦悶の表情。
「これはもしかすると……」
 口の中の呟きは、誰にも聞き取られる事はなかった。

 ――感情が流れ込む。
 痛いほどの哀しみ。怒り。憎しみ。
 誰のものかは分からない。だが、レイはそれを確かに共有していた。
(何なの、これ……)
 爆発しそうなほど胸が痛い。こんな激情を、彼女は知らない。
「何なんだよ、これ! 説明してよ!」
 叫んでいるそれは自分の声ではなかった。聞き覚えは、ない――気がする。
「母さん?! 父さん!!」
「……どうして見てしまったの」
 悲しい戸惑いの表情を浮かべているのは、美しい女性。誰かに似ているような……。
「こんな……ことって」
 泣いている。泣いているのは私? それとも……。
 体内に膨れ上がる殺意。血が沸き立って、箍が外れる。気がつくと手にはナイフが握り締められていた。
 ――やめて!!
 レイは悲鳴を上げた。しかし、体は勝手に走り出す。
 構えた刃が女の体にめり込む寸前。

 ――帰っておいで。

 小さな呼びかけが、彼女の全身を震わせた。途端、闇が裂ける。
「……あ、」
 目を開き、声を生む。間違いなく、自分の声だった。
「良かった」
 目の前に広がった、邑悸の顔が安堵に緩む。
「邑悸、貴方一体今何をしたの?」
 匡子が目を瞬きながら邑悸に尋ねる。今、彼はレイの耳元に唇を寄せて何事かを囁いたかのように見えたのだが……。
「いいえ、別に何も?」
 彼は曖昧に答えると、レイの汗ばんだ額にその指先を這わせた。
「大丈夫かい? レイ」
「あ……、はい」
 声はかすれていた。邑悸は吐息のふれあいそうな距離のまま、優しく囁く。
「硫平が間に合って良かったけれど……あまり、無理はしてはいけないよ。気をつけて」
「はい……すみません」
「謝る事はない。君のお陰で新しい事実も分かったし」
 結果的にドラッグを持ち帰ることができた成果は、とても大きい。至近距離で邑悸が微笑むと、レイは戸惑い気味に彼を見上げた。頬に触れる大きな手が暖かく、心地良い。
「あの、わざわざありがとうございます」
「とんでもない。むしろ、怪我をさせてすまなかった」
 ――これからは「BGS」とはいえ単独行動は慎ませねば。
 邑悸はそう思いつつレイの顔を撫で続ける。何故か、こうして彼女に触れていると落ち着くのだった。
 レイの目はぼんやりと涙をため、唇は半ば開いたままになっている。いつも毅然とした表情を崩さない彼女にしては珍しい表情で、邑悸がそれをまじまじと見つめているとレイは気まずげに目を逸らした。その仕草に、彼の笑みが深まる。
「あのねえ邑悸」
 匡子は呆れ声で呟いた。
「こんなところでいちゃつかないでくれる?」
 邑悸は体を起こし、くすりと笑った、
「いちゃついてなんていないよね? レイ」
「は、はい……」
 唖然したままのレイの手を取り、邑悸は言う。 
「またお見舞いに来るよ、レイ。そうだな、暇があれば明日にでも」
 彼は彼女の手の甲に音を立てて口づけた。
「む、邑悸さん?!」
「呼び出しがかかっていますので、あとは頼みましたよ。叔母さん」
「わ、分かったわ……」
 上機嫌で病室を出て行く邑悸。後には真っ赤になったレイと、顎が外れそうなほど口を大きく開けた匡子が取り残された。

 
  3

 十数分後。豪奢な応接室の革張りのソファの上で、邑悸は目を細めて相手の表情を窺っていた。先ほどまでのじゃれつく仔犬のような、人間味溢れる様子は少しもない。ARMADAの権力者としての顔がそこにあった。
「わざわざCROMの重役がお二人もおいで頂くとは、よほどの案件と見えますね」
「アポイントメントをとらなかった事については謝罪します」
 邑悸よりも一回りは確実に年上である男が、そう言って頭を下げた。
 アフリカを中心とするCROMは四大企業の一つであるが、ARMADAよりかなり小規模で、もう一つの四大企業の一、南米アメリカを拠点とするBUISと業務提携し、ほぼ合併状態にあると言われる。
「いえ、僕も取締役の一人とはいえ最年少ですし、それほど忙しいというわけではありませんよ。どうぞ、ご用件をお話し下さい」
 その最年少の取締役が、今ではARMADA内でもかなりの力を持つという事は、企業関係者なら誰でも知っていることだ。度の過ぎた謙遜と礼儀というのは嫌味なものだな、と邑悸は他人事のように自分の言動を評した。
「では、言わせていただきましょう」
 咳払いを一つして、初老の男が口を開いた。
「単刀直入に言うとですな。我々はARMADAがこのまま『BGS』を管理・使用することに重大な懸念を感じております」
「と言うと、どういうことでしょうか?」
「彼らは我々と違って人を殺すことができる者たち。それを市街地に出し、治安維持の任務等につかせるのは如何なものかと」
「つまり、彼らはむやみやたらに人を殺す可能性があるとお考えなのですね?」
「事実、最近殺人事件の件数が増えているのではないですか?」
「…………」
 邑悸は表情一つ変えずに彼らを見返した。実際、それらの事件で加害者となっているのは元一般人だったものたちであると見込まれている。だが、それを相手に教えてやる義理はない。
「それだけではない」
 男は神経質そうに手の指を組み合わせながら、
「彼らの存在によってARMADAの力が強くなり過ぎるのは、我々他三企業としては好ましくないのです。世界の均衡が崩れてしまう。DOOMなどは明らかに不快感を表明している。CROMとしては――いえ、BUISも、中立という立場を取ってはおりますが」
「彼らはあくまで人間。兵器ではありませんよ」
「似たようなものでしょう」
「違います」
 邑悸はきっぱりと言い切ると、組んでいた足を外した。
「彼らには徹底して感情制御の訓練が施されています。外に出て任務を行えるのは制御値が高い者だけ。突発的に殺人を犯す危険があるような者は、外には出しません」
「しかし」
「殺人者はいなくなったとはいえ、凶悪犯罪がなくなったわけではなく、犯罪者も変わらず存在しています。そういう者を取り締まるのに、咄嗟に自己防衛ができないのでは非常に困る。自分の身を守ることができる『BGS』は、犯罪捜査の任務に就くのに申し分のない逸材なのです」
「…………」
 男は何か言いたげに口を開いたが、言葉が見つからなかったのか結局そのまま唇を引き結んだ。
「そういえば」
 ずっと口を噤んでいた方の男が口を開いた。
「最近巷で妙な薬……違法ドラッグが出回っているという噂を聞いたのですが、そちらで何か掴んでおられますか?」
「いいえ」
 邑悸は表情一つ変えず、だが自然な驚きだけはにじませて、さらりと嘘をついた。
「初耳ですね。調査してみましょう」
 目の前の男の顔が、満足げに歪む――他企業にはこちらの力をある程度小さく見積もらせておく必要がある。邑悸はそう判断していた。
「何か情報があれば、是非教えていただきたく存じます」
「そうですか」
 二人はほぼ同時に立ち上がった。
「お忙しいところ、お時間をとらせて申し訳ありませんでした」
「いいえ。またいつでもお越しください」
 心にもない事を言い、邑悸はにっこりと微笑んだ。