instagram

第六章

  1

 カイルは春樹の勧めたソファに腰をおろし、口を開いた。
「貴方が先日ドラッグ服用者に襲われたことは知っています。そのときにARMADAの『BGS」に助けられたことも」
「…………」
 リィに目配せして、キラを自室に戻らせる。――いきなりやっかいな話になってきやがった。元々春樹にはこの男にいい印象はないが、それはますます悪化の一途を辿った。
「『SIXTH』の名の由来はご存知でしょう?」
 カイルは温和な笑みを崩さぬままに言う。春樹はほとんど瞬きもせず彼を睨みつけた。
「旧世界の創生期、神が使徒モーゼに与えた十戒の『SIXTH』、つまり六番目……」
「そうです。そしてその内容とは――」
 カイルの眼光が、心なしか鋭いものへとかわる。
「『汝、殺すべからず』」
 膝の上で手を組み、春樹をじっと見つめた。
「我々の旧世界はそれを破り、果てには最終戦争にまで突き進んだ。ゆえに壊滅したのです」
「歴史なら知ってる。何が言いたい?」
 春樹に急かされても、カイルはそのゆっくりとした口調を崩さなかった。
「『BGS』は生まれながらに『SIXTH』に背いた存在。神に背いた存在なのです」
「教会がそういう立場に立っているっていうことも知ってる。わざわざ教えてもらうまでもない」
 春樹はぶっきらぼうに告げた。
「そういう割には以前『BGS』の地下組織と手を組んでいたみたいだが?」
「彼らは例外ですよ。神への恭順を誓った身でしたからね」
「勝手なものだな」
 唇を歪め、春樹は吐き捨てる。だが、そんな彼の様子にカイルは少しも痛痒を感じていないようだった。
「それはそれとして」
 カイルは軽く手を振って話題を変えた。
「近年のARMADAの行いは目に余るものがあります。そうは思いませんか?」
 カイルは肩をすくめて見せる。
「治安維持のためと称しては『BGS』を不用意に街に放し、犯罪者を勝手に逮捕、牽引しています。そこに我々市民が口を出す余地なんてありはしない。冤罪かもしれなくとも、我々には分からない。これではARMADAの独裁です」
「それは『BGS』の問題じゃなくて、ARMADAの体質の問題じゃねえのかよ」
「同じことです。現に、我々にARMADAへの対抗手段はないでしょう。彼らは人を殺せる唯一の存在、『BGS』を擁しているのだから」
 カイルは苦笑した。
 その時ちょうどリィが戻ってきて、春樹の隣に腰掛けた。
「回りくどい話は苦手なんだ。結局のところ、あんたはなんで俺のところに来た?」
 春樹の問いに、カイルはあっさりと答える。
「ですから、貴方に依頼したいことがあるのですよ、春樹=辰川」
「俺に……?」
 春樹は眼を瞬かせた。
「ええ。教会を代表するものとして――司教としての依頼です。依頼料は勿論お支払いします」
 カイルが告げた金額は春樹の年収の二倍だった。春樹の表情に緊張が走る。伊達や酔狂で動く金額ではない。
「内容は?」
「ARMADAの内偵」
 カイルの答えに、春樹は露骨に嫌そうな顔をした。
「いや、それはちょっと……」
「お引き受けいただけけませんか?」
 カイルの表情は笑みを形作ったまま、動かない。
「春樹に内偵させたいこととは何だ? そもそもARMADAがどうして一介の何でも屋に過ぎない春樹を受け入れる」
 リィが言葉を挟んだ。カイルの瞳がゆっくりと彼女に動く。
「もしかして……貴方にもまだ掴みきれていないのですか? ドラッグを、誰が流しているのか」
「何――」
 リィはぴくりと体を震わせた。
「じゃあ、あんたは……」
「ええ。存じておりますよ」
 カイルの表情が僅かに曇った。
「それこそが、春樹=辰川に依頼をしたいことなのですから」
「ってことは……」
 春樹はごくり、と唾を飲む。脳裏によぎった可能性。しかし――まさか。
「貴方のお考えになっている通りです」
「嘘だな」
 リィは一瞬で否定した。
「ARMADAがドラッグを流通させているって? メリットが何一つない」
「さあ、あの男の考えていることは分かりませんよ?」
「あの男って、邑悸=社か?」
 春樹の言葉に、カイルは憂いを湛えた表情で頷いた。
「彼が現れてから四大企業の均衡は破れつつあります。我々も彼の経歴を洗い出そうとしましたが……」
「十七歳で第一ARMADA大学に入学するまで、その経歴は一切不明」
 カイルはリィの言葉に頷いた。春樹は怪訝そうに眉をひそめる。
「十七? 早くないか?」
「スキップ――飛び級だよ」
「あ。なるほど」
「彼の両親はARAMADA関連の私設研究所に勤めていたのですが、彼が十三歳の時に変死しています。表向きには火災での焼死ということになっていますが、事実は違う。――どうやら誰かに殺されたらしい」
「『殺された』……?」
「犯人は『BGS』でしょうね」
 カイルは指を組み合わせ、顎をその上に載せた。
「彼は『BGS』の庇護者としてARMADAに君臨している――けれど、それは本心なのでしょうか? もしかすると彼は『BGS』を憎んでいるのかもしれません」
「…………」
 春樹は言葉を失う。
「そう、ドラッグは彼の復讐の一環なのかもしれません。彼の、世界への復讐――」
 カイルは何故か、そこでにっこりと美しく微笑んだ。

  2

「……だとしても、だ」
 部屋に落ちた沈黙を破ったのはリィだった。
「春樹がどうやったらARMADAに接触できるっていうんだ?」
「簡単なことです」
 カイルは左手の人差し指で天井を指した。
「向こうから接触してくるでしょう」
「……?」
「ARMADAの中にも既に我々の内通者がいるということです。その人物からもたらされた情報ですよ」
「じゃあ別に俺がわざわざ内偵しなくっても」
「内偵というと大袈裟ですが……」
 カイルは春樹をやんわりと遮った。
「ようは貴方のフットワークの軽さ、そして貴方と組んで数々の仕事をこなしてきたリィ=スピアフィールドの能力。それをお借りしたい。今は、我々に味方するとお約束していただけるだけで構いません」
 彼の碧眼が、まるでくもりのないガラス玉のように光っている。
「……今はまだ、ね」
「…………」
 春樹は口を引き結んでカイルを見つめた。リィは春樹の横顔を眺めている。――お前に任せる。彼女の表情はそう語っていた。
 背中がじっとりと汗ばむのを感じる。ここで彼がどういう判断をするのか。それによっては彼自身の運命だけではなくリィも――そしてキラの未来すらも大きく動かしかねない。
「どうなさいますか」
 カイルが尋ねた、そのとき。
 ――お前も俺たちを殺人鬼だと思ってんのか。寂しげな、それでいて強い瞳が脳裏に浮かんだ。硫平=鈴摩。
 そして、レイ=白瀧。殺人犯の少年を射殺した彼女――あの時、彼女は小さな子供のように震えていた。悪夢を見て飛び起きた後のように、びっしょりと汗をかいて……しかしあれは夢ではなく、醒めることのない現実。見開かれた瞳に浮かんでいたのは、紛れもない恐怖だった。
 ――彼らに同情しすぎるのはやめた方がいい。那岐の言葉が脳裏に響く。
 同情? これは同情なのだろうか? 俺は彼らを憐れんでいる? ――違う。硫平と友達になりたいと思った。レイが笑っている顔を見たいと思った。彼らはあまりにも「人間」だったから。春樹やキラ、リィと同じ――「人間」だった。
「春樹?」
 リィの言葉に彼ははっと意識を戻した。目の前のカイルの顔を、もう一度力を込めて見つめる。彼はその強い視線をあっさりと受け止めた。
「……俺は」
 春樹は口を開いた。
「あんたたちと手を組む気にはなれない」
「では」
 カイルは静かな口調で尋ねる。
「ARMADAと組むと?」
「それは……分からない。でも」
 春樹は繰り返した。
「生まれながらに罪が在るなんて、おかしい。俺には納得できない」
「…………」
 カイルの表情に、僅かな動揺が生まれた。
「教会の教義そのものに納得できない以上、俺はあんたたちと手を組むことはできない。ARMADAがどうのこうの、というのは別の問題だ」
「邑悸=社を野放しにしておいて良いのですか?」
「知ったこっちゃないね。そもそも」
 春樹はリィをちらりと見遣った。
「あんたが真実を喋っているという証拠は何処にもない」
 春樹に代わってリィが口を開く。
「最近教会はDOOMと仲が良いそうじゃないか。あんたの従兄弟が重役をしているせいかな?」
 カイルは黙って苦笑した。肯定も否定もしない。
「DOOMとARMADAの利害競争に巻き込まれるのは、私もごめんだね」
 リィはそう言ってソファに深く背中を預けた。
「……分かりました」
 カイルは立ち上がる。意外に引き際が潔い。春樹は当惑した表情で、座ったままカイルを見上げた。
「近いうちに情勢が大きく変わると思います。その時にまた――お会いしましょうか」
「情勢が……変わる?」
「どういうことだ」
 二人の問いには黙して答えず、カイルは身を翻す。
「一体何を……」
 春樹の言葉をかき消すように、玄関の扉が閉まる音がした。

 
  3

 カイルと春樹が再会してから三日後の、正午過ぎ。
 邑悸の私室には、ブラインドから陽光が燦々と注ぎ込んでいた。その部屋の主はといえば、のんびりとソファで大きく伸びをしている。
「いい天気だ。退屈だねえ」
「何でやねん」
 彼の目の前に突っ立っていた一貴は、小声で噛み付いた。
「ドラッグを使った犯罪は増えてるし、硫平は下町の何でも屋のところに出張することになったし、『BGS』の任務は増える一方やし」
「分かってる、分かってる」
 邑悸は手を振った。
 カイル=エル=ムードが春樹=辰川と接触したことを知り、早めに手を打つことを決めた邑悸は、正式に春樹にARMADAへの協力を要請した。もう少し時間が掛かるかと思っていたのだが、意外にも春樹はあっさりと承諾した。おそらく、彼は教会側からの依頼を拒絶したことによる報復を恐れているのだろう。ARMADAなら、彼を守ってやることができる。邑悸が示唆するまでもなく、春樹はそう読んだのだ。事前に思っていたよりも賢い青年らしい、と邑悸は彼を評価した。
 勿論、邑悸と春樹が直接接触したわけではない。交渉はほとんどすべて硫平が行った。
 邑悸は目を細め、つぶやく。
「僕がARMADAの『BGS』に対する企業戦略を転換させた事がみんな気に入らないみたいだから、僕は嫌われ者なのかもしれないね。悲しいなあ」
「で、渦中のお前が退屈がってどうすんねん!」
「まあまあ」
 くすくすと笑って、前髪を掻きあげる。
「たまには体を動かさないと、体がなまってしまいそうだなってこと」
「何やねんそれ」
 一貴はがくっと肩を落とす。
「今高等部の皆は訓練中だよね。ちょっと覗いてみようか?」
 邑悸はそう呟くと、ソファから立ち上がった。
 「BGS」には、任務の際の安全と迅速な犯罪者の捕縛のために、体術の訓練が義務づけられている。精神修養の効果もある、とも言われていた。
「あ、そうだ」
 ぽん、と手を打って邑悸は一貴に微笑みかける。
「面白いものを見せてあげるよ」
「オモロイもん?」
「そうだ」
 邑悸の浮かべた人の悪い笑みは見なかったことにして、一貴は言った。
「ほな、ついてこか」