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第二章

  1

 昼過ぎには、昨夜の「事件」は既にARMADAに属する「BGS」たちの知るところとなっていた。ただし、それは彼らを含むごく一部の特別な階級の者たちだけで、ARMADA内であっても大多数の人間に対しては強く緘口令が布かれている。それだけこの事件は重要視されている。そういうことだった。
 レイと椿は高等部内のカフェテリアで昼食を取っていたが、やはり話題は例の「事件」だった。辺りには「BGS」しかいないが、出入りの業者はその限りではないから、彼女たちは自然と声を低めてひそひそと話し合う。
「実は最近多かったの。そういう事件」
 呟いたレイに椿は目を丸くする。
「え、そうなの?」
「というより……」
 レイは分厚いBLTサンドにかぶりつこうとしていた手を休め、椿を見つめた。
「殺されたとしか思えない変死体なら、幾つかあがってきていた。今までは、断定できなかっただけ」
「そうなんだ……」
 任務に着く回数はレイの方が椿よりずっと多い。つまり、彼女の方がより多くの情報を手にしているというわけだ。
 レイの各種処理能力は邑悸をはじめとする幹部らに高く評価されていて、彼女は同学年の中で飛びぬけて任務への起用率が高い。先日レイが連続殺人事件の重要参考人であった少年を射殺するという事態が起きてからも、それから一月も経たないうちに彼女はまた前線に復帰していた。椿も任務への参加率は高い方だが、レイには遠く及ばない。二三年後に硫平=鈴摩がU-20から「スタッフ」に昇進した暁には、彼の占めていたリーダーの位置はレイが継ぐのではないか。むしろ、今ですら彼女は邑悸の寵愛の対象なのだと、まことしやかに噂する者もいるほどだった。
 そんな噂を知っているのか、知らないのか――レイはいつも通りの無表情で、カフェ・オ・レを一口飲んだ。
「今回は医者に助けを求めて病院で息を引き取ったから、今までとは事情が少し違うの」
「いろんな検査がやりやすいそうね。亡くなってから日にちが経つと細胞がどんどん壊れていくから」
 言いながら、椿はその幼さを残した顔をしかめた。レイはうなずく。
「ええ。特に『SIXTH』の産物は生命反応がないと分解されやすいらしい」
「ふうん……」
 パスタをフォークの先端で円を描くようにかきまわしながら、椿は行儀悪く頬杖をつく。
「なんか、物騒で嫌だなあ」
「本当に」
 レイは肩をすくめた。あれから――彼女が初めて人を殺した日から――彼女は何度も任務に出て、被疑者に傷害を与えてきた。身柄確保の為には仕方がないことなのだろうが、彼女はいつまでたってもあの瞬間に慣れることはできない。
 悲鳴と、赤い血と、硝煙の匂い。
 嫌だ。
 胸がむかむかする。
 頭が痛む。
 それでも彼女は任務に出ざるを得ない。他に、彼女に生きる道はない。すべての罪を引き摺りながら、彼女は何度も人を撃つ。
「今度も……犯人は『BGS』なのかな」
 椿の言葉は独り言に近い自問なのだと悟り、レイは口をつぐんだまま彼女を見る。その視線に気付いた椿は、笑みを浮かべた。
「まあ、それ以外あり得ないよね」
 それはひどく寂しい微笑だった。

 
  2

 邑悸の代理でやってきたスタッフに状況の説明を終え、那岐はARMADAの本社ビルディングから出た。今回の事件のことは固く口止めされたが、那岐はそもそも誰にも言うつもりなどなかった。言えるはずがない。
 少し離れた、しかしARMADAの敷地内で、彼は振り返り嘆息する。空を突き上げるように高く聳え立つそれは、創世記に描かれているバベルの塔を彷彿とさせた。

 神話の時代。全地が同じ言語と同じ言葉を使っていた頃。人間は東のほうから移動して平原につき、そこに定住した。
「さあ、町を作り、その頂きが天にまでとどく塔をつくろう。全地のおもてに分かれないように、われわれの名を高くあげよう!」
 しかし、神は人間の子らが作ろうとしている町と塔とを見て言った。
「彼らはどんな計画も完成できないはずはないと思い込んでいる。さあ、われわれは彼らの言葉を乱しに行こう!」
 神は、彼らをそこから全地のおもてに散らしたので、彼らは町を建設するのをやめた。

「『どんな計画も完成できないはずはない』、か……」
 那岐は呟いた。
 脳裏にあの男の顔が浮かぶ。いつか、あの男の計画が屯坐する日は来るのだろうか。それとも、彼は成し遂げるのだろうか。自分はどちらを願っているのだろう。
 あれは、神をも恐れぬ男だ。十分に暖かい陽射しが降り注いでいるにも関らず、那岐は小さく体を震わせた。――関わりたくない。今はただ、そう思う。かつて彼が手にした真実はあまりにも重過ぎた。この世界の命運そのものといっても良かったかもしれない。だから、放り出した。
「確かに、あいつの言うとおりだ」
 那岐はビルに背を向ける。
「俺は……逃げたんだ」
 実験データを全て破棄し、自らの研究の痕跡を綺麗に消去して。下町に身を没し、医者の端くれとして生きていくことを選んだ。悔いはないし、今の生き方に満足している。誇りだってある。それでも――。
「那岐さん!」
 遠くから名を呼ばれ、那岐は顔を上げた。無精に伸ばされた金茶色の髪をうなじでまとめた男。一貴=斗波だ。足早に那岐の元に駆け寄ってくる。
「お久しぶりです」
 小さな眼鏡の奥でにこにこと微笑む一貴に、那岐も表情を緩めた。
「こちらこそ、久しぶり」
「いやあびっくりしました。那岐さんが来たはるって聞いたんで、飛んできたんですよ」
「わざわざすまないな。忙しいんだろ? 所長さん」
「やめて下さい、そういう呼び方」
 一貴は困ったように笑って髪を掻いた。
「俺自身は何も変わってませんから」
「……そうだな」
「邑悸も変わってなかったでしょ?」
「…………」
 那岐の片眉がぴくりと跳ねた。恐らく、彼は恐らくは邑悸の唯一の友人といっていい存在だろう。
「まあ、確かに」
 だが、それは多分一貴の言う意味とは違っている。那岐はさりげなく話題を変えた。
「……何か、あの被害者から分かったのか?」
 那岐の問いに一貴はゆるく首を左右に振った。
「いや、まだ検査の途中ですわ。明日いっぱいはかかります」
「そうか」
「何か気になることでも? あ、でも結果は多分お知らせでけへんのですが」
「分かっているよ」
 那岐は笑みを浮かべて頷いた。
「俺は部外者だからな」
「いや、そういうつもりじゃ……」
 慌てる一貴に、那岐は首を横に振った。
「いいんだって。それじゃ俺、帰るから」
「あ、ほな、お気を付けて」
 足を止めて見送る一貴に那岐は手を振る。
「邑悸にもよろしく」
「はい!」
 学生時代から変わらぬ無垢な表情。那岐はふ、と鼻から息を洩らした。――本当は、誰一人として変わっていないのかもしれない。邑悸も、一貴も、自分も。
 だが、変わろうとしているものは確かにある。誰かが。もしくは、何かが。予感だけは、彼の胸にあった。

 
  3

 密やかに処理された「殺人事件」から一週間。舞台となった下町に住む者たちは、誰もその事実を知らなかった。実際のところ、下町とはいえスラムまで行かなければさほど治安が悪いわけではない。勿論決して良いとはいえないが、昼日中から独りで歩けないほどではない。――そのはずだった。
 春樹=辰川は革のジャンパを羽織り、足早に歩いている。彼の職種はいわゆる便利屋で、情報屋から情報を買って流したり、企業秘密を暴いて対抗する企業に売ったり、様々な違法すれすれの商品を流通させたりしている。さすがに四大企業に手を出すのは怖いので、下請けどころか孫請け程度の小さな会社を相手にした取引だが、それでも下町では一番儲かる職種だ。彼は自身と妹を養うために、両親を亡くした三年前からこの仕事を続けているのだった。
 春樹は、先程から視線を感じている。それも、濃い悪意に満ちた視線だった。これを引き連れて家に帰るわけにはいかないから、どこかで仕掛けてくるのを彼はずっと待っていたのだが、ただその気配は彼につきまとうのみで、何のアクションも起こそうとしない。――いい加減にしろよな。焦れた春樹は一つため息をついて振り向いた。
「さっきから俺をつけてる誰かさん? 一体何の御用でしょうか?」
 ぴたり、と足を止めて声を掛ける。崩れ落ちかけたコンクリートの壁の向こう、先程からある気配は、一つ。
「やっぱり、気付いていたんだな」
 砂利を踏み鳴らし、人影が姿を見せた。彼よりも随分大柄な男。しかも、手には大降りのナイフ。
 男に見覚えはある。この街に巣食う柄の悪いちんぴらたちのうちの一人で、良く暴力沙汰を起こして那岐の世話になっている。とはいえ、春樹とは何の関係もない。取引をしたことなどないし、ライバル関係にもない――女関係は、春樹の方に覚えがない。とにかく、こうして春樹が襲われる理由はないはずだ。
 春樹はとりあえず護身用として持っているスタンロッドに手を伸ばす。一撃すればその部分の筋力を一時的に奪うことくらいはできるだろう。
 春樹はゆっくりと問い掛けた。
「俺を襲おうとしてるのは見れば分かるんだが、一体どういった理由だ? 金か? 人違いは勘弁してくれよ?」
「理由?」
 低い声が聞こえた。ククッ、と喉の奥で引き攣れたような笑い声。
「理由なんて……ねエよッ!!」
「な?!」
 春樹は慌てて後方に跳び下がった。男は血走った焦点の合わない瞳でこちらを見据えている。
「ヒャヒャッヒャッ……ヒッ……ヒヒヒッ……」
 異常な笑い声と共に切りかかってくる男。そのナイフの切っ先が、春樹の左肩を薙いだ。
「ぐっ……」
 痛みと灼熱感に、春樹は呻く。動きが速い。
「なん……で……」
 春樹は思わず傷口を右腕で押さえる。スタンロッドが手から落ちた。――しまった……! 男が発しているのは、春樹が今まで感じたことのない本気の殺意。春樹は焦った。――なんで……? こいつは、「BGS」じゃないはずなのに……?!
「死ね……ッ!」
 男が笑いながらナイフを振り上げた。――殺される!! 春樹は動けない。ただ、反射的に目を閉じる。
 ――パン!
 弾けるような音が耳を打ち、春樹はおそるおそる目を見開いた。男の体が、ゆっくりと後ろに倒れていく。背後から近付く足音に、彼は後ろを振り向いた。歩み寄ってくるのは、彼の見知った顔。彼と同年代の青年で、かっちりとした軍服のような制服に身を包んだその姿は――。
「大丈夫か?」
「りゅ、硫平」
「お前もよくよく運の悪い奴だなあ」
 男の大腿部を撃ち抜いた銃をまだ手にしたまま、硫平は座り込んでいる春樹に手を伸ばした。
「な、何なんだよこれ。一体どういう」
「話は後だ」
 硫平は耳元のイヤカフを操作し、そこにいない誰かと会話を始めた。おそらく、ARMADAに今の事件の報告をしているのだろう。
 春樹は隣に倒れている男を見遣り、ぎょっと体を引いた。流れ出す血はベルベットのような光沢を持つ鮮やかな赤。食いしばられた歯から苦悶の声が漏れている。硫平の仲間なのだろうか、同じ制服を着た少年たちが駆け寄ってきて、手早く彼を拘束し、また同時に止血処置をした。
「殺人未遂の現行犯逮捕、だな」
 いつの間にか話を終えたらしく、硫平は軽く腕組みをしている。
「で、でもこいつ、『BGS』じゃない……」
「じゃあ刺されてみたかったか? こいつがお前を殺せるかどうか、試してみるために」
 じろり、と硫平は春樹を見下ろす。彼はふるふる、と首を横に振った。
「嫌だ」
「それに――」
 言いかけた硫平は急に口をつぐんだ。
「何だよ?」
「いや、何でもない」
 硫平は踵を返す。
「じゃあな」
「え?」
「独りで帰れるか?」
「あ、当たり前だ」
 憤然とする春樹の文句を背中で弾き返すようにして、硫平は歩き出す。右手を軽くあげてひらひらと振ったのは、別れの挨拶のつもりだろうか。
「相変わらずスカした奴だな」
 呟いて春樹は、ふと気がつく。
「礼言うの忘れた……」
 先ほどの殺気に晒された時、全身に浴びせられた冷たい死の予感。その余韻が、今更ながら春樹の背筋を震わせるのだった。