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第五章

  1

 硫平からの通信を受けた邑悸は、その内容を聞いて眉を顰めた。
「…………」
 ――例の子供が、まさか外出しているとは。一介の何でも屋に過ぎない春樹=辰川を過大評価しすぎたか、と反省する。だが、一瞬後には次の判断を下していた。
「付近で捜査中のレイ=白瀧と椿=水沢に合流して、その子を捜索。彼女らには僕から連絡する」
“分かりました”
 邑悸は引き続いてレイ=白瀧に通信を飛ばした。彼女はすぐに反応し、機密保護回線が開かれる。
“はい”
「レイ、今すぐその近くのショッピングモールに急ぐんだ」
“ショッピングモール?”
「そこに、キラ=辰川と例の子供がいる」
“分かりました”
 端的な言葉。レイはすぐに彼の意図を理解したようだった。
「見つけ次第に保護。頼んだよ」
“了解”
 邑悸は一息つく間もなく秘書を呼んだ。
「極東地区の大司教様に連絡を取ってくれるかな。できるだけすぐに会いたいと」
「はい」
 すぐにオフィスを出ようとする秘書の背中に向けて、言葉を継ぐ。
「もし本人が会いたがらないようなら」
 振り向いた彼女の顔に向かい、邑悸は静かに微笑んだ。
「代理人でも良いと言って欲しい」
「……分かりました」
 邑悸は扉の閉まる音を聞きながら笑みの質を微妙に変化させた。――カイル=エル=ムードは逃げるだろうか……それとも。
 聖服に身を包んだ金髪碧眼のカイル。髪も眼も闇色に染まった邑悸。古いにしえの画家が彼ら二人を描いたならば、きっとカイルには天使、邑悸には悪魔の役どころが割りふられるだろう。
「面白い」
 邑悸は磨き上げられたデスクの上に指を滑らせた。指先が真新しいデータディスクに当たる。それには研究所から今朝送られてきた、被害者たちの詳細なデータが入力されていた。
「神のいないこの世界じゃ、天使と悪魔――どちらが勝つかは分からない」
 そして勿論、彼には負ける気など毛頭ないのだった。

 
  2

 レイと椿はすぐに区域内にあるショッピングモールへと向かった。昼前ということもあって混雑していたが、彼女らの制服を見たものたちはさっと道をあける。レイたちは堂々と、その真ん中を突っ切って歩いた。
「意外と広いのね」
 椿が嘆息する。両脇には店がずらりと並び、その中から子供二人を探すのは容易ではない。
「これじゃあ探すの大変だわ」
「この規模のモールならインフォメーションデスクがあるはず」
 レイは左右を見回した。
「そこで呼び出してもらいましょう」
「そうね」
 レイの考えたとおり、モール入り口のすぐ横にインフォメーションデスクがあった。受付嬢が二人、腰を下ろしている。近付くレイたちを見て、彼女らの浮かべていた笑顔が消えた。
「ARMADAの『BGS』部隊U・20、識別ナンバーダブルオーのレイ=白瀧です」
 レイは澱みなく言うとIDカードを見せる。椿も横で同じ動作をした。それが、彼女らの身分証明になる。
「緊急で人を探しています。館内放送で呼び出しを掛けてください」
「わ、わかりました」
「名前はキラ=辰川とその同伴者の少年です。ここまで来てもらうようにお願いして下さい」
「畏まりました」
 レイは側の椿を見やった。彼女の横顔も、緊張で強張っている。レイは低めた声で彼女に話しかけた。
「彼が目撃したとして……向こうは見られたことに気がついているかしら」
 敢えて言葉を省きながら、問い掛ける。周りにいる者に内容を悟られないように、最新の注意を払った。
「もしそれがはっきりしないのなら、ここまで急いで彼を探す道理もないように思うのだけど。現に、今朝までは放置していたのだし」
「それはそうだけど……」
 椿は顔を横に振った。
「可能性がある以上、彼を放っておくことはできないわよね」
「でも現に一週間、彼が辰川家にいることを知りながらそのままにしていたのよ?」
「…………」
「その間に、ARMADAは何か情報を掴んだのかしら」
 もしそうだとしてもそれは彼女らにはうかがい知れないことだ。
 「BGS」チーム構成員のARMADA内での地位は、決して低くはない。実際、まだ十六歳に過ぎないレイだが、一般人の三十代の事務職員よりも給料は多いし、情報網の中でも上流に位置している。それでも彼女らが手に入れることができる情報はもっと上位でコントロールされているのだった。
 考え込むレイの頭上で、キラを呼び出す館内放送が響く。行き交う人々が足を止めることはなく、椿はじっとその人の流れを見つめていた。

 
  3

 お祈りの時間が終わったから、僕はまた外に出た。秘密の抜け道はまだ誰にもばれていないみたい。
 今日も一生懸命お祈りしたから、神様の声はちゃんと聞こえたよ。

 ――早くあの子を探しなさい。

 わかってる。
 わかってるんだ、神様。
 ロベルトがどこにいるのか、もうわかってるよ。若い男の人と、その妹みたいな可愛い女の子と一緒に暮らしてるんだ。すごく楽しそうに笑ってた。ちらっと見ただけだけど、幸せそうだった。
 ずるい。
 ずるいよ、ロベルト。君はまだ「贖罪」が済んでないだろう?
 僕らが幸せになれるのは、天国に行ってからだよ。そう習ったじゃないか。ちゃんと罪を償わないと、天国には行けない。今幸せでも、あとでとっても不幸になるんだ。
 かわいそうなロベルト。

 だから、
 今日こそ僕が、
 君を救ってあげる。

 
  4

「ロベルトが目撃者だと?」
 一人乗りのモビールでやってきた硫平を車の横に乗せ、春樹は呟いた。
「何でそんなことが分かったんだ? しかも何で今急に、なんだ?」
「……それは」
 硫平は眉を寄せた。
「俺も不思議に思っている。何で一週間も彼を放っておいたのか……」
 医者にかかっていた彼の回復を待った、とも考えられるが、どうもそうではないような気がする。
「何か心当たりはないのかよ」
「…………」
 硫平はしばらく眼を閉じて考え、やがてはっと眼を開けた。
「なくはない」
「何だ?」
「……今までの被害者について詳しい司法解剖をした、その結果が早朝に出たはずだ」
「司法解剖?」
「そう。解剖で得られたデータを解析して、集積して……最終報告の作成に時間が掛かっていたらしい」
 先日まで分かっていたのは、彼らが未登録の「BGS」の子供であるということだけだった。何か、他にも分かったことがあるのだろうか。
「その辺は俺らには分からないな」
 硫平は首を横に振った。
「教えてもらえないのか?」
「教える必要があると上が判断したときは教えてくれる。今は要らないと思ってるんだろう。聞く必要なんかない」
「……そんなもんか」
 春樹は頷いた。硫平の言葉に納得したわけではないが、組織の一員である彼をこれ以上追求しても仕方がない。
「着くぞ」
「分かった」
 春樹は近辺の路面に駐車した。褒められたことではないが、緊急事態なのだから仕方ないと思うことにする。
「レイと椿がいる。俺のチームメイトだ」
「レイの方は知ってる」
「そうか」
 硫平は頷いて、ふと春樹を見つめた。
「お前、『BGS』に知り合いが多いな」
「多いったって二人だぜ?」
「……まあ、そうだけど」
 普通の市民は誰も知り合いになどならないし、なろうともしない。春樹のきょとんとした表情を見て、硫平は不思議な感覚に襲われる。――彼は、何とも思わないのだろうか。
「とりあえず、今はあいつらを探すのが先だ」
 春樹の手が彼の肩を叩いた。硫平も頷く。
「急ごう」

  5

 カイルはその申し出を聞いて軽く眉を顰めた。秘書は彼の返答を促す。
「いかが致しましょうか?」
「先方は直接会いたいと言っているの? それともネットワーク上でも構わないと?」
「指定はございませんでした」
「それなら」
 カイルは頷いた。
「オンラインでの会談になら、応じましょう」
「了解しました」
 返事を待たず、カイルはディスプレイを一つ、立ち上げる。
 待つこと数分。ディスプレイ上にウィンドウが開いた。そこにあったのは、見覚えのある顔――。
“お待たせ致しました。お忙しいところ申し訳ありません”
 その声を聞いた瞬間、カイルの全身に緊張が走った。それを読み取られぬよう、カイルはことさらゆっくりと、宗教家らしく鷹揚に微笑む。
「いいえ。ご用件をお伺い致します」
“今日はご忠告に伺いました”
「忠告?」
 カイルが怪訝そうな表情になる。画面上の邑悸は机の上で軽く指を組み合わせていた。温和な表情。カイルに負けない柔和な笑み。
 そして、彼は突然爆弾を投げ込んだ。
“CCX-131は副作用の強い薬ですよ。ご使用に際しては十分お気を付け下さい”
「…………!!」
 思いもよらない単語を聞き、カイルは思わず椅子から立ち上がりそうになった。――この男はどこまで知っているのだ。
 一方、邑悸は動揺を見せたカイルの様子を冷静に観察していた。彼は驚いてはいる――だが、うろたえてはいない。例の事件そのものに彼の手は伸びていないようだ。それならば、これ以上彼に用はない――今は。
 となれば、これ以上の時間は無意味だ。邑悸は澄ました顔で言葉を続けた。
”お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます。これ以上お邪魔するのも心苦しいので、今日はこの辺でお暇致しましょう“
「……そうですか」
 カイルは呼吸を整え、今一度微笑を浮かべた。その額に、うっすらと汗の粒が浮かんでいる。
「わざわざご忠告をありがとうございました」
“いいえ”
 邑悸はあくまで優しげに微笑んでいる。カイルはその顔を見ていられず、目を逸らした。
「……それでは」
“失礼致します”
 一瞬の後にウィンドウが消える。
 ――あれは恐ろしい男だ……。カイルの全身は、しばらくじっとりと汗ばんでいた。