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第一章

  1

 人通りの少ない裏路地。通りかかった二人の少年のうちの一人が、突然足を止めた。
「……なんか、匂わねえ?」
「うん?」
 一人の問いかけに応じてもう一人も鼻をひくつかせる――。
「確かに。なんか、金属……さび、みたいな?」
「お、おい!」
 先に足を止めた方の少年が顔を強張らせ、壁に積み重ねられたごみ袋の辺りを指差した。
「あれ……」
 二対の瞳が恐怖を湛えて凍りつく。
 見たことなどなかった。それでも、それが何であるかはすぐに分かった。
 それは、人間の死体。

  2

「これで何件目だか覚えてる?」
「俺に聞かれても知らんわ」
 ため息を含んだ一貴の声に被せるようにして、即座に邑悸は答えた。
「十三件目だよ。なかなかの縁起の良さだと思わないかい?」
「思わへん」
「それは残念だな」
 邑悸が十三件目と言ったのはこの街で起きている連続殺人事件である。殺人抑制遺伝子「SIXTH」のある世界でそれがどれほど異常なことであるか、誰しもが分かっていた。
 犯人は「BGS」でしかあり得ない――「BGS」に対する風向きが一層強まると共に、実はARMADA内にいる「BGS」たちに対しても疑いの目は向けられていた。
「捜査がやりにくくって仕方がないみたいだね」
 邑悸は苦笑を浮かべて呟いた。
 このような凶悪事件に対処できる存在は、実際のところARMADAの「BGS」より他にない。人を殺せる犯人――間違いなく「BGS」だろうが――に対抗できるのは、同じ「BGS」より他にないからだ。だが、一般市民から見れば犯人も捜査にあたっている「BGS」も、同じように見えるのだろう。
「手がかりはなしか?」
「いや、共通点は幾つかある」
 邑悸はコンピュータに幾つかのファイルを展開した。
「どれも真昼の犯行だということ。そして現場は下町の路地裏だということ。凶器はありきたりな包丁。被害者に衣服の乱れはない。まあ、同一犯だと思っていいな」
「一人で十分やろこんな殺人鬼」
 一貴は伸びた髪をかきあげて、この日何度目かのため息をついた。
「他には?」
「実は、重要な特徴がある」
「何や?」
 身を乗り出す一貴に向けて、邑悸は何とも読めない笑みを浮かべて見せた。
「被害者のことだよ」
「被害者?」
「彼らは皆子供だっただろう? しかも」
 笑みを刻んだ口元に、酷薄さが閃く。
「『BGS』だったんだ」
 一貴は驚きに顔を染めた。
「どういうことや?!」
「さあ、僕には何とも。殺された『BGS』の子供たちの素性は皆不明だ。どの企業にも登録されていない。着衣に乱れがないところを見ると顔見知りの犯行の可能性が高いけど、素性が知れないんじゃどうしようもない」
「…………」
 一貴の目に一瞬怒りに似た色が浮かんだ。どうしてこの男はこんな話を穏やかに語れるのだろう。微笑んでいられるのだろう。そう言いたげだった。
 邑悸は一貴の視線を目をそらすことであっさりとかわし、ディスプレイ上に展開した報告書を上下にスクロールし、流し読む。
「目撃者は一人もいないし、犯人のものと思われる遺留物も何もない。捜査は難航しそうだな」
「そないに悠長なこと言うててええんか。また新しい犠牲者が出てまうで」
「そうは言うけどね」
 邑悸は再び苦笑した。
「僕は超能力者じゃないんだ。犯人を言い当てることなんてできないよ」
「せめて目星つけるとか」
「目星ならついてるじゃないか」
「え?」
 きょとん、とした一貴に言葉を投げつける。
「犯人は『BGS』だろう? それ以外にあり得ないさ」

  3

 街角のコーヒーショップ。硫平、レイ、椿らがARMADAの「BGS」の制服を着たまま入ったのは、彼らが疲れのためかどこか意地になっていたせいだろう。現に、彼らのいる一角はしんとしずまりかえって、混みあった店内の中で異空間を作り出していた。隣のテーブルには誰もつこうとしない。
「今日も収穫ゼロですね」
 椿が足を投げ出して小さく呻く。この数日、彼らは三人一組で街に聞き込みへと出ていた。
 事実上新人二人の教育係となった硫平は、無表情にコーヒーを啜っていた。彼の好みはブラックである。
「仕方ないさ。今日はまだ聞き込みに応じてくれた人がいただけましだ」
 あたかも犯人であるかのような目を向けられたり、無視されたり。かと思えば治安維持を担う「BGS」の責任だとなじられたり。そういった冷静とは到底言えない対応をとる市民が多い現状では、解決に結びつく情報はほとんど手に入れられない。もう少し街の人々がまともに応対してくれれば、案外早く事件は片付くのではないか――硫平はそんなことさえ思うこともあった。
「…………」
 黙ってキャラメルマキアートをかき回していたレイが、ふと顔をあげた。
「あの、今日行った現場」
「うん?」
 硫平は顔をあげた。
 今日行った現場というのは、街の西の外れにある寂れた地区のことで、入り組んだ路地の中で彼らは何度も迷いそうになったものだった。そこで一週間前、十一件目の殺人があった。被害者は十歳前後と見られる少女。他の場合と同じく胸を鋭利な刃物で一突きされており、調査した結果、彼女はやはり「BGS」だった。
「一つ気になったことがあったんです」
「何だ?」
 硫平と椿の視線がじっとレイを捕らえる。レイは何かを思い出そうとするかのように、両目を細めている。
「あの路地の側って、用水路になってましたよね」
「そうだな」
「死体を隠そうと思えば、そこに放り込めばよかった。重りか何かをつけて……そうすれば、もう二三日発見は遅らせられたはずです」
「ああ」
「でも、死体は路地に置きっ放しだった。他の事件もそうですよね。死体を隠そうとした痕がない」
 これだけ大きな騒ぎになっているのに、犯人は自分の犯行を隠そうとする様子を見せない。確かにそれはおかしな点だった。つかまることを怖れていないからだろうか。それとも絶対につかまらない自信があるのか。
「俺も、実は気になっていたことがある」
 硫平は顎に手をやって目を閉じる。
「事件報告書の写しを何枚か見ていたときに気付いたんだけど」
 報告書によると、被害者の子供は全て裸足だった。
「靴も履けないストリートチルドレンだったのか、というと服はまあまあいいものを着ている。上着はなくて、まるで家の中から出てきたみたいな服装だがな……。でもって被害者は全て未登録の『BGS』たちだろ? 何かあるぜ、これは」
「こんな大掛かりな殺人事件なんて、戦後初めてですよね」
 椿が眉を寄せて呟いた。
「でも、一体誰が……」
「ま、俺たちARMADAの『BGS』じゃないのは確かさ」
 硫平はそう言って一気にコーヒーを飲みきる。
「俺たちの行動は全て管理されているからな」
「…………」
 椿は自分の首もとにあるバッジを見つめた。発信機付きのそれは常に携帯が義務付けられており、彼女が何処にいてもすぐに分かるようになっている。それは彼女の安全のためでもあるが、同時に市民を安心させるためでもある。――「BGS」という、危険な動物につけられた手綱。
「さて、そろそろ帰るぞ」
「はい」
 彼らが席を立った瞬間、店全体が静まりかえる。針のような、それでいて怯えた視線の集まる中、彼ら三人はARMADA支給のカードで支払いを済ませ、立ち去った。

  4

「どういうことですか。私は二度と同じことが起こらないように、と言った。十三回も、です」
 カイルの冷たい声に、周囲のスタッフは平身低頭する。
「せっかく集めた貴重な子供(サンプル)をむざむざ殺されるような……」
「申し訳ございません。警備は強化しているのですが」
「強化していても破られてはどうしようもありませんよ。死角のある防犯カメラなど意味がありません」
「し、しかしそれはある程度は仕方のないところでして」
「言い訳は結構。十四人目の犠牲者が出る前に何とかして下さい」
 カイルは言い切り、一方的に席を立つ。頭を下げて見送るスタッフたちを一瞥もせずに、施設内の自室に入りため息をつく。「リア=ゾンネ」――ファイルされた情報の中から先日殺された少女の分を選び、消去。

 ――Quo Vadis Domine――

 耳に届く、小さな歌声。聖堂から響いているものだろう。――それは、子供たちが神に祈りを捧げる声であった。