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第四章

  1

 硫平=鈴摩をリーダーとする八名の「BGS」たちは、「FFA」の本拠ビルの周辺に配置された。高度数百メートルの位置には彼らを援護するための軍用ヘリが配備されているが、無音で滞空しているためにその気配を感じ取ることはできない。目を凝らして空を見上げたとしても、誰も気付くことはないだろう。
“硫平君”
 彼のイヤカフから邑悸の声がした。「BGS」たちが大規模な任務に就くときは、必ずといっていいほど邑悸自身が関わる。多忙な彼にとってそれがどれほど困難なことかは硫平も良く理解しているし、だからこそ彼に感謝している。
「はい」
 硫平は即座に応答した。
“少し待機。春樹=辰川がビル内のどこにいるのか、分からない”
「絞り込めるんですか?」
 邑悸は肯定の返事を寄越した。
“ああ。ダブルオー、レイ=白瀧が春樹=辰川の友人の情報屋と交渉できれば、あるいは”
「……どういうことですか?」
 レイ=白瀧。その名に聞き覚えはある。最近チームに上がったばかりの、新人だ。
 硫平は通りの様子をうかがった。ARMADAの「BGS」たちが着用する黒い制服が人の目に入ったのか、郊外とはいえ決して辺鄙な場所でないにも関わらず、辺りに人通りは不自然なまでにない。
“現時点で、我々が表立って「FFA」にクラッキングをかけるわけにはいかない。まだあちらの違法行為の裏はとれていないからね。だが、情報屋なら問題ない。クラッカーと名乗ることさえ彼らの勲章になる”
「…………」
“その情報をもらって、我々が行動する。ギブアンドテイクだ”
「……分かりました」
 声のトーンが下がったことを自覚する。――そんな重要な役を、何故新人のレイに任せたんですか。自分が新人の時は、チームに入って半年は単独任務に就くことなどなかったというのに。硫平はぐっと拳を握り締める。嫉妬。今自分が感じているものの正体は、間違いなくそれだ。
 硫平を始めとする「BGS」たちに、ARMADA以外の居場所はない。その保証を少しでも確かなものにするために、彼らは率先して任務を受け、行動する。多少の危険が伴うことも厭わずに、彼らは働く。ARMADAに認められるため――邑悸に認められるために。
 硫平はU-20チームの中ではトップを占める地位にいる。チームで行動するときにはリーダーの役割を任され、単独任務につく回数も他の誰よりも多いだろう。それは邑悸に有能だと評価されているということであり、それこそが硫平の唯一といっていいアイデンティティなのだった。
 硫平に限ったことではない。親から、社会から見捨てられた「BGS」たちは、自分という存在を受け入れるために他者からの評価を渇望する。今のところ、彼らを正当に評価してくれる他者は、邑悸以外にはいない。彼以外の人間はほとんど彼らを評価など――否、「BGS」を一個の人格を持つ人間と認めることすらしないのだから。
“じゃあ、また連絡する”
 邑悸の柔らかな声が、硫平の強張った心を優しく慰撫する。
「はい」
“気をつけて。僕は、君たちを信頼しているから”
 ――信頼。その言葉が、硫平の喉を詰まらせた。その言葉が欲しくて、彼は今ここにいる。
“頼んだよ”
「……はい」
 硫平は軽く眼を閉じた。
 時刻は午後一時。

  2

 リィは昨夕からずっと春樹の部屋にこもって作業をしている。キラもまた、時折ソファでうたた寝しながらも、ベッドには入ろうとはしなかった。春樹が心配で、眠る気になれないのだろう。
 キラがサンドウィッチをリィの元に運び、自身も幾つかつまんで簡単な昼食を終えた頃、辰川家のインターフォンが鳴った。
「誰かな?」
「待て」
 玄関に出ようとしたキラをリィの声が呼び止める。
「私が出る」
 キラを退かせ、春樹の部屋から出たリィはまずモニターを確認した。映っているのは、見覚えのない少女である。ただしその制服には覚えがあった。――ARMADA。
「誰だ?」
 警戒心も顕わに聞く。
 少女が無表情に答えてくるのが見えた。
『ARMADAの「BGS」チームU-20所属のレイ=白瀧です』
「それで? 何の用だ」
『春樹=辰川の件で伺いました』
 リィは眉を寄せる。ARMADAは春樹の身の上に起こった出来事を既に知っているのだろうか? それとも偶然に他の用件があったのか? 判断がつかず、曖昧な言い方でやり過ごす。
「春樹は不在だ」
『知っています』
 少女の表情からは何も読み取れない。リィは苛々した。
「用件をはっきり言って欲しいんだが」
『…………』
 彼女は少し思考する様子を見せた後、さらなる切り札を提示してきた。
『「FFA」のことで……と申し上げたほうが早いでしょうか?』
「…………」
 リィは息を呑んだ。春樹が「FFA」に誘拐されたことを、ARMADAは既に知っている。さらに、それに対して何らかのアクションを起こそうとしている。それがどういうことなのか、判然としない。一般的に見てARMADAは「BGS」を保護する立場にある。「FFA」も所詮「BGS」の作っている団体なのだから、ARMADAと敵対するのは理屈に合わない――ような気がした。
『時間がありません』
 少女の言葉に、リィははっとした。
「時間……?」
『ここに私がいるとご迷惑が掛かります。できれば、中に入れていただきたいのですが』
「…………」
 確かに、「BGS」がここにいることを近所に知られては厄介だ。「BGS」と何らかの関係があると見られれば、春樹らまでもが後ろ指をさされかねない。リィが逡巡しているうちに、彼女の背後に立っていたキラが駆け出した。
「キラ!」
 リィの声にも止まることなく玄関に向かい、もどかしげな手つきでドアを開ける。
「…………!」
 驚いたような顔で立ちすくんだ少女に、キラは飛びついた。紅茶色の瞳が涙をいっぱいに湛え、レイを映し出す。
「お……お願い」
 幼いキラでさえ、ARMADAの持つ世界への影響力の強大さを良く知っている。だからこそ――。
「はるちゃんを助けて。お願い」
 彼女は兄より少し年下に見える、その「BGS」の腕をがくがくと揺すぶった。
「何でもするから。はるちゃんのためなら何でもするから……!」
「……キラ」
 リィのかけた声も、彼女に届いては居ないのかもしれない。
「…………」
 レイは吸い寄せられるようにじっとキラを見つめていた。――なんて綺麗な目。レイは場違いにもそんなことを思った。こんな目で、誰かに見られたことなんてない。孤児院にいた頃は、もっと蔑むような――恐れるような――疎むような――そんな視線に曝されていたから。
 やがて耐え切れなくなったように、キラの瞳は涙を溢れさせた。
「ね……ねえ、お願い」
 レイはそっと手を伸ばす。少女の頭と背中に手を回し、自分の方に引き寄せた。
「…………」
 キラの動きがぴたりと止まる。リィは深く息を吸い込んだ。「BGS」――大企業ARMADAの代弁者。そんなものは、彼らの前には居なかった。キラを慰めるように抱きしめている、それはただ一人の、何の特別なところもない、普通の少女だった。
「……私は」
 彼女の髪を梳きながらレイは呟く。
「私たちは、春樹さんを救うために行動しています」
 キラが落ち着いたと判断したのか、レイはそっとキラの体から手を離した。視線を動かしてリィを見つめ、
「ですから、貴方の協力が欲しいのです。貴方の持つ情報が」
 レイの黒曜石のような瞳が煌く。
「リィ=スピアフィールド。お願いします」
「…………」
 リィは少し考え、やがて緩く頷いた。レイと名乗った少女自身に悪感情を持ってはいないが、「BGS」やARMADAに対する警戒心がないわけではない。それでも実際、春樹を救うためには他に有効な手立てがないのも事実だった。
「分かった。私の持ち得る限りの情報をそちらに提供しよう」
 キラの表情がぱっと明るくなる。
 レイは初めて表情を動かした。柔らかな笑みがその瞳や頬、口元を満たす。
「ありがとうございます」
 彼女は丁寧に、深々と頭を下げた。
 ――もし彼女が「BGS」ではなく、ARMADAにも所属していなかったら。リィはふとそんなことを考えた。年齢の近しい彼女たちは、全く別の出会い方をしていたのかもしれない。そして、そうでなかったことを残念に思った。

  3

 硫平のゴーグル上に、展開された地図の一点が点滅している。リィが手に入れたビルの立面図と、春樹の発信しているGPS信号とを解析すると、彼がいると推定されるのは地下二階だった。
 確かに、レイという新人は有能なのかもしれない。硫平はそう思った。何といっても「BGS」に対する警戒心の強い一般人の――しかも下町の情報屋という、特に企業を敵視している側の人間から協力を取り付け、きちんと必要な情報を取得した。それも、初回の任務にも関わらず、先輩のサポートもなく単独でそれを遂行した。派手な任務ではなかったが、この作戦においては重要な部分を担っていたのは間違いのないところで、つまり、邑悸がそれだけレイを信頼して任務を与えたということだ。
 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。硫平は気持ちを切り替えた。突入前にできるだけの情報を頭に叩き込んでおく必要がある。
「……よし」
 ビルの出入り口の辺りの植え込みの影に身を潜め、硫平は呟いた。無線で繋がった仲間たちに向けて彼は告げる。
「第一目的は春樹=辰川の救出。無論、無傷でだ」
“了解”
 セルマの声。
「ビルの中で戦闘になったら相手は武装しているとみなして反撃可。できれば四肢を。拘束しておけば、逮捕と牽引は後発部隊が担当する」
“了解”
 これは香龍。
「『FFA』と外部との取引記録も入手したらしいけど、それほど強力な武器は持っていなさそうだ。せいぜいが旧式の銃といったところかな」
 そもそも、「BGS」の団体に武器を売ってくれるような物好きはいないのだろう。きっと、市民にとっては「FFA」も人殺し集団のようなものに見えるのだろうから。しかし、こんな情報まで得られるとは思っていなかった。これは情報屋が有能なのか、それともレイ=白瀧の情報選択がすぐれているのか、あるいはその両方か。
「それじゃあ、正面からは俺と香龍、エイブと誠。あとはセルマを副長として裏口から突入する」
“了解”
 硫平はぐっと銃を握り締めた。冷たい汗を感じる。
「――ミッション・スタート」
 彼らは一斉に行動を開始した。

  4
 
 閉じ込められていた春樹の耳に、乾いた連続音が届いた。彼の知らない音――それは銃声。
 午後二時。