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第十章

  1

 「BGS」たちの居住棟。その食堂で、レイはようやく椿と顔を合わせることが出来た。任務終了後に予想外のアクシデントに見舞われた彼女は負傷した硫平の代わりに報告書を作らなければならず、今までその作業に追われていたのだ。無論、邑悸には直接事件の詳細を報告しているが、やはり事務的な手続きを省くわけにはいかない。
 食堂には既に食事を終えた学生らが多く見られたが、椿は彼女を待っていてくれたらしい。顔を紅潮させ、椿はレイに駆け寄る。彼女はレイよりも少し小柄で、髪はボーイッシュなショートカットであった。
「レイ、無事?!」
「うん」
 レイは僅かに微笑む。
「ごめんなさい、心配を掛けて」
「そんなことはいいのよ。一緒にいた人は負傷したって聞いたわ」
「そう」
 レイは顔を曇らせる。
「私が、足手まといになってしまった……」
「そんなことない」
 椿は微笑んで見せた。
「レイは強いよ。実戦には慣れてないかもしれないけど、判断力も冷静さも、誰にもひけをとらない。大丈夫だよ」
「ありがとう」
 心からそう伝え、レイははっと思い出した。
「椿、そういえば今日からチームに上がるって」
「あ……うん」
 椿は食事を口に運んでいた手を止め、視線を宙に彷徨わせた。
「そのことなんだけどね。私、レイの今日の事件を聞いて気付いたの」
 辛そうな表情。
「どうして私たち、『BGS』同士で戦っているのかな……って」
「…………」
「一般人たちは私たちを嫌っているのに、人を傷付けるときだけ利用しているみたい。そう思わない?」
「ARMADAも、そうなの?」
 ぽつりと言ったレイの言葉を、椿は驚いたように否定した。
「ARMADAは違うわよ。そうでしょう?」
「……そう、よね」
 レイは頷いた。――あの邑悸さんが、そんなこと。
「私たちって、結局一般人には武器と同じように見られているんだな、って思うの。引き金を引いたら飛び出す弾みたいな、そんな存在」
 ARMADAでは、「BGS」の「殺傷能力」に研究の重きが置かれていない。彼らの高い知的能力をいかにして最大限生かすか、そのためにはどのような教育を行えばいいのか、そういったことにむしろ主眼が置かれている。
 ARMADAで「BGS」に用意されている仕事は何も治安維持のための実戦部隊だけではない。むしろ、その他の分野における「BGS」の功績こそが、ARMADAの規模拡大に貢献しているのだった。「BGS」のそういった総合的な能力の高さに気付いたことこそ、邑悸=社の功績である。
「ARMADA以外の他の企業は」
 椿はそう言った。
「『BGS』が人を殺せるってところだけに注目しているんだと思う」
「…………」
「多分、他の企業の『BGS』だって気付いてるんじゃないかしら。気付かないはずないわよ」
「……それでも」
 レイは静かに呟く。
「その企業から抜ける訳にはいかない……のね。普通の社会では生きられないから。居場所が、ないから」
「そうね……私たち『BGS』には、他に行く場所なんてないもの」
「…………」
 レイは黙って頷く。――そうすることしかできなかった。

  2

 春樹の元に通信があったとき、彼はちょうどキラの作った夕食を食べ終えたところだった。発信者のナンバーを見やり、春樹は音声をオンにする。
「リィ?」
“ああ”
「どうした? 何かあったのか?」
“今日、「FFA」の元アジトのビルで「BGS」同士の戦闘があったらしい”
「何だって?」
 今までは滅多になかった事態だ。いや、あったとしても市民には伏せられていた。少なくとも春樹にとっては初耳である。リィは今までもこのような情報を手にしていたのだろうか。そんな春樹の心を読んだかのように、リィは言葉を続けた。
『私も、知る限りで初めての事態だな』
「ARMADAと組織の残党が交戦したのか?」
『それなら今まででもあっただろう? そうではなくて』
 リィはひとつ小さなため息を挟み、
『企業の「BGS」同士だよ。ARMADAとDOOMらしい』
「DOOM……?」
『元から敵対関係にある二社だからな。不思議でも何でもない』
「けど……!」
 言い返そうとする春樹に、リィは言った。
『いや、これは勿論異常事態だ。分かっている』
「……だろ?」
 春樹はつい最近知り合ったばかりの「BGS」を思い出す。
 ――人を殺したことがないわけじゃない。そう言ったときの硫平の表情を、春樹は良く覚えていた。どこか諦めたような、哀しげな……けれど、とても強い笑み。
『今までは一般人と「BGS」がいざこざを起こしても、人命が奪われる危険性は限りなく小さかった』
 「BGS」は、そう簡単に人を殺さない。相手が自分を殺す可能性はないのだから、命を奪ってまで相手を止める必要はない。
「……ああ。でも、これからは」
『そうだな』
 リィの声も沈痛を極めた。
『「BGS」たちの命が危険にさらされていく……』
 「BGS」同士の戦闘では、きっと互いの命が奪われることになるのだろう。互いに人が殺せるからこそ、どちらかが死ぬまで止まらない、そんな争いが起こってしまう。そんなことにならないための「SIXTH」なのに。
 そして――その「BGS」を使う企業のトップは、一般人なのに。
「…………?」
 そう思った春樹の胸に一瞬疑念が掠めたが、それは形になる前に消えてしまった。代わりに、ぽつりと呟く。
「嫌な時代になりそうだな」
『…………』
 リィは黙ったまま答えない。多分それは、肯定だった。

  3

 時計が深夜零時を指した。一貴は紅茶の中に揺れる自分と視線を合わせ、ため息をつく。
「……どうしたんだい? 一貴」
 眼を上げるとそこには見慣れた微笑がある。当然だ。ここは彼の所有する応接間なのだから。だが、一貴は軽く眉を寄せた。
「お前はいつでも余裕シャクシャクって顔してるなあ」
 邑悸は表情を改め、一貴を見遣る。
「そうでもないけど? 今日は硫平君を怪我させてしまって責任を感じているところだよ」
「怪我はまあ、大したことないで」
 先ほど診察してきたが、硫平は落ち着いた様子で一貴と会話した。――あれは強い子や。一貴はそう思う。自分が「BGS」として生まれた運命をしっかり受け止め、その中で自分のベストを尽くそうとしているように思えた。
 気の強い眼差しと、その奥にある孤独の影。それはどの「BGS」にも共通しているようだった。そして彼らが邑悸に寄せる深い信頼も……。
「しかし、意外だったな」
 邑悸は手元の報告書をぱらぱらとめくった。レイ=白瀧の手によるものだが、初めてとは思えないほど体裁といい文面といい、よく整っている。だが、邑悸が驚いたのはそのことではなかった。それは、彼にとって既に予想されていた事態といっていい。
「初めての、それも急遽起こった実戦で……レイは見事に硫平をサポートしてくれた」
「ようできた子やな。お前が目つけてるだけのことはある」
「うん、まあ」
 邑悸は苦笑して一貴を見た。
「でも、別に目をつけてるってわけじゃないよ」
「言い訳せんでええ」
 一貴は苦笑する。
「お前は何かとレイちゃんを気にかけてるやろ?」
「そうかい?」
「とぼけんでもええやないか」
 一貴は少し眉をつり上げた。おおらかな性格の彼に似合わず、レイに関する事柄はかなり気になっているらしい。――まあ、無理もないかもね。邑悸は内心苦笑した。
「お前、なんでレイに拘ってるねん」
「成績優秀だし、将来有望だろう?」
「それから? まだなんかあるんやろ?」
「一貴……」
 邑悸はやれやれ、と首を振る。
「伊達にお前と長く付き合ってるわけやないからな」
 一貴は意地悪く笑った。
「分かったよ」
 邑悸は軽く両手を挙げて降参を示した。
「確かに――僕はね、彼女の持つある才能に興味がある」
「レイちゃんの、才能……?」
「だけど、いくら君にでもこれ以上は言えない」
 邑悸は肩をすくめた。
 一貴はため息をついた。この男を今、これ以上絞り上げても何も吐かないだろう。何しろ、伊達にこの男と長く付き合っているわけではないのだ。
「ま、ええわ。そろそろ俺も休ませてもらうで」
「じゃ、お休み。明日の朝の会議には遅れないようにね」
「分かっとる」
 一貴はお茶を一息で飲み干し、邑悸のオフィスから出ていった。

  4

 オフィスに一人残った邑悸は、約八時間ほど前を思い出していた――夕陽がブラインド越しに見せる、真っ赤な輝き。
 報告を終えて戻ろうとしたレイが、ふと扉の前で振り返る。躊躇いがちに、彼女は唇を開いた。
「邑悸さんは……『BGS』のこと、どう思っていますか?」
「どうって?」
 あまりにも漠然とした問いに、邑悸は瞬きを繰り返す。レイはぽつり、ぽつりと言葉を続けた。
「私たちはここでしか――ARMADA内でしか、生きていけませんよね」
「レイは外に出たいのかい?」
「…………」
 レイは沈黙した。邑悸はゆっくりと問い掛ける。
「今の社会じゃ共生は無理だね。それはわかるだろう? だったら、君はどんな社会にしたい? いや――そんな大袈裟な事じゃなくて……」
 邑悸はレイの瞳を見据えて尋ねた。
「君は、どうしたいんだい?」
「…………」
 長い静寂があった。邑悸は黙ってレイを待つ。――これはいずれ聞いておく必要があった事だ。期待とも不安ともつかない、それでいて好奇のような安っぽいものとも違う、どこか渇きにも似た感情。僕は、レイが知りたい。もっと、もっと深く。
 ――やがて、レイの唇が開いた。
「分かりません」
「分からない?」
 聞き返す邑悸に、レイは困ったように首を傾げた。
「別に――私自身は、何も変えたいなんて思っていないんです」
「え?」
 それは、邑悸にとって意外な答えだった。レイは、斜め上に視線を彷徨わせる。
「同級生の中には、現状に不満を持っていたり、一般人と同じように外で暮らしたいって言っていたりする人もいるんですけれど……私には特にそういうのはなくって」
「うん」
 邑悸は小さく頷き、話を促す。
「私は別にこのままで全然構わない……知らない人に何か言われたって、慣れちゃってもうそんなに気にならないし……我慢できます」
 邑悸を見据えた瞳が、夕闇を宿して色を深めた。
「これからも、ずっとここに居られたら、それでいいやなんて……そんな消極的な事しか考えていないんです。友達も、担任の先生も、所長も、……邑悸さんも……皆、優しいから。どうせ私に両親はいないから、ここから出たって行くところなんてありませんし」
 そう言って淡く微笑む顔が、何故か泣き顔のように見えた。
「駄目ですか?」
「全然、駄目なんかじゃないよ」
 邑悸は優しく微笑んだ。
「それでいいじゃないか」
 彼女の肩にそっと手を置く。
「君が自分の意志でここにいたいと思ってくれるのは、僕にとってはとても嬉しいことだ」
 そう言うと、レイの肩から力が抜けるのが分かった。
「けど、だったらどうしてさっきあんなこと言ったんだい? 『BGS』をどう思うかとか、ここでしか生きていけないとか……」
「……私は良くても、他の『BGS』の皆がそれでいいと思っているわけではありませんから」
 レイは辛そうに眉を寄せて視線を落とした。
「だから……いつか、変わって欲しいです」
「何に?」
「え?」
 聞き返されたことが意外だというように、レイは顔を上げた。邑悸は微笑みながら、繰り返し尋ねた。
「何に変わって欲しいんだい? レイは」
「何にって……」
「ARMADAの施策を変えて欲しいのかな? それとも自分達『BGS』自身が変わらなくちゃいけないと思う? それとも――」
 邑悸はいつしか、瞳の奥に闇を宿していた。そこにレイは――映らない。
「『BGS』以外の一般人かな――」
「…………」
 ――邑悸さんは一体何を言おうとしているのだろう? レイが戸惑いながらも口を開こうとしたとき、オフィスのドアが開いた。
「チーフ。次の会議の準備をお願いします」
 入ってきた秘書の言葉に、レイは慌てた。
「私、もう行きます。すみません」
「レイ」
 名前を呼んで彼女を見つめる邑悸の目から、既に闇は消えている。
「考えておくといい。一体自分が何を守りたいのか――何を変えたいのか」
 邑悸は優しく、力強い笑みを浮かべる。
「それは、きっと君を強くしてくれる。そして――これから先、君を支えてくれるはずだ」
 レイはこくりと頷き、オフィスを出て行った。
「…………」
 邑悸はその後ろ姿を見送ると、天井に視線を投げてふ……とため息を吐いた。資料を揃えるために秘書が再びオフィスを出たのを確認し、呟く。
「レイにはないんだな……」
 邑悸が内に抱えているような――。
「……憎悪が」
 薄く眇められた彼の眼には、一番忌まわしい記憶が蘇っていた。

 ――既に、夜は更けかかっている。
 邑悸は窓際に歩み寄り、暗い夜空にその底知れぬ笑みを映す。
「レイはARMADAにとってではなく……僕にとっての切り札なんだよ。一貴」
 小さく笑みを含んだ唇で呟いた言葉は、夜の闇に吸い込まれ――消えた。