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第六章

  1

 先ほどまで散々当り散らしていた春樹=辰川はようやく口を閉じ、むっつりと目の前の「BGS」の青年を睨みつけていた。青年の方はというと、春樹の視線など完全に無視している。すかした奴だ、気に食わない、と春樹は思った。
 正直、春樹はARMADAと関わりたくなどなかったのだ。何といっても相手は超巨大企業であり、ARMADAは四大企業の中でも特にきな臭い、と彼は思っている。――しかも助けに来たのが俺と同い年くらいのやつだなんて! プライドが許さない。助けてもらったことに感謝はするが、所詮「BGS」同士のいざこざに巻き込まれただけだ、と春樹は思っている。
「春樹=辰川」
 青年がちらりと春樹の方を見て口を開いた。
「特に健康状態に問題がなければ、今日のところは帰ってもらって構わない。また後日、こちらから事情聴取に伺う可能性はあるが」
「そうかよ」
 春樹はぶすっとしたまま答えた。青年の態度が倣岸なものに思え、礼を言う気にならないのが本音だった。
 春樹はふと、青年に尋ねた。
「奴らをどうするんだ? 殺すのか?」
「…………」
 青年は複雑な表情をして春樹を見つめた。悲しげな、寂しげな――それでいて蔑んでいるような、そんな表情。何か俺は間違ったことを言った、と春樹は即座に合点した。目の前のこの青年を、「BGS」を、傷つけるような何かを。
「何故、殺す必要がある?」
「……いや」
 春樹は口ごもった。その指摘はもっともだと思った。春樹ひとりの誘拐や、違法銃器の所持程度のことが、それほどの重罪になるわけがない。そもそも現在の法制度に「死刑」は存在しない。では何故、「殺す」などという単語が頭に浮かんできたのだろう。
 春樹を眺めていた青年は、冷たい微笑を浮かべた。
「お前も思っているのか」
「え?」
「お前も俺たちを殺人鬼だと思っているのか」
 春樹は驚いて首を横に振った。先ほどまでの無愛想さはどこへやら、心底申し訳なさそうに眉を下げ、呟く。
「……わりい」
 青年は意外なものを見たように春樹を見つめた。
「何が?」
「いや……」
 春樹は口ごもる。
「何ていうか、その……一応助けてもらっておいて、失礼な言動だった。申し訳ない」
「『頼んだ覚えはない』んじゃなかったのか?」
 それは先ほどの春樹の台詞だった。春樹は参ったな、というように頭をかく。
 青年はくすり、と笑った。それは今までのシニカルなものとは違う、かなり感じの良い笑みだった。
「気にするな。慣れている」
「……何にだ?」
「『殺すのか?』って聞かれることにさ」
「…………」
 春樹は黙り込んだ。
 青年は飄々とした表情を崩さなかった。
「殺したことがない、とは言えないからなあ」
「…………」
 春樹がびくっと体を震わせた。――怖い、と思った。
 頭上では散発的に乾いた銃声が響いている。青年は顔を緊張させ、上を見遣った。
「さて、俺も合流するか」
「……お、おい! 俺はどうしたら」
「好きにしろ」
 青年は不敵な笑みを浮べて春樹を見つめた。
「流れ弾に当たらないようにな」
「……もうちょっと待ってから帰るわ」
 「FFA」側に取り上げられていた通信機を操作しながら、春樹は言った。とりあえず、キラとリィに連絡を取らなければ。きっと心配しているだろう。特にリィには礼を言わなければならない。一日足らずの間に救出してもらうことができた一番の要因は、彼女に他ならないのだから。
「なあ」
 一方、春樹はこの目の前の少年に興味を持ち始めていた。同年齢でありながら、熟練された兵士のような――事実そうなのかもしれないが――身のこなし。澄んだ茶色の瞳は、どこか醒めた冷たさを宿している。「BGS」。同い年の。言葉を交わすのは、初めてだった。
「名前、教えろよ」
 青年はきょとんとした。
「何で?」
「知りたいからに決まってるだろ」
「…………」
 青年は少し躊躇した後、ふ、と表情を緩めた。
「硫平だ。硫平=鈴摩」
「硫平、な」
 春樹は呟き、右手を差し出す。
「この手は何だ?」
「握手だ。知らないのか」
 春樹は半ば強引に青年と――硫平と握手した。硫平は戸惑ったように春樹を見返してくる。
「また会おうぜ」
 そう言って春樹は笑う。
「俺は借りは返す主義なんだ」
「…………」
 硫平はニッと笑い、ぐっと彼の手を握った。
「オーケー。期待してる」
「おう」
 硫平の手の皮は分厚く、固い。――だが、その暖かさは春樹のものと同じだ。
「じゃあな」
 春樹は硫平に背を向ける。硫平は笑みを浮かべ、その背を見送った。

  2

 カイトらは次第に追い詰められていた。所詮、彼らに勝ち目はない。そんなことは最初からわかっていたことだった。最初から。――最初、から? どの時点が最初なのだろう。ARMADAが突入した時か。春樹=辰川を誘拐した時か。カイル=エル=ムードの誘いに乗った時か。ARMADAと敵対することを決めた時か。「FFA」を作った時か。それとも――。
 次々に仲間が負傷し、拘束されていく。一方的に射殺されるよりはましだろうが、捕われた仲間がどうなるのかは分からない。あまり楽観はできないだろう、とカイトは思った。
 ――邑悸=社は信頼できない。彼は「BGS」に甘いと言われ、「BGS」たちの権利の守護者であるかのような言い方をされている。しかし、カイトはそうは思っていなかった。ARMADA内にいる「BGS」たちには、確かに優しいのかもしれない。しかし、彼が事あるごとに「FFA」の活動を妨害し、現にこうして潰しにかかっているのを見れば、一概に「BGS」に対して理解があるなどとは思えなかった。おそらく、彼は「BGS」を利用しようとしているのだ。決して「BGS」たちの利益のためではなく、彼自身の目的のために。それが何であるのかは分からないが……。
「ああ」
 隣りで銃を手にしていた「FFA」のリーダー、ショウ=柳沢が言った。
「カートリッジが切れた」
 ――銃弾が、尽きた。既に彼らがいるのは最上階。階段を上り、逃げ続けてここまで追い込まれた。もう、逃げ場はない。四十過ぎの彼の顔には、疲労が色濃かった。
「カイト」
「何です?」
「ここまでだ」
「え?」
 聞き返すと、柳沢は静かな微笑を浮べてカイトを見た。
「今までありがとう。……運命に、少しでも抵抗できてよかったよ」
「何を……」
 冷たい予感に背筋を震わせたカイトは、手を伸ばして彼の腕をつかもうとした。だが、その指先は虚空を切る。柳沢は、身を翻して駆け出した。
「俺は、捕まらない」
「な――っ!!」
 思わず戦闘を忘れて彼を追おうとしたその隙をつかれ、彼の背にARMADAの「BGS」たちが飛びついた。
「おい、放せ!!」
 もがく彼の腕に手錠が嵌められる。
「柳沢さん!」
 カイトは声を振り絞って叫んだ。
「柳沢さん! 柳沢さん!!」
 カイトが心から尊敬していたリーダー、柳沢。彼が何をしようとしているのか、カイトには分かっていた。
「柳沢さん――!!」
 プライドの高い彼は、きっとこんな風に捕まることを潔しとしないだろう。柳沢の両親は「BGS」である彼を捨てて逃げた。カイトと同じだ。そのとき柳沢は五歳だったという。社会の底辺を這いずりながら生き、それでいて決して矜持を失うことはなかった。
 一人で生きていたカイトに手を差し伸べてくれたのも彼だった。――もう一人ではないよ、と。そう言った彼の言葉が忘れられない。薄汚れたストリートチルドレンだった彼に、独学で身につけた読み書きを教えてくれた。何度もあの夜の夢を見て飛び起きるカイトを、優しく宥めて寝かしつけてくれた。
 二人はまるで兄弟のように、共にこの社会を生き抜いた。やがて彼らは「BGS」のための組織「FFA」を作り、自分たちが本当に幸せになるために、何が必要なのかを探し始めた。迷走を続けながらも、彼らはいつかそれを手にいれるはずだったのに。それなのに……!!
 ――ズン!
「…………」
 地響きのような音。カイトはふっと身体の力を抜く。――柳沢……さん……。
 頭上でARMADAの「BGS」たちが会話していた。
「何の音だ?」
「誰か飛び降りたらしいぜ。捕まりたくないってさ」
「……ふうん」
 その声には曇りがあった。同じ「BGS」である柳沢の末路を哀れんででもいるのだろうか。カイトは小さく笑った。哀れみなど、彼にはふさわしくないのに。
「素直に捕まってりゃ、生きられたのにな」
 ――どうやって? 「ARMADA」に恭順し、邑悸=社の手先となって? それは本当に生きているといえるのだろうか? 俺たちの望む生きる形なのか?
「……俺たちには」
 カイトはぼそっと呟いた。誰にも聞こえないくらいの声で。
「俺たちには生きる権利なんてないんだ」
 ――カイトには生きる権利もないというのか!!
「きっとそうなんだ、父さん」
 カイトは床に伏したままぼそぼそと呟き続けた。
「俺たちは、生きられないんだ……」
 そして彼は――泣いた。

  3

 ――昏い、昏い感情。
 
 レイは手を真っ赤に濡らして、そこに佇んでいた。
「貴方達がいけなかったんですよ」
 口の中から、意識せずに滑り出る台詞。
「『私』を裏切るから……」
 膝をつき、冷たくなったその骸にそっと触れる。
「結局貴方達は『私』を愛していなかったんだ」

 一体私は何を言っているの?
 これは何?
 記憶?
 でも私のじゃない。じゃあ――
 「誰」の、記憶――?
 ダレ、ノ――

 レイははっと眼を開けた。見慣れた自室。ARMADAの本社内に建てられた「BGS」専用居住棟の十三階、彼女の私室だ。先ほど邑悸のオフィスを出てから、彼女はここに戻ってきて少しうとうとと眠っていたらしい。
 体を起こし、小さく呟く。
「……変な夢」
 ――夢、だろうか? 手に纏わりついていたぬめる赤い液体の感触は、とてもリアルだったのだけれど。
「でも、違う。あれは記憶じゃない。あんなの、私は知らない」
 確かめるように言い、レイは手元のコンピュータのディスプレイを見遣った。メールの着信を告げるアイコンが点灯している。差出人は邑悸だった。レイは急いでメールを開く。

 ――春樹=辰川は無事帰宅したそうだ。
 
 簡潔な文面で、彼女がもっとも気にしていたことを教えてくれた邑悸。多忙な中自分を気遣ってくれた彼を思い、レイは頬を緩めた。邑悸のしたためた文面を、そっと指先でなぞる。硬質なディスプレイが、ほのかにあたたかいような気がした。
「……良かった」
 ――キラちゃんが一人ぼっちにならなくて、本当に良かった。また、泣くようなことにならなくて良かった。
「私みたいに……一人にならなくて、良かった」
 レイは組んだ腕に顔を伏せる。
 ――幼い頃から、自分は一人だと思っていた。今も一人だ。そして、きっとこれからも一人。ずっと、一人。
「……そういえば」
 レイはぽつりと呟いた。
「私、あの夢……何度も見ているような気がする……」