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第八章

  1

 一貴は邑悸から呼び出され、彼のオフィスへと向かっていた。空高く聳えるARMADA社のビルを見上げ、ため息をつく。
「何やってんねん、邑悸……」
 彼は邑悸という男をそれなりに良く知っている。おそらく、彼の部下の誰よりも付き合いは長いだろう。だからこそ、今回の騒動の結末は一貴には許し難かった。
 最上階まで専用エレベータで上り、指紋と虹彩、声紋の認証を受けた後に開いた彼のオフィスの扉をくぐって開口一番――。
「元々死なすつもりやったんか」
 地の底を這うような低い声で、一貴は言う。何か作業をしていたらしい秘書の女性が、ぎょっとしたように一貴を見た。デスクに向かっていた邑悸は顔を上げ、彼を見て首を斜めに傾げる。その角度すら計算されたものではないかと、一貴は疑いたくなった。邑悸は気分を害した様子もなく、苦笑を浮かべて聞き返す。
「いきなり何だい? 物騒な」
「席を外しましょうか?」
 女性の声に、邑悸は軽く頷いた。
「ああ、頼む。話が終わったら呼ぶから」
「はい」
「…………」
 一貴は黙って邑悸を睨んでいる。
「あの子ね」
 邑悸は女性の出て行ったドアを目線で指した。
「会長のお孫さんか何かなんだよ。もう、思惑が見え見えだよね」
 唐突な話題に、一貴は思わず緊張の糸を緩めてしまった。
「つまり……お前と、孫を結婚させたいって?」
「そういうことじゃない? 将来を有望視してもらえるのは嬉しいけど、政略結婚なんて趣味じゃないな」
 邑悸はちらっと一貴を見遣った。
「でも、なかなか美人だし頭もいいようだ。君に紹介してあげようか?」
「いるか!」
 切り返した後、つい彼のペースに巻き込まれそうになっていたことに気付き、一貴は軽く咳払いをした。
「そんなことより。呼び出した要件は何や」
「君のほうこそ、何か言いたいことがあったんじゃないのかい? 先に言いたまえ」
「…………」
 一貴は仕方なく口を開いた。
「この間、『BGS』ゲリラクーデター未遂事件やけどな」
「ああ」
 そう言うだろうと思っていた、とでも言いたげな、余裕たっぷりの邑悸の表情が、一貴は気に食わない。
「拘束された奴らのうち、ARMADAへの所属を拒んだ『BGS』は皆死んだやろ。裁判にもかけられんうちに次々自殺してしもた」
「そうだね」
「不自然やないか」
 邑悸は穏やかな表情で頷いた。
「……なるほど、身体チェックをもうすぐ厳しくしておけば良かったってことかい?」
「いや」
 一貴ははっきり言葉を切って告げる。
「違う。俺は、ほんまに自殺なんかって聞いてるんや」
「誰かが彼らを殺したと?」
 邑悸は毅然とした口調で一貴に聞き返した。
「つまり、ARMADA所属の『BGS』に僕が命じて、殺させたというわけだね?」
「いや、それは……」
 正直、一貴はそれを疑っていた。この世界で意図的に人を殺めることができるのは「BGS」だけだ。だが、邑悸自身の口からその言葉を聞くと、一貴は何故だか急に怖気づいてしまったのだった。
 邑悸は厳しい表情で、怯んだ一貴を問い詰める。
「違うのかい? それじゃあ、君は何が言いたいの?」
「わ、わからへん。わからへんけど……」
 一貴はため息をついた。安易に疑ったせいで、邑悸を傷つけてしまっただろうか――本来一貴は邑悸を憎んでいるわけではないのだから、そんな顔をされると心が揺らいでしまう。
「今回の件はいろいろときな臭いやないか……。ようさん人も死んだ。ここの『BGS』にも、死者はおらんかったけど軽傷者はおったやろ。あんな、硫平みたいな若い子が、銃振り回して……」
 一貴は急激にトーンダウンする。
 邑悸はふう、と吐息をついた。
「……別に、僕は怒っているわけではないんだよ」
 邑悸は穏やかにそう言った。
「ただね……君に『人殺し』扱いされたのは心外だったな」
「そういうつもりやない!」
 軽く手を振り、邑悸は一貴の声を散らす。
「結局、今の『BGS』たちには二つの道しかないんだ。いずれかの企業に属して企業戦士となるか、それとも、市民から迫害されながらも浮浪者として生きるか。どちらをも拒んだ者が今回組織を結成した――だけど」
 邑悸は軽く肩をすくめた。
「そんなの、一般人だって同じなんだよ。道は二つ。企業に属するか、否か」
「…………」
 思わず口をつぐんだ一貴に、邑悸は追い打ちをかけるように声を掛ける。
「違うかい?」
「……けど、『BGS』たちには市民権があらへんやろ」
「市民権、ねえ」
 邑悸は少し笑った。企業支配の世界で、市民権に一体どれほどの意味があるのか。選挙権も被選挙権も、もはやこの世界には存在しないのだから。
 一貴はむっとしたように唇を尖らせた。
「市民として生きていく権利、ていうこっちゃ」
「ああ、うん、そういうことか」
「ARMADAの『BGS』は、全員が社内の居住棟に住んどる。街には住まれへんし、出られへん」
「そうだね。そのことについては否定する要素は何もない」
「そういう方面の改善は、企業としてせえへんのか?」
「できないよ、そんなの」
 邑悸は苦笑した。
「人間社会っていうのはね、常に少数派を排除するようにできているんだよ。だから、少数派を救済するための福祉制度を人工的に作ってやらなければならない」
「…………」
「僕らがやっているのも、いわば『BGS』に対する福祉だよ。受け入れない社会から保護して、企業体制下でその能力を存分に発揮させてやる。それが僕らにできることの限界だ」
 流々と澱みなく述べ立てられ、一貴はぐっと詰まる。
「今回のことは悲劇だったと思うよ。結局二十名もの『BGS』が命を落としたわけだからね」
 一貴は頷く。
「だが、別にそれは僕が仕組んだことじゃない。それに」
 邑悸の黒曜石の瞳が鋭利な光を宿した。
「死を選んだのは、彼ら自身なんだよ? ARMADAの中で生きることもできたのに、ね……」
 どこか冷ややかな口調。
「ショウ=柳沢とカイト=オズマ……二人の自殺が大きく影響を与えたらしいな」
 一貴はため息をついた。
「『殺人抑制遺伝子』とやらを組み込んでも、こんだけ人死んどったら意味ないわ」
 邑悸は黙って一貴を見つめる。一貴は俯いた。
「俺、嫌やねん。『BGS』でも一般人でも、病死とか事故死とかやのうて、自殺とか他殺とかで死ぬの。すごい嫌や」
「それはそうだろう。僕だって嫌なことだと思っている」
「……ほんまか?」
「まだ僕を疑ってるのかい」
 邑悸は大げさに肩をすくめてみせるが、一貴は悲しげな瞳を変えなかった。
「疑いたない。けど」
「けど?」
「お前には、人命より優先してるものがあるような気がするんや」
 一貴にじっと見つめられても、邑悸は少しも表情を変えなかった。
「目的とか、なんか、そういうんがあって……そのためなら人の命も惜しまへんのちゃうかって……」
「……考えすぎだよ」
 邑悸は微笑み、軽く椅子に座りなおした。
「さて、その話はその辺でいいかな? そろそろ君を呼んだ用件について話がしたい」
 ちらりと時計を見遣るその視線に、一貴は居住まいを正した。
「あ、……ああ」
 邑悸はディスプレイに指を伸ばし、リズミカルに何回かタップした。
「このデータを」
「うん?」
 一貴は目を細め、スクリーンに映し出された数値を追う。
「気付くことはないかい?」
「…………」
 一貴の表情が、気のいい若者のそれから、冷静な研究者のものへと変貌する。
「これは……!」
「そう」
 邑悸は笑みを浮かべた。
「君の解析してくれた『BGS』のデータを、僕なりにちょっと分析してみた結果なんだけれどね」
 ちょっとした分析、という程度のものではない。さすがは邑悸だ。一貴の眉がきつく寄せられた。彼は大学でも、一貴よりずっと有能な研究者だった。何故彼が研究の道に進まなかったのか、誰もが疑問に思ったものだったが、別に邑悸は研究を捨てるつもりなどなかったのだろう。ただ、自分の望む仕事が最もやりやすい環境を整えるために、彼はまずARMADAを掌握したというわけだ。
 一貴はある一列を指摘する。
「一般人にはない持たない遺伝子変異を持っとる率が高いな」
「ああ。特に二十代以下の若い『BGS』は九十七パーセント以上の確率で、特殊な遺伝子変異を一般人よりも多く保持している。君に調査して欲しいのはそのこと。何がどのように変わって、これによってどのような影響が出ているのか。もしくは、一般人の方が失ってしまった変異なのかもしれないが……」
 一貴はごくりと唾を飲み込んだ。
「もしかして」
「そう」
 邑悸は微笑んだ。
「『BGS』は一般人を置き去りに進化を始めている。あるいは、一般人が退化している。そういうことかもしれない」

  2

 レイが事務的な任務を終えて春樹宅を辞した後、彼女の連絡機に着信があった。
「はい」
“レイ? 今外?”
 椿だ。どうやら良いことがあったらしく、イヤカフから流れる声が弾んでいる
「そうよ。でも、もう終わったわ。何?」
“私もチームにあがることになったの!”
「……そう」
 レイはそっと微笑した。
「これからは一緒に仕事ができるわね」
“そうね! レイに早く報告したくって”
 椿は以前から、早くレイと一緒に仕事がしたいと言ってくれていた。レイをチームでひとりにしたくはないと。彼女のその気持ちが、レイの心をひどく暖かいものにする。
「ありがとう。もうすぐ帰るから」
“うん。それじゃあね!”
 束の間の友人との通話。レイはほっと息をつくと、ARMADAから支給されている「BGS」チーム専用モビールのロックを解除し、またがった。
 一見してそうと知れるARMADAの制服を着ていると、どんなに混んだ道路を走っていてさえ彼女の周りには不自然な空白ができる。それだけ「BGS」は一般人に忌諱されているということで――いくら慣れているとはいえ、レイはヘルメットの下で顔をしかめた。
 信号待ちのちょっとした間、目が合いそうになった一般人たちは露骨に嫌悪の表情を浮かべて眼を背ける。聞こえよがしに罵倒する者もいる。――人殺し、と。
 レイはハンドルにかけた手をぎゅっと握り締めた。人を殺したことなどない。殺したくなんて、ない。
 ――ここには私たちの居場所なんてない。そのことを思い知らされたような気がして、一つ身震いをした。早くARMADAに帰ろう。私の帰る場所はあそこにしかないのだから。
「……そういえば」
 風に黒髪を靡かせながら、レイはぽつりと呟いた。
「『FFA』の人たちは、結局何がしたかったのかしら……」
 春樹=辰川を誘拐、監禁した疑いで「FFA」のメンバーはARMADAにより逮捕、牽引された。だが、彼らが一体何を目的としていたのか、具体的なことまでは知られていない。どうやらARMADAをはじめとする企業体制を眼の敵としていたようだが……。それがどうしてなのか、レイには分からない。彼女にとって、否企業に属する全ての「BGS」にとって、企業とは自分たちを保護してくれる唯一無二の存在だ。それなのにどうして……?
 レイは、「FFA」のアジトのあった方向へとモビールを走らせていた。一般に売られているものよりは遥に高性能なモビールは、あっという間に彼女を目的地へと連れて行ってくれる。
 町外れの再開発地区に、例のビルはひっそりと佇んでいた。
「ふう……」
 モビールを路傍にとめてロックし、ARMADAの警備員らしき男に歩み寄る。
「U-20、ナンバーダブルオーのレイ=白瀧です。立ち入り許可をお願いします」
 カードを見せてそう言うと、男は敬礼と共に頷いた。レイは会釈を返し、ビルの中へと入る。靴音が高い天井に反響した。そこかしこに残る弾痕と血だまり。ARMADA側の負傷者は皆軽症だったと聞いているから、ほとんどはおそらく「FFA」の「BGS」が流した血なのだろう。
 彼らは何を望んでいたのだろう。どんな理想を追い求めて――そして挫折したのだろう。邑悸に聞けば教えてくれるだろうか。
「邑悸さんは……」
 呟いて天井を見上げる。
「どんな世界を目指しているのかしら」
 ARMADAの重役として、そして「BGS」チームを統率するチーフとして。彼はどんな未来をその脳裏に描いているのだろうか。
「私は」
 何を望んでいるのだろう……。
「誰だ?!」
 鋭い誰何の声に、レイははっと銃を抜き放った。銃口の先、佇むのは彼女と同じ制服。
「あ……」
 慌てて銃をしまい、レイは答えた。
「失礼しました。U-20、ナンバーダブルオーのレイ=白瀧です」
「レイ、白瀧?」
 青年は驚いたように眼を大きく開け、やがて苦笑する。
「ああ、お前があの、ね……」
「え?」
 レイの疑問符に気付かなかったように、青年は己の名を名乗った。
「俺はU-20、ナンバーオーエイトの硫平=鈴摩。一応、チームリーダーを勤めている」
「はい」
 レイはその名を既に見知っていた。優秀だ、と邑悸が言っていたのも覚えている。
「俺さ、今日は任務でここに来たんだけど」
 探るような視線がレイを見つめる。
「お前は何でここに? 任務か?」
「いえ」
 レイは首を横に振った。
「任務は辰川家を訪問することで、そちらはもう済ませました」
「ふうん」
 言った後、硫平はにやりと笑う。
「ちなみにな、自分の任務内容は他人には洩らしちゃいけないんだぜ。たとえそれが仲間の『BGS』であってもな」
「え?」
「ま、俺は別にいいけど。言いつけたりしないから安心して。次から気をつけろよ?」
「はい。すみません」
 素直に謝罪する。硫平は栗色の髪をかき上げ、くるりと後ろを向いた。
「で。何でここに?」
「……あの」
 レイは軽く俯き加減になり、
「『FFA』って……何だったのかな、と思って」
「何って?」
 硫平は顔だけで振り向く。
「どういうことだ?」
「あの組織の正式名称は『Free From All』……何から自由になりたかったのか、気になって、それで」
「一般人の偏見とか差別とか、そういうものからなんじゃねえの? あとは企業?」
 レイは驚いたように小さくつぶやく。
「企業……ですか」
「そうか」
 硫平は再び前を向き、独り言のように呟いた。
「お前は『まだ』だよな。そんなに多くの任務についたわけじゃないだろうし」
「何を……ですか?」
 硫平は彼女の問いには答えなかった。その浮かべている表情は、硬く険しい。
「ARMADAは別に正義の組織じゃない」
「……え?」
「俺はいろんなもんを見てきた……人を殺した事だってある」
「…………」
 ――お前は、「まだ」だよな。それはもしかして「まだ人を殺したことがない」という意味なのだろうか。レイは慄然として、硫平の広い背中を見つめる。
「それでも」
 硫平は言葉を続ける。
「それでも、俺はここに居る。何故だか分かるか?」
「居場所が他にないから……?」
「違う。そんなネガティブな理由じゃない」
 硫平は再び踵を重心にしてくるりと振り返った。彼のブラウンの双眸が、暗闇の中でもかすかに煌いている。うっすらと笑みを浮かべ、彼は言った。
「ここが好きだからさ。ここで過ごした自分の思い出とか、キャリアとか、そういうものひっくるめて全部好きなんだ」
 友達も仲間も、ここにしかいない。そして自分を認めてくれる上司も――。
「好き……?」
 レイは眼を瞬かせた。
「そう。好きなものの為なら、嫌なことだって我慢できる」
「……好き」
 レイは呟く。――私の好きなもの……? 何も浮かばなかった。
「ま、そのうち見つかるんじゃねえの?」
 彼女の逡巡を悟ってか、硫平は軽く言った。
「でも、好きなものでもなきゃやっていけないんだ」
 口調とは裏腹に眼差しは真剣だ。
「この世界は――それほど俺たちに優しくないから」