instagram

第五章

  1

 春樹=辰川の誘拐を実行した「BGS」――カイト=オズマは今年で三十六歳になって、ちょうど別れた時の父親の年齢と同じになった。
 彼の家が放火されたのは三十年も前のことになるが、彼の顔や体には未だ火傷の痕が痛々しく残っている。
 彼はごく普通の家庭に生まれた。父親と母親、それに姉。彼を除けば、皆「BGS」ではなかった。父親が勤めていたのはBUIS系列の小さな会社で、彼の家はいわゆる中流に位置していた。平凡な、幸せな家庭――だが、彼がそこで過ごせたのはたった六年間のことだった。
 今でもあの日のことは覚えている。その一週間ほど前、近所の誰かがカイトが「BGS」であることを嗅ぎつけ、辺りで噂になった。その頃はいわゆる弾圧期の末期で、無論企業はまだ「BGS」を保護する政策など打ち出しておらず、「BGS」とその家族はただひた隠しにして生きるより他なかった。もし露見すれば――即ち、それは市民社会からの追放を意味する。窓ガラスが割られ、姉とカイトは外で遊べなくなった。父母はヒステリックに糾弾され、父は突然の解雇、買い物に出る母は時折怪我をして帰ってくるようになった。
 ――そして、あの日。真夜中、突然カイトは息苦しさに眼を覚ました。眼に入ってきたのはもうもうと立ち込める煙。そしてちらちらと廊下から閃く赤い光。壁を舐める炎。
 ――逃げなさい、カイト!
 母の声と父の罵声が聞こえた。
 ――カイトが何をしたんだ! 私たちが何をしたというんだ!!
 姉が咳き込みながら泣いていた。カイトは側で寝ていた姉の手を引っ張って逃げようとしたが、彼女は動こうとしなかった。
 ――カイトには生きる権利もないというのか!!
 それから先、彼の記憶にあるのは色と温度だけだ。真っ赤な炎の色と、そしてその熱さ。そのことを思い出すたびに、彼の体は汗を吹き出す。――彼の心も体も、あの日のことを忘れていない。忘れることなどできるはずがない。
 病院に運ばれ、気が付いた時には独りだった。家族のことを聞いても、誰も教えてはくれなかった。――彼らは選択したのだ。「BGS」であるカイトと離れて生きていくことを。それを悟った時、彼の心によぎったのは、ただ深い悲しみと、そして諦めだった。仕方がない。このままカイトとともにいれば、彼らは普通の生活など送れない。泣きじゃくる姉の姿を思い出すと、恨む気にはなれなかった。
 その後、彼は「FFA」の前身となった組織に拾われた。そこには彼と似た境遇の「BGS」たちが幾人もいて、年若い彼を懸命に育ててくれた。それが彼の新しい家族となったが、だからといって家族を失った痛みが癒えることはない。今もずっと、痛み続けている。
 企業の施策が変わったのは、彼が成人した後のことだった。「BGS」保護政策と銘打たれたそれに、組織から抜けて参加するものもいた。カイトはそれはそれで構わないと思った。そこに彼らの居場所が見つかるなら好きにすればいいと。
 だが、やがて考えは変わった。ARMADAが「BGS」たちにさせているのは、軍隊まがいの強制労働だと気付いたのだ。所詮「BGS」は企業の手駒としてしか扱われない。邑悸=社という男が「BGS」たちを幼少の頃から徹底的に教育かつ訓練しているのも、結局のところ「BGS」が彼の地位を高めるために役立つからだろう、と思った。――それでは何も変わらない。「BGS」はこの社会では生きていけない。
 彼の胸はいつでも一つの問いを叫んでいる――「BGS」には生きる権利もないというのか、と。

  2

 ビルの中は騒然としていた。
「カイル司教がいない?」
「ええ、どこにもいらっしゃいません。連絡もつかないようです」
「…………」
 カイトはその報告を聞き、唇を噛み締める。サブ・リーダーである彼が動揺を直に見せることはできないが、彼は暗澹たる思いに捕らわれていた。カイルが姿を消した意味――見捨てられた。
 今、ARMADAが彼らの元に攻め込んできている。表向きの理由は春樹=辰川の奪還。だが、実際に彼らが意図していることは違うだろう。彼らはARMADAに従わない「BGS」を、野放しにしておくつもりはないのだ。
「奴らは今どこにいる?」
「春樹=辰川の居場所――地下二階に向かっているようです。現在一階で応戦していますが」
 カイトらのいる場所は十階。ARMADAはひとまず春樹を救出することに重きを置いているようだ。だとすれば、隙はその後生まれる。――しかし……。
「武器が足りない」
 カイルから買い取った違法改造済の武器はあるが、数は少ない。銃も十丁足らずしかなかった。
「オズマさん」
 縋りつくようなまなざしを向けてくる仲間に対して、彼は何も言わない。言えなかった。
「俺たち……何か間違ったことしましたか? 俺たちが何をしたって言うんですか?!」
 ――カイトが何をしたんだ! 私たちが何をしたというんだ!!
 カイトの眉がぴくりと動いた。
「……何もしなかった」
 彼はぽつりと呟く。
「何もしなかったから、こうなったんだ」
「……え?」
 カイトは軽く首を横に振った。
「階下に行こう。ARMADAの好きなようにはさせない」
「はい!」
 青年は変に紅潮した顔で頷いた。死への恐怖の入り混じった、それでいて希望に満ち溢れた、奇妙な表情。そんな顔をする彼を、カイトは死なせたくないと思った。――ARMADAはやはり俺たちを殺すのだろうか。もしこの青年が生き延びて、ARMADAで生きていくことができるのなら……。
「手遅れだな」
 階下から響いてくる銃声に、カイトは乾いた声で呟いた。
「もう、遅い」
 今となっては、すべてが遅すぎる。

  3

 硫平は壁の影に身を隠していた。相手が発砲してきたときにはひやりとしたが、性能の悪い旧式のものだと思い出して安堵した。あれではよほど自分の運が悪くない限り当たるまいし、彼らのように最新式の銃で毎日のように訓練を受けている者に勝てるわけがない。硫平は彼らが哀れになり、もう何度目かになる声をあげた。
「投降しろ! 武器を捨てた者には攻撃しない!!」
 返答は銃声だった。これではどうしようもない。硫平は軽く舌打ちすると、銃を構えて廊下へと飛び出した。素早く狙点を定め、引き金を引く。
「ぐっ!」
「い……?!」
 三人の男たちが足や手を抱えてうずくまった。硫平の隣にいた同僚、誠が飛び出し、彼らの銃を奪って拘束する。
「くそ……」
 男たちは血走った目つきで彼らを睨みつけた。
「ARMADAの狗め……!!」
「…………」
 硫平は彼らから奪い取った銃やナイフを集めて証拠品として仕舞い込み、誠に告げた。
「止血してやれ。だが、気をつけろ」
「はい」
 誠は頷いて一人の男の足に手をかけた。途端につばを吐きかけられ、誠は顔を強張らせる。
「触るな!! 悪魔の手先め!!」
「悪魔……?」
 硫平は怪訝そうな顔をして男を見遣った。男の眼差しは怒りに燃えている。
「何のことだ?」
「決まっているだろう」
 誠は怒りに顔を青ざめさせながら、手早く男の足を止血した。
「邑悸=社だ! 『BGS』を手駒にしやがって……道具みたいに扱って!」
「手駒?」
 硫平はふ、と笑った。
「違うな」
「何が違うんだ。どうせ、お前らはあいつに洗脳されてるんだろう」
 吐き捨てるような口調の男に、硫平は哀れみのような笑みを向けた。
「洗脳されてなんていない。俺たちが邑悸さんに従うのは、俺たち自身の意思だ」
「それが洗脳だっていうんだよ」
 ぶつぶつ呟く男には構わず、硫平は誠に告げた。
「こいつらの見張りを頼む。怪しい挙動をしたら」
 声を低めて脅す。
「撃ち殺せ」
「…………!!」
 無論本気ではない。脅しだ。だが、男たちは大人しく黙り込んだ。
「俺は階下に行く」
「はい」
 誠は頷いた。
 硫平は銃を持ち直し、カートリッジを詰め替える。慣れた作業を手早く終えると、彼は階下に通じる階段を駆け下りた。――春樹=辰川のいる場所まであと少し。

  4

 ARMADAに戻ってきたレイを出迎えたのは、驚いたことに邑悸その人だった。彼に導かれるまま、オフィスに隣接した応接間へと通される。絢爛豪華というわけではないが贅を尽くされたその部屋は、現在の邑悸の地位を如実に物語っていた。
「お疲れ様」
 彼はそう言って微笑むと、レイにソファに座るよう勧めた。
「さっき硫平から連絡があった。いよいよ突入したらしい」
「そう……ですか」
 レイは頷いた。その表情には緊張の色が濃い。チームの者たちを心配しているのだろうか。
「意外にも相手は銃で武装していたらしいけど」
 レイの肩がぴくりと跳ねる。邑悸はそれを見て取り、安心させるように優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。君の先輩たちは、強い」
「……はい」
 穏やかに、しかしきっぱりと言う邑悸に、レイの表情も少し和らぐ。
「大丈夫、リーダーの硫平はとても賢い子だから。きっと上手くやるよ」
「はい」
 レイは微笑みを浮かべ――やがてそれを消した。
「あの、邑悸さん」
「何だい?」
 邑悸の黒曜石の瞳が優しく煌く。レイは俯きがちになり、その両手を膝の上でぐっと握りしめた。
「『FFA』の人たちを逮捕した後は――どうするんですか?」
「どうするって?」
 邑悸は聞き返す。
「だから……その、処罰っていうんでしょうか? そういうのは」
「ああ」
 彼はあっさりと頷いた。
「無論、我々企業が定めた法律というものがあるからね。それに従って裁かれることにはなるよ」
 レイの瞳に影が落ちる。邑悸はすぐに言葉を継いだ。
「でも、彼らは『BGS』だ。少々情状酌量してもいいのじゃないかと、僕は個人的には思っている」
 邑悸のような立場の人間にとって、個人的に思うも何もない。彼がそう言うのなら、きっと「FFA」の人たちはそんなにはひどい処罰をされないだろう――レイはほっと息をついた。
 邑悸はそんな彼女の表情を見遣りながら胸中で苦笑する。――ごめんね、レイ。僕は嘘つきなんだよ。
 ちょうどその時、デスクの上の通信機器が鳴った。
「邑悸だ」
 一瞬にして表情を険しくした彼が答えると、やや息を切らせた硫平の声が届いた。
“春樹=辰川を救出しました。ビル内はほぼ制圧、『FFA』の構成員の拘束もすすめています。こちらはごく軽傷のみ”
「パーフェクトだ。ご苦労様」
 邑悸はそう答えて微笑む。
「春樹=辰川は無事かい?」
“……無事すぎるくらいです”
 硫平のその声に、春樹のものらしい罵声がかぶる。
“おい、てめえ、恩に着せてんじゃねえぞ! そもそも何で俺がこんな目に!!”
「…………」
 邑悸は肩をすくめ、レイが目を丸くした。正直、彼はこの少年に大して興味はない。――今のところは。
「その元気な人質さんにはさっさと帰ってもらいたまえ」
“はい”
 硫平のげんなりした声がする。
「それじゃあ、また後で」
 邑悸はそう告げて通信を切った。真っ直ぐに彼を見つめていたレイの瞳に向けて、邑悸は笑みを浮かべる。
「春樹=辰川は無事だそうだ。良かったね」
「……はい」
 レイの脳裏にキラの、そしてリィの顔がよぎる。彼女たちはきっと喜ぶだろう。
「それじゃあ、そろそろ部屋に戻るかい? 今日はしっかり休みたまえ」
「はい」
 レイは深く一礼をした。
「すみません、お忙しいところお邪魔しました」
「いや。いつでもおいで。また話をしよう」
 邑悸は微笑む。――そうだ、まだまだ僕は君のことを知る必要がある。
「……はい」
 レイは邑悸の意図も知らず、静かにそう答えた。

 レイの靴音が遠ざかっていくのを感じてから、邑悸は別の部下を呼び出した。――チームではなく、彼専属の「スタッフ」たちを。
“邑悸チーフ、ご指示を”
 返ってくる静かな声に向けて、邑悸は告げた。先ほどまでとは全く違う、冷酷な声。
「彼らを説得しよう。『ARMADA』に降り、我々に恭順するようにと」
“はい”
「だが――強情を張るものがいれば、仕方がない」
 邑悸は軽く唇を湿し、囁くように告げた。
「消せ」