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第二章

  1
 
 高等部に新入生を迎えてから、一カ月後。
 大したことではないのだ、と彼は自分に言い聞かせた。ジェットヘリのパイロットが自分を無視することなど、たいしたことではない。自分は彼らよりずっと若い上に社会的には被差別階級の「BGS」だが、ARMADA内での地位はずっとむしろ彼らよりも高く、給料も良く、しかも邑悸=社のチームで動いている。さらに、彼はチーム内でも上位にいる。そんな彼に使われる立場であるという事実は、彼らのちっぽけなプライドを刺激するには十分だっただろう。
 彼らの向かっている先はヨーロッパ大陸随一の研究都市、旧ベルリン。シモン=ウェルナードの生誕地でもあるここは、現在企業支配を受けない独立した学園都市として栄えている。その一角にある、超高層ビルの屋上ヘリポート。ヘリは離陸した時と同じく、アナウンスもなく無言で着陸した。オートでハッチを開けてくれる気配はない。彼は仕方なく面倒な手順を使い、手動でハッチを開け、ヘリポートへと飛び降りた。彼らに聞こえない位置で、小さく舌打ち。
「おお、お疲れさん」
 底抜けに明るい声が、彼を出迎える。
「すまんな、わざわざヘリ出して迎えに来てもろて」
 奇妙な訛りで話す、目の前の男。若い。しかし、彼の上司(ボス)である邑悸よりは年上だろう。三十前後だろうか。長く伸ばした明るい金茶の髪と眼鏡。裾の伸びたシャツとくたびれたパンツ、それらを覆う薄汚れた白衣。いかにも研究者然としている。足元には歪な形に膨れ上がった二つのボストンバッグがあった。
一貴(かずたか)斗波(となみ)や。よろしゅう」
 先に名乗られて慌てた硫平は、慌てて居住まいを正した。
「チームU-20所属、ナンバー・オーエイトの硫平(りゅうへい)鈴摩(すずま)です。よろしくお願いします」
「……ユー、トゥエンティって何や?」
 資料によると入社以来一貴はずっと研究畑にいたとのことだから、組織の仕組みを良く知らないのだろう。硫平は風に乱される黒髪を押さえつけて説明した。
「アンダートゥウェンティ。二十歳以下の『BGS』で構成されているチームのことです。学校の高等部に入ると組み込まれる仕組みになっています。だから十五歳から二十歳までの『BGS』は全て所属していて……、大体百人くらいかな」
「へえ」
 一貴は感心して呟いた。
「それのボスが邑悸か? あいつようやるなあ」
「…………」
 硫平はコメントに窮した。邑悸を呼び捨てにする人間にはなかなかお目にかかれないし、しかも「あいつ」呼ばわりときた。互いに大学生の頃からの知り合いということだから、十年以上の縁ということになるか。
 硫平の今日の任務は、彼をARMADA市に送り届けること。――彼はこれからのARMADAに必要な人材なんだよ、と邑悸は言った。だから、硫平に丁重に護衛して欲しいんだ、とも。
 硫平に対しては相変わらずのパイロットの態度であったが、一方の一貴に対しては異常なまでに礼を尽くした。たとえば、何時間後に到着できるか、といったような硫平の簡単な質問に対しては無視をし、一貴には「寒くはありませんか」「ひと眠りされては」「少し気流が乱れているようです、お気をつけ下さい」などと気遣いの言葉を掛ける。一貴がいつ頃着くかと質問すると、彼らはは即座に答えを寄越した――四時間程度です、と。
「ARMADAでもこんなもんか」
 一貴はぽつりと言った。「BGS」に対する差別の根強さを、彼は研究所の外に出た途端に感じたようだった。
「気悪いやろ、すまんな」
「いえ」
 硫平は驚いたように目を見開き、そして笑った。
「慣れていますから」
「…………」
 ――邑悸は何しとんねん、と一貴はつぶやいた。
 こんなハイティーンの少年に、なんという笑い方をさせるのだ。何かを諦め、受け入れ、それでいて決して許すことのできていない表情。こんな顔をさせてはいけない。そんな想いをさせてはいけない。「BGS」だからという理由だけで、こんな。
「……すまんな」
 一貴はもう一度言った。そうして考える。――異端の研究者と呼ばれた自分が帰ることによって、何かを変えることができるだろうか。「BGS」たちにとって、何か良い方向に。
 できるはずだ。きっと。邑悸も、そのつもりに違いないのだから。
 
 一貴がARMADAに戻って最初にした仕事は、ヘリのパイロットたちの勤務態度に対する疑問点をまとめ、提出するという、まことに研究者らしくないことだった。その報告文を見て、邑悸は即座にパイロットたちに解雇通知を出したという。

  2

 高等部に入学すると実戦訓練のカリキュラムが大幅に増加して、レイら新入生を驚かせた。
 ARMADAには「BGS」によるチームがある。「BGS」は一般人よりも優れた身体能力と知能を有しているという邑悸=社の持論に基づくチームであった。ARMADAでは、「BGS」には徹底的なエリート教育が施され、その対価としてARMADAの「BGS」研究に全面的に協力することが求められる。一般人よりも「BGS」は様々な点で優れた才能を持っている――これは一貴らをはじめととする科学者たちによって既に科学的に実証されている事実であって、人間がこの戦後一世紀の間に失った様々な可能性を彼らは持っているのだと主張する科学者もいるほどであった。
 そのことに目をつけたのが数年前の邑悸=社であり、彼が年齢不相応にARMADAの重役となっているのもその功績によるところが大きい。実際、ARMADAで教育を受けた「BGS」たちは理工学、医薬学、経営、農水産業、軍事に至るまで、様々な分野で能力を開花させ始めており、ARMADAの発展に大きく貢献した。このことに気付いた他の企業も慌てて「BGS」たちの能力の研究に乗り出したが、今ではARMADAとの差は火を見るよりも明らかで、その技術の差は埋めがたいまでに広がっていた。
 「BGS」チームの一部は、戦後悪化したままの治安を維持する為の任務に就いている。殺人事件はなくとも強盗や傷害などの事件は頻発しているし、違法薬物や武器の流通など、専門の訓練を受けた者が対応しなければならない問題は山積しているのだ。「BGS」は体力的にも一般人よりも優れているから、治安維持任務にも適していると邑悸は主張するが、他の企業からは軍隊も同じだと批判を受けていた。市民もまた、自分たちが人間ではないと蔑んでいる者たちに社会の治安を守られるのは自尊心が傷つくのか、彼らが挙げる戦果とは裏腹に、「BGS」への反感を強めている。それは決してARMADA外部のみで起こっていることではないのだが、レイたち「BGS」はそれを知らない。邑悸の、しばしば強引過ぎる「BGS」に関する施策は様々なレベルで亀裂を生んでいるのだった……。
 
「君たちはいわばチームの予備生、実際には順番にチームへと組み込まれることになる」
 教師は、レイら新入生に向かってそう言った。
「基本的には成績順だ。いいね? 尚、チームに入って任務につくようになっても学業は疎かにしないように」
 成績順。レイは思った。だとすると、きっと自分が最初だ。それは自惚れでも何でもなく、ただの事実だった。椿も同意見だという。
 そうして、その日は来た。高等部入学から一ヶ月半。担任教師が、レイを呼び出したのである。呼ばれて行った理事長室には、理事長が――邑悸がいた。見慣れない白衣の男を伴っている。
「レイ、彼がARMADA遺伝工学研究所の新所長、一貴=斗波だ」
「はじめまして」
「……はじめまして」
 レイは礼をした。一貴は少し落ち着かない様子で邑悸を見遣る。
「一貴、彼女は高等部一年のレイ=白瀧」
「あ……ああ」
「レイ、よく来てくれたね。ソファにかけたまえ」
 邑悸はフランクな様子でレイにそう言い、デスクの引き出しからカードを取り出した。
「予想はついていると思うけれど、今日呼んだのは君にU-20のチームに正式に入ってもらって、訓練を開始するためなんだ」
「……はい」
 ここまでは、予想通り。動揺するほどのことはない。レイは思う。
「まだ実戦任務につかせはしないが、後方支援などから徐々に始めて行く。これは君のカードだよ」
 邑悸にカードを手渡されたレイは、そこに記されたナンバーを読んだ。
「ゼロゼロ……」
「ダブルオーと読んでくれ。それが君のチーム内での認識ナンバー」
「はい、理事長」
 レイは頷いた。邑悸は軽く首を横に振る。
「学校ではそれでいいが、チームとして行動する場合、僕のことは邑悸、でいい」
「じゃあ……邑悸、さん」
「うん、それでいいよ。皆大体そう呼んでいる」
 一貴は何故自分がここに呼ばれているのかが分からず、不審そうな目を邑悸に向けている。彼はわかっている、というように頷いて、
「君をチームに入れて任務についてもらう前に、規定の検査がある。その責任者が一貴、君だよ」
「俺?」
「他に誰がいるんだ。書類に書いてあったはずだ。『BGS』の能力値の測定と記録は君の仕事だよ」
 邑悸は笑って二人を促した。
「さあ、早く始めないと今日中に終わらない」
 一貴は頷き、ソファから立ち上がった。
「ほな行こか、レイちゃん」
「『レイちゃん』?」
 声を上げたのは邑悸だった。
「何や」
 一貴が振り向くと、邑悸は悪戯っ子のような表情で彼を見ていた。困ったことに、邑悸にはこの表情が実に良く似合う。
「その呼び方は親密すぎるな。妬いちゃうよ?」
「アホかお前は」
 一貴は呆れたように呟く。
「『レイ』て呼び捨ての方がなんぼかやらしいわ」
「僕はいいんだよ。誰にでもそうだから」
「俺かてせやっちゅうねん」
「分かった分かった」
 邑悸は肩をすくめてそう言い、軽くレイに目配せしてみせた。レイは戸惑ったように視線を揺らし、小首をかしげる。状況が良く飲み込めない。一体ふたりは何を言い合っているのか。
「それじゃあ、これからはチームの一員として。よろしくね、レイ」
 邑悸はデスクから立ち上がりレイの側へと歩み寄ると、その白い手をとって軽く握った。邑悸の手は暖かく乾いていて、レイの冷たい指先によく馴染む。
「…………」
 ふと、視線が交わる。どき、とレイの心臓が跳ねた。彼の深い瞳の色の中に、映り込んだ自分の顔。掌を通して混じりあう温度。未知の快感と、恐怖。ぞわりと肌が粟立った。
 そういえば――彼は覚えているのだろうか。私を孤児院に迎えに来てくれた、あの日のこと。灰色に塗りつぶされた過去の思い出の中で、たったひとつ鮮やかに思い出せる、彼女の大切な記憶。
「何見つめおうとんねん」
 一貴の声で我に返ったレイは、慌てて抗議の声を上げた。
「べ、別に見つめていたわけじゃ」
「あれ? 違ったの?」
 邑悸までもがそう言って笑う。
「む、邑悸さんまで」
 珍しく、レイの頬が紅潮する。――と、邑悸のデスク上でアラーム音が鳴った。彼はそれを一瞥する。
「ごめん、タイムリミットみたいだよ。オフィスに戻らなきゃ」
 邑悸はそう言って握ったままだったレイの手を離すと、皮張りの椅子にの背に掛けてあった上着を手に取った。
「途中まで一緒に行こうね」
「……はい」
「…………」
 一貴の眼差しは、途中から疑念の色を含んで邑悸に注がれていた。他人には分からないかもしれないが、付き合いの長い一貴には邑悸のことが――ほんの少しに過ぎないのだろうけれど――分かる。
 今、邑悸はとても上機嫌だ。それも異常なまでに。いったい何が彼の機嫌を高揚させているのか。一貴はひどくそれが気になっていた。

  3

 そして時は過ぎ――レイが初任務につく、十七時間前。
 春樹=辰川は上海下町に住む何でも屋である。先日、二十歳になった。
 この街はARMADA市として有名だが、少し郊外まで出てしまえばそこは未開発地区だらけだ。戦後かろうじて残っていた旧世界の遺物をそのまま利用しただけの街並みでスラムと言ってもいいような場所だが、そこに住んでいる者は意外と気にしていない。春樹もそういった者の一人だった。
 今回彼が相手にしている顧客は、この辺りによくある非合法反企業組織だった。非合法反企業組織は通称ゲリラと呼ばれているが、その大小は様々で活動実態も様々である。共通するのは企業支配の実態を変え、かつてのような政府による世界統治を目指そうとしていることくらい。時折デモ行進をやってはARMADAの治安部隊――俗に言う「BGS」部隊だ――に取り締まられているが、市民にとってはそれがどうした、というレベルである。
「誰が支配者だって変わらねえのにな」
 春樹が今回売りつけるのは合法レベルのスタンガンだ。それを非合法レベルに改造するのは相手の勝手で春樹は知らない。どうせスタンガンで人は殺せない。銃規制はかつてよりずっと厳しいし、そもそも「SIXTH」の組み込まれた一般人に人は殺せないのだから銃など要らない。
「やれやれと」
 指定された空き地にトラックを止める。このトラックごと、相手に売りつけることになっていた。
「時間通りだな」
 春樹が運転席から降りた瞬間、その後頭部に固いものが突きつけられた。息を呑む。
「……何のつもりだ?」
「振り向くな。これは銃だ」
「……ちょい待ち。俺はあんたらと取引に来た――」
「春樹=辰川だろう? 振り向きさえしなきゃいいんだ。顔を知られるわけにはいかないのでな」
「だったら覆面でもして来いよ」
「……目立つ」
「街中で銃突きつけるのは目立たないとでも?」
「そんなことはどうでもいい」
 明るい褐色の髪の中にごりっと押し当てられた銃身が痛い。春樹は眉をひそめ、その単語を呟いた。――切り札となりうる、単語。

「『BGS』」

 案の定、男の動きが止まった。
「…………」
「お前ら、『BGS』なんだろ? 何のつもりだ?」
「別に、お前を殺すつもりはない」
「当たり前だ。何もしてない俺を殺すって道理があるか」
 はったりである。だが、こう言われれば相手への牽制にはなるはずだ。
「……お前に協力して欲しいことがある」
「あ?」
 男の声の調子が変わっていた。
「ARMADAをどう思う?」
「どう思うったって……」
 春樹は胸の奥で呟いた。――関わりたくない相手ナンバーワン。
「我々はどの企業にも属さない『BGS』の集団だ」
「……あ、そ」
「一般人社会との共生を模索している」
「……ふうん」
「そのためにはARMADAに飼われている状況の『BGS』たちを我々の味方にしたい」
「……と言われても」
「お前の人脈には情報屋やハッカーや武器屋がいるだろう。協力しろ」
「嫌だ」
 春樹はきっぱりと言った。背後の男がたじろぐのが分かる。
「悪いが俺は社会福祉運動家じゃないんでね。あまり金になりそうもないし、あんな巨大企業とけんかする気もない」
「我々を見捨てるのか」
「拾った覚えもねーよ」
 春樹は呟いた。
「それに、企業内の『BGS』はそれはそれで上手くやってんだろ? 無理して共生しなくったってさ」
 と振り向き、春樹は息を呑んだ。背後の男の顔は、左半分がひどい火傷に覆われていた。かろうじて無事だったのだろう彼の左目が、ケロイドの中から春樹をじっと睨んでいた。
「……この火傷は」
 赤黒い皮膚の上を男の指先が這う。片手はまだ春樹に銃を突きつけていた。
「一般人たちに家を焼かれたときのものだ。家族の一人に『BGS』がいる。それだけの理由で、俺の家族は焼き討ちにあった」
「まさか……死んだのか?」
「いいや。お前たち一般人は殺人を犯せない。……だがあの日、家族と暮らしていた頃の俺は死んだ。俺は家族を失ったんだ……」
 男は憎悪に顔を歪める。春樹は彼の顔を見ていられなくなって目を背けた。
「まあいい」
 男は銃を下ろした。
「お前に俺たちに協力するつもりがないのなら、仕方ない」
「……悪いな」
「金はもう振り込んである。しかし少々水増ししておこう」
「へ?」
 驚く春樹に向け、男は言った。
「我々の計画を実行に移すまで、しばらく共に行動してもらう」
 ガキン、と春樹の頭が鳴った。振り下ろされた銃身にしたたかこめかみを殴られたのだ。ふ、と気が遠くなる。
「マジ……かよ」
 春樹は呻いた。家には幼い妹がいるというのに。
「サイテーだ……」
 春樹は毒づきながら、気を失った。