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第九章

  1

 風が強く吹き荒んでいる。「FFA」のアジトのあったビルの屋上からは、旧上海の再開発地区とスラムが一望できた。
「そこから……」
 硫平は風に首をすくめながら言う。
「投身自殺したんだってよ。柳沢っていう、ここのリーダーだった奴が」
「…………」
 レイは端に歩み寄り、黙って下を見下ろした。地上からはおよそ三十メートルほどだろうか。ARMADAの本部近くにはこれの何倍もの高さのビルが乱立しているし、高所には慣れているはずなのだが、それでも柵もなくこうして立っていると純粋に怖い。――ここから、その男は自ら身を投げたのか……。
「何でだろうなあ」
 硫平はぼそっと呟いた。
「そんなにARMADAは嫌な場所かねえ……」
「硫平さんは」
 レイはぽつりと言った。
「どうしてARMADAに?」
「…………」
 硫平はレイの顔を見て、笑う。
「普通だよ。新生児診断で『BGS』だと診断されて――そのまま家族とはおさらば」
「……そうですか」
 ――確か椿も同じ事を言っていた。そして、その話をしたとき彼女は……。
「会いたい、ですか」
「え?」
 硫平がぎょっとしたような顔でレイを見た。
「あの、変なこと聞いてごめんなさい」
 レイは慌てて頭を下げる。
「別に謝るほどのことじゃない」
 硫平は苦笑した。
「家族に会いたいかって? さあ、どうなんだろうな……」
「え……?」
 椿は会いたいと言っていた。けれど、硫平は困惑したように眉を寄せている。
「正直覚えてないんだよ、両親の顔も何も」
「…………」
「そりゃそうだろ。生まれてすぐに離れて育ってるんだから」
「……そう、ですよね」
 私もそれは同じだ、とレイは思った。
「向こうはどう思ってるんだろうな、とは思うよ。やっぱり普通母親は手放したがらないって聞くし。でも」
 硫平の髪が激しく風に煽られる。
「でも……俺の母親がそうだったかは分からないしな」
「…………」
 まるで、硫平の言葉は独り言のようだった。
「俺のことを思い出すときもあるのか……気にならないって言ったら嘘だけど。でも、仕方ないことだ。そうだろ?」
 ――「BGS」である自分は、家族と一緒に生きることはできない。硫平はそう割り切っているようだった。
「ま、俺はそう思ってるけど。でもやっぱり会いたいやつもいるだろうな」
 まるで他人事のように彼はそう言った。
「そういうお前はどうなんだよ」
 聞き返され、レイは寂しげに微笑んだ。
「私は、『BGS』だから親と離れたってわけではないんです」
 レイが孤児院に引き取られたのは生まれた後すぐだったらしく、「BGS」だと分かったのはその後だった。つまり――「BGS」だと分かる前に捨てられた。そういうことだ。
「会いたいとは思わないし、別に――そんなこと、もう今更どうだって良くって」
「…………」
 硫平は黙って少女の横顔を眺める。
「私は」
 レイは目を伏せた。
「ずっとここに居ると思う。どんなことがあっても」
「……どうしてだよ」
「私を迎えに来てくれた人が、ここに居るから」
 その人がそのことを忘れていたとしても、過去は変わらない。その人に対する想いは――変わらない。
「…………」
「私には、他に誰も居ないから」
「……お前、」
 口を開きかけた硫平が、不意に警戒の表情を浮かべた。彼の耳が捉えたらしい足音を、一瞬遅れてレイも捉える。
 バン、と階下に通じる扉が開いた。そこから走り出してくる数人の武装した男たち。硫平は咄嗟にレイの手を引き、物陰に隠れた。
「やばいぞ、あれ」
「え?」
「あの制服、DOOMだ」
「DOOM……」
 ARMADAと同じ四大企業の一である。かつての最大企業で、現在もARMADAを少し上回ってはいるが、そろそろARMADAが抜くのではないかといわれていた。DOOMは最近急激に「BGS」を集めはじめ、今やARMADAに次ぐ人数の「BGS」を抱えている。「BGS」に関する研究も盛んに行われているらしい。
「ま、うちほどじゃないらしいけどさ。それに」
「それに?」
「DOOMと教会とは、裏で繋がっているって話もある」
「教会……」
 教会――「BGS」を敵視する輩の急先鋒。神の下した十戒に背く存在として、教会は手厳しく「BGS」を社会から排除しようとしている。
「なら、どうしてDOOMは『BGS』を……?」
「ま、色々裏の事情があるんだろうよ。それはそうと」
 硫平はレイの言葉を遮り、話を変えた。
「俺とお前のモビールを、奴らは下で見つけたはずだ。ARMADAの『BGS』がここにいるってことが、既に知られている」
 レイは顔をこわばらせた。確かに、何かを探すように視線をめぐらせている男たち――硫平の額に汗が滲む。
「俺たちを見つけて、どういう行動に出るか……分からないぞ」
「どうしますか?」
 緊張でじんわりと体が汗ばむのを感じながら、レイは硫平を見つめる。この場合、経験豊富な彼の判断に従うのがいい。そう思った。硫平もその彼女の思考を読んだのだろう、軽く頷く。
「とりあえず俺が出て話を聞いてみる――もし相手が銃を向けてくるようなことがあったら、先手必勝」
「右肩を目掛けて発砲――ですね」
 レイが訓練で教えられたとおりのことを言った。硫平は頷く。
「じゃあ、頼んだぞ」
 少し青ざめた顔を伝う汗を拭い、硫平はその場所から立ち上がった。
「ARMADAの『BGS』チームU-20所属、識別番号オーエイトの硫平=鈴摩だ」
 良く通る声でそう言い、男たちに一歩近付く。銀色の制服を着た彼らは、少し怯むような仕草を見せた。
「このビルは今、ARMADAの管轄になっている。許可なく立ち入る行為は四大企業間相互条約の第七十四項に違反しているが?」
「…………」
 澱みなく言い放たれ、相手は圧倒されたかのように沈黙を守った。
「責任者は――」
「右へ!」
 レイの声がかぶさり、硫平は咄嗟に右に飛んだ。
 ――ガウン!! 男の一人が銃を構え、発砲する。弾は硫平の左腕を掠めた。レイの声がなかったら、銃弾は今頃彼の胸を貫通していたかもしれない。
「くっ……!」
 服地が裂けて血が滲む。硫平が体勢を立て直し、銃をホルスターから抜こうとした、そのとき。
 ――ガンガンガンガンガン!! 呆れるほどの速さでレイは狙点を定め、引き金を引いていた。
「がっ」
「――つっ!」
 口々に悲鳴を上げて倒れ伏す男たち。一人は弾が逸れたらしく、慌てて照準をレイに合わせたが、彼が引き金を引くより早く硫平の銃に肩を撃ち抜かれた。
「さて、と」
 苦悶する彼らの手からそれぞれ銃を弾き飛ばし、硫平は手持ちの拘束具で彼らの腕を背中へ捻り金具で止める。失血のひどいものには軽く止血をした。
「サンキュ。助かったぜ」
「いえ」
 レイはほっとしたように表情を緩めたが、硫平の怪我を見て眉を顰めた。
「応急処置をしましょうか」
「大丈夫、弾は体内に入ってない。邑悸さんに連絡して、こいつらの引き取り手を来させてもらって、俺の治療はそれから」
 言いつつ彼は白い三角巾を取り出し、止血点に当ててぎゅっと縛った。片手でやっているとは思えないほど手際がいい。
 一方の硫平もまた、内心で彼女に驚嘆していた。実戦は初めてのはずのレイがあれほどの的確な判断、そして躊躇うことなく狙撃した。信じられない。多くの初心者が、訓練を積んでいたとしても実戦ではなかなか引き金を引けないというのに。新人ながら、邑悸が信頼を寄せるのも当然なのかもしれない。
 通信機器を操作する彼を心配げに見つめるレイ。その瞳がどこか底知れぬ色を湛えているような気がして――大した失血でもないのに、くらりと眩暈がした。

  2

「ふうん」
 隣のビルから彼らの様子を見守っていたカイルは、双眼鏡を目元から外して嘆声をあげた。
「さすがだねえ。まだ君のじゃ歯が立たないみたいじゃないか」
 カイルの隣に佇んでいた男は、小さく舌打ちをした。
「何の遊びだ、カイル。貴重な『BGS(サンプル)』を五人も失ったぞ」
「まあまあ、そう目くじら立てない」
 カイルの碧眼が悪戯っぽく光った。
「滅多に見られるものじゃないよ、『BGS』同士の狙撃戦なんて」
「……何を企んでいる」
 カイルより少し背が高く、髪は栗色。眼は緑がかった青だった。アレックス=テラ=ムード。邑悸よりは十ほど年上だが、それでも十分若すぎるDOOMの重役である。カイルとは従兄弟同士の関係だった。
「ここにARMADAの『BGS』たちが来ることを見越して罠を張った――しかし返り討ちにされただけだったな」
 アレックスの眼光が鋭くなる。
「考えてみたら当たり前のことだ。DOOMではまだ、『BGS』の訓練法も確立されていない」
 アレックスは答えないカイルを睨んだ。
「この間の『BGS』ゲリラによるクーデター未遂にも、お前が絡んでいたと聞いているぞ」
「情報魔だな、アレクは」
「カイル!」
 カイルの肩を掴んで自分の正面を向かせ、アレックスは低く尋ねた。
「――お前、何が目的だ?」
「…………」
 カイルは暫く黙ってアレックスの瞳を見つめていたが、やがて軽く肩をすくめた。
「僕は興味があるんだ」
「興味……?」
「『BGS』という存在が持つ可能性を知りたい」
「しかし、教会の長老たちは」
「ああ。拒絶するだろうね」
「それだけじゃない。破門されるかもしれんぞ」
「そうかな? でも」
 カイルは目を細めて窓の外を見遣った。
「DOOMが『BGS』を集めて訓練することには何も言わなかったじゃないか?」
「それは表向き、教会とDOOMは関係がないことになっているからな。口出しすることはできない」
「君はあの老人どもを押さえ込んでいるからね」
 カイルはくすくすと笑った。
「とにかく」
 彼の白い袖がふわりと翻る。
「――僕は力が欲しい」
「……え?」
 アレックスは聞き返した。カイルは視線を彼と合わせない。
「この下らない世界を変える、力が」
「……変えるって、何を」
「そうだねえ、たとえば」
 カイルは聖服の前を肌蹴てみせた。白い胸元にくっきりと残る赤黒い火傷のような痕。それは十字の形をしていて、掌くらいの大きさがあった。
「こんな」
 指先でそっとその痕をなぞりながら、
「馬鹿げたことが起こらないような」
「……カイル」
「人を殺せないからというだけの理由で、全てを神から許されたと思い込んでいる奴らがはびこっていないような」
 カイルは呆れるほどに純粋な微笑みを見せた。
「そんな世界にしたいね……」

  3

 ARMADAの本部内に付設された「BGS」専用の病院で、硫平は左腕の傷の縫合を受けた。入院することになり、個室のベッドに寝かされたが、目は冴えきって眠れない。どうしてDOOMの「BGS」があそこにいて、しかも自分を攻撃してきたのか――考えれば考えるほど良く分からなかった。
「そういえば……」
 ぽつり、と呟く。
「俺たち最近、『BGS』ばかりと戦ってるな……」
 当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。一般人が銃火器を扱うことはないし、そもそも禁じられている。企業の庇護のもとにある「BGS」だけが特例として許されているのだ。――「BGS」の非合法組織も、入手していたようだったが。
「……結局」
 ――俺たちは人間兵器なのかな。そう思うことは悲しくて、少し鼻の奥がつんとする。
「はあ……」
 ため息をついていると、病室の扉がノックされた。
「はい」
『僕だ。邑悸だよ』
 スピーカーを通して流れ込む、低い穏やかな声。
「あ、どうぞ」
 慌てて身を起こすのと同時に、扉が開いた。
「怪我の調子はどうだい?」
 白衣を羽織った邑悸が、ゆっくりと硫平の側に歩み寄った。
「痛む?」
「いいえ」
「そうか」
「白衣、珍しいですね」
 邑悸の白衣を見ながらそう言うと、彼は軽く頷いて見せた。
「ああ。久しぶりに少し、実験をね」
「実験?」
「大学では遺伝子医工学を専攻していたんだ。一貴……所長と同じだよ」
 ――なのに、どうして今は研究から離れているのだろう。不思議に思ったが、口には出さなかった。代わりに言ったのは別のことである。
「DOOMの『BGS』が、なんであんなところにいたんでしょうか」
「さあ、どういうことだろうな」
 邑悸は肩をすくめる。
「問い合わせてはいるんだがね。そんな事実はない、の一点張りさ」
「すみません……俺が証拠映像を撮影できなかったから」
 そのための機器は持ち合わせていたのに、と肩を落とす彼に、邑悸は優しく言った。
「そんなことは気にしなくてもいい。画像があったところで、きっと彼らは否定するよ。合成だとか、何とでも言いようはあるから」
 それよりも、と邑悸は笑みを浮かべた。
「実戦経験のないレイ=白瀧の存在があったにも拘らず、君は十分の事をしてくれた。彼女には怪我はなかったしね。本当に良くやってくれたと思うよ」
「…………」
 硫平の浮かない顔を見て、邑悸はわずかに眉を寄せた。
「どうかしたのかい?」
「……のは俺の方です」
「何だって?」
 邑悸は聞き返す。硫平はぎゅっと拳を握り、今度ははっきりと言った。
「助けられたのは――俺です」
「…………」
 俯いた硫平を眼下に見下ろしながら、邑悸はす、と目を細める。
「……レイが?」
 小さく呟かれたその言葉は、硫平には届かなかった。