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第七章

  1

 カイル=エル=ムードは教会内の自室に戻り、コンピュータを立ち上げた。メールボックスには案の定、ARMADAが「FFA」を制圧したことに恐れをなした他の「BGS」ゲリラからのメールが溢れ返っている。
「やれやれ……」
 首を振るのと同時に、金髪がぱさぱさと揺れた。
「相変わらず、他人頼みなことだ」
 ARMADAへの反乱――話を持ちかけてきたのは、「BGS」組織の方だった。盟主としてカイルを――教会を戴き、ARMADAによる「BGS」支配に異を唱えようと。神に認められぬという刻印が、「BGS」の中では意外にコンプレックスになっているのかもしれない。それとも、彼らは教会を利用しようとしたのだろうか。教会の傘下に入ったように見せることで、市民の「BGS」への偏見を和らげようとしたか。
 ――実際、利用したのは僕のほうだったのだけれど。カイルは皮肉な笑みに唇を歪める。
「しかし――今回は完敗、だな」
 「FFA」のコンピュータを探れば、今回の騒動に加わろうとしていたゲリラ組織のことなど、一網打尽に知れてしまうだろう。ARMADAに各個撃破を狙われては、弱小ゲリラたちに勝ち目はない。
 カイルは深く息を吐きながら、椅子に深々と腰掛ける。
 そもそもまだ機は熟していなかったのに、春樹=辰川から武器を手に入れようと、さらには仲間に取り込もうと、先走ったのは「FFA」だ。危険を察した時点でカイルは側近に命じ、自分がこの計画に関わっていたという痕跡を消した。その代わり、「BGS」を企業以外には許されていない方法で非合法に検査した結果が手元に残せたのだから、今回のことが無益だったというわけではない。それにしても……。
「邑悸=社、か」
 以前何かの会合で会った、あの男を思い出す。自分と同い年くらいの、ARMADAの若き重役。黒い髪と黒い眼を持ち、天使の笑みを浮かべた悪魔。
 カイルの眉がきゅっと顰められた。
「あの男、一体、何を考えている?」
 「BGS」を集めて何をしようというのだろうか。
「アレクの言うとおり、ARMADAは世界制覇戦略でも練っているのか……?」
 あの男の頭脳と「BGS」を使えば、あるいは……? いや、何かが違うような気がする。邑悸はそれほどARMADAに固執しているようには思えない。彼にはもっと個人的な、何か……。
「まあ、それはいい」
 冷たく暗い眼差しで彼は呟いた。
「僕は僕で好きなようにやらせてもらおう」
 たかがこの程度の失敗で、諦める自分ではない。
「それに、『BGS』はARMADAにだけいるわけじゃないし……ね」
 彼はテーブルの上に置かれた通信機に手を滑らせた。しばらくの沈黙の後、彼は滑らかなドイツ語で話し始める。
「やあ、アレクかい? 僕だ、カイルだよ。……ああ、そう。もう君の耳にも入っていたんだね。実はそのことで電話したんだ……」
 イヤカフから流れる滑らかな低音に、しばらく耳を傾ける。
「そうか。それは好都合」
 彼のサファイヤの瞳が鋭く煌いた。

  2

 カイト=オズマは白いひとつなぎの、ポケットもベルトもない服を着せられ、窓のない部屋に拘禁されていた。部屋の隅にはベッドと椅子、ドアは分厚い金属製。トイレは仕切りの向こう側に置かれている。
「…………」
 カイトはベッドに腰掛け、床の一点を見つめていた。――いつ殺されるのだろう。いっそ早く殺して欲しい。
 ARMADAの職員だか「BGS」だかが何かを聞きだそうとしていたようだが、カイトは一言も言葉を発しなかった。やがて、彼らも諦めたらしい。肩をすくめて去って行った。
「ふう――」
 ため息が、何もない空間に溶けていく。このまま、自分も溶けてしまえたらいいのに。これ以上、生きていたって仕方がない。――俺たちは、生きられないのだから。
 ――カツ、カツ……。
 カイトはぴくりと肩を震わせた。遠くから、廊下を人が歩んでくる音がする。食事の時間には、まだ早いはずだが……。
 ――カツ、カツ、……。
 靴音はカイトの部屋の前で止まり、やがて鍵が外される音がしてゆっくりと扉が開いた。
「やあ」
 声を聞いたとき、カイトは耳を疑った。はじかれたように顔を上げる。
「お初にお目にかかるね」
 まるで旧友に会ったかのような表情で、彼に歩み寄ってくる男。たった一人の護衛もつけず、「BGS」の目の前に現れた、この非常識な男は――。
「邑悸……社……」
 呆然としたカイトの顔を見て、邑悸は笑みを深めた。
「名乗る必要はなさそうだ」
「当たり前だ」
 ぽつりと呟いて視線を落とした。一瞬動揺した心も、すぐに冷え切ってしまった。
「僕もいつの間にか有名になってしまったね。やっぱり悪名が高いのかな?」
「…………」
「相変わらずのだんまりかい?」
「……話すことなど何もない」
「そう。でも、僕の方にはあるんだ」
 邑悸はカイトの向かいの椅子に腰掛け、その長い足をゆったりと組んだ。
「君たちが軽率な行動をしてくれたおかげで、クーデターは未然に防げた。お礼が言いたいくらいだ」
「…………」
「今、それぞれのゲリラのアジトに『BGS』チームが向かっている。制圧にそう時間は掛からないだろうね」
「……そうか」
 今更、怒りも湧かなかった。邑悸はそんな彼に、穏やかな、それでいて心の奥底まで探るような、深い色の視線を向ける。
「君は何故、ARMADAに来なかった?」
「何?」
 カイトは思わず顔を上げた。邑悸はひらひらと片手を振る。
「ここに来ればもっといい生き方ができた。君のような有能な人材を、僕らは必要としているんだから」
「飼い殺された自由など、我々は欲しない」
「自由、ねえ」
 邑悸は今までのものとは違う、嘲笑のような笑みを浮かべた。きっとわざとだろう。わざと、俺を煽っている――気付いてはいても、自分の感情の揺らぎを止められない。
「何がおかしい?」
「君たちは自由が何なのか、分かっているのかい? いや、君たちの思う自由が、この世の中に本当に存在するとでも思っているのかい?」
「……どういうことだ」
「『BGS』でない市民だって、誰一人君たちの言うような自由など持ち合わせていないよ」
「…………」
「企業に属しているのは何も『BGS』だけじゃない。誰しもが生活の糧を得るために、企業の中の一員として働いている」
「そんなことは知っている」
「誰もが生まれながらにして、ある程度は運命を決められているんだ――子供は親の影響を受けて育つ。親が経済的に豊かならそれなりの教育を受けられるが、そうでなければ」
 邑悸は言葉を切り、首をすくめた。
「分かるよね?」
「親といられるだけ幸せと言うものだろう!」
 カイトは思わず激昂した。
「俺など……俺など!」
「そう。大抵の『BGS』は親とは一緒に居られない」
 邑悸は平然と彼の怒りを受け流す。
「でも、『BGS』には――うちにいる『BGS』には、等しく高水準の教育が与えられる。教育だけじゃない、生活も保障される。他の企業人と同じように仕事をしてさえいれば、無条件でね」
「その代わりモルモット扱いするんだろう! 検査だとか何だとか言って……」
「健康診断のようなものだよ。良く言われるけど、人体実験など行っていないさ。それは既に四大企業条約で禁止されているだろう?」
 邑悸の言葉がゆっくりと心を侵食していく。
「恋愛も婚姻も、勿論自由だ。まあ、住居とか職種はあまり選べないけど……それがそんなに大したことかな?」
 カイトは目を閉じた。本当は耳も閉ざしてしまいたかったが、それはできなかった。これ以上、邑悸の話を聞きたくはない。聞いてはいけない。
「確かに一般人は『BGS』を認めない。頭の固い教会も同じだね」
 教会。その言葉に、ぴくりとカイトが反応した。邑悸はそれを興味深く眺めながら、口では何も気付かなかったように話を続ける。
「だが、それは何をどうしようと同じだよ。『BGS』は一般人より優れた能力を持つ。これは否定しようのない事実だ。とすれば、当然妬みを生む。人の感情の中で、妬みほどどうしようもないものはない」
 カイトは深く俯き、無反応を貫いた。邑悸は構わず語り続けた。
「だから――君はここで生きるべきだった。ここなら、君にとって一番良い環境を用意できたんだ。……いや、まだ遅くないかもしれないね。全ては君次第なんだよ」
 カイトは、はっ、と目を開けた。邑悸の深い闇色の瞳が、近い場所からじっとカイトを覗き込んでいる。彼の喉が、ごくりと音を立てた。
 ――違う。引き込まれてはいけない。違うのだ。
 違う。
 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
「違う!!」
 カイトは吼えた。立ち上がり、邑悸に詰め寄る。
「お前の言っていることは詭弁だ! 俺たちを丸め込むための……『BGS』を利用するための!!」
「…………」
 邑悸は眉一つ動かさず、黙って激昂するカイトを見上げていた。
「お前に何が分かる! 『BGS』でもないお前に、俺たちの何が分かる?!」
 ――不意に、邑悸の口元が笑みを刻んだ。
「……そうか」
 小さな、それでいてとても力を持った声。
「え?」
 カイトは一瞬動きを止める。
「残念だ」 
 邑悸は緩やかに首を横に振りながら立ち上がる。あくまでも穏やかな微笑を浮かべて。
「とても残念だよ」
「……っ」
 カイトの喉が、小さく鳴る。怖い。体が震え出す。悪魔だ。この男は、悪魔に違いない――!!
 
 その日の夕食を運んできた看守は、天井の梁に引き裂いたシーツで縊死したカイトを発見した。

  3

 カイトの「自殺」の翌日から、ARMADAは本格的に「BGS」地下組織掃討作戦に乗り出した。
 硫平を中心としたU-20チームは勿論、O-20――Over20チームも参加し、騒乱罪を適用して次々に逮捕、牽引した。ほとんど不意をつかれた形となったそれらのゲリラ組織は、応戦するもののあっけなく制圧され、結果一週間も経たずに全組織が潰えた。
 驚くべきことに、その構成員であった「BGS」の九十パーセント以上の者がARMADAの「BGS」チーム部隊に属することとなった――。

 春樹の元をレイが訪問したのは、一連の騒動が終わってしばらくした後だった。実は、「FFA」以降の作戦に、レイは全く関与していない。
「君はまだ少し早いと思ったから」
 邑悸はそう言って微笑んだ。優しいその笑顔はまるで兄のようで、それでも彼女に指令を下したときの彼は既に指揮官の顔だった。
「その代わり、春樹=辰川の元に行って欲しい」
「はい」
 レイは頷く。
「春樹=辰川からは改めて事情聴取を。リィ=スピアフィールドには協力の礼を述べておいてくれ」
「はい」
 僅かながら強張った頬を、邑悸はその指の甲でそっと撫でた。他人に触れられることに慣れないレイは、驚いたように邑悸を見上げる。彼女を見下ろし、邑悸は囁いた。
「大丈夫。君ならできる」
「……はい」
 それでも、レイの表情は浮かない。その原因を邑悸はすぐに察した。彼は彼女の肩をぽん、と叩く。
「今回のことでは、君たちも辛い思いをしただろうけど」
 ――「BGS」同士が争うなんて、考えたくなかった。俯いた彼女に、邑悸は言葉を続けた。
「でも、結果的には多くの『BGS』が仲間になってくれただろう? そのことは良かったと思えないかい? こんなことでもなければ、彼らが我々の元に来る機会はなかっただろう。ずっと、逃げ隠れしながら社会の底辺を生きていかなければならなかった」
 レイは頷く。邑悸さんの言うとおりだ、と思った。
「最後まで我々の仲間になることを拒んだ者もいたけれど……僕も力不足で、どうすることもできなかったんだ。すまない」
「それは、邑悸さんのせいでは……」
 言いかけてレイは口をつぐむ。そういう者は大抵自殺してしまった、と聞いたことを思い出したのだった。
「大丈夫だよ。少しずつ良くなるさ」
「……はい」
 最後に邑悸はレイと目線をあわせ、にこりと微笑んだ。
「さあ、行っておいで。気をつけて」
「はい」
 チームを通して邑悸と接するようになって、まだわずかしか経っていないというのに――邑悸といるときの自分が一番表情豊かであることに、レイはまだ気付いていなかった。

  4

 キラは朝から家中の大掃除をしていた。春樹はそんな彼女を横目で見、ため息をつく。
「お前、何張り切ってるんだ」
「だって、今日はレイちゃんが来るんでしょう?」
「レイちゃん、てなあ」
 ――泣く子も黙る、ARMADAの「BGS」だぞ? 春樹はその言葉を飲み込み、もう一度ため息をついた。
 ARMADAからメールが届いたのは昨日の晩。今日の昼過ぎ、U-20チームのナンバーダブルオー、レイ=白瀧をそちらに向かわせるとあった。硫平のチームメイトということか、と春樹は思った。
「何でそんなに懐いてるんだ? 何かあったのか?」
 隣りのソファに座っているリィに問いかけてみるが、彼女は苦笑して首を横に振った。
「いや、よく分からん。ただ……」
「ただ?」
「イメージとは、違った」
 リィは目を細める。
「私よりも少し年下かな……。礼儀正しい、真っ直ぐな眼をした子だったよ」
 春樹が硫平に対して思ったのと同じようなことを、リィは感じたらしい。
「そうか」
「そんなことより」
 リィは椅子に深く座りなおした。
「今回のことでARMADAの擁する『BGS』の人数はさらに増えた」
「……けど、拒否した一割の『BGS』は」
「ああ。怪しいな」
 リィはあっさりと頷いた。一割の「BGS」が自殺し、残りの全員が「ARMADA」に属することを選ぶなど――常識的に言ってあり得ない。
「殺された……と考えるのが妥当か」
「ARMADAの『BGS』が殺したのか……?」
「さあ? それは分からない」
 彼らを精神的に追い詰め、自殺という方法を選び取らせることも不可能ではないかもしれない。たとえば、薬物を使って……。
「医薬部門に優れたARMADAになら、簡単なことなのかもな」
「……嫌な話だな」
 春樹はため息をついた。
「結局、『BGS』は利用されているだけなんじゃないか」
「…………」
 リィは皮肉っぽく唇をゆがめる。
「何も『BGS』に限ったことじゃない」
「え?」
「市民のほとんどが企業に利用されている。国があったときは、国家に利用されたようにな」
 春樹は虚を突かれたように口をつぐんだ。
「お前や私のように、下町で自由気ままに生きている人間は、そう多くはない。好みもしない仕事を強いられ、それでも生きている。それが大半の人間の生き方だよ」
 春樹はキラの小さな背中を眼で追いながら、ぽつりと呟いた。
「……そうかもな」
 インターフォンの音。
「あ、レイちゃんだ!」
 弾んだ声で玄関に向かう彼女を見ながら、春樹は妹の――いや、この世界の未来を思い――気分が沈んだ。