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JUST KILL TIME

「オラ! てめえ、ナメてんじゃねェぞ!」
「ぶつかっといて、スミマセンで済むと思ってんのか?! あァ?!」
 それは繁華街の風物詩。一貴=斗波は大学帰りの足を止めて軽くその方角を見遣った。
 この近辺でも柄の悪いことで有名な学校の制服が十数人、街角で誰かを囲んでいる。その囲まれている者は随分背が高いらしく、顔の上半分は一貴のところからでも窺えた。額の中央で分けられた黒い前髪。その下の形の良い眉と眼。
「あれは……」
 一貴は茫然として呟く。見覚えのある顔だった。直接の知り合いではないが、囲まれている男は彼の学科内ではちょっとした有名人だったのである。
 名前は邑悸=社。何しろまだ十七歳である。一貴は十九歳で、彼もスキップで一年早く大学に入学したのだが、その彼よりもまだ二つ若い。本来なら彼を囲んでいる者たち同様の学生服を着ているはずの年齢だ。それが理由で囲まれているとも思えないが……。
 さすがに割って入る勇気はないが、彼らが手を出そうとしたなら警察を呼んだほうがいいかもしれない。もしかして邑悸は一人なのだろうか。気になって近づいてみると、輪の中から人を食ったような邑悸の声がした。落ち着きはらっていて、狼狽の色は全くない。
「本当に申し訳ないと思っているよ。君らより目線が随分上にあるものだから、存在に全然気が付かなくってね」
 怒らせるつもりで言っているとしか思えない台詞だ。
 サークル帰りなのか邑悸は「剣」の用具を持っている。そうしていると、童顔のせいもあってますます高校生のように見えた。ビルの壁面に背中を凭せ掛けるようにして、邑悸は何が面白いのかにこにこと笑っている。
「これからはできるだけ下の方にも注意を払うようにするよ」
「テメエッ……」
 激昂した一人が殴りかかる。邑悸は滑らかな動きでその拳をかわした。男はコンクリートにしたたか手を打ち付けてけたたましい悲鳴をあげる。
「やる気か?!」
「僕は何もしていないけど?」
「野郎……ッ」
 一貴は騒動の中心から数メートル離れた物陰で、携帯電話を握り締めて様子を窺っている。本当にまずいことになったら警察を呼ぶつもりだが、邑悸の余裕ありげな物腰にも興味があった。もしかしたらこの状況から彼は何とか切り抜けるつもりなのだろうか?
「…………」
 邑悸は口元に軽く笑みを浮かべると、模造剣を払った。
「怪我させちゃったらごめんね?」

 ――結局一貴が警察を呼んだのは数分後。邑悸が模造剣を収め直した後だった。
 彼の周囲に集っていた男たちの半数は路上に打ちのめされ、半数の姿は既にない。おそらくは退散したのであろう。賢明な判断だ。
 邑悸はといえば全くの無傷で、汗すらかいていないようだ。すたすたと物陰にいた一貴のほうへ歩いてくる。
「…………」
 どうすべきか一貴が判断できないでいるうちに、邑悸は彼の目の前で足を止めた。
「斗波さん……でしたよね?」
「……あ、ああ」
「お茶でも奢ってくれませんか?」
「はあ?」
 先ほどと変わらぬ笑みで、邑悸は言う。
「面白い見世物をお見せしたでしょう?」
 一貴は邑悸を見つめて声もない。
「僕、喉乾いちゃったんですよ。でも今持ち合わせがなくって」
「…………」
 やがて、一貴は軽く肩をすくめた。
「ま、ええわ。安いところやったら奢ったる」
「助かります」
 ――それが、一貴と邑悸が最初に交わした会話だった。

 その場から少し離れた喫茶店でコーヒーを頼んだ後、一貴は正面に座る邑悸に向き直った。
「なあ」
「はい?」
「なんで俺の名前、知ってたん?」
「え?」
 聞かれたことが意外だというように、邑悸は顔を傾けて笑う。
「優秀だって評判ですから」
「どこで評判やねん……。あ、それから別にタメ口でええで。俺のことも一貴、でええから」
「…………」
 邑悸は少し驚いたように眼を見開いた後、軽く頷いた。
「そういう風にいう人は珍しい」
 呟く言葉から敬語は抜けている。一貴はほっと息をついた。
「珍しいって、なんで?」
「ほら、僕って大抵の人より三年も年下だからさ。それなりに気を使わないと疎まれるんだよ」
「……そういうもんか?」
「そうさ。一貴はそういうのなかった?」
「俺は一年だけ下なだけやし……そういうやつは結構おるから、感じたことなかったけどなあ」
 一貴は首をひねりながら言葉を続ける。
「それに、俺は邑悸が二つ下からやってどうとは思わんし。たかが二年早う生まれたからって、それがどうなん? て感じやん。年上でもガキっぽいやつはガキっぽいし、年下でもしっかりしてるやつはしっかりしてる。それだけのことや」
「…………」
 邑悸の視線が観察するように一貴の面に注がれる。やがてそれがふっと和らいだ。
「僕もそう思うよ」
「せやろ?」
 頷いて、一貴は気になっていたことを尋ねた。
「で、さっきのって原因は何なん?」
「ああ……」
 邑悸の顔に、不遜とも不敵とも見える笑みが浮いた。先ほどまでの人懐っこい温和な表情とは明らかに違う、人を食ったような微笑。
「あれね。僕の肩が彼らのうちの一人の頭に当たったんだって。それだけ」
「……それだけ?」
「うん。慰謝料だ、金出せって言うから、イシャリョウって漢字が書けたら払ってあげるよって言ったら何だかすごく怒り出して」
「……そら怒るわ」
「書けないんだろうねえ。それで、その後は見てただろう?」
「何ていうか……俺にはお前が火に油を注いでたように見えてんけど……」
 邑悸は黙って微笑する。肯定なのだろうと一貴は受け取った。
「お前、サークルに入ってるんか?」
「いや? サークルじゃないよ。個人的に通っている道場に行く途中だったんだけど、やっぱり実戦の方が面白いな」
「……それ、自白しとるようなもんやで……」
「ま、非は向こうにあるってことで」
「うーん……」
 邑悸は明らかに高校生達を圧倒していた。最初から挑発のつもりだったのではないか……? うろんな目つきで邑悸を眺めやるが、彼は全く動じることなく笑みを向けてくる。――こいつ……外見に騙されそうになるけど、実は性格かなり悪い?
「……一貴って面白いんだな」
 邑悸は運ばれてきたコーヒーにミルクを一つ入れて言った。
「あ?」
 角砂糖とミルクを二つづつ使いながら、一貴が聞き返す。
「考えてること、顔に出てるよ」
「……何て出てる?」
 半信半疑で問い返すと、邑悸はさらりと答えた。
「『こいつって性格悪い』」
「…………」
「……当った?」
「『外見はええけど』っての付け加えとけや」
 苦笑して一貴が言うと、邑悸は小さく吹き出した。
「一貴って本当に面白いな」
「そうか?」
「うん」
 邑悸はそう言ってコーヒーに口をつけた後、小さく呟いた。

「……退屈だったんだよ」

「え?」
「さっきの、アレ。退屈だったから」
「…………」
 ――やっぱりわざとか。つっこもうとして思いとどまる。
 邑悸の眼に陰が下りていた。
「死にそうなくらいにね。退屈だった」
「…………」
 感情のない言葉に、一貴は思わず息を呑む。
「でも、もうそんな必要もなさそうだな」
 長い睫毛が瞬き、邑悸はそんな一貴を見つめるとニヤリと笑った。
「?」
 怪訝そうな一貴の顔に、邑悸は屈託なく微笑んで見せる。多分、人の悪い笑みを浮かべている時より、こうやって人好きのしそうな微笑をしているときの方がこの男は危ない。一貴は少し警戒して問う。
「どういうこっちゃ?」
 邑悸はその表情のまま告げる。
「一貴が面白そうだから」
「俺はオモチャかぁっ?!」
 ――その時邑悸が笑って答えなかったのは、やはり答えが肯定だったからに違いない。