instagram

BURIED MEMORIES

 全くひどい嫌がらせだ、何件目だよ、犯人はまだ捕まらないの――周囲に集まった同年代の少年少女たちが憤慨するのを眺めながら、少女はそっとその赤い塊を手に取った。温度は、既にそこにない。冷たく固い、それはかつてそこに生命が宿っていたということを少しも感じさせないような、既に物体と化していた。
「レイ、きたないよ」
 隣にいた同級生の少女が心配そうに声を掛けるが、レイと呼ばれた少女はふるふると首を横に振った。
「……このままにはしておけない」
「どこに行くの? レイ!」
 駆けつけた教師が、レイを呼ぶ。レイはそれを――無残に首切られた鳥の死体を両手に捧げ持ったまま、くるりと振り返った。真っ黒な瞳。何ものをも見透かすようでいて何ものをも受け付けないような、深く暗く、それでいて澄んだ闇の色。教師がわずかにたじろぐ。
「……お墓を、作りに」
 レイは軽く会釈をして立ち去った。隣にいた少女――椿が、慌てて後を追う。
「……いったい誰が」
 少女らの小さな背中を視線で追いながら、その若い女性教師はぽつりとつぶやいた。
 「殺人抑制遺伝子」――「SIXTH」の組み込まれた世界にも、「殺意」は明確に残っている。ぽつ、ぽつと地面にしみこんだ赤い雫は、まるでレイの足跡のように残っていた。

 ――いつ気付いたのだろう。自分が普通ではないのだということに。
 物心ついたときには、既に何となく理解していたような気がする。この孤児院に、自分の居場所はないのだということ。本当はここにいてはいけないのだということ。何も悪いことをした記憶はないのに、どうやら自分は何か悪いことをしてしまったらしいということ。自分に科せられた罪が遺伝子レベルで刻み込まれているものだとは、幼い少女にはわかるはずもないことだった。
 レイが己の罪を――罪とされていた事柄について理解することができたのは、彼女が今属している企業、ARMADAに引き取られた後のことだった。
 世界が、文明が再び滅びを迎えぬように。戦争を生き延びた人類の中に組み込まれた人工殺人抑制遺伝子、「SIXTH」。その遺伝子の欠如した遺伝子マイノリティたちは「BROKEN GENE SIXTH」――「BGS」と呼ばれ、新世界における迫害対象となった。生まれながら罪を犯した存在。神に背いた存在。レイのように親に棄てられ、孤児となるものはざらだという――そうしてそのまま死んでいった者たちも、数知れず存在しただろう。
 世界を四分割して支配する大企業、ARMADAが数年前から「BGS」保護政策に乗り出したことで、世界は少し変化した。だが、ひとの意識は――そう簡単には変化しない。
 鳥の死骸が打ち捨てられていたのは、ARMADAの「BGS」が暮らす寮の前だ。何者かの「BGS」に対する悪意が、露骨に透けてみえる。そのことくらいは、十二歳になったばかりのレイにも十分理解できた。そして、ARMADAが「BGS」を保護しているからといって、その社員すべてが「BGS」に対して好意的ではないということも、既に彼女は良く知っていた。
「レイ」
 鳥を抱えて歩む彼女の前に、数名の大人たちが現れた。レイを見下ろす視線には、わずかに警戒の色がある。ARMADAの保安部員だということに気付き、レイは足を止めた。――まるで私を疑っているみたいな目だ、と彼女はまるで他人事のように思う。
「それを渡しなさい。犯人を探すのに必要なんだ。我々がそれを調べる」
「……調べ終わったら」
 レイは彼らを見上げ、尋ねた。淡々とした、細い声。
「ちゃんと、この子を埋めてくれますか」
「…………」
 彼女の問いに顔を見合わせていた大人たちだったが、やがてそのうちのひとりが頷いた。
「わかった。ちゃんと、おれが責任を持って埋葬する。約束しよう」
 若い男性だった。レイの目をまっすぐに見つめている。――多分、この人は嘘をついていない。レイはゆっくりと、それを彼の方へと差し出した。
 手袋を填めた手でレイの手から死骸を受け取ると、彼らは踵を返した。
「……ありがとう」
 レイのつぶやいた小さな謝辞は、彼らに届いていただろうか。
 おろおろとうろたえながらレイに寄り添っていた椿が、彼女の袖を引く。
「レイ、手を洗わないと……動物の血って、きれいじゃないよ。しかも死んでいたんだし。どんなばい菌がいるか、わかったものじゃない」
「ん、うん」
 レイは引っ張られるままに歩いた。椿はきゅっと眉を寄せている。
「レイのそういう優しいところ、好きだけど……あんまり無茶しちゃ駄目」
「椿、」
「レイはさ、もうちょっと自分を大事にしないと。時々無茶するから心配。先生も言ってたよ。『レイは賢いのに、目を離すとふらっといなくなるところがあるから』って」
 担任教師である中年男性の口真似をしてまで力説する椿に、レイはわずかに笑みをこぼした。
「レイ、聞いてる? 本当に、もう――」
「ありがとう、椿」
「え?」
 椿は驚いたように足を止めた。レイはかすかな笑みを浮かべたまま、椿を見つめる。
 ――椿だけだった。無表情で寡黙で、同世代だけではなく時に大人たちからも敬遠されがちな、そんなレイに構ってくれる友達は。
「……あ、あそこ!」
 椿は照れたように赤くなった顔を背けると、中庭の隅に置かれた水道に駆け寄った。
「ほら、レイ! 手洗って!!」
「うん」
 レイは素直に両手を水道の下に突き出した。冷たい水が、白い肌の上に散った毒々しい赤色を洗い流していく。椿がそれを見て、ほっとしたように息をついた。
「…………」
 レイはじっとその赤を見つめていた。水と混じり、模様を描きながら、そしてそれすらも流れ落ちていく。跡形もなく。
 ――いつかも、私はこの光景を見た……。
 薄められていく血の匂い。その残滓が、レイのどこか深い部分を揺さぶる。
 ――赤く汚れた両手。私はそれを……洗って……そして……。
 レイはふと思った。
 
 あの時、「私」は「誰」を殺したのだったっけ……?
 
「レイ? いったいどうし……」
 ぼんやりとしているレイを心配そうに見つめていた椿は、不意に現れた人影に気付き慌てて振り返った。
 長身のその男性は足早に歩み寄ってきたかと思うと、水道の栓を閉め、レイの顔を覗き込んだ。
「――もう、きれいになっているよ」
「…………」
 レイはぼんやりと彼を見上げる。その瞳には、色がない。
 男性は――きっちりとした服装の割にその顔は若く、まだ二十歳前後に見えた――苦笑してレイを見下ろし、その力なくだらりと垂れた手を取った。
「ずいぶん冷えて」
 つぶやくと、コートのポケットからハンカチを取り出し、レイの濡れた両手をそれで拭った。レイはぼうっと、為されるままになっている。レイの奇妙な様子が気になったが、あまりにも青年が落ち着き払っているので、椿はただ黙って二人を見守ることしかできなかった。
 濡れたハンカチを無造作にポケットに押し込むと、青年はレイの両手を自分の手で軽く握った。
「もう、大丈夫だね?」
「…………」
 レイは顔を上げ、こくんと頷く。その様子を見て、青年は安心したようだった。
「そう。――なら、良かった」
 このふたりの間には、言葉のやり取り以上の何かが交わされているような気がする。だが、それが何なのか椿にはわからない。そもそも、この男の人は誰なのか――若いくせに堂々としていて、まるで幹部であるかのような風格を漂わせている。それでいて、レイに対する態度はひどく優しく、まるで彼女を甘やかすかのようだった。
 このひとは、特別なひとだ。直感的に、椿はそう思った。他の誰とも違う、特別なひと。今はそうでなくても、きっとそうなる。私たちは、このひとを知ることになる。
「あなたは、いったい……」
 ためらいがちに口を開いた椿に、青年は穏やかな、それでいて有無を言わせぬ笑みを浮かべた。
「君は、レイの友達かな?」
「レイを知っているの?!」
「知っているよ。当然ね」
 青年はレイの頭を軽く撫で、やがてその手は彼女の頬をたどって、離れた。レイは目を半ば閉じている。その従順な彼女の様子にも、椿は違和感を覚えた。――レイは初対面の人間には決して心を開かない。こんなふうに自分に触れさせることなど、普段ならあり得ない。やはり、レイもこのひとを知っているのかもしれない。しかし、椿は知らない。レイがここに来てすぐ、椿は彼女と知り合った。その椿が知らないこのひとは、一体誰なのか。何故、レイを知っているのか。
 彼は、椿の疑問になど答えるつもりはないようだった。
「レイをよろしく。君たちにそんな想いをさせた『犯人』は、僕が責任を持って探し出すから」
 結局彼は名乗りもせず、まるでレイが自分のものであるかのように扱って――そして、彼女らに背を向けた。
 椿はしばし呆然と見送っていたが、やがてはっと我に返った。
「レイ、あのひとは……」
「椿。戻ろう」
 レイは椿を遮った。その表情は、いつものレイだ。先程までの、ぼんやりとしていた彼女ではない。椿はほっとすると同時に、もやもやとした不安が胸に渦巻くのを感じた。
「レイ……」
「…………」
 レイは何も言うつもりはない、というように口元を引き結んでいる。もしかしたら、何を言えばいいのかわからないのかもしれない。
 ――まあ、いいか。椿はレイの後を追って歩き出しながら、思った。
「レイ」
「なに?」
「私ね――」
 レイとずっとずっと、一緒にいたいと思っているのよ。
「……ありがと」
 レイは足元に落ちた血痕に視線を落とし、そして目を細めた。
「わたし、も」
「うん」
 椿は手を伸ばし、レイの手を握った。――冷たくなんてないじゃない。先ほどの青年を思い浮かべ、椿は声には出さずつぶやいた。レイの手は冷たくない。
 ちらりと視線をやる。レイの小さな手。それを汚した赤――洗い流した水。すべてを優しく包み込んだ、彼の大きな掌。レイの手が冷たくないのは、あのせい……?
「あの人、犯人を探してくれるって言ってたね」
 椿の言葉に、レイは小さくうなずいた。
「犯人、誰なんだろう」
「――わからない」
 ひとを殺せるのは「BGS」だけ。ひとでない動物のことは、誰だって殺せる。
「殺したいと思えば――誰だって」
「…………」
「誰だって――」
 レイはつぶやいた。
「殺したいと、思える――」
 殺意を抱くことは、誰だってできる。「BGS」でなくとも。ただ、殺せるか殺せないかの違い。それは殺意の有無よりも大きな違いなのだろうか。殺したいと願っても、殺すことができたとしても、行動にうつさなければ何も変わらないのでは――。
「ちゃんと、お墓作ってもらえるといいね」
 椿が小さな声で言った。レイは頷く。
「……そうね」
 風が吹く。足元の砂が流れ、レイの手から滴り落ちた血痕を掃き消していった。
 
 
 後日、犯人が割り出された。以前から「BGS」の寮付近に動物の死骸をばら撒いていたというその犯人は、「BGS」ではない一般人だった。詳細は公開されないままに事件は処理され、そして同様の陰惨な事件は二度と起こらなかった。
 そしてその二三カ月後――邑悸(むらき)(やしろ)という、二十歳過ぎの若き重役がARMADAに誕生した。

 ――それは、レイ=白瀧(しらたき)が邑悸=社と三度目の邂逅を果たす数年前のこと。