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いい性格

 無機質な高層ビルディング群の中にあって、その建物は異彩を放っていた。白い土壁風の外壁、高さは三階ほどだろうか。ところどころに嵌め込まれた色とりどりのガラス模様は、ステンドグラスというのだそうだ。古いものではない。あくまで、戦前にあったものを文献を元に模して作られたものである。
「現存していたら良かったのに、って思うよね」
 ゼイン=アルベルトはそういうと、そのグリーンの目を穏やかに細めてみせた。
「文化の破壊は、本当にかなしい」
「……そう、ですね」
 レイ=白瀧はぽつり、と答える。残念ながら、彼女にはあまり美術や文化への造詣はない。彼女の十代後半の記憶は、汗と血の匂いで彩られたものだ。グラスが割れるよりも簡単に砕ける人々の命を、目の前で何度も見てきたのである。
 ゼイン=アルベルトがこの美術館の見学を彼女に誘ったのは、ちょうど一週間ほど前のことだった。大学の先輩にあたるゼインは、元「BGS」であり周囲となかなか溶け込めずにいるレイのことを、何かと気遣ってくれている。一度、一貴に彼のことを話したら「消されんか心配や」とぼやいていたが、レイには何のことかはよく分からなかった。とにかく、彼はとても親切で、紳士的な青年だった。そこにやや露骨な好意の表現が秘められていることに気付くには、レイはそういった機微に疎過ぎた。
 ゼインの父はBUISの重役なのだという。邑悸さんともきっと知り合いなのだろうな、と思ったが、レイは彼の名は黙っておいた。邑悸=社――その名が決して良い印象でもってのみ語られるわけではないことは、レイもよくわかっている。邑悸が時に「ARMADAの悪魔」と呼ばれること、そしてBUISはARMADAと同じ四大企業で、いわばライバルであること。レイはそういった事情に関しては良く理解しているが、ゼインの方はどうなのか。そういった話をしたことがないからよくわからなかった。
「あ」
 二人分の入館チケットを買おうとするゼインを、レイは慌てて止めた。
「私の分は、自分で払います」
「え? いいよ、そんなの」
 笑って首を振るゼインに、レイは食い下がる。
「でも――本当に、いいんです」
「そう?」
 あまりにも必死なレイに驚いたように、ゼインはそう言った。
「奢らせて欲しかったのにな」
「…………」
 渋々ながら引き下がる様子を見せた彼に、レイはほっと息をついた。――自分の分の支払いは、常に自分ですること。僕以外の人間に金銭で借りを作るのは非常に危険だから、覚えておいでね。特に男は駄目だよ。そう言った邑悸の言葉を思い出す。――まあ、一貴になら奢らせても良いけど、とも付け加えていたっけ。
「じゃあ、行こうか」
 肩に伸びた手からするりと身をかわす。訓練で身についた、とっさの動きだった。あまりに自然で、恐らく意図的な動きとは思えなかっただろう。ゼインは苦笑を浮かべたが、何も言わなかった。
 
 
 いらいらとデスクの上を叩く指先。一貴=斗波はそれを見ながら、呆れたようにため息をついた。
「そんなに気に食わんのやったら、行かせんかったら良かったやんか」
「彼女の自由は尊重すべきだ」
「さよか」
 邑悸=社。珍しく昼間からブランデーグラスを傾けており、その形の良い眉はひどくしかめられていた。彼の不機嫌の原因は明らかで、つまりはレイが男性と二人で美術館に出掛けていることなのだった。
「で、相手は誰なんや? 同級生か?」
 朝から一貴のオフィスに居座って動こうとしない邑悸を見るに見かね、一貴は仕方なく相手をしてやることに決めた。今日の仕事は諦めることにする。
「先輩だ。ゼイン=アルベルト。BUIS重役の、ヴィーノ=アルベルト氏の次男だ。兄のサイモン=アルベルトはBUISに入社済み。ゼインがわざわざARMADAの大学に来たのは、いわゆる敵情視察のためではないかと言われている」
 すらすらと答える邑悸に、一貴は引きつった笑みを見せた。
「しっかり調べとんねんな……」
「当たり前だろう。今日だってちゃんと護衛はつけている。レイも尾行の嗜みがあるから、人選には気を遣ったよ」
「誰に頼んだんや?」
「硫平だ」
「…………」
 面倒なことに巻き込まれて可哀想に、と一貴は硫平の顔を胸中に思い浮かべた。
「それにしても、レイちゃんがお前のお気に入りやっていう話はその筋じゃ有名やねんけどなあ。それでもわざわざ手を出すっちゅーのは、大胆というか怖いもの知らずというか」
「手を出す?」
 邑悸は薄く笑った。その笑みの冷たさといったら。一貴はぶる、とふるえた。
「手を出そうものなら、その手を切り落としてやるよ」
「お前が言うと冗談に聞こえんで」
「あ、冗談に聞こえたんだ?」
 一貴は邑悸の言葉を無視し、ため息をついてソファに身を預けた。
「せやけど、レイちゃんもなんで断らんかったんやろな。今までそんなん、応じたことなかったやろ? あの子もええ子やし別嬪さんやねんけど、ちょっととっつきにくいいうか、無口なとこあるしな。デートなんか……」
 ぱりん。
 邑悸の手の中でグラスが割れ、一貴は慌てて立ち上がった。
「だ、大丈夫か?! 怪我は……」
「問題ない」
 どういうわけか、綺麗に真っ二つに割れたグラスをダストボックスに投げ込み、邑悸は白いハンカチを取り出して手を拭った。辺りに立ち込めるアルコールの甘い香り。
「……やっぱり止めるべきだったかな」
 邑悸は両腕を組み、ぶつぶつとつぶやいた。その目はひどく真剣だ。一貴はやれやれ、とため息をついた。
「ほな、迎えに行ったれや」
「……けど」
 この期に及んで躊躇う邑悸は、まるで少年のように頬を淡く染めている。一貴は苦笑した。
「けど、なんや? お前が年上としての余裕を失いたない気持ちはわからんでもないし、レイちゃんとお前の関係は元々が上司と部下やから、あんまりあれこれ指示したないのもわかる。けどな」
 一貴はじっと邑悸を見つめる。
「お前らは、もっとわがまま言い合ったほうがええんちゃうか? 上司でも部下でもないんやからこそ、な」
「わがままを?」
 邑悸は驚いたように目を見開く。――こいつは、家族にわがままを言って困らせたことなんかないのかもしれんな。一貴は思う。こいつはいつでも自分一人の力で真っ直ぐに立って、目の前に立ち塞がるものを切り捨て、ときに踏み躙ってきたのだ。そんな彼が唯一大切に拾い上げ、慈しんできたのが……。
「ん?」
 邑悸の手元の通信機器がささやかな電子音を発した。発信相手を確認した邑悸の表情が曇る。
「硫平、どうした?」
『邑悸さん、レイが!』
「え?」
 その名に、邑悸の顔色が変わった。
『多分対「BGS」強硬派の残党か何かで……武装した奴らが美術館を封鎖して、その中にレイがいるんです!! とにかく、俺は突入します、許可を!』
「待って、硫平」
 邑悸は能面のような無表情でつぶやいた。その白い顔の下にどんなに危険な激情が潜んでいるのか、一貴は良く知っている。
「もしかすると、これは――」
 邑悸は口早に硫平に指示を出すと通信を切り、手早く各所へ連絡した。数分後にはすべての手はずが整い、邑悸は上着を羽織ってソファから立ち上がる。
「じゃ、迎えに行ってくるよ」
「お、おう……」
 一瞬、邑悸が見せた壮絶な眼差しのことは忘れることにして、一貴はレイたちの無事を祈った。

 おかしい、と気付いたのはいつだっただろうか。美術館は決して広大な建物ではない。だが、いつもある程度の人で賑わっていると聞いていた。今、周囲に人気は疎らである。嫌な予感としか言いようのない何かが、レイの肌をちりちりと焼いていた。
 レイは傍らのゼインを振り仰いだ。
「ゼインさん、あの――」
 その時、彼の腕がレイを抱え込み、そのまま二人は柱の影に飛び込んだ。レイが避ける暇も、彼の腕を振りほどく暇もなかった。――キュン、と壁を穿つ穴。サイレンサー付の銃だ、とレイはひどく冷静に思った。ゼインは青ざめた顔で辺りを見回している。
「な、なんだ? 今のは一体……」
「下がって」
 レイは短く言い、頭を下げた姿勢のままゼインの腕を自分から離させた。広くはない展示室である、柱もなく逃げ隠れできるところはない。しかも、素人であるゼインが側にいる。これがかつての同僚たちであれば話も違ってくるのだが、ないものねだりをしても仕方がない。――となれば、できることはひとつ。
「投降します」
 レイは声を上げた。武装した数人の男たちがばらばらとふたりを取り囲み、ゼインが小さく息を呑む。いつの間にか、この部屋に彼ら以外の一般人は見当たらなくなっていた。
 ――しまった。レイは額が汗ばむのを感じた。時間を稼がなければ。――邑悸さんを待つ、時間を。
 覆面をつけた男たちのひとりが、銃でレイを指した。
「その女、ARMADAの狗だった奴だろう。どこかに武器を隠しているかもしれん。身体検査を――」
「や、やめろ」
 ゼインが声を上げる。レイをかばうように腕を広げ、
「ひ、必要ないだろ!! こんな大勢で取り囲んでるんだから」
「――ちっ」
 男は下卑た笑い声を止め、舌打ちをして、銃を構え直す。確かに、複数人に銃をつきつけられている状況ではいくら武器を隠し持っていても勝ち目はない。
 レイはゆっくりと男たちを見回した。
「目的は?」
「れ、レイ?」
 彼女がこの状況で口を開くとは思っていなかったのか、ゼインは驚いたように彼女の名前を呼んだ。
「テロですか? それとも――私たち、いいえ、私を狙った?」
「レイ、黙っていたほうが」
「私は」
 ゼインを遮り、レイはかすかに微笑んだ。
「兵士ですよ?」
「……え?」
 聞き返すゼインをじっと見つめる。
「残念です、ゼイン=アルベルト」
「は――」
 レイは突然、床に見を投げ出して両耳を手で塞ぎ口を開けた。――直後、衝撃が部屋を襲う。飾られていた絵が床に落ち、陶器が砕け散った。
 レイは素早く立ち上がると、腿のベルトに留めていた銃を抜き、隣で呻くゼインの頭に突きつけた。彼らを取り囲んでいた武装集団も、音響衝撃弾に耳をやられたか、よろめき、片膝を付いている。
「動かないでくださいね、ゼイン=アルベルト。私は」
 レイは淡々と言った。
「貴方を――いえ、できれば誰のことも、殺したくはないので」
「……なん、で」
 ゼインがそうつぶやいた時には、部屋の状況は一変していた。治安部隊十数名が部屋に雪崩れ込み、武装集団を鎮圧している。全ては一瞬のできごとだった。
「ありがとうございます、硫平さん。助かりました」
 レイはその部隊の先頭に立つ青年に、軽く頭を下げた。ゼインから目線は外しても、彼につきつけた銃の先端は少しもぶれていない。レイに声を掛けられた青年はゴーグルを外し、苦笑を浮かべた。
「こうなることをちょっとは予想してたんだろ、あの人は」
「レイ」
 ゼインは声を上げた。両腕を上げ、引きつった笑みをみせる。
「銃口を逸らせてくれない? 僕は奴らの仲間じゃないよ……君と同じ、巻き込まれただけで」
「ゼインさん」
 レイは静かに彼を遮った。
「申し訳ないのですが、私の中では疑う余地はないんです。……貴方が彼らとグルだって」
「え……」
 ゼインは絶句する。
「ひとつだけ根拠を言うと……、最初の襲撃の時ですけど、貴方は私よりも早く気付いて、避けましたよね。でも、あり得ないんです。貴方が私より早く銃撃に気付けるなんて。だって」
 レイは肩をすくめる。
「私は数年間、専門のトレーニングを受けているんですよ? そんな私が反応できない気配に、貴方が先に反応するなんてあり得ない」
「それは、たまたま……」
「残りは僕が聞こう」
 ふ、と場の空気が変わった。レイの髪にさらりと触れ、ゆるく絡められた指先。レイは振り向くこともなく、その表情を変えた。喜び、安堵、そして少しの罪悪感。
「…………」
 ゼインは声の主を見上げ、絶句する。
「無事で良かった。――おかえり、レイ」
 邑悸=社。三年前、世界を混乱の坩堝と化した、その張本人が悠然とした笑みを湛え、佇んでいたのだった。

 ゼイン=アルベルトはテロ容疑とレイ=白瀧の誘拐未遂容疑で逮捕されたが、BUISとの司法取引によって永久的なARMADA支配領域外からの退去を命じられ、それ以上の罪は問われなかった。
 邑悸にしては恩情を出したのものだと思った一貴だが、すぐにそれは彼の思い違いだと判明した。アルベルト家はその後、支配していたBUIS関連企業が次々に破綻したことで資産のことごとくを失い、やがて破滅に追い込まれたのである。事件から半年も経たないうちのことだった。
「多分、あれは僕を狙ってのことだったんだろう」
 邑悸はぽつりといった。彼の――彼とレイの暮らす屋敷の応接間。一貴は豪奢なソファに身をうずめていたが、その言葉を聞いて思わず身を乗り出した。
「アルベルトの事件か?」
「そうだよ。レイを誘き出して、誘拐する。僕に対しての人質にするつもりだったんだ」
 はじめはレイを籠絡して仲間に入れようとしたのかもしれないが、うまくいかないので手法を荒っぽいものに変えたのだろう。確かにゼインは美男子ではあったが、と一貴は思い返した。
「動機は恨みか?」
「多分ね。僕をどうにかすれば、世界を変える力を得られると信じていたんだろう。馬鹿らしい」
 邑悸は鼻で笑う。
「人を殺しても世界は変わらない。世界を変えるのは、いつだって生きている人だ。人は生きることで世界を変えるんだよ」
「……なるほどな」
 かつて、世界を変えたのは邑悸だった――彼が生きた結果、世界が変わったのだ。これからも、生きている人々こそが世界を変える。誰かが死ぬことで変わる世界などないのだ、と彼は言う。もし人の死がきっかけで変わったようにみえたとしても、それは結局その人の死後に生きた人々によって世界が変えられたのだ。
「アルベルト家には世界を変える力などない。たとえ僕を殺せたとしてもね――それをわからせてやったんだよ」
 邑悸はうっすらと微笑む。
 やはりアルベルト家を破滅に追い込んだのはこの男なのだ。つくづく敵に回したくない男である。
「けど、レイちゃんが無事でよかったな。……まあ、あんな賢くて強い子が、そうそう傷付けられるようなことはないやろけど」
 一貴が言うと、邑悸は少し顔を曇らせた。
「本当は、僕が彼女を完全に守ってやりたいのだけどね……でも、閉じ込めてしまったら彼女の才能が勿体無いだろう? それに、それはレイの望みじゃない。ある程度は自由に、彼女のやりたいことをやりたいようにさせてやりたいんだ」
「さすが保護者やなあ」
「けど」
 邑悸はくすりと笑った。その笑い方……。嫌な予感に、一貴は眉をひそめる。
「君が、もっとわがままを言えばいいって教えてくれたからさ。その通りにすることにしたんだ。レイは僕のおねだりに弱くてね」
「は? それどういう……」
「秘密」
 人差し指を口元に当て、邑悸は微笑む。一貴はそれ以上何も尋ねることなく、こくこくと頷いた。こんなふうに言うからには、どうせ良からぬことに――聞くに耐えないことに決まっている。
 ――ほんま、ええ性格しとるで。一貴は十年以上前の初対面の時に感じたことを、今もまた繰り返し胸中につぶやくのだった。