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続?佐東さんと須々木くん(6)

 恋人の携帯電話を覗いてはいけない。そこには不幸が詰まっている――と誰かが言っていたような気がする。そして、それを聞いたとき彼女は妙に納得したものだった。たとえばもし浮気を疑っていたとして、その証拠を集めるために携帯電話を見るとする。思っていた通りの結果だっとしたら、それは不幸だ。きっぱりと吹っ切って立ち直れるとしても、その瞬間は不幸に違いない。では、もし何もなかったとして……既に育まれてしまった疑心暗鬼は晴れるだろうか。もしくは、他人の携帯電話を覗いてしまったという罪悪感からは逃れられるだろうか。いずれにせよ、見てしまったことを相手には告げるのがいいのか、それとも胸にしまっておくべきなのか。結局のところ、関係性はぎくしゃくしてしまうのではないだろうか。
 だとしたら、恋人の過去を勝手に覗くのは――卒業アルバムを見てしまうのは? しかも、そのつもりなく知ってしまった場合は。

 佐東侑子は内心途方に暮れながら、目の前に広げられたもの、通称「卒アル」を眺めていた。
 たまたまとある友人の家で飲み会を――「家飲み」をすることになって、もう一人の友人と共にアルコール濃度の低いチューハイをゆるゆると飲んでいたのだが、家主の床に無造作に積まれていた卒業アルバムに気付いたもう一人の友人が、見せて見せてと開け始め、ふと覗いてみたらそこには随分と若い、いや幼い、しかしそれでいて彼女のとてもよく見知った顔があったのである。
 人違いだろうか。いや、でも。
 眼鏡はかけていない。あまり子供らしくない、むすっとした表情。しかし何よりも目を引くのは……。
「この子、髪すごいね?」
 佐東は思わずぎくりと身をすくめた。
「あー」
 その部屋と卒業アルバムの持ち主は(厳密に言うと部屋は借りているものではあるが)、ちらと紙面に目をやった。小学校の卒業アルバムを何故わざわざ下宿まで持ち込んできたのか知らないが、何かの話のネタになるだろうという算段かもしれない。もしそうだとしたら、今まさにその通りの展開になっている。
「その子ね。えーと、名前なんて言ったかな……」
 確か、途中で転校していったんだよね。友人はそう言いながら、その「少年」の顔をじろじろと眺める。
 佐東は何となく、その視線から「彼」を庇いたいような心地になった。たとえその「彼」が、彼女の思い浮かべているその相手の過去ではないとしても。
「別にいいよ、名前なんて。そこまで興味ないし」
 もう一人の友人はあかるく笑い飛ばした。
「ただ、すごい髪の色だなーって思っただけだから」
「だよね、わたしも昔びっくりした覚えがある」
 一度もクラスは一緒になったことなかったんだけどさー。アルバムの持ち主はあくまで軽い調子で言う。
「…………」
 確かに、この髪の色はひどく目立っただろうな、と佐東は思う。茶髪ではない。金髪でもない。オレンジ、といえば一番近いかもしれない。とても小学生には似つかわしくなさそうな色。今大学のの同級生がこの髪の色をしていたとしても――もちろんそれは人の自由ではあるのだけど――やっぱりびっくりしてしまうだろうし、目立つだろう。
 それに、気になるのは髪の色だけではなかった。この、ひどく醒めた表情。瞳の冷たさ。「彼」には確かに少し斜に構えたようなところはあるが、ここまで硬い、人を寄せ付けまいとするかのような表情をしているのは見たことがない。どちらかというと「彼」は人当たりの良い青年で、佐東の前でだけその化けの皮を自ら剥がして見せているようなところがある。多分、「彼」にとってはそれが佐東への甘えなのだろう。
 だが、このかおは違う。
「何か、よくある名字だったんだよね。タナカとか、ナカムラみたいな……でも漢字がちょっと変わってて」
「何それ、侑子みたいじゃん。侑子の名字の、佐東って漢字も少し変わってるよね」
「そうだね」
 佐東は苦笑した。そして確信する。
 やはり、このアルバムの中で一際目立っているこの少年は、彼女のよく知るあの「彼」なのだと。
 何故なら、彼の名字は――「須々木」というのだから。

 須々木裕。
 佐東侑子が高校で出会ったクラスメイトで、今では彼氏――ということになる。多分。いや、絶対。そこを曖昧にしようとすると、彼はひどく不機嫌になる。
 知り合った頃の彼はこの写真にあるようなオレンジの髪はしておらず、銀縁眼鏡にありきたりな黒い短髪の、真面目な男子高校生だった。むしろ成績優秀で品行方正な優等生だったと言っていい。だがその数年前の彼は、彼女と出会った頃とは随分と違っていたらしい。別にそれは構わない。彼女とて、彼に出会う前の自分をすべて曝け出せるかと言われれば、それはノーだ。小学校も中学校も、卒業アルバムなど一度も見返したことがない。親の手前、一度は開いただろうが、それだけだ。そこにはいい思い出よりもずっと多くのいやな記憶が詰まっているから、敢えてそれを掘り起こすような真似をしたくはなかった。だからこそ、勝手に須々木の過去の写真を見てしまったことに罪悪感が募る。
 須々木は、実の両親をほとんど知らないという。父親はさる業界の大物で、母親はその愛人というか何というか、とにかく二人の間には婚姻関係はなく、どういうルートでかは知らないが、書類上は今の両親と養子縁組をしているらしい。とはいえ、ほとんど同居の実態はないのだとか。高校を卒業するまで、実の父親がそれなりの世話係を見繕っていたと聞いた――そして、彼女自身も、恐らくはそういう存在なのだろう女性に一度出くわしたことがある。派手な印象の美人だったが、決して感じの悪い人ではなかったし、須々木もそこまで毛嫌いしている様子ではなかった。やや邪険にしていたように見えたのは、思春期の男子ならではの照れであったかもしれない。
 それはともかくとして――。
「わ、わたし、一回髪染めてみようかなあ」
「…………」
 佐東の言葉に、須々木は少し顔を上げた。そこにかつてのような眼鏡はない。いつしか彼は彼女と会うときにはコンタクトを常用するようになっていて、理由を尋ねたら「邪魔だから」とだけ答えが返ってきたのだが、何の邪魔なのかは聞き返せなかった……恥ずかしくて。
「いいんじゃない?」
 カフェテーブルの上に置かれたグラスに手を伸ばし、須々木は軽く言う。中身は既に随分と減ったアイスカフェラテだった。
「きみのことだから、染めたって暗めのブラウンとか、その程度だろう?」
「う……うん」
 佐東は頷いた。
「そうね、」
 間違っても――。
「オレンジとかにはしないだろうし?」
「…………」
 佐東は絶句したあと、須々木の顔を凝視した。今、何と言った……? まさか、わたしの心の声が漏れてでもいたのだろうか。そんなはずはない。それなのに、何故……。
 須々木は佐東の表情を見て、くすりと笑った。
「凄い顔してる」
「す、凄い顔……?」
 佐東は思わず頬を両手で包む。凄い顔とは、どんな顔だろうか。
「きみはわかりやすいんだ」
 須々木はグラスに刺さったストローを啜った。カラカラと氷が音を立てる。
「…………」
 佐東は視線のやり場に困って、俯いた。彼女の前のグラスは既に空だった。
「ちょっと話題が唐突過ぎたよね」
 須々木は彼女を責めるでもなく淡々と言う。
「それに、今日はなんだかずっとそわそわしていたし」
「そ、そう?」
 そんなつもりはなかった、という彼女に、須々木は呆れたように片眉を上げてみせた。
「きみは隠しごとが下手だ」
「須々木くんが鋭すぎるんだよ」
「そりゃあまあ、他ならぬきみのことだし?」
「…………」
 絶句した佐東は、深くため息をついたあと、ぽつりぽつりと語った。――友人宅でたまたま見た卒業アルバムに、須々木らしき少年が写っていたこと。その時の須々木がオレンジの髪色をしていて、ひどくびっくりしたこと……。
「別にね、髪の色なんてどうだっていいといえばどうだっていいんだけど。今の須々木くんとは関係ないし。ただ、なんていうか」
「そりゃびっくりするでしょ。おれが逆の立場でもびっくりするさ」
 須々木の反応はあっさりしたものだった。
「一応言っておくと、あれはおれの趣味だったわけじゃない。当時のおれの世話係……っていうのかな、その人がやたらと派手好きでね。おれのことは可愛がってくれたけど、その方向性がちょっと間違っていたってわけ」
「そう……」
 佐東は呟く。世話係。いわゆるごく普通の家庭で育った佐東には、かつての須々木の境遇は想像もつかない。
「おれも嫌がらなかったから、同罪といえばそうかな。それに、当時の俺は突っ張っていたから……先生にも反抗的でね」
「そうなの?」
「そうだよ。悪いことはしなかったけど、勉強もサボりがちだったし、完全に浮いてたね」
「ええ……?」
 今の、いや佐東の知る限りの須々木とはあまりにも違っている。佐東は思わず目の前の彼を凝視した。須々木は苦笑する。
「何度か転校して……小学校五年の頃、転校先で出会った先生がなかなかに熱い人で」
「…………」
「『人は見た目じゃないというが、ある程度の見た目は自分で選んだ結果じゃないか? だとしたら、見た目の、少なくとも一部はその人の内面を表しているんじゃないのか』」
 ――身長や顔立ち、場合によっては体重、体つきもだが、そういった外見の部分は何らかの方法で変えられたとしても、自分の意思ではどうにも選べないこともある。生まれついての肌や目、髪の色などはそうだ。生来のものを変えてしまうことは簡単ではないし、むしろそれは尊重されるべきものだ。だからこそ、人は見た目で判断してはいけないと言われる。だが、本当に見た目の全てがそうなのか?
「たとえば、普段身につける服や持ち物には好きな色や形を選んでも何の問題もないけど、葬式には皆画一的な黒い喪服を着るよね。それは喪に服していることを自他に示す為で、葬式は自分の個性を主張するのに適した場ではないから。それでも自分の好きな服を着ることをやめない人がいたら、遺族は失礼な人だと感じるだろうし、周囲はその人を非常識だと思うだろう。それがたとえどんなポリシーに基づいた行動であったとしてもね。それと同じで、おまえが髪を奇抜な色に染めているのを他人がどのように見ているか、そのことによる自分への影響を考えてみろ、それはおまえが望んでいることか? ってね」
 その先生が面白かったのは、決してその髪の色が悪いとは言わなかったことだ、と須々木は言った。
 ――おまえが髪を染めるのは自由だが、それを見て周囲の人がどう思うかも自由だ。その意味がわからないおまえではないと思うけどな?
「『おまえはまだ子供だから――少なくとも未成年だから、保護者の影響が強いんだろう。もしかしたら、今は逆らえないのかもしれない。だが、そうだとしても、覚えていて欲しいんだ。おまえにとってどうすることが得で、どうすることが損なのか。おまえはどう感じるのか』」
 須々木は懐かしむように目を細めた。
「『何も、他人の目を気にして生きろと言っているんじゃない。ただ、自分を他人にどう見せるか。自分を自分でコントロールすることが、他人から自分への心象をコントロールすることにも繋がる。覚えておいて損はないぞ』――なんて、小学校の先生が言うことじゃないよねえ」
「……それで、やめたの?」
「そうだね。親に連絡をとって、『保護者役』を変更してもらった。着せ替え人形にされるのも潮時だな、と思って。髪も傷むしさ」
 髪の色だけじゃなくて、服の趣味も酷いものだったんだよ――続けて、須々木はあっさりと言った。
「その方が、おれにとって得だと判断した。勉強にも力を入れられるようになったし」
 血のつながりはないとはいえ、面倒を見てもらっていたというその相手に情はなかったのだろうか。そもそもそんなものはなかったのか、それとも敢えて情など持たないようにしていたのか、彼女にはわからなかった。どちらにしても、寂しいことだと思った。
 須々木はかつて、早く大人になりたいと言っていた。力が欲しいのだと。それはもしかしたら、かつての彼が大人たちに振り回されたせいなのかもしれない。何度も繰り返した転校とやらも、そのひとつなのかも……。
「…………」
 佐東が出会った頃の須々木は、既に自分を――自分が相手に与える印象を上手にコントロールしていた。毒気のない優等生、近寄りがたい雰囲気ではなく、程々の親しみやすさもあって。
 でも。
「わたしには、割と最初から遠慮がなかったような気がするんだけど……」
「そうかな?」
 首を傾げる佐東に、須々木は涼しい顔で笑う。
「まあ、そうかもね」
「どうして?」
「…………」
 少しだけ目を細めて、彼は言った。
「おれが、きみにそうしたかったからだよ」
「…………」
 佐東は少しだけ言葉に詰まって、それから小さく、そっか、と呟いた。理由になっていないような気もするが、須々木がそう言うのならそれでいいと思った。少なくとも、そう言われて佐東は嫌ではなかった。
 あの頃の自分は、むしろ他人の目を気にし過ぎていた。他人から見た自分の印象をコントロールするどころか、自分が他人の目に――しかも幾分被害妄想じみてもいた――コントロールされる始末で。須々木はそんな彼女を見抜き、歯痒く思っていたのかもしれない。
「……それで? 本当に髪を染めるつもりなの」
 須々木は佐東に尋ねた。
「え? うーん……」
 佐東は口ごもった。正直話のきっかけにしたかっただけで、さほど真剣に検討していたわけではない。
「須々木くんは、どう思う?」
「なんでおれ?」
 聞き返す須々木の視線を避けるように、佐東は目を伏せた。
「……須々木くんがどう思うかは、聞いておきたくて」
 須々木は基本的に彼女の服装等にはあまり口を挟まない。意見を聞けば答えてはくれるが、それくらいのことだ。佐東も須々木のファッションに意見することなどなかった――そもそも男性物なんてよくわからないし。
 だとしても。
 佐東は苦し紛れのように、言葉を絞り出した。
「コントロールできるものは、しておいたほうが得なんでしょ?」
 つまりは――少しでも、あなたによく思われたいってことなのだ。
 須々木が眼鏡をつけなくなった理由も、多分似たようなものだと思うのだけど。
「…………」
 須々木は少し目を見開いて、やがて小さく声を立てて笑った。
「なにそれ? かわいいなあ」
「…………」
 須々木の笑い声を聞きながら、佐東は俯く。もう、髪の色なんてどうでもいい。今はただこの顔の色のせいで、しばらく面をあげられそうになかった。