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続?佐東さんと須々木くん(4)

 年が改まっても、彼は相変わらずの彼だった。彼女を見つけて別に満面の笑みを浮かべてくれるわけでもなく、駆け寄ってきてくれるわけでもない。マフラーに顎先を埋め、ダウンコートのポケットに両手を突っ込んだ姿のまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 ――それでも、と佐東侑子は思った。去年のクリスマスにそのマフラーをあげたのはわたしだし、眼鏡を掛けないのはわたしと出掛ける時だけだって知ってるし、そもそも彼が他人に対してにこやかに振る舞うのなんて、猫をかぶっている証拠なんだから。いつも通りの彼に会えることが、一番安心するのだ。
「あけましておめでとう」
 ぺこり、と頭を下げると、彼――須々木裕は、うん、と頷いて見せた。
「おめでとう」
 電話回線越しでなく直接この声を聴くのもクリスマスぶりだ、と佐東は思った。というのも年末年始彼女は実家に帰省していて、同じ高校出身である須々木も当然そうするものだと思っていたのだが……。

「いや、おれはそっちには行かないよ」
 須々木が当然のようにそういうものだから、佐東は驚いたものだった。
「実家、帰らないの?」
「実家っていうか」
 須々木は苦笑を浮かべる。
「高校の時に住んでいた家は、もう引き払っちゃったから」
「あ……」
 佐東ははっとして、そして自分の浅はかさに落ち込んだ。――そうだ、高校時代も須々木くんはほぼひとり暮らしだって言っていた。ご家族とは住んでいない……いや、そもそも住んだことがないって。
 ――つまり、彼に「実家」なんてものはないのだ。
「ま、普通は帰るでしょ。君がおれの事情を気にする必要はないよ」
 あっけらかんという須々木に、佐東は何故だかかなしくなった。
「…………」
「なに? そんなにおれに会えないのが寂しいの」
「そ、そうじゃなくって――い、いや、違うってわけでもない、けど……あの……」
 混乱して顔を赤くする佐東に、須々木は小さく噴き出した。
「いつこっちに戻る予定? 戻ってきたら会おう」
「ええと、四日の夜……かな」
「じゃあ、五日だ」
「うん」
 頷いた佐東は、ふと思いついて提案した。
「じゃあ、五日は初詣に行かない?」
「初詣?」
 須々木は意外そうな声を上げた。
「ご家族と行くんじゃないの」
「それはそれ、これはこれっていうか……須々木くん、行く予定ある?」
「いや」
 須々木はかぶりを振った。
「おれ、そもそも初詣って行ったことない」
「ええ?!」
 あまりに意外なセリフに、佐東は素っ頓狂な声を上げた。須々木は眉を寄せ、唇を尖らせる。
「そんなに驚くことかなあ……」
「受験前も行かなかったの?」
「あんな、風邪やインフルエンザの蔓延している時期にわざわざ混雑の中に繰り出すのって、リスク管理がなってないと思うけどね。そんな暇があるならひとつでも過去問解いた方が役に立つだろ」
「…………」
 可愛げのない台詞で一蹴され、佐東は口を噤んだ。須々木はさすがに言い過ぎたと思ったのか、とりなすように付け足す。
「まあ、神頼みの効果を否定する気はないけどね」
「じゃあ、初詣以外のところに行く?」
 そう尋ねた佐東に、須々木は意外にも首を横に振った。
「いや、初詣行こう。行ってみたい」
「……ほんと? 無理してない?」
「なんでおれがきみ相手に無理しないといけないの」
 須々木はあっさりとそう言い放つ。
「ですよねー……」
 佐東は思わず苦笑して、そして少しばかり安堵した。そう、須々木は彼女の前で決して無理をしない。したいことをしたいと、したくないことはしたくないとはっきり言うし、そして彼女にも同じように振る舞って欲しいと望んでくれる。たとえ意見の相違があったとしても、そのときは話し合えばいいのだと。無理をしてひとに合わせることで無難な生き方をしようとしていた佐東には難しいことだったし、今でもうまくできているかわからない。つい、無理をして自分を押し殺しそうになる。だが、須々木はそれを許さない。彼女のちょっとした変化に気付いて、必ず彼女の本音を――時に彼女自身も自覚していないのに――引き摺り出す。その強引さが時に怖くもあり、それでいて何よりありがたいと思う。とはいえ、いつまでも彼に甘えているわけにもいかない。少しずつ、須々木くんには無理をしない自分でいることに慣れていかないといけない……。
「じゃあ、五日は初詣ね」
「うん」
 須々木はその切れ長の目を細めて少しだけ笑った。
「楽しみにしてる」
 須々木が知っているかどうかはわからないが――その嘘のない自然な笑顔が、佐東は何より好きなのだった。

 ――そして、初詣である。
「一応、一般的なマナーは予習してきた」
 須々木はそう言いながら、軽く会釈をして鳥居の端の方をくぐった。佐東もそれに続いて歩く。
「真ん中は神様の通り道なんだろう? だから端を歩かなきゃいけないって」
「……そういうの、気にしない方かと思ってた」
「マナーっていうのは周りの人を不快にさせないためのものでもあるからね」
 手指を清めながら、須々木は澄ました顔である。
「あと、非常識だとか無教養だとか、見くびられないための武器」
「……さすがです」
 佐東はそう言いつつ、ふと思った――自分の場合、常識のほとんどは親に躾けられてきた。だが、須々木にはそれがなかった。だからこそ、自分でできる限り調べる習慣がついたのかもしれない。そういう彼の努力家であるところも尊敬しているし、好きだと思う。本人には言えないけれど。
 五日とはいえ、境内は未だ混雑していた。本殿への流れに並び、神前へと向かう。
 二拝二拍手一拝。
 ふたりは並んで手を合わせ、佐東はしばし目を閉じた。地元の神社で願ったことと、同じことを願う。――家族が皆健康でありますように。それから、須々木くんと仲良くいられますように。須々木くんが幸せでありますように。
 胸中に唱え終わって目を開けると、須々木は既に礼を終えて彼女の顔を見つめていた。
「な、なに」
「いや?」
 揃ってその場を後にしつつ、須々木は言う。
「何を熱心にお祈りしてるのかなって思ってさ」
「す、須々木くんは何を」
「内緒に決まってるだろ」
「……そう」
 呟いてから、佐東はくすりと笑った。
「もしかして、何にも考えてないんじゃないかと思った」
 ただ作法として倣っただけで、実際は神頼みなんてしないんじゃないかと――だが、須々木はかぶりを振った。
「そんなことない。せっかく来たんだ、お願いはしたよ」
「…………」
 何をだろう。今まで一度も初詣も、そもそも神社への参拝もしたことがない様子の須々木が、この初めての初詣で一体何を願ったのだろう。佐東は好奇心が膨らむのを感じたが、それ以上は尋ねなかった。個人的なことだ、あまり踏み込むのも良くない。代わりに別のことを言った。
「お守りは買う? おみくじは?」
「佐東さんはおみくじ引いたの?」
「うん」
「じゃあ、改めて引く必要はないね。おれも要らない」
「お守りは?」
「…………」
 須々木はにやりと笑った。
「お揃いでなら、買ってもいい」
 顔を覗き込まれ、どう? と尋ねられる。佐東はむっとしながら、それでも自分の希望に嘘はつけなかった。
「買う」
「うん」
 よく言えました、とでもいうように頭を撫でられる。きっと、最初から須々木もそのつもりだったに違いない。佐東はまんまと嵌められて言わされてしまったなあ、と思いつつも、それでもどこか頬が緩むのを抑えきれなかった。
 ――そういえば、高校時代の花火もわたしと見に行ったのが初めてだと言ってた。手作りのお弁当も、わたしがあげたのが初めて。初詣の初めてもわたしと。きっと、お守りを買うのも初めて。
 わたしよりも物知りで、頭もよくて、しっかりしていて、それでも須々木くんにはいろんな初めてがあって。それを、ひとつずつわたしと一緒に経験してくれている。そのことが、何だかとてもうれしい。
 赤と青のお守りを揃いで買って、ふたりは神社を後にした。鳥居を潜る前にくるりと向きを変え、須々木は再び会釈をする。程なく頭を上げた彼は、ぽつりとつぶやいた。
「……今まで、神頼みしないと叶わない願いなんてなかった」
「…………」
 佐東は黙って須々木の顔を見上げる。
「自分の力でどうにかなること以外、誰かに願っても無駄だって思ってたし、今でもそう思ってはいる」
 自分の力でどうにかなること――多分それは須々木にとって勉強であり、受験であり、己の教養であり、そういうことだったのだろう。そして、自分次第で実現できることは自力で努力するが、それ以外のことは願っても無駄なのだと、彼はそう見切りをつけてしまっていたのだ。見知らぬ母のこと、会えぬ父のこと、情の薄い義両親のこと。彼らに何かを祈ること、願うことを、彼は決してしなかった。
「けど」
 不意に須々木の手が伸びてきて、佐東のそれを握った。そして、有無を言わせずそのまま自分のコートのポケットに突っ込む。
「きみの健康やしあわせは、おれひとりじゃどうにもならない」
「…………」
 佐東は息を呑んだ。――じゃあ、須々木くんがここで願ったことっていうのは、それは……。
「おれの力が足りない部分は、神様が力を貸してくれるように――まあ、現金なものだけどね」
 照れたように鼻を鳴らし、須々木は言う。だが、佐東は首を横に振った。
「わたし、」
 思わず声が詰まる。
「わたしが、須々木くんの分はお祈りしたから……」
 そして、繋がれた手をぎゅっと握り締めた。言葉にならない思いのすべてが、指先や掌を通じて伝わればいいと思う。須々木くんに幸せでいて欲しいと思う、わたしの気持ちすべてが。
「……うん」
 頭上から降る須々木の声は、やさしい。
「今年もよろしくね、佐東さん」
「……はい」
 顔を上げられない彼女の髪に、須々木がそっと顔を寄せる。こめかみに触れたあたたかな感触に、佐東はますます顔を赤くした。