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続?佐東さんと須々木くん(3)

 クリスマス前のどこか浮足立った空気が、佐東侑子は嫌いではない。街が明るくライトアップされ、心弾むBGMが足取りまでもどこか軽いものにしてくれる。
 佐東が大学生として迎える初めての冬休み、クリスマス、年末年始。受験生であった昨年とは随分違う、と彼女は思った。
 秋から始めたアルバイトも順調に続いている。彼女はとある塾で中学生を相手に英語を教えているのだった。高校生クラスでは須々木が数学を教えている。そもそも、バイト先を決めてきたのは彼だ。うまく二人の授業の曜日が重なるようにして、その後に一緒に夕飯を食べる。これで、少なくとも週に一回は会えるだろう、と須々木はどこか満足げにそう言うのだった。
 今のところ、大学の新しい友人たちには彼の存在は知られていない。わざわざ知らせる必要もないし、知られてあれこれ詮索されるのも嫌だし――それに何より、須々木の通う大学を知られれてしまえば、彼氏のいない友人に合コンのセッティングを頼まれるのではないかと、それを恐れているせいでもあった。もしそうなったとして、須々木は了承するのだろうか、それとも拒否するのだろうか。どちらにせよ、そんなことに彼を巻き込みたくはない。だから、彼氏の話になったときは曖昧に笑って誤魔化しておくことにしている。気配を殺すのは佐東の得意技だ、なんの問題もない。

 師走に入ってすぐの、アルバイトの日。仕事を終えた佐東は、いつものように須々木とともに深夜まで営業しているファミリーレストランに入った。ほとんど毎週ここだな、と佐東は思った。別に嫌ではない。値段もお手軽だし、メニューも季節ごとに限定のものが出るから飽きることもない。今もやはり、彼女は自分の食べた分は自分で支払うことに決めているのだった。
 佐東の前にあつあつのドリア、須々木の前に和風ハンバーグが運ばれてきたところで、彼が口を開いた。
「そろそろクリスマスだけど、どこか行きたいところある?」
「行きたいところ?」
「ほら、いろいろあるだろう……イルミネーションとか、他にもイベントとかさ」
 須々木は眼鏡を軽く指先で押し上げ、じっと佐東を見つめた。休日に会うときはコンタクトにすることの多い彼だが、バイトの日は眼鏡と決めているらしい。別に、どちらだって須々木くんではあるんだけど。
「ううん……まだ、考えてなかった」
 佐東は正直に答えて、須々木くんは? と聞き返した。ドリアを軽くスプーンでかき混ぜると、真っ白な湯気がふわりと立ち昇る。
「おれは……」
 須々木は何か口に仕掛けたが、思い直したようにはたと口をつぐんだ。
「なに?」
「まさかと思うけど、予定はあけてくれているよね?」
「予定?」
「二十四日と、二十五日」
「別に、何も予定はないけど……須々木くんがそういうの気にするって、ちょっと意外」
 思わずそう呟いた佐東に、須々木はわずかに眉を寄せた。――あ、しまった、と佐東は思う。
「なに、おれがクリスマスを楽しみにしちゃいけないわけ」
「そ、そういうわけじゃ」
「ケーキだって食べたいんだけど? 今まで食べたことないし」
「えっ」
「チキンだって、ファストフードでいいからさ。クリスマスっぽいことがしたい」
「…………」
 佐東は口をつぐんだ。――そうか、須々木くんの家は……。だが、須々木はそんな彼女の同情心を拒むように手を振った。
「別に、今までできなかった埋め合わせがしたいんじゃない――やろうと思えばうちにいた家政婦や友人とだってやれたんだから。ただ、今年は」
 ――君とだから。
「君がいるから、ね」
 須々木は真っ直ぐに佐東を見ている。その瞳に浮かぶ想いの強さが、彼女には少し怖くて、それでいてひどく心地良い。
「予定、あけとく」
 佐東は目を伏せがちにしてそう言った。
「友だちがパーティしようとか言ってたけど、バイトだって言えばいいし……」
「ちょっと待って」
 須々木は彼女の言葉を遮った。
「どうして嘘をつくわけ? 彼氏と過ごすって言えばいいだろう」
「それは……そんな……」
 佐東は口ごもった。
「めちゃくちゃ詮索されるし……須々木くんの大学知られたら、絶対合コンとか頼まれるし……そんなことしたくないし」
「そんなの、俺に断られたって言えよ」
 ――これから先、ずっと嘘つくつもりかよ。
 須々木の表情がみるみる険しいものになっていく。これはどうやら怒らせてしまったようだ、と佐東は内心ひどく動揺した。須々木はしばしば彼女に厳しいことを言うが、本気で怒ることはほとんどない。こんなときどうしていいか、彼女にはわからない。
「じゃ、じゃあ……」
 それでも、佐東は往生際悪く反撃を試みた。
「須々木くんは、か、彼女いるって、普通に言ってるの……?」
「当たり前だろ。聞かれないのに言って回ることはしないけど、聞かれれば言う」
 嘘をついてまで隠すなんて、君に失礼だ。須々木はきっぱりとそう言った。佐東は俯いた。
 ドリアの湯気が、少しずつ冷めていく。
 ――はあ、と須々木がため息をついた。
「じゃあさ、もしだよ、今君の周りにいる男子に告白でもされたら、どうするわけ?」
「それはもちろん、断る……」
「なんて?」
「あの……」
 佐東は既にしどろもどろだった。
「友達としてしか見られないから、付き合うのはちょっと、とか……」
「それって微妙に期待を持たせる言い方じゃないかなあ」
 須々木は呆れたように苦笑する。
「おれは君にとって、ひた隠しにしないとならないような、その程度の存在(もの)なの? ひとに知られたら恥ずかしいの?」
「そういうんじゃ、」
 佐東は慌てたように言った。そんなこと、あるはずがない。
「むしろ、わたしなんかと付き合ってるせいで、須々木くんに迷惑掛けたら申し訳ないから……だから……」
「……『わたしなんか』、ねえ」
 須々木は肩をすくめる。
「そういえば、君がそういう思考をすることは意外でもなんでもなかったよ」
「…………」
 呆れられてしまったのだろうか。醒められてしまったらどうしよう。佐東はクリスマスに高揚していた気分とは真逆の、どん底の気分になって須々木を見つめた。彼はまじまじとそんな彼女の表情を眺め、そうしてふっと笑った。
「そんな泣きそうな顔するなよ――別に、本気で怒っちゃいない。ちょっとだけがっかりした、それだけ」
 ――まあ、そう人は簡単には変わらないってことだよな。
 須々木は自分に言い聞かせるようにそう言うと、佐東がテーブルの上に置いたままにしているスプーンをひょいと取り上げた。
「食べないから、冷めちゃったよ?」
 ドリアをすくい上げ、佐東の口の前に突き出す。
「はい」
「へっ?」
「今、知り合いはいないだろう? これくらいはいいんじゃないかな」
 須々木はにやにやと笑いながら、彼女の赤くなる顔を見ている。
「ほら、あーん」
「…………」
 佐東は観念して、口を半開きにした。そこに押し込まれたドリアは、思ったよりも冷たくなかった。ほんのりと、人肌程度にはまだあたたかい。
「そう簡単には冷めないよ」
 ――それは、ドリアの話? それとも。
 佐東はもぐもぐと頬張りながら、須々木の顔を見つめる。
 わたし、もっと頑張らなくちゃ。胸を張って須々木くんの隣に立てるように。誰にも恥じることなく、堂々と彼の隣を歩めるように。わたしの自信のなさに、須々木くんを巻き込んじゃいけない……それは、須々木くんの足を引っ張るってことだ。
 今度、友だちに彼氏がいるのか、と聞かれたら、そのときは。
「あっ」
 不意に、須々木が声を上げた。佐東はびくり、と肩を震わせる。
「な、なに?」
「クリスマス。行きたいところがある」
「えっ、どこ?」
「言わない」
 須々木は澄ました顔でそう言った。
「あてられるものなら、考えておいて。ずっと」
 ――おれのこと。
「考えていて」
「…………」
 佐東は俯き、ぼそりと言った。
「……いつも、めちゃくちゃ考えてるんだけどな」
 今須々木くんは何をしているんだろう、とか。寒いけど風邪を引いていないかしら、とか。これ美味しいな、須々木くん好きかな、とか。毎日毎日、彼のことを考えない日などないのに……まだ、足りないというのだろうか。
「よくばり」
「なに?」
「う、ううん」
 なんでもない。佐東は慌てて首を横に振る。
 須々木はにんまりと笑ったまま、またひとくち、ドリアを彼女の口に押し込んだのだった。

 ――そして、クリスマス・イブ当日。
「…………」
 佐東は唖然と自分の右手を見つめた。薬指に、シンプルなシルバーのリング。何故、こんなことに……。
 ショッピングモールでの待ち合わせは、今から二時間ほど前。須々木に連れられるがままにアクセサリーショップを巡り、何となくきれいだな、と思って見ていたものを強引に試着させられ、そうして一番いいな、と思ったものがいつの間にか買われて彼女の指に着いていた。お揃いのものが、須々木の指にもある。あまりの手際の良さに、佐東が口を出す隙など全くなかった。
「あの……おかね……」
 かろうじて出たセリフが、これである。須々木は眼鏡越しでない視線を彼女に向け、くすりと笑った。
「いいよ。プレゼントだから」
「で、でも」
「ちゃんと着けといてよ」
 念押しするように、須々木は言う。
「うん」
 佐東は頷き、そして口元を綻ばせた。
 薬指を飾る、細いリング。嵌めた瞬間はひんやりとしていたのに、今は熱をもっているような気すらする。
 小さくも確かな存在感が、彼女をやわらかく、あたたかく、切なく縛る。

 繋がっている。
 離れていても、繋がっていられる――。

 外すわけがない。外せるわけがない。ずっとずっと、そこに在って欲しい。
「…………」
 じっと己の顔に注がれている須々木の視線に気付き、佐東はゆるみきった頬を引き締めた。
「あの……ありがと」
「どういたしまして」
 須々木は慣れた手つきで眼鏡を押し上げかけて、今日はそれがないことを思い出したようだった。軽く咳払いをして、彼女の左手を捉え、握る。
「次は、こっちね」
「…………」
 佐東は聞こえなかったふりをしながら、己の左手を握る須々木の右手の、そこにあるシルバーリングの存在を確かめる。
 ――わたしが、ずっとここに居られますように。

「あのね、須々木くん」
 佐東は思い切って口を開いた。
「実は……」
 それに続く彼女の言葉を聞いた須々木が、いつもは涼やかに落ち着いている、その切れ長の瞳を大きく見開く。そこに映る自分は、ひどく幸せそうに、赤い顔で微笑んでいた。

 ――彼女の部屋の冷蔵庫に眠るケーキの出番まで、あと少し。