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佐東さんと須々木くん(12)

「シンデレラ、さっさとここ掃除して!」
 シンデレラ……? 誰のことだろう、と訝しみながらも彼女ははい、と答えた。こういう金切り声には覚えがある。逆らってはいけない声だ、と彼女は本能的に判断した。
「今日はお城の舞踏会なのよ、後でドレスの着付けを手伝って」
 また、別の声。彼女を見下し、見くびり、侮っている声音。
「わかりました、お姉様」
 わたしに姉などいただろうか……? 考えてから、ああ、と合点する。そうか、わたしはシンデレラ。お母様を亡くし、新しいお母様がやってきて――新しいお姉様と一緒に、わたしをいじめるのだ。お父様は見てみぬふり。他の使用人たちも同じ。憐れむような視線をくれても、言葉を掛けてはくれない。それじゃあ、なんの意味もないのに。
 そんなものだ、みんな。みんな自分が可愛くて、自分が大切。
 自分以外の誰かがいじめられているうちは、自分はいじめられないだろうと思っているから。だから、見ないふりをする。気付かないふりをする。
 そうだ、わたしは良く知っている。わたしをいじめる人を、それを傍観する人たちを、ずっと前から、良く知っている。
 でも、おかしいな? そこから逃れるために、わたしは何かしたはずだったのだけど……。
 シンデレラは薄汚れたスカートを見下ろし、じっと考え込む。すぐに義母や義姉に見つかってどやされた。一日中休む間もなく働き、夕方には着飾った二人を城に送り出して――シンデレラはほっと息をつく。
 彼女に与えられているのは、寒々しい物置部屋。鼠が入り込み、足元を駆け回る。追い払おうと箒を手に取ったところで、小さな声が彼女の名前を呼んだ。
「シンデレラ、シンデレラ」
「え?」
 彼女は顔を上げた。そこにいたのは、大きな三角帽子にマントをまとった、いかにも魔法使い然とした美女だった。マントの下は、妙に露出度の高いイエローのミニワンピースを着ている。はて、どこかで一度見た顔のような……?
「貴方を城に行かせたげる。あの子、貴方を連れて来いってうるさいんよ」
 何故か魔女は訛っている。シンデレラは首を傾げた。
「連れて来い……って、誰が?」
「まあまあ、行ったらわかるから。ほな」
 魔女は金色に輝くステッキを振りかぶり、辺りに並べたかぼちゃと鼠、そしてシンデレラに向けて振り下ろした。
「ビビでバビでブー!!」
 何かが違うような……戸惑うシンデレラだったが、魔女は自分の魔法の出来栄えに満足しているようだった。
「ばっちり。シンデレラちゃんは控えめやから、こういう落ち着いた色のドレスが似合うわ」
 シンデレラは自分の姿を見下ろし、赤面した。身にまとうのはネイビーに細かなパールと刺繍があしらわれた、上品なドレス。靴は繊細なガラスの靴。ぴたっと足を包む感触は、決して悪くない。髪もアップスタイルにまとめられ、花とパールのコサージュがアクセントになっている。
 かぼちゃは豪華な馬車に。ネズミは御者に。
「十二時には魔法が解けるから、気いつけるんよ! 王子様によろしくねーん」
 お城に行きたいなんて一言も言った覚えはないんだけどな……。しかしシンデレラは有無を言わせず魔女に送り出され、城に向かうことになったのだった。

 城に着いたはいいが、シンデレラは舞踏会の会場になど気後れして入れない。遅れて入って、人の目につきでもしたら……義母や義姉に見つかってしまったら。
 彼女はこっそりと中庭に回り込んだ。きらきらときらめく噴水を見上げ、嘆息する。ワルツを奏でる管弦楽の音が遠く響いていた。
「なんで、こんなことに……」
 十二時までにはまだ時間がある。シンデレラはぶるりと肩を震わせた。少し冷えてきた。屋外をぶらつくための格好ではないのだ、当たり前かもしれない。
「そもそも何しに来たんだかわかんないし。早めに帰ろうかしら」
 つぶやいた時、背後に人の気配を感じた。
「また、そんなふうにこそこそして」
「え?」
 振り返った彼女の目の前に佇むのは――。
「す」
 違う。彼は、王子様だ。黄金の糸や宝石で彩られた、真っ白な礼服。少し切れ長の、冷ややかな黒い瞳が真っすぐに彼女を見ている。シンデレラは後ずさり、彼に背を向けて逃げ出そうとした。しかし――。
「逃げるの?」
 その問いに、足が止まる。
「逃げては駄目だよ。周りの言いなりになってるだけじゃ、何も変わらない。同じことが繰り返されるだけだ」
 なぜ、見知らぬ王子にそんなことを言われなければならないのか。シンデレラはおそるおそる振り返る。
 王子は悠然と腕を組み、彼女を見つめていた。――やはり、どこか見覚えがあるような……。
「自分を虐げるものには、自分で反撃しなきゃ」
「は、反撃って言われても」
「じゃあ、きみは今のままでいいの?」
「…………」
 シンデレラは俯いた。――このままでいいとは思っていない。でも、どうすることもできないのだ。家から逃げ出しても行くところなどない。義母にも、義姉にも、彼女に一人では勝てそうにない。父は当てにならない。誰もわたしの味方なんていない……。
「助けてあげようか」
 王子が一歩、彼女に近づいた。にんまりと笑い、顔を寄せてくる。
「きみにそのつもりがあるのなら、おれが力になってあげる」
「うそ」
「なんでわざわざ嘘をつかなきゃいけない?」
 王子は肩をすくめた。シンデレラは口ごもった。
「だって、理由がない。わたしを助ける理由なんて、貴方にはないでしょう……」
「礼なら後でもらうから、心配しなくていい。大切なのは、きみの意志だ」
「……なんで」
 シンデレラはぽつりと言った。
「なんで……初めて会ったばかりなのに、どうしてそんなこと」
「初めてじゃない」
 王子はきっぱりと遮った。
「きみと会うのは、初めてじゃない」
「……え?」
 鐘の音。
 シンデレラははっとして、時計塔を見上げた。十二時。
 魔法が溶けてしまう……! 
 シンデレラは駆け出した。ガラスの靴は走りにくく、彼女は躊躇なく脱ぎ捨てた。王子の声が、背後から響いた。
「おれから逃げられると思うなよ」
「…………」
 振り返った先で、王子は彼女のガラスの靴を拾い上げている。一瞬、目があった。
「……わかった」
 シンデレラはつぶやく。
 帰ったら、義母や義姉と戦ってみよう。父にもちゃんと、訴えよう。
 それでもだめなら――ガラスの靴を、返してもらいに来よう。
 シンデレラは駆けて駆けて、そして――。

 鐘の音、いや、違う。これは、チャイムの音。
 佐東侑子ははっと飛び起きた。そうだ、ここは高校の保健室。授業中にどうにもお腹が痛くなって、ここで休んでいたのだ。
 夢を見るほど熟睡していただなんて、なんだか恥ずかしい。
「へんなゆめ……」
 シンデレラだって。佐東は思わず笑ってしまった。しかもあの王子様とやら、どこからどう見ても……。
「起きた?」
 ベッドを覆うカーテンを無遠慮に開けたのは、彼女の同級生、須々木裕だった。夢の中で見た顔が、学生服を着て、銀縁の眼鏡を掛けている。
 佐東が思わずぽかんと彼の顔を見つめると、須々木は怪訝そうに首を傾げた。
「何?」
「ううん、あの……」
 佐東は顔を伏せた。夢を頭から追いやり、現実を取り戻す。
「わざわざ来てくれたの……?」
「もう授業終わったからね。担任に見て来いって頼まれた」
 これまた無遠慮に、須々木は彼女のいるベッドにどさりと腰掛ける。
 彼に声が掛かった理由は、彼が彼女の席の近くであることと、もうひとつは彼が非の打ち所のない優等生であることだろう。彼はいつも穏やかで、親切で、真面目で、そんな絵に描いたような優等生を「演じて」いる――佐東の前以外では。
 佐東に対しては、意地悪で、冷たくて、それでいて何かと絡んでくる、どうしようもないクラスメイトだ。彼女がかつていじめられていたという過去も知っているし、だからこそ彼女はできるだけ目立たず、大人しく、普通に、平凡に過ごすことを目標としているのだが、そんな佐東を須々木は面と向かって嘲笑う。そんな目標なんて下らない、しようもない、と彼は言い切るのだった。
 須々木は鞄から取り出したノートを、佐東の傍らに置いた。
「これ、孝端(たかはし)の。宿題もメモってある。渡しといてって頼まれた」
「あ、ありがと……」
 彼の口にした名前は、彼女の友人のものだ。後でお礼のメッセージを送っておこう、と佐東は思う。
「で? 帰れそう?」
「う、うん。大丈夫」
 変な夢を見るほどしっかり眠ったせいかはわからないが、腹痛はもうすっかり良くなったようだった。汗をかいたのか、ひどく喉が渇いているくらいだ。
「これ」
 須々木が不意にスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、佐東に手渡した。
「飲んだら。冷えてるから、一気飲みはしないほうがいいと思うけど」
「え……」
 佐東は須々木を見つめる。その平然とした横顔は、やはり夢の中で出会った王子そのままだった。
「これ、須々木君が買ってくれたの……?」
 須々木は頷き、淡々と返答した。
「別に大したことじゃない、それくらい」
「ありがとう」
 佐東はぺこり、と頭を下げた。なんだかとてつもなく嬉しくなって、佐東は俯いたままぎゅっと目をつぶる。
「……ありがとう」
「飲めそう?」
「うん」
 佐東は蓋を開け、ごくりと一口飲んだ。冷たい感触が、乾いた喉を潤してくれる。
「美味しい」
「…………」
 須々木の手が、ペットボトルを取り上げた。驚く佐東の目の前で、彼はその蓋を開けて口をつけ、喉を鳴らしてひとくちふたくち、嚥下する。
「…………」
 あっけにとられる彼女の手に、突き返されるペットボトル。
「じゃあ、おれは帰るから。鞄、そこに置いてるし」
「え、あの」
「何」
 思わず呼び止めると、須々木は半身だけカーテンから覗かせ、に、と笑った。
「一緒に帰りたいの? 途中まで送ってやろうか?」
「い、いらない!」
「遠慮するなって。鞄持ってやるよ」
「うう……!」
 人質のように鞄を取り上げられ、佐東は唸る。
 ありがたいような、迷惑なような。佐東は身を縮めながら、結局は須々木とともに下校することとなったのだった。

 ふと思う――夢で見たシンデレラは、あの後どうしたのだろうか。
 ちゃんと、義母や義姉に抗議しただろうか。父に自分の想いを訴えることができたただろうか。それでもだめなら、あの恐ろしく須々木に良く似ていた王子に、力を貸してもらえただろうか。もしそうだとしたら――その後が恐ろしいけれど、それは考えないことにする。
 佐東はペットボトルに口をつけた。さっき須々木がそうしていたことは、この際気にしない。きっと、須々木は何も気にしてなどいないのだ。そうに違いない。
 だから、彼の横顔が何となく赤いのはきっと夕陽のせい。そうに決まっている。
 なぜならきっと、わたしの顔も同じ色をしているだろうから――。