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第十三話 シオノアリサ

「んー……」
 目の前の少女は眉間にしわを寄せながら、手元のスマートフォンの画面を睨んでいる。
「思ったより伸びないわね……」
「伸びないって、何が?」
 七星英は向かいに座るその少女に問い掛けながら、手元のカフェラテをずず、と啜った。同じものが少女の前にもある。早く飲まないと冷めちゃうのにな、と英は思った。
「ラテアートも最近は珍しくもないから、仕方ないのかもしれないけど……」
 少女はぶつぶつと言いながらなおも画面を見つめている。
「えー、でも美味しいよ?」
「味は写真に撮ってもわかんないじゃない? だから、見た目が一番」
「あ、そう……」
 英は口を噤み、再びカップを口元に運んだ。SNSって大変なんだな、と独りごちながら。

 七星英がクラスメイトであるその少女、汐野(しおの)亜里沙(ありさ)に声を掛けられたのは、ちょうど今日の授業が終わり放課後を迎えた頃だった。
「七星さん、いきつけの喫茶店があるんだって? 教えてくれない?」
「あー、うん。いいよ」
 ちらと嫌な予感がかすめたものの、断る理由がない。英はあっさりと頷いた。
「でも、地味な店だよ」
「そういう穴場っぽいのが受けるから」
「受ける?」
「そ」
 亜里沙はにこにこと笑っている。長いさらさらとした髪に巻かれたブランドのマフラー、教師に目を付けられない程度に施された薄いメイク。鞄についているのは、とある有名テーマパークのマスコットキャラクターのキーホルダーだ。変な言い方だけど、汐野さんはものすごく女子高生している、とぼんやり英は思う。
 英の内心を知る由もなく、亜里沙は小首を傾げた。
「そこ、ラテアートしてくれるんでしょう?」
「うん、まあ」
 それをしてくれるのはとんでもないやつだけどね――とは言わない。言えるはずもない。まさか、「悪魔がバイトしているんです」などと言おうものなら、自分はどうかしていると思われてしまう。
「汐野さんが気に入るかはわからないけど……」
「いいのいいの、とにかく撮ってみたいだけだから」
 ちょっとでもネタになりそうなものなら、試してみないとね――亜里沙はそう言うと、やや腰の引けた英を伴ってその喫茶店「ロンド」へと向かったのだった。

  ※

(なるほど、SNSに写真をアップしたかったのね)
 亜里沙は彼女と英の分のカップが運ばれてくるなり、そのふたつを並べてスマートフォンを構えた。何枚も写真を撮りながら、ああでもないこうでもないと位置を変える。
 英はそれをぼうっと眺めていたが、ふとカウンター奥に立つ青年に目を遣った。喫茶店「ロンド」唯一のアルバイトにして、英の天敵。いや、人間の天敵と言ってもいいのではないかと思う。何しろ彼は人間ではない。悪魔なのである。何故悪魔のくせに器用なラテアートができるのか、それは英にもよくわからない。今は人好きのする笑顔を浮かべて(そんなものはただの仮面でしかないと英はよく知っているのだが)、英と亜里沙を見守っている――ふりをしている。その名を、櫟原という。きっと本名ではないのだろうが、悪魔に本名を問い詰めるのも無意味な話だ。
「ここ、結構スイーツも美味しいよ?」
 気を取り直して亜里沙に声を掛けると、彼女はメニューを一瞥した。
「そうね……ワッフルにしようかな」
「ソースは? チョコとベリーと、」
「七星さんの好きなのでいいわよ。私、食べないから」
「食べないのに頼むの?」
 目を瞬かせる英に、亜里沙は苦笑した。
「太っちゃうでしょ?」
「……そうね」
 英は力なく笑った。その分のカロリーは私のお腹の中に入るってことか。
 櫟原にベリーソースのワッフルをオーダーして、英は再び亜里沙に向き直った。亜里沙は忙しくスマートフォンの画面をスクロールさせている。時折タップしているのは、何かの操作のためなのだろう。そんなにせわしなく見ないといけないものって何なのかしら、と英は思った。
 いつの間にか手元に戻ってきていたカフェラテの上では、ラテアートで描かれたくまがゆらゆらとわずかに揺れている。

「七星さんはやってないの?」
「SNS? うん、やってないなあ」
 不意に問われ、英は曖昧な笑みを浮かべて答えた。やっていないのは事実である。実のところ、以前流行りに乗ってアカウントを取ったことはある。しかし、あまり使わないうちに面倒になって消してしまった。元々それほど写真を撮る方でもないし、撮ったものをひとに見せたいとも思わない。毎日毎日ひとの写真を見るのも正直面倒くさい。
「私、面倒くさがりだからさ」
「ふうん、もったいない」
 何がもったいないのだろう、と英は思った。
「楽しいよ? いろんなひとが『いいね』くれたり、フォローしてくれたり」
「へえ」
「でも、なかなか増えないのよねー……」
 なるほど、写真をたくさんの人に見られたいのか、と英は思った。
「うち犬飼ってるんだけどさ。犬の写真とかは結構伸びるのよ」
 伸びる、つまりたくさんの人に見られる、ということなのだろう。多分。
「あとはスイーツとか……カフェとか」
「そうなんだ」
 汐野さん、カフェラテ飲まないのかな、と英は思った。
 櫟原の持ってきたワッフルのプレートも亜里沙は写真に収め、そして英の方へと押しやった。
「ほんっとうに要らないの? 美味しいよ?」
 念を押す英に、亜里沙は苦笑する。
「じゃあ一口もらうわ。ありがと」
「うん」
 それを聞いた英は、ほっと息をついた。

「でも、どうやったらもっとフォロワー増えるのかなー」
 亜里沙はようやくカフェラテに手を伸ばした。きっとぬるくなってしまっているだろう、と英は思う。
「そりゃもちろん、芸能人みたいにいっぱい見てもらえるとは思わないけどさ……」
「見て欲しいの?」
「そりゃそうよ。そのためにやってるんだもの」
 かわいいもの、カラフルなもの、きれいなもの、写真映えのするそういったものを探して、亜里沙は日々出掛けているのだという。大変だなあ、と英は思った。
「おしゃれにも気を遣うようになったし、楽しいよ?」
 コーディネートした私服に「いいね」がたくさんつくと、自分が褒められているようでとても気分がいいのだという。そのために、彼女は夏休みも冬休みもアルバイトをしていたそうだ。長期休み以外のアルバイトは禁止されているから仕方なくその期間だけ、だという。
「すごいねえ」
 英はしみじみとそう言った。休日の私服など、自分が快適に過ごせればそれでいいと思っている英である。無論おしゃれに興味がないわけではないし買い物も好きなのだが、いちいち誰かに見せるつもりで選ぶのは気疲れしてしまいそうだ。
 何はともあれ、今の亜里沙の生活はSNSが中心にあるのは間違いのないところだろう。まあ、本人が楽しければそれでいいとは思うけど、というのが英の偽るところのない感想である。
 ――不意に、ふたりの上に影が落ちた。
「人気者になりたいんですか?」
 その声に、英ははっと見上げる。――櫟原さん……!
 青年は先ほどまでと寸分違わぬ笑みを浮かべながら、亜里沙をじっと見下ろしていた。
「え、ええ、まあ……」
 亜里沙は気圧されたように頷きながら、櫟原を見返す。
「店員さん、すごく格好いいから、自撮りアップしたら人気出そう」
 あはは、と笑う亜里沙の上に、櫟原は僅かに身を屈める。
「もし、その願いが叶うとしたら」
「願い……?」
 亜里沙はどこかぼうっとした表情になって櫟原を見つめる。英ははっとした。
「櫟原さん!」
 大声を出したつもりだった。しかし、櫟原も亜里沙も全く反応しない。櫟原はどうせ無視しているのだろう。英が――かつての契約によって悪魔(かれ)の眷属となってしまった英が、何を言おうが知ったことではないとでもいうところか。

 櫟原は悪魔である。
 ひとの「願望」を叶える代わりに、そのひとの「何か」を喰らう悪魔。

「フォロワーが増えて、『いいね』が増えれば、貴方は満足でしょう?」
「そうね……そうなったら、うれしい……」
 亜里沙は何かに浮かされたようにそう呟く。英はぎりぎりと奥歯をかみしめた。
 ――そういえば最初からおかしかった。なぜ、亜里沙は英の行きつけの店のことを知っていたのか。彼女がさびれた喫茶店に立ち寄る習慣を持っていることを知る親しい友人でさえ、そこでラテアートの施されたカフェラテが飲めるなんてことは知らないはずだ。英はできるだけ知人をこの店には近寄らせないように、櫟原の餌食にはさせないようにしているのだから。それなのになぜ、亜里沙はこの店を知っていた? ラテアートに興味を持った? 何らかの理由で彼女が持つ強い願望に気付いていた櫟原が、どうにか手を回して英に彼女を連れて来させたのではないだろうか?
 以前ここに来たアイドルに、クラスメイトに、幼馴染に、その他様々な人々に起きたことを、英はこの目で見ていた。見ているしかできなかった。今もまた、同じことが起きようとしているのか。
「でも、願いには代償が必要ですよ」
 櫟原は低く囁く。
「それでも、あなたは望みますか?」
「代償……?」
 亜里沙が問い返す。櫟原は頷いた。その瞳があやしく赤く光る。
「貴方のアップした写真に映ったものが誰かの記憶に残れば残るほど、貴方の中のそのものに対する記憶は薄れてしまう――というのはどうでしょう?」
「…………」
 ――それはつまり、と英は慄然とした。たとえば亜里沙のペットの犬の写真を見たひとが、その犬を記憶すればするほど、彼女自身は愛犬のことを忘れてしまう、そういうことか。もし亜里沙の自撮りを見たひとが亜里沙を記憶したら? 一緒に写る家族を記憶したら? 友達を記憶したら? 亜里沙の記憶はどんどんなくなってしまうことになるではないか。
「そんな馬鹿な、」
「そのくらいのことなら」
 英の反論を遮って、亜里沙は頷いた。
「構わないわ」
「汐野さん!」
 英は悲鳴のような声を上げた。
「忘れちゃってもいいの? 全部、全部――」
「それでは、契約成立ですね」
 今の亜里沙に英の声は届いていない。櫟原がちらと英を横目で見遣って、そしてにやりと笑った。悪魔の笑み。
「きっと、貴方は人気者になりますよ――」
 慇懃に、それでいながらどこかに嘲笑うような声音を潜ませてそう告げた櫟原は、スマートフォンを持ったままだった亜里沙の手の甲へと恭しく口づけた。

  ※

 やがてふと真顔に戻った亜里沙は、そろそろ帰らなくちゃ、と英を残して「ロンド」を後にした。彼女はほとんど食べなかったワッフルの分も払うというから、さすがに英は固辞した。「そう? 別に写真の為に買うなんてよくあるのに」と彼女は不思議そうにしていたが。
「ふふ、ご馳走様」
 亜里沙の背中を見送る英の頭を、大きな手がぐりぐりと撫でる。英は腹立たしそうにそれを払い除けた。
「ちょっと、『願い』と『代償』が釣り合ってなくない……?」
 釣り合っていればいいというものでもないが、アンフェアなのはなおよくない、と英は思う。しかし、振り返った先で櫟原は澄ました顔をしていた。
「そうかな? たいして意味のない『願い』だったから、こちらもたいしたことない『代償』にしたつもりだったんだけど」
「どこがよ!」
 英は声を荒げながら立ち上がった。ぶつかったテーブルの上で、亜里沙の飲み残したカフェラテが大きく揺れ、零れる。
「たくさんのひとが汐野さんの写真を見るようになるんでしょ、そしたらその分、汐野さんはいろいろ忘れちゃう! ペットのことも、食べたもののことも、自分の洋服のことだって……ううん、自分のことだって!」
 言い募ろうとする英の唇に、不意に櫟原の人差し指が押し当てられた。それを離して左右に振った櫟原は、穏やかに微笑む。
「君は勘違いしているよ」
「勘違い? なんの、」
「あの子の記憶が薄れるのは、誰かの記憶にその写真が残った時だけだ」
 櫟原はゆったりと腕を組んだ。
「僕もSNSってやつには詳しくはないけれど――ひとは見た写真すべてを記憶する訳じゃない」
「…………」
 英は思い出す――せわしなく画面の上を上下し、タップしていた亜里沙の姿。多分、あれは彼女がフォローしているひとの写真を見て、そして「いいね」を押していたのだろう。一瞬のうちに流れ去るたくさんの写真たち。そのひとつひとつを、彼女は記憶していただろうか。
「そりゃあ、中には記憶するひともいるとは思うけどね。でも、そうたいした数じゃないだろう」
「じゃあ」
 英はほっと息をつく。
「汐野さんはたいして忘れずに済むってこと……?」
「多分ね」
 食べたもののことや行った場所のこと、ペットや家族との思い出、そういったものが多少は欠けてしまうだろうけど。
「まあ――もし、彼女のリアルに影響が出るほど注目されるようになってしまったとしたら、それなりに忘れてはしまうだろうね。でも、そうなったとしたらしたで、それは妥当な『見返り』だと思わないかい?」
「……妥当かどうか……は、私にはわからないわ」
 俯き加減で英は呟く。
「SNSの中の数字が増えるだけのことが『願い』なら、そんなのはたいしたことじゃない。本人にとって以外、なんの意味もないことさ」
 櫟原はせせら笑う。
「それにしても、彼女面白いこと言ってたね。僕にSNSをやったらどうか――なんて」
「やるの?!」
 思わず声を上げて聞き返す英に、櫟原は首を横に振った。
「まさか」
「……そうよね」
 悪魔のSNS。何をアップするつもりか知らないが、何にせよ洒落にならない、と彼女は身震いした。
 櫟原はそんな彼女を見下ろしながら目を細める。
「――僕は自分のものを共有する趣味なんてないんだよ、英ちゃん?」
 その声が彼女に届かないことを知りながら、櫟原は赤い舌をちろりと覗かせるのだった。