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SOMEONE PUT YOUR HAND OUT

When we play
Will you promise me you’ll always stay
It’s because I’m needing that someone
   
ふたりで神様に祈りを捧げる時
これからもずっと僕の側にいてくれると、そう約束してくれる?
僕にはそんな相手がどうしても必要なんだ
   
         ――Michael Jackson “Someone Put Your Hand Out”

「今日は久しぶりに晴れたね」
 わたしの声だけが部屋に響く。
「雨の日って洗濯する気にもなれないし、掃除もやる気にならなくて」
 返事がなくても気にしない。
 だって慣れているし。
「そういえばそろそろ色々切れてきたなあ」
 だけど勿論独り言じゃない。
「後で買い物に行くから、ついてきてよ」
 わたしの目の前に座る同居人は、小さく頷いた。
 
 
  × × ×
  
  
 わたしが彼の部屋に拾われたのは、今からちょうど半年ほど前のことになる。
 
 わたしには双子の姉がいて――その姉が、いわゆるポジだった。
 双子でネガとポジが同時に産まれることはあまりないことなのだけど、きっとわたしたちは二卵性だったのだろう。
 姉は目が覚めるような赤い髪と目をしていて、わたしの金髪と青い目とは全く違っていた。それなのに顔の作りだけはそっくりだったのだから、救われない。
 両親は姉に掛かりきりだった。
 何故なら姉は死ぬことも大人になりきることもできないのだし――親としては心配でならなかっただろう。手続きとか、保険とか、わたしには良く分からなかったけれど、両親はいつも姉のことで一生懸命だった。
 わたしもそれは当然だと思っていたし、特に気にしてもいなかった。
 わたしはふつうの人間だから、ふつうに生きてふつうに死ぬ。
 そのことに何の疑問も抱いていなかった。
 ――今から思うと、それはただの驕りだったのだろう。
 成長が止まった。そのことに姉が気付いたのが半年前。

 その夜、彼女はわたしを殺そうとした。
 
 物音に目を覚ますと、姉がナイフを持ってこちらを睨みつけていて、わたしは仰天した。
 暗闇の中だったのに、今でもわたしははっきりとそのときの姉の顔を思い出せる。
 憎しみと、
 怒りと、
 悲しみと、
 諦め。
 全てがない交ぜになった、どうしようもなく切ない顔だった。
 暗くて色が良く見えなかったせいで、まるで自分と対峙しているようだった。
 わたしとそっくりな姉。

「貴方が嫌い」

 姉は呟いた。
 
「物分りのいい貴方が嫌い」
「自分とは違うって顔でわたしを見ている貴方が嫌い」
「わたしを置いて大人になる貴方が嫌い」
「姉のせいで苦労する妹を装う貴方が嫌い」
「わたしより先に死んでいく貴方が嫌い」
「わたしと良く似た顔で、わたしとは違う、貴方が嫌い」

「…………」
 わたしはため息をついた。
 
「わたしも、貴方が嫌い」

 堰を切ったように溢れ出てくる言葉。
 怖くなんかなかった。
 殺せるものなら殺せばいい。
 そう思っていた。
 
「自分が可哀相だと思っている貴方が嫌い」
「あんたとは違うって顔で悲劇ぶってる貴方が嫌い」
「親に心配ばかり掛けて当たり前だと思っている貴方が嫌い」
「わたしよりずっと長く生きられる貴方が嫌い」
「わたしと良く似た顔で、わたしとは違う、貴方が嫌い」

 ナイフを構えて飛び掛ってきた姉を避けて、わたしは着の身着のまま逃げ出した。
 行くあてなんてなかったけれど、どうにでもなると思った。
 ――野垂れ死にだっていい。それでわたしのいのちが完結するなら。
  
 
  × × ×
  
  
 わたしが彼に出会ったのは、家を飛び出したその日のうちだった。
 今では幸運だったと感謝している。多分あのまま一人でいたら、どんな目に遭ったか想像に難くない。所詮、わたしはたった十九歳の小娘なのだから。
「…………」
 路地裏にうずくまっていたわたしの目の前を通りがかった彼。
 彼がポジなのは見てすぐに分かった。薄水色の髪に薄い灰色の目。石膏で作った彫刻のよう。
 年は二十五、六歳くらいに見えたけれど、ポジの人に年齢は関係ない。たいていの人はそのくらいで成長を止め、そして永遠に生き続けるのだから。
「…………」
 黙ってこちらを見下ろす彼を、わたしは睨みつけるように見上げた。
「何?」
「…………」
 彼は答えない。
 ただ立ち止まってわたしを見下ろしている。
「何か用なの?」
「…………」
「わたしは娼婦じゃない。勘違いしないで」
「…………」
「できれば放っておいて欲しいんだけど」
「…………」
 ――もしかして喋ることができないのだろうか。
 不安になって来た頃、彼は一言呟いた。
「死にたくないなら、ついておいで」
 感情も何もない、冷ややかな声。だけど――何故かわたしは優しそうだと思った。
 だから、
 ついていった。
 それに実際彼の言うとおりだと思ったから。
 世界は壊れていく一方で、犯罪件数なんてうなぎ上りに増えている。家出少女が一人、誰かに犯されて殺されたって、誰も気付きさえしないだろう。
 立ち上がって歩き始めたわたしを振り返りもせず、彼は自分の住むアパートに帰っていった。

 彼は名前を名乗らなかったので、わたしは勝手に「ユキ」と名付けた。
 何となく雪みたいだと思ったのが理由。冷たいけれど柔らかくて、思わず手を伸ばしたくなってしまう。
 彼は自分のアパートの一室をわたしにくれた。といっても毛布を積み上げた寝床と、彼のお下がりの服でわたしは満足。
 彼は何も聞かないし、何も話さない。
 最初は戸惑ったけど、すぐに慣れた。
 わたしが何をしても何も言わないから、いつの間にかわたしはこの家の家事担当になってしまった。
 食事を作り、洗濯をして、掃除をする。
 彼は文句も言わずにわたしの作るものを食べ、時には洗濯物を干すのを手伝い、わたしの手の届かない高いところを掃除する。
 買い物に行くときは何故か必ず彼がついてくるので、声を掛けてから行くようにした。もしかしたらわたしが一人出歩くことを心配しているのかもしれないけど、真意は不明。勿論、その時も返事はない。
 本当に風変わりな人。
 くすんだ色の瞳はいつだってぼうっとしていて何を考えているのか分からないし、雨だれみたいな色の髪もいつもくしゃくしゃで、あるときわたしが櫛を入れたら別人みたいに小奇麗になった。
 彼の方からわたしに接触することはないし、興味も示さない。
 勿論話し掛けることもない。だって、わたしの言葉に返事もしないのだから。
 だけど、わたしは楽しかった。
 ぼうっと本を読む彼に一人話し掛けながら裁縫をしたり、無反応な彼に味見をさせながら料理をしたり、そういったことが本当に新鮮なのだ。
 
 多分……、
 今、わたしは生きている。
 誰にも遠慮することなく。
 いのちを精一杯に、
 燃焼させている。
  
 
  × × ×
  
  
「ねえユキ」
 いつものようにわたしは一人喋っている。
 活気のないショッピングモールに、活気のない人たち。その中でも一際活気のない彼を連れているというのに、どうしてわたしの心はこんなにも弾んでいるのだろう。
「実はね、今日はわたしの誕生日なんだよ」
「…………」
「今日でちょうど二十歳になるってわけ」
 言ってから思い出す。
「そういえばユキの誕生日っていつ?」
 答えがかえって来るとも思っていないので、わたしは勝手に話を続ける。
「ユキが何歳なのか知らないけれど、何歳だっていいと思うの。だって生きているんだし」
 わたしは彼の顔を見上げた。
 生気のない表情だけど、こうやって見るとつくづく綺麗な顔をしている。笑ったからものすごく素敵だろうな、と思った。
「気が向いたら教えて欲しいな。ユキの誕生日」
「…………」
 不意に、彼がそっぽを向いた。
「ユキ? どうかした?」
「先に帰っていて」
 何週間かぶりの彼の声。相変わらず透き通っていて、覇気は全くといっていいほどない。
「どこか寄るの?」
「…………」
 わたしの問いには答えず、すたすたと歩いて行ってしまう。
 わたしはあっけにとられながらも、ひとまず彼の言う通りにすることにした。荷物はさいわい彼が持ってくれている。先に帰って洗濯物でも干していよう、そう思いながら。
 
 
 彼が帰ってきたのは一時間ほど経ってから。
「おかえり」
 一通りの家事を終えていたわたしは、膝の上に編みかけのセーターを広げていた。これは彼の分で、彼の瞳と同じ灰色の毛糸を使っている。
「寄り道なんて珍しい。でも、たまにはそういうこともあるわよね?」
「……マヤ」
「え?」
 出会ってから半年、初めて名前を呼ばれた。一応初対面のときに挨拶はしたのだけど、彼のほうからその名前を呼ぶことはなく、忘れられているのではないかと思っていたのに。
 びっくりして顔を上げたわたしは、さらに絶句する。
 彼はテーブルの上にケーキを取り出していたのだ。どうやらバースデイケーキらしい。円周を囲むように並べられたイチゴ。こんなもの、どこに売っていたのだろう。
「ちょ、ちょっとユキ」
「誕生日、」
 彼は呟いた。
「だから」
「…………」
 わたしは言葉を失った。
 もしかすると――彼には伝わってしまったのだろうか。
 わたしには、誕生日にいい思い出がない。
 家にいた頃はいつだって姉が主役だった。
 わざとらしいほどに成長を祝う両親と、それを悲しげに甘受する姉。
 一応わたしの分のプレゼントもあったのだけど、それはおまけに過ぎなかった。
 そう、わたしは――姉のおまけだったのだ。
「あ……」
 わたしは口ごもる。
「ありがとう」
「…………」
 鼻がつんとした。
 この人は本当に不思議な人だ。
 無愛想で、
 無関心で、
 無気力で、
 そして……。
「ありがとう」
 わたしはそっと彼に触れた。
 細くて骨ばった腕。
「……まただ」
 彼は囁くように語る。
「また、失敗した」
「え?」
 顔を上げると、彼は――。
 
 彼は、
 泣いていた。
 
 
「もう嫌なんだ」
「僕より先に逝ってしまう人と知り合うのは」
「僕を遺して先に死んでしまう人と生きるのは」
「好きになるのが、辛いんだ」
「だけど」

 溢れ出すように喋り続けながら、彼の腕がわたしを包む。

「一人じゃ生きられないんだ」
「僕は生きているから」
「まだ、生きているから」
「僕は生きていたいから」
「生きることを諦めてしまった連中のようにはなりたくないから」
「だから」

 ――だから……。
 
「初めて会ったときも」
 彼の優しい声。こんなに心地良かったんだ、と思った。
「君にはいのちが溢れていた。だから、死んで欲しくなくてここに連れてきた」
「…………」
「君と過ごす時間が新鮮だった。……君みたいにおせっかいな人は初めてだったし」
 そうして、くすりと笑う。初めて見た笑顔は、やっぱりとても素敵。
「駄目だって分かっているのに、僕はずるずると君と過ごし続けた。だんだん別れが辛くなるって、分かっているのに」
「…………」
「君がいつか出て行ってくれれば、と思った。他に恋人を見つけてもいいし、帰るところがあるのなら帰ってくれてもいい。思い出だけ残して、消えてくれればって」
「…………」
 わたしは何も言えずに、ただ彼を見つめていた。
「だけど……」
 彼は視線を落とす。
「本当は……」
 わたしはケーキを見る。彼の買ってきてくれたケーキ。

「君と一緒に生きていきたい」

 抱きしめられている。
 それに気付いたとき、わたしは泣いていた。
 
 いつか、この人をおいてわたしは死んでしまう。
 この人を一人にしてしまう。
 この人は年を取らないのに、
 わたしは一人、死への道を歩んでいく。
 時間は止められない。
 わたしの時間だけは、ずっと動き続ける。
 
 彼はずっと演技をしていたのだ。
 無愛想に振舞って、無関心さを装って。
 人の温もりに慣れてしまわないように。
 それなのに……、
 彼はわたしの誕生日が無視できなかった……。
 
「ユキの誕生日はいつ?」
 わたしは涙をぬぐって微笑む。彼は少し戸惑ったような表情で、それでもきちんと答えてくれた。
「一ヶ月くらい先……」
「そう」
 わたしは頷き、そして彼に抱きついた。
「マヤ?」
「お祝いしましょう」
「え?」
「貴方の誕生日にはわたし、ケーキを焼く。料理だって頑張るし、プレゼントだって用意するつもり」
「…………」
「わたしはとても自分勝手だから」
 わたしは残酷なことを言った。
「貴方の永遠の命の中に、わたしは居座っていたい。わたしが死んで、貴方が傷つけばいい。貴方に忘れて欲しくない。わたしを想って、貴方に泣いて欲しい」
「マヤ……」
 彼は悲しそうに目を伏せる。
「だけど、もしかしたら……」
 わたしは優しくそのあとを続けた。
「奇跡が起きて、わたしが生きている間に世界が滅びるかもしれない。その時は」
 彼の手を両手に包み込んで抱きしめる。
「貴方に幸せな死をあげたい。ずっと、側にいるわ」
「…………」
「どうする? わたしを追い出す? 貴方の生活に平和が戻ってくるかもしれないけど」
 尋ねるわたしに、彼は首を横に振った。
「僕は奇跡を祈るよ」
「そう?」
「古い友達がいて――そいつはポジなのだけど」
 彼はまた、元のような淡々とした口調に戻っていた。
「そいつがこの間言っていた。『世界はもうすぐ滅びるんだ』って」
「え?」
「冗談を言うやつじゃないから、意外と本当かもしれない」
「ふ、ふうん」
 わたしには今一つ信じられなかったけれど、それでもとりあえず頷いておいた。――たしかに、この世界はもう滅びかけているから、あながち嘘でもないのかもしれない。
 今はとにかく、ケーキが食べたい。
 そして、
 いつものように、不器用にケーキを食べる彼の口元を拭ってあげたい。

「誕生日おめでとう、マヤ」
 彼が微笑む。
 それだけで、わたしはまた泣きそうになった。

  × × ×
 
 
 神様。
 世界が滅ぶことを願うなんておかしいかもしれないけれど、
 できればどうか――彼とわたしが幸せなうちに。