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SCARED OF THE MOON

The years go by swiftly
And soon childhood ends
But life is still fearful
   
時は人を待たずにどんどん過ぎて行ってしまうよ
子供でいられるのはほんのわずかな間だけ
なのに、大人になっても人生は恐怖でいっぱいなんだ
      ――Michael Jackon “Scared of the Moon”

 おれの家には猫がいる。
 無口で、
 わがままで、
 強気で、
 怖がりな猫が──。

  × × ×

 その猫を拾ったのは、もう随分昔のことになる。
 今ほどではなかったが、既に世界は枯れはじめていた。きっかけは例のウィルスの蔓延だという説があって、それが有力なのも知ってはいるけど、おれは信じていない。
 遅かれ早かれ、この世界は限界を迎えていたと思う。
 きっと、
 五回目の千年紀は訪れないだろう。

 熱くなり過ぎていたんだ。
 少しの冷水を浴びせられたくらいで、ひび割れてしまうほど。

 あの頃、おれは家族と別れた頃で──いや、実際は人間じゃないおれにみんなが愛想を尽かしたのだ。きっと、いつまでも年を取らないおれが気味悪かったに違いない。
 弟が明らかにおれより年上に見えるようになった時、限界を超えるのを感じた。
 
 なみなみに注がれたビールが、ジョッキを溢れ出す様に。
 しかも、それは実のところビールでも何でもなくて、ぬるい気の抜けた炭酸水だったような。
 そんな感じだ。
 
 他に行き場のあてもなく、おれはそういう者たちが集まるコミュニティに首をつっこんだ。
 そこにはおれと同じ、行き場のない生き物がごろごろしていて、馬鹿みたいに賭事を繰り返していた。
 政府が押しつけた年金があるから、金には困らない。それがおれたちから奪われた権利の代償かと思うと、少々もの悲しかったけれど。
 
 もちろん悲しいのはそういう思考しかできない政府の人間たち。
 飼い慣らされてしまったおれたちの存在は、悲しいというより滑稽でしかない。
 
 長い長い生を、ただ無意味に潰す日々。
 
 おれは賭事には強かったけど、だからといって得るものはない。ただ腐るほどあって、それでいて腐りきることもない、膨大な時間をどうやって浪費すればいいのか、そんなことばかり考えていた。

 おれたちは、
 大人になることも、
 子どもでもいることもできない。

 勿論、
 死ぬことも。

  × × ×

 とある寒い夜、猫は道端に倒れていた。落ちていたという方が正しいかもしれない。
 青い髪は、おれたちと同類である証だ。ちなみにおれの色はモスグリーン、といえば聞こえがいいかもしれないが、実際はくすんだ緑。
 おれは近付いてその青い猫を揺り動かした。
「もしもし?」
 死んでいないのは分かっているから、そう緊張もしない。
「ここはきみのベッドじゃないよ?」
「…………」
 猫は顔を上げた。サファイアみたいな眼がおれを見つめる。深い、綺麗な色だった。
「やっぱり駄目だったか」
「……何が?」
「飛び降りても死ななかった」
「は?」
 見上げて驚いた。
 どうやらこの猫は辺りで一番高い建物の上から飛び降りたらしい。いくらおれたちの体の再生能が高くっても、そんなの無謀に決まっている。
 唖然とするおれを後目に、猫は再び体を道の上に伸ばした。
「もう少し寝れば治ると思う」
「……ええっと」
「お節介なら要らないよ」
「ああ、うん」
 おれは立ち上がった。本人がそう言うなら仕方ない。
「じゃあおれは家に帰ってあつあつのスープを飲むとするよ。今夜は冷えるだろうし、熱いシャワーが気持ちいいだろうなあ」
「…………」
「じゃあね」
 おれが立ち上がろうとしたとき、ずるずると猫の腕が動いた。小さな手がおれの靴を掴む。
 おれは口元だけでにやりと笑った。多分猫には見えていない。
「どうしたの?」
「…………」
「お腹が減った?」
「…………」
「見たところ、きみの足はかなり複雑に折れてる。ちゃんと固定しないと変な風に癒着するかもね」
「…………」
 猫は顔を上げた。瞳に浮かぶ懇願の色。
 おれは笑う。
「お節介は嫌い?」
「……じゃない」
「なあに?」
「嫌いじゃない」
 猫は呟き、顔を地面に伏す。
 可愛いな、と思った瞬間、おれはその猫を飼うことに決めていた。

  × × ×

 猫の名前は「シンヤ」という。性別は女なのに、まるで男みたいな名前と物腰だ。
 過去については、知らない。何故あんなところから飛び降りたのかも聞いていない。
 聞いたからと言って、どうにかなるものじゃないから。

 そんなことでは、救えない。

「リク、何考えてんの?」
 あのとき重傷を負っていたのが嘘のように、今ではすっかり元気になった猫が、おれの横で丸くなっている。
 綺麗なサファイアが二粒、夜の中に輝いていた。
「んー?」
 髪を撫でる。
「シンヤを拾ったのも随分昔だなあって」
「…………」
 猫は少しだけ仰向いた。白い喉があらわになる。
「そうかも」
「猫は良くふらっといなくなるっていうけど、シンヤはいなくならないね」
「悪いか」
 猫はそっぽを向く。ついでに布団も剥ぎ取られて独り占めされた。
「悪くない」
 オレは笑った。
「何にも悪くないよ」
「…………」
 猫は黙って俯いている。
「どうしたの?」
 尋ねても首を横に振るだけ。
「シンヤ?」
「…………」
 たっぷりタバコ一本分の沈黙と共に、猫は口を開いた。
「オレさあ」
「うん」
「兄貴がいたんだ」
「へえ」
「名前は『シンヤ』」
「へえ?」
 猫は、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。自分のことを話すのを聞くのは、初めてだ。
「兄貴は二十歳で死んだ。うちの家系で人間じゃないのは、オレだけだから」
「…………」
「なんで死んだのかは知らない。ただ、オレは気付いたときには『シンヤ』の代わりになっていた」
「…………」
「『シンヤ』って呼んで、『シンヤ』の服を着せて育てる。近所の人はオレの親をイカレてると思ってたらしい」
「そう」
「オレの髪や眼が青いのも染料やコンタクトでカバーして、普通の人間を装わせてた」
「…………」

 勿体ない、と思う。
 何故ならその髪と瞳は本当に美しいから。
 まるで、青い薔薇のように、非現実的で幻想的。

「でも」
 猫は呻く。
「ある時、オレの成長が止まった」
 おれは頷いた。
 おれたちには必ずそのときが訪れる。大体は二十歳から二十五歳くらい。
 つまり、おれたちは老化が始まらない。
「ちょうど……本当の『シンヤ』の死んだのと同じくらいの年齢のまま、オレの時間は動かなくなった……」
「それから?」
 猫の背中の曲線は、何も語らない。
 その代わりに、
 ため息。

「親はオレを追い出した」

「…………」
「多分」
 その声は穏やかだった。
「オレがいると兄貴の――愛した子供の死をはっきりと思い出させられるんだろう。オレはいつまでも、死んだ頃の兄貴とそっくりのままだから」
 おれは優しく問う。
「死にたかった? だから飛び降りたの?」
「…………」
 おれは待った。
 やがて、深いため息が聞こえる。
「いや……」
 初めて見た時の瞳を思い出す。

 それは明らかに、
 笑っていた。

「確かめたかった」
「…………」
「オレは、オレだ」
「…………」
「兄貴じゃない」
「…………」
 猫は振り向く。笑っていた。
 あのときと同じ。
「オレと兄貴は、別なんだ。同じじゃない。オレは、死なない」
「……そうだね」
 おれは笑って猫を膝に抱いた。

 小さな体。
 細く、骨ばっている。
 けれど、この抱き心地は嫌いじゃない。
 本当に、あのときと同じだ。
 顔は笑っているのに……、
 体は震えている。
 どこかで認めたくなかったのだろう。

 ──自分が「シンヤ」ではないということを。

 もう、
 本当に、
 一人ぼっちなのだということを。

 一人きりで長い命を生きていくのは、
 限りなく寂しいことだから。

「大丈夫だよ」
 おれは優しく囁いた。
「おれはシンヤより先に死なない」
「…………」
 わずかに強張りが解ける。
「シンヤを一人にはしない」

 そう……、
 どうせおれたちは死なない。
 だけど、
 もし、
 いつか生きることに疲れたと言うのなら、
 おれが殺してあげよう。
 再生が追いつかないくらいに、
 滅茶苦茶に壊してあげよう。
 それが、
 何一つ与えることのできないおれの、
 唯一の贈り物になるだろう。
 その日が来るまで、
 おれは生きていよう。

 それがおれの、
 おれという無駄な命の、
 たった一つ、
 生きる意味だから。

  × × ×

「…………」
 隣で猫が眠っている。
 おれはベッドの上で膝を抱えた。
 いつか、誰かがおれを殺してくれるだろうか。
 おれが殺すときのように、
 大切にしてくれるだろうか。
 愛してくれるだろうか。

 それとも……、

「なあ」
 おれの声に反応し、猫がかすかに目を開けた。
「新しい名前、欲しくないか?」
「え?」
「おまえだけの、名前」
「…………」
「何がいいかな?」
 猫は一瞬目を見開き、やがて微笑んだ。
「リクが決めて」
「……おれ?」
「うん」
「いいのか?」
「うん」
 猫は甘えるように擦り寄ってくる。
「リクにつけて欲しいんだ」
「……そうだな……」
 おれは迷った。
 長い時間。タバコなら、一箱の半分は炭になってしまうほどの。

 待ちくたびれた猫が大きな欠伸を始めた頃、
 ようやくおれは決めた。

「おまえの名前は……、」