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MAN IN THE MIRROR

A Summer’s disregard, a broken bottle top
And a one man’s soul
They follow each other on the wind ya’ know
‘Cause they got nowhere to go
That’s why I want you to know
 
夏は無頓着、壊れた酒の瓶
そして、男の魂がひとつ
彼らはフラフラと風に乗って互いを追いかける
行くあてもない人々
だから知って欲しいのさ

         ――Michael Jackson “Man in the Mirror”

 まだ、世界は滅びていない。
 別に終末の日を心待ちにしているわけではないけれど、思いも寄らない時にその瞬間が来たら嫌だな、とは思う。たとえばトイレの便座に腰掛けた瞬間とか、街に出て下らない喧嘩に巻き込まれそうになっている時とか。
 いっそカウントダウンでも始まればいいのに――僕がそう言うと、ユウはいつものように控えめに笑った。
「じゃあ、ホクトはどんな風に最期を迎えたいんですか?」
 尋ねる彼女に、僕は即答する。
「君が見るものを、僕は最期まで見ていたい」
 だって君は、世界の滅びを見届けるために過去からやってきたアンドロイド。僕は君に付き合うと決めたのだから、最期まで一緒にいなければ意味がない。
 
 君がその目に焼きつける空の色を、
 頬に受ける風の強さを、
 肌で触れる地面の温度を、
 世界を包む光と闇を、
 僕は君の側で見届けると決めたから。

  × × ×

 ユウは街に出るのが好きだった。目新しさもあるのだろう。僕にとっては二百年間全く変わり映えのない世界だけど、彼女はまだここに来たばかり。物珍しそうに辺りを見回す彼女の眼差しの方が、僕にとってはずっと新鮮だった。
 だから、時々僕らは連れ立って出掛ける。行き先は寂れた小さなショッピングモールだったり、友人のところだったり、初めて出会った日のようにカフェに行ったり。
 さすがに賭博場やバーには連れて行かなかった。誘えばユウはついて来ただろうけれど、何となくそんな気にはなれなくて。それに僕自身、そういった場所に行きたいとも思わなかった。かつては退屈しのぎに使った場所だったけれど、今はもうそんな必要はない。ユウがいる限り、僕は退屈しない。
 ユウと歩く変わらない街、
 ユウと見上げる変わらない空、
 ユウと過ごす変わらない毎日。
 ――けれど、ユウは毎日違っていた。
 何が違っているのかと聞かれたら困ってしまうのだけれど、とにかく彼女は同じではなかった。崩れ掛けた世界にぐずぐずと同化しながら日々を過ごしているような、この時代の者たちとは違っている。
 結局、そこのところはポジもネガも同じなのだ。何かを諦めているという意味では、同じ。
 大多数のポジは死を手放すと同時に生を諦めているし、ネガはこの世界に漂う頽廃的な空気に呑まれて未来を諦めている。原因は多分ロック・ウィルスでも何でもなくて、ああここが終着点なんだと、誰もがそう思い込んでいること。
 
 だから、きっと――世界は滅びてしまうのだろう。
 
 ユウのいた時代は、人類史上最も文明が発達していたと言われている頃だ。そこから来た彼女の目にこの世界は一体どんな風に映っているのか、僕は興味があった。
「ねえ、ユウ」
 いつも通りに閑散としているカフェ。血色の悪いウェイトレスがひとり、ぼうっとカウンターの前に立ち尽くしている。
「君は、この世界をどう思う?」
「…………」
 スクイーズジュースに刺さったストローをくわえたまま、ユウが少し目を見開いた。可愛い。
 彼女の唇がストローを離した。……あの赤がうっとりするほどやわらかいことを、僕はちゃんと知っている。人工物だなんて思えないほど――いや人工物だからこそ、かもしれない。
「どう……って?」
「だって、君はこの世界を見に来たんだろう? 感想は?」
「感想、ですか」
 ユウは首を傾げた。
「あんまり生気がないですよね?」
「そうだね」
「百年経ってもここはこのままなんじゃないかって気がして……人はいるのに、ゴーストタウンみたい」
 僕は小さく噴き出した。だって、あまりにも彼女が的確なことを言うから。
「ホクト?」
「ううん、君の言う通りだと思う」
 僕の言葉を聞いて、ユウは微笑んだ。
「ここに来て、ホクトに会えて良かったです」
「え?」
「そうでないと、きっと退屈していたと思いますから」
「あ……」
 僕は目を瞬かせた。
「そう……」
 ――何だか、その言葉が妙に嬉しかった。
 
 たぶん、僕はこの世界にとって異質な存在だった。不変の命を与えられながらも不変を嫌って、退屈しのぎだけを考えて。変化がもたらされるのなら、それが何であっても――たとえそれが世界の滅亡であっても、僕は構わなかった。
 二百年。ネガに混じってみても、ポジの中に入ってみても、僕の心を動かすものなんてほとんどなかった。
 出会った人々はネガにしろポジにしろ、何かに縛られていて――もしくは縛られることを望んでいて。言葉を変えればそれは「絆」とも呼べるのかもしれないけれど、僕には単なる「呪縛」のようにしか見えなかった。
 例の、長生きの友人も同じだ。彼はいい人だし、僕は嫌いじゃない。だけど、彼が正気を保っていられるのは彼がたくさんの思い出を大事に持ち続けているから――過去に繋ぎ止められているから。
 そんなのは、自由じゃない。僕の望むものじゃない。

 ユウが特別なのは、彼女自身がこの世界から切り離された存在だからだろう。
 つまり、とても自由。
 僕はその自由に惹かれた。
 ユウも同じだろうか。
 彼女も、僕の中に自由を見出しているのだろうか。
 
「そういえば……」
 ユウの声に、僕ははっとした。目の前のコーヒーは既に湯気をたてるのをやめてしまっていて、僕は慌てて一口すすった。やはり、ぬるい。
「世界が滅びる原因って、何なんでしょうね」
「原因?」
 正直、それは考えたことがなかった。ユウは小さく首を傾げる。
「ここに来る前は、戦争でも起きているんじゃないかと思っていました。ものすごい兵器があって、それが暴走するとか」
 彼女はくすりと笑う。
「そんな題材の映画や小説は、私のいた時代にもたくさんあったし」
「ふうん」
 僕もつられて笑った。たぶん、僕らが笑った理由は同じだろう。戦争がないからといって、この時代が平和だという意味ではない。――ただ、この世界には戦争をするエネルギーが残っていない、それだけのことだ。
「大きな隕石が衝突するんでしょうか?」
「その可能性はあるだろうね」
「人工衛星で天体の観測もされていたはずなのですけど、今は……」
「さあ、ちゃんと管理はされていないんじゃないかな。少なくとも、どこの国も財政難だから」
「そうなんですか?」
「うん」
 僕は笑う。
「ポジの収容施設の運営と維持、あとポジに支払われている年金。結構馬鹿にならない額なんだよ」
「……なるほど」
「本当は、ポジを切り捨てて生き延びることを考えたって良かったのかもしれないけどね。つまり、ポジは決して不死身なわけじゃないから……」
 たとえば五体をばらばらにされてしまえば、いくら僕たちだって死ぬしかない。ポジを殺す手段がないわけではないのだ。
「でも、人間はそれを選ばなかった……?」
 上目遣いに問う彼女に、僕は首を横に振った。
「僕は噂に聞いただけなんだけど、そういうプロジェクトはかつて存在したらしい。だけど、それに関わっていた人間が謎の死を遂げて……それっきり頓挫してしまったんだそうだ」
「…………」
「そのプロジェクトがうまくいっていたら、世界はどうなっていただろうね。滅ばずに済んだのかな?」
「それはわかりません。でも……」
 ユウは優しく微笑んだ。
「この時代に世界が滅ぶのでなければ、私はここには来なかったし、ホクトにも出会わなかった。だから、きっとこれは間違いじゃないんです」
「…………」
 僕は言葉に詰まって、慌ててぬるいコーヒーを飲んだ。――何故だか胸がぎゅっと痛くなって、鼻の奥がつんとする。
 今までどんな女に言い寄られても嬉しくなかったのに、ユウの言葉は僕の中に真っ直ぐに届いた。
 それはきっと彼女が自由だからだと思う。

  × × ×

 カフェを出た僕らは、アパートに向かって歩いていた。ユウの黒い髪と黒い目はここでは目立つから、ニット帽をすっぽりとかぶらせている。ポジはネガとは違って自分と違う相手を痛めつけるようなことはしないけれど、じろじろと見られるのはユウにとっては不快だろう。そもそも、ポジが優しいからネガに手を出さないというわけではない。ただ、虚しいからだ。
「あ」
 ユウが小さな声をあげてよろめいた。どうやらすれ違いざまに誰かとぶつかったらしい。
「大丈夫?」
 肩を抱き寄せて顔を覗き込む。彼女は小さく頷いた。
 ちらりと振り返ると、彼女のぶつかった相手も僕らと同じように足を止めて、こちらをじっと見ている。
「…………?」

 小柄な少年だった。
 黒い髪と、黒い目の。
 黒いコートを着た。
 その視線は僕を――いや、ユウを捕えている。

「ホクト?」
 ユウが怪訝そうに呼ぶ声に、僕ははっとして彼女を見下ろした。
「どうかしましたか?」
「ううん、どうもしない」
 再び歩き出すと同時に、僕はもう一度首をひねって後ろを見遣った。けれど、そこにはもう少年の姿はない。
 ――あれは、ネガなのだろうか。それとも……?
 あのどこかユウに似た少年が少しだけ気に掛かったけれど、それでもすぐに忘れてしまった。

 もし彼が世界を滅ぼすと知っていたら、僕はどうしていただろう。
 ――きっと、どうもしなかったに違いない。
 誰が、何が世界を滅ぼそうが、僕らには関係ない。

 何故なら、
 世界が滅ぶことは必要なことだから。
 僕にとっても、
 そしてユウにとっても。