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JAM

I have to find my peace cuz
No one seems to let me be
False prophets cry of doom
   
僕は自分の平和を見つけなければならない
誰も僕が思うようにはさせてくれないから
過ちを犯した予言者が運命を嘆いている
   
         ――Michael Jackson “Jam”

 部屋の空気はひどく濁っていた。それが立ち込める煙草のけむりのせいなのか、それとも窓ひとつ開いていないせいなのか、死にぞこないたちで溢れているからなのか、おれにはわからない。
 カードを切る音、サイコロを転がす音。
 その合間に賭けに勝ったものの歓声やら、負けたものの怒号やらが飛び交う。
 でも、どれも本気じゃない。
 ――そりゃあそうだろう。おれたちには何も賭けるものなんてないんだから。
 
 命も、
 時間も、
 金も。
 おれたち自身のものなんて何もない。
 
 こうして賭け事に興じているやつらは、ただ錯覚したいだけだ。
 何かを手に入れ、
 何かを手放す。
 そんな気分に浸りたいのだ――たとえそれが一瞬の幻想だとしても。

「……おい、リク。リク!」
 名前を呼ばれておれは目を瞬かせた。
「あ、なに?」
「なに、じゃねえよ。お前の番だろうが」
 目の前の男の名前――さっき聞いたばかりなのに、もう覚えていない。おれは曖昧に微笑みながら手持ちのカードのうちの二枚を放った。
「ちっ……またリクの勝ちか」
 目の前で褪せた黄色い髪が揺れるのを、おれはぼうっと眺めていた。先ほどおれに声を掛けた濃紺の髪の男がぎろりと目を光らせる。
「リク。お前、イカサマやってんじゃねえだろうな?!」
「はァ?」
 おれは目を瞬いた。
「何でおれがイカサマやるんだ。金なら困ってねえよ」
「そういうのはこいつの前で言うんじゃねえよ、リクちゃん」
 紫の髪がひひひ、と笑った。しなびた顔をしている黄色い髪の肩に腕を回し、
「こいつは酒と博打と女で、首回んなくなってんだからよう」
「い、イカサマだ!!」
 肩を撫でまわしていた腕を弾き飛ばし、黄色い髪が立ち上がった。これまたしなびたオレンジのような瞳でおれを睨みつけている。
「こいつはイカサマ師だ!!」
 澱んだ空気をかき乱す嗄れ声。おれはうんざりと見上げた。
「証拠は? 証拠もねえのに勝手言うなよ」
 幾つもの視線がおれに集まっている。そのどれもがぎらぎらとしていて、何か妙な欲望に彩られているのがわかった。ぽき、ぽき、と指の関節を鳴らす音まで聞こえてくる。
 ――ははあ、そういうことか。
 おれは内心でため息をつく。
 新入りをイカサマ呼ばわりしてリンチする。ここは、そういうことに楽しみを見出すやつらの巣窟だったということだ。暇潰しになるかと立ち寄ったおれがばかだったというわけ。
 いくら殴られようが蹴られようが、刺されたって死ぬわけではないが、痛いものは痛いしおれはマゾヒズムの気はない。
 つまり、黙ってやられる趣味はないってこと。
 腕に自信がないわけではないけれど、さすがに多勢に無勢。うまく隙をついて逃げるしか――。
 
「え?」

 おれが立ち上がるのとそれは、ほぼ同時だった。
 黄色い髪の男が唖然とおれを見つめる。
 けれど、
 それはおれの仕業じゃない。
 男もそう悟ったのか、自分の腹に開いた穴をそのオレンジ色の瞳でじっと覗きこんだ。
 それも、一瞬のこと。
 男の体はドサリと地面に崩れた。
 彼の腹には自分の頭と同じくらいの大きさの穴が開いている。脊椎が折れたせいで体を支えられなくなったのだろう。
「あ……うぁ……あ……」
 男は床をのたうった。伊達に再生力が強いせいで即死とはいかなかったらしい。
 とはいえ、これはいくらなんでも再生能の限界を超えている。
「…………」
 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った部屋の中。
 誰もが目を剥き、凍り付いていた。
 
 ――こいつは、死ぬ。
 
 おれは辺りを見回した。
 恐怖の表情を浮かべるもの、無表情に状況を眺めているもの、どこか羨ましそうに男を見つめるもの……。
「ん?」
 おれは眉を寄せた。窓ひとつなかったはずの部屋の壁に、大きな穴が開いている。それはちょうど先ほど男の腹に開いていたのと同じくらいの直径だ。――つまり、そこから何かが入ってきて男の腹をぶち抜いたということになる。
「お、おい!!」
 誰かがおれを呼びとめようとしたけれど、おれは立ち止まらなかった。
 一体、だれが?
 興味があった。
 死なないはずのポジをいとも簡単に殺してみせた人物。
 会ってみたい。
 ――そいつは、おれも殺すだろうか。
 どちらでもいい。
 そんなことは、
 どうでもよかった。
 
 
  × × ×
  
  
 廃墟のような街を走り抜ける。たぶん――武器は大口径の銃のたぐいだ。それで男目掛けて撃ち抜いたに違いない。だが中の見えない部屋で、どうやって狙いを定めたのか……。
 おれは先ほどまでいた建物のすぐ近くにある電気塔に登った。壁の穴は男の腹よりも少し高い位置に開いていた。つまり、おれたちのいた部屋よりも高いところから狙ったということだ。それなら、きっとここに違いない。
 錆びついた階段がけたたましい音をたてる。
 おれは汗にずれる眼鏡を押さえつけ、ただひたすらに駆け上った。
「――おや」
 その声が聞こえたのと、おれが足を止めたのはほぼ同時。
 この塔の頂上からは、灰色の街並が一望できた。
 それを背景にたたずむ、ひとりの男。
「あなたは、どなたですか?」
 黒っぽい服装――黒い髪。
 明らかなネガの特徴をもつ、そいつの腕にはやはり……。
「それで、やったのか」
 おれの問いに、男は口元を微笑ませたまま答えようとはしなかった。
 
 ――それは、見たこともないほどでかい銃……いや、銃と呼ぶのもはばかられるようなしろものだった。どちらかといえば大砲に近い。
 男の左腕は銃身に埋もれてしまっていて、たぶんどうにかして銃を左手に取り付けているのだろう。人に持てるような重量なのかは気になるが、そもそもこいつがふつうの人間とは限らない。
 
 ネガ。
 ポジ――ミミック。
 
 おれの警戒の眼差しに気付いたのか、男は顔を覆っていたゴーグルを外した。そのゴーグルが、この離れ業の種明かしということだろうか。
 その下に隠れていた瞳は、やはり黒かった。
「お前が殺したんだろ? あいつを」
 問いを重ねる。男は軽く肩をすくめた。
「本人から頼まれたんです」
「何だって?」
 おれは思わず聞き返す。男は嫌な顔ひとつしないで言い直してくれた。
「本人から、自分を殺すようにと頼まれていたんですよ。たまたまそのときはこいつが壊れていて」
 と、右手で左腕を指し示す。
「ご依頼にこたえられなかった。ようやく直ったのでね」
「お、お前は……いったい……」
 言葉を失うおれに、男は優雅に一礼してみせた。
「はじめまして。ぼくの名前はツカサといいます。職業は――」
 よく見ると、彼はまだあどけない表情をした少年だ。その唇が、物騒な言葉を刻む。
「殺し屋、といったところでしょうか。ポジ専門の、ね」
「…………」
 ――おれは呆気にとられてツカサを眺めた。彼は馬鹿みたいににこにこと笑っている。
 
 殺し屋?
 ポジ専門?
 
 じゃあ、お前は一体何だ?
 
 
  × × ×
  
  
 ツカサが銃身にあるスイッチを押すと、それはあっという間に縮んでしまった。――いや、おれにはそれがツカサの腕の中におさまったように見えた。あまり気持ちのいい光景ではなかったからまじまじと見つめることはできなかったけれど。
「あなたのお名前は?」
「リク。――リクだ」
「リク、さん」
 ツカサはひとつ頷き、左手を差し出してきた。――握れ、ということだろうか。
 おれは肩をすくめ、半ばやぶれかぶれで握手に応じた。
 ツカサの手はひんやりとしていたけれど、さほど固いわけでもなく、つまりはおれと良く似たようなものだった。
「もしかして先ほどの、見ておられました? なかなかえぐい光景だったでしょう。どうもすみません」
 朗らかに笑うツカサ。だがおれは笑えない。
「お前、一体何なんだ?」
「ぼくですか?」
「他にいないだろう?」
「それもそうですね」
 ツカサはくすりと笑った。本当に良く笑う男だ。それほど笑うのに適したシチュエーションとは思えないが。
「ぼくは……そうですね、まあ死神ということにでも」
「いやそうじゃなくて」
「駄目ですか」
「駄目だろ、それは」
「うーん」
 ツカサは笑顔のまま困惑の表情を作った。
「でもぼく、さっき答えましたよね。ポジ専門の殺し屋だって」
「それはお前の職業だ」
「じゃあリクさんはぼくに何をお聞きになりたいのです?」
「…………」
 おれはじっとツカサの瞳を見つめた。

「……お前は、人間か?」

 黒い闇がおれを見つめ返す。
「リクさんは、人間ですか?」
「一応法律上はポジも人間だっけ? でも、おれは人間といえないと思う」
「そうですか」
 くすんだ緑色が視界を遮って邪魔だから、おれは風にあおられる前髪を押えつけた。
「じゃあ、ぼくも人間じゃないですね」
「お前、ポジなのか?」
「違いますよ」
 ツカサは笑う。
「ぼくは、アンドロイドですから」
「……アンドロイドォ?」
 おれは素っ頓狂な声をあげてしまった。
「それはもう、とっくの昔に全部捨てられたんじゃ……」
「ええ、そうですね。でもぼくが作られたのは最近のことなんです」
 ツカサは指折り数えながら言った。

「何しろぼくを作ったのは政府のお偉方――ポジを一掃するための、兵器。その、試作品でしたから」

「……え?」
 おれは聞き返す。
 ――今、何て……。
「穀潰しのポジを根絶やしにしよう――ぼくはそのために作られた、人類にとって二千年ぶりのアンドロイド。だけど」
 ツカサは首を軽く左右に振った。
「彼らはぼくの教育方法を間違ったようで。昔のぼくは、ネガもポジも見分けられなかった。だから、ぼくはぼくを作った人間を全部殺してしまったんです。おかげで兵器用アンドロイドは汎用化されることなく終わってしまいました。そうこうしているうちにポジの収容所もできて、そして人権なんて話も出てきましたから、ますます需要はなくなった」
「…………」
 おれは唖然としてツカサを見つめる。
 ――こいつは一体何を言っているんだ?
 だが、彼はひとりで話を続ける。
「ぼくはひとり世界を彷徨って……そのうちいろんなことがわかってきた。ぼくが殺すはずだったポジのことも。ぼくを作ったネガたちのことも」
 ツカサの黒い瞳がおれを映す。
 ――恐くはない。
 だが、まるで底なしの闇を覗きこんだような、冷気が足元から昇ってくるような、そんな不快感。
「そして、ぼくの選んだ結論がこれだったんです。死ぬことのできないポジ――もし死にたくなったら、そのときはぼくが殺してあげようと」
「それで、ポジ専門の殺し屋、か……」
「ええ。そういうことです」
「……けど、収容所には死ぬこともできないポジがいっぱいいるぜ? そういうのは殺さないのかよ」
「本人の意思が確認できない場合は何とも」
「それ、ポリシーか」
「そういうことになりますかね」
 ツカサは苦笑する。
「案外死を望むポジは少ないのですよ。最期まで希望を捨てきれずに……生に執着することをやめられない。その末路はもう、わかりきっているというのに」
「…………」
「どうです? あなたの精神が限界に達したとき、あなたはぼくに殺されたいと思いますか?」
 おれは視線を落とした。
「……おれは……」

 ツカサに殺された、黄色い髪を思い出す。
 酒と賭け事と女と。
 借金で首が回らなくなっていたとか言っていたっけ。
 下らない悩みだ。
 そんなの、ポジもネガも何にも関係ない。
 ただ、あいつは自殺したかっただけ。逃げたかっただけ。
 
 ――いや、待てよ。
 それなら永遠の生命に苦しんで命を絶つのは崇高なことだっていうのか?
 そんなわけがない。
 逃げ出すことには変わりがない。
 借金苦で死ぬことも、
 命に飽きて放り出すことも、
 結果的には同じなんだ。
 
 だとしたら、おれは……。
 
「リクさん?」
「……おれは」
 顔を挙げる。もう、ツカサの闇に怯むことはない。
「お前に殺されるのは嫌だね」
「そうですか」
 ツカサはあっさりと答える。
「それなら――きっともう二度とお会いすることはありません」
「これからも、殺すのか」
「そうですね」
 踵を返したツカサは、顔だけでこちらに振り向いた。
「ぼく自身が壊れてしまうまでは……」
「……そうか」
「だって、それが」
 ツカサは笑う。
 その笑顔が、
 何故だかとても、
 悲しかった。
 
「ぼくの、生まれた意味だから……」

  × × ×
  
  
「オレ、その話初耳なんだけど」
「話したことなかったからな」
「何それ。サイテイ」
 青い毛並みの猫はおれにじゃれついて離れない。おれは笑いながらその華奢な体を抱きしめた。
「でもさあ」
 猫はその大きな瞳でおれを青く染める。
「何でリクはそのひとに殺されたくないと思ったの?」
「…………」

 ――あれ以来、おれはツカサが殺したと思われる死体を見ていない。
 たぶん……あいつに依頼する者の数が少ないんだろう。そもそもポジの間で噂にすらなっていないし。もし話が広まったら、もうちょっとツカサの商売も繁盛しそうなものだけれど。
 
 あいつはまだ殺しているんだろうか。
 それが自分の唯一の意味だと信じて。
 
「ねえ、リク。リクってば!」
「ん? 何だっけ?」
「この、馬鹿リク!!」
 ぎゃあぎゃあと喚く猫を腕に閉じ込め、おれは小さく囁いた。
 
 いつかお前が死を望んだら――お前を殺すのはおれだ。
 
 だから、
 おれを殺すのも、おまえだけだよ。
 
 それくらいの贅沢は、構わないだろう?
 だって、おまえはおれの「特別」だから。

 
  × × ×
 
 
 ――なあ、ツカサ。
 
 いつかお前が壊れたくなったら、
 そしてお前を壊してくれる人が誰もいないのなら、
 おれに連絡をしろよ。
 そうしたら、おれが壊してやる。
 
 せめて、
 おれが、
 この手で。