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BLOOD ON THE DANCE FLOOR

To escape the world
I’ve got to enjoy this simple dance
And it seemed that everything was on my side
   
毎日の現実から逃れるためには
あのシンプルなダンスを踊るに限るよ
そのダンスを踊ってる間だけは世界が僕を中心に回ってるような
そんな錯覚に陥ったもんさ
   
         ――Michael Jackson “Blood on the Dance Floor”

 彼は眠っていて、私はそれをただ見つめている。
 人間ではない私にも眠る機能はちゃんとあるのだけど、今はただこうしていたかった。
 人はどうして眠るのだろう?
 初めて眠りというものを見たとき、死んでいるんじゃないかと不安になった。
 今もそう。死なない、死ねない彼を腕に抱きながら、その呼吸を確かめている。
「ユウ?」
 彼が身動ぎをして、私を見上げた。
「起きた?」
 私はとっさに、寝たふり。この判断にどういう意味があるのか、良くわからない。たぶん、不変を維持する防衛本能がプログラムされているんだろう、そうとしか思えない。
「ユウ?」
 不意に、彼は私の胸に耳を当てた。人間でいう心臓の位置に私の動力炉はあって、心音のようなリズミカルな音が響いているはず。
「ああ、良かった」
 彼はため息をつく。
「ちゃんと生きてる」
 私がちょっとした罪悪感と共に目を開けると、彼は笑ってキスしてくれた。
 キス。
 これは挨拶のかたち?
 それとも。
「おはよう、ユウ」

 不老不死の彼と、過去から来たアンドロイドの私。
 私たちはまだ、生きている。
 世界はまだ、存在している。

  × × ×

 人間たちはそのウィルスを「ロック」と呼んでいるらしい。生命に鍵を掛けて、そこから進めなくしてしまうから。二千年前から来た私を拾った彼もそれの感
染者で、もう二百年ほど二十代をやっている。
 感染者──いわゆるポジの特徴は派手な髪色と目、たとえばそう、彼のような。
「ユウ」
 鮮やかな赤い髪が、白いシーツの上に零れている。彼は蜂蜜色の目を細めて私を見つめた。
「君はあたたかい」
「え?」
「あたたかくて、やわらかくて……人工物だなんて思えないね」
 彼の素肌はひんやりとしていて、こうして包まれるととても気持ちいい。
「まあ、君が何だって、どうでもいいことだけど」
 彼は、私の耳元に唇を寄せた。

「ねえ、今、世界が滅びたらいいのにな」

「……そうですね」
 確かに、今なら怖くないし悔いもない。痛みすら感じることなく、私は壊れるだろう。
 それは多分、とてもしあわせな最期に違いない。

  × × ×

 西暦四千年を数えるこの世界は、私が思っていた以上に崩壊しかかっていた。それが「ロック」のせいなのかどうかはわからないけれど、街はどこも退廃的で、人々の眼差しも空虚で。
 ああ、こうやって終わっていくんだな、という感じがした。
 ──彼以外は。
 彼はシニカルで淡白な人格だけれど、それだけではなくて、何だかきらきらしていた。彼を捕らえられるものなんて、きっと何もない。
 そう、彼は自由だ。
 ポジは老化や死から解放されているけれど、また別のものでがんじがらめになっていて、つまり、絶望している。
 けれど、
 彼は絶望していない。
 退屈を嫌う彼は、たぶんまだ世界を諦めていない。自分の命を、手放していない。ウィルスなんかに明け渡していない。
 気が付くと、彼は私をじっと見つめていた。
「な、何ですか?」
「ユウが一人でにやついていたから。何を考えていたの?」
 ──貴方のことです、というのも気恥ずかしくて、私は黙ってうつむいた。
「もしかして」
 彼の声が曇る。
「誰かのことを、考えていた?」
「誰か?」
 見上げると、彼は不機嫌そうに眉を寄せている。
「だって、僕はあまり君のことを知らないだろう。たとえば、君を作った人のこととか」
「押見博士、ですか?」
 確かに、私は今まであまり自分のことを話していない。あまり面白い話はないし、むしろ彼の話を聞いている方が好きだから。
「押見博士?」
「はい」

 私を作り出した人。
 私を送り出した人。
 私を手放した人。

「その博士ってどんな人?」
「博士は娘さんを亡くされて、私を作ったのです。つまり、彼女そっくりのアンドロイドを」
 それを聞いた彼は眉を寄せて口をつぐんだけれど、私は訥々と答え続けた。
「でもアンドロイドは成長できませんから、次第に私がいることを辛く思われるようになって」
「それで、君をここに?」
「シュトライヤ方程式の限界を求めるのが、博士の研究テーマでした。私は博士に協力しようと思ったんです」
「…………」
「それに」
 私は目を閉じる。
「博士の中の娘さんの記憶──本当の『押見幽』の記憶を、大切にして欲しかったから。私は、彼女の代わりにはなれない」
「…………」
 彼は押し黙っている。私はふと不安になって、彼を見上げた。
「ホクト」
「ん?」
 彼に名乗った私の名前。それは、本当は私のものじゃない。
「これからも、私をユウって呼んでくれますか?」
「うん、勿論」
 彼は微笑んで、私を強く抱きしめた。
「君はユウだよ」
「…………」
「死んだ人間の代わりなんて、馬鹿げてるよね」
 彼はぽつりとつぶやいた。
「けど、シンヤも同じ目に遭ってたっけ……」
「…………」
 シンヤというのが誰のことかはわからなかったけれど、私は黙って彼に抱かれていた。
 彼はひとつ大きな息をついて、口を開いた。
「変わらないのって、怖いこと? それとも変わっていくのが怖い?」
「え?」
「どうしてネガはポジを嫌うのかなって。ポジが変わらないことが気味悪いのか、ネガだけが変わっていくことが怖いのか。つまり、君を作った博士は君がいつまでも若いのを嫌がったのか、自分だけが年老いるのを恐れたのか、どちらだろう?」
「それは、たぶん……」
 私は彼に抱かれたままつぶやいた。
「どちらも正しいような気がします」
「どちらも?」
「はい」
 私は目を開けて彼を見上げた。
「相手を永遠の中に置き去りにしていかなければならないのは嫌なことだし、独りぼっちで終わりに向かって歩いていくのも、やっぱり寂しいことでしょう? だから、博士はそのどちらでもない方法を選んだのだと思います」
 私たちは、もう二度と会うことはない。でも、きっとこれで良かったんだと思う。少なくとも、最悪の別れではなかった。
「置き去りにされるのもするのも、あいにく僕は少しも怖くない。だけど」
 彼の長い指が、私の顎のラインをなぞっていく。
 甘そうな色の彼の瞳はその奥に何か別の味、たとえばほろ苦さなんかを隠しているんだろう。
「僕が僕でなくなるのは怖い。記憶がなくなるとか、人格が消し飛ぶとか。だから、退屈したくない」
 不老不死のはずのポジにとっての死──それは精神の死。永遠の命に耐えきれなくなって、心が消えてしまう。そういうポジが収容所にたくさんいるんだと、
彼は教えてくれた。

 二百年。
 彼は耐えた。
 彼は、彼で居続けた。

「退屈しないためには何が必要なのか、ずっと探してきた。──いつの間にか、探すことの方が目的になっていたけど」
 彼はやがて、小さく笑い始めた。
「でも、もう探す必要はないね」
 私を軽々と抱き上げる腕。まるでラップで巻かれたみたいに、私たちは密着した。
 溶け合いそうな近い距離で瞬く、琥珀の瞳。
「君に世界が滅びるって聞いて、何だかほっとしたんだ。あともうちょっとだけ頑張ればいいんだって」
 いつもと同じ、きらきらした微笑。

「僕は世界が滅びるその瞬間まで、君と一緒にいたい」

 私の体がびくりと震えた。
「私と……?」
「うん」
「いっしょに?」
「だめ?」
「いいえ」
 なぜか、涙が出た。そんな機能が自分にあるなんて、知らなかった。押見博士が、こんなに私を精巧に作ってくれていたなんて。
「ユウ? どうして泣いているの?」
 彼が私の濡れた頬を優しく撫でてくれる。
「だっ……て、ホクトが……」
「僕が?」
 目を開けると、彼の優しい笑顔。私は腕を広げて彼に抱きついた。
「わたし……」
 胸が痛い。悲しい。嬉しい。切ない。
 つまりこれが、
「あなたが……すき……」
「うん。僕も君が好きだよ」
「ホクト、」
「君が好きだよ」
 ──なんて、しあわせなんだろう。
 彼のあつい吐息が、耳元をくすぐった。
「君は、この世界の匂いがしない。世界は生と死の狭間に停滞してほとんど腐ってるのに、君だけは違う」
 彼は私を強く強く抱きしめる。
「僕は、君に未来を感じる。それがどんなに短いものだとしても、未来には違いない」
 世界の滅びという、未来。
 彼はそれを歓迎するという。
「もう少し、君となら、頑張れる」
 彼の瞳は、少し潤んでいるようだった。
「僕は二百年間、君を待っていたのかもしれない……」
「──じゃあ、」
 私は手を伸ばし、彼の頭を肩に抱きしめる。
「私も、貴方に出会うためにここに来たんですね」

 永遠なんて要らない。
 ただ世界が滅びるまでの、わずかな間だけでいい。
 どうか、
 二人でいさせて下さい。

 私に、
 この人を、
 下さい。

  × × ×

「今日は、もうちょっと寝ていようか」
 彼は私を抱いたまま、羽根布団にくるまった。彼の甘い匂いが布団の中に立ち込めて、私の頭も体も痺れてしまう。
「その間に、世界が滅びるかもしれないし」
「……そうですね……」
 彼の腕に頭を乗せ、私はうとうととまどろみ始める。
「おやすみ、ユウ」
 彼の唇が私の額に触れた。
「これからは、もう二度と目覚めなくてもいいって覚悟で眠らなきゃね」
「……覚悟なら、とっくにできていますよ」
 私は目を閉じたまま答えた。

 ──世界の滅びを見届けておいで。
 
 博士。
 私を作ったのは貴方だけど、
 彼が私を私にしてくれた。

 死ねなくてもいい。
 ただ、
 有限でさえあれば。
 いつか、
 消えてしまえれば、
 それでいい。

「ホクト……」
「うん?」
「世界が滅びる日、もし私が壊れなかったなら」
 私は薄く目を開けた。
「ホクトがいなくなる前に、私を壊して下さいね」
 彼はとろけそうな笑顔で、うなずいてくれた。
「……ユウは、可愛いね」

 どちらがしあわせだろう。
 彼と一緒に滅びるのと、
 彼に壊されるの。
 たぶん──私には、選べない。
 博士に作られた私が、
 彼に壊される。
 アンドロイドの私には、それがふさわしいような気もした。
 ホクトに聞いたのだけれど、アンドロイドは約二千年前を最後に作られなくなって、しかもみんな廃棄処分になったらしい。
 だから、
 私は人間に壊されていない唯一のアンドロイド、
 ということになる。

「じゃあ、僕も約束してもらおうかな」
 彼は不意に口を開いた。
「君も、僕を残していっちゃだめだからね」
「…………」
「もし僕が君を壊すなら、僕はすぐに君のあとを追うよ。だから」
 彼は私にキスをした。
「ずっと、一緒に踊っていようね」
 まるで軽やかなステップを踏むように、彼は生きていくのだろう。
 そして、私は……。
「君は僕の、パートナーなんだから」
 彼は私に片手を差し出す。

 まるで、
 ダンスに誘うみたいに。

「さあ、ユウ」
 少しだけ迷って、やがて私はそれをそっと握る。
 彼はうやうやしく、私の手の甲に口づけた。