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WHO IS IT

And it doesn’t seem to matter
And it doesn’t seem right
‘ Cause the will has brought
No fortune
   
どうでもいいことだけど正しいことじゃない
気持ちだけじゃ
運はめぐっちゃこないのさ
   
         ――Michael Jackson “Who is It”

  
 初めて僕が彼に会ったとき、彼はまだ人間のふりをしていた。
 
 もう何年前になるか……、
 それは月のない夜のこと。
 僕は人間に襲われた。いわゆる「ポジ狩り」。
 並大抵の傷なら跡形もなく塞がるこの体は、短い人生の中で足掻き続けなければならないネガたちの鬱憤を晴らすには、ちょうどいいのだろう。実際珍しいことでも何でもない。週に一度は街のどこかで見られるような、日常茶飯事。
 勿論僕らポジにも痛みはあるのだけれど、しばらく我慢していればいいだけのことだから。
 たいしたことじゃない。
 どうせ、僕よりも僕を襲っている奴らの方が先に死ぬ。

 ──僕は、生き続けなければならないのだから。

 無言で僕を殴り蹴る数人の男たち。覆面は報復を恐れてのことだろうか。──ばかばかしい。
 思わず笑みがこみ上げて、そうしたらまた口の端を殴られた。舌に滲む血を吐き捨てる。
「邪魔だなあ」
 不意に誰かの声がして、覆面たちの動きが止まった。
 僕はのろのろと体を起こす。先ほど折られた肋骨は、既に再生が始まっているようだ。体中の痛みが次々に消えていく。
「いくら深夜だって、こんな道の真ん中で」
 かつり、と靴音。
 僕を囲んでいた覆面たちが、彼に相対して身構える。おかげで僕にも彼の姿が見えた。
 細身ですらりと背が高い。暗闇で良く見えないが、ポジには見えなかった。髪が黒かったからだ。
「目障りだよ?」
 ふざけたような、間延びした口調。
「…………」
 僕はゆっくりと体を起こす。
 その目の前で、
 彼は男たちをぶちのめした。

「何でやり返さなかった?」
「…………」
 彼は開口一番にそう言った。僕は黙って彼を見上げる。
 闇の中でも、なお明るくまばゆく彼の瞳。
「あんた、うまく急所をよけてた。まあ僕らの体に急所ってものがあるのかは分からないけれど……」
「…………」
「ってことは、そこそこたしなみがあるんだろう?」
 確かにその通り。再生に時間の掛かる内臓への攻撃はなるべく避けたし、骨も妙に癒着しかねないような折られ方はしなかった。
「何故やられるがままになっていたんだい?」
「…………」
 僕は足に力を入れた。どうやらもう立ち上がれる程度には回復したらしい。
 汚れきった服を手で払い、辺りを見回す。転がっている六つの体は、物音一つ立てない。完全にのびてしまっているようだ。
「大丈夫?」
 軽い口調とは裏腹に、彼の視線は真剣だった。
 ――真剣に僕を心配していた。
「君こそ」
 僕はぽつりと呟く。
「君こそどうして僕を助けたの」
「助けた訳じゃない」
 彼は顔を背けた。
「……むかついたから」
「え?」
「黙ってやられっ放しなあんたも」
 男の細い指が僕の鼻先につきつけられた。
「大勢でよってたかって暴力を奮う馬鹿なこいつらも」
「…………」
「それに」
 ――そのとき、僕は唐突に気がついた。
 この男……、
 ネガじゃない。
 ミミックだ。
 髪を染め、コンタクトを嵌めてネガのふりをしているポジ。
 ネガたちからは勿論、時にポジからも蔑まれる存在。
 勿論、ばれなければいいだけの話なのだけど。
「それに……僕自身のこともね」
 多分、僕が気付いたことに、彼も気付いたのだろう。
 少しだけはにかむように顔をゆがめて、肩をすくめた。
 何となく僕も真似をして肩をすくめる。
 ――どちらからともなく噴き出した。
 
 この男の本当の髪は何色なのだろう。どんな瞳を隠しているのだろう。
 薄ぼけた水色の髪に灰色の眼。我ながら、僕の色は泥水のようだと思う。
 でも彼はきっと違うだろう。
 月のない夜でも不思議と輝いている、このミミックは。
   
   
  × × ×
  
  
「僕の名前はホクト」
 まだ完全に体が再生しきらない僕を、彼は自分の家に連れて行ってくれた。彼の家はネガの居住区内にあったから、僕が出歩いて大丈夫なものかと思ったけれど、まだ夜明け前だったのが助かった。
「あんたの名前は?」
 自分はトーストをかじりながら、僕にはスープを勧める。万が一内臓に傷がついていたらいけないから、と彼は言った。
 僕はありがたくその熱い液体を喉に流し込む。とても美味しいと思った。
「名乗らなきゃ駄目?」
「え?」
 ホクトは面食らったようだった。
 僕は静かに微笑む。
「名前。僕、いつも名乗らないことにしているんだ」
「何故?」
「名前をつけてもらうのが好きだから」
「…………」
 ホクトはそれ以上何も言わずに宙を睨み、やがて僕を真っ直ぐに見つめた。
「じゃあナナシ」
「いやそれはちょっと」
「…………」
 小声で文句を言う僕に、ホクトは笑う。
「じゃあ『あんた』でいいや」
「……君がそのつもりなら」
 僕は頷いた。
「それで構わない」
「…………」
 ホクトは朝食の手を止めた。
「あんた、結構長く生きてるんだろう?」
「どうして?」
「いや……何となくね」
 彼の微笑はどこか光の匂いがする。
「ほら、ポジって永遠の寿命っていうけれど精神のほうがもたないじゃない」
「ああ……」
 僕は頷いた。
 ポジの肉体はほぼ不死といっていいほど頑丈なものだ。つまりそれは再生能に優れているということ。細胞内に寄生するウィルスが、僕らを死なせてはくれない。
「正気を保っているポジの最高齢者が……三百歳とか、その辺じゃなかったかな」
「そうだね」
 僕は頷いた。
「正確には三百四十二歳と半年。あと一日で、だけど」
「…………」
 ホクトは一瞬目を瞬かせ、やがておそるおそるといった調子で僕に尋ねる。
「……もしかして?」
「どうやらそうらしい」
 僕は笑って頷いた。
 ――そう。
 統計上はそういうことになっている。
 政府の収容施設にはいるポジは、僕より長く生きている者全員と、中には僕よりもずっと早くに自らの精神を手放してしまった者もいて、つまりそういうものたちはウィルスの培地としての肉体だけが生きているのだった。
 話すこともなく、
 食べることもない。
 笑うことも、
 泣くことも、
 怒ることも、
 何一つできない魂の抜け殻。
 眠ってもきっと夢など見ることはできないに違いない。
 
 たとえそれがどんな悪夢であっても、
 僕はまだ夢を見ている。
 
 いつまで僕がもつのか、僕にも分からない。
 もしかしたら既に壊れ始めているのかもしれない。
 だって僕はあいつらに抵抗しなかったから。
 
 ホクトは僕を見つめた。
 彼の本当の色を隠した、こげ茶の瞳。
「名前を、探しているんだね」
 ぽつりと呟いた。
 僕は驚いて彼を見返す。
「あんたにしっくりくる――あんただけの名前を」
「…………」
 そう――そうかもしれない。
 ホクトは少し悲しげに笑った。
「だけど、僕には名前をあげる資格はない。まだ擬態を解くことのできない――ミミックの僕にはね」
「どうして?」
「え?」
「どうして君は……」
 その後に続く言葉が見当たらない。何か不用意なことを言うと彼を傷つけてしまいそうで……怖かった。
 口をつぐんでしまった僕に、しかしホクトはあっさりと答えてくれた。
「その方が長生きできそうだから」
 ――長生き?
 ポジにとって長生きも何もない。体を相当の数に切り刻むくらいのことはしないと、僕らは死ねないのだから。たとえ心を失って廃人のようになってしまっても、ウィルスが僕らを生かし続ける。
 だけど、何となく――彼の言いたいことはわかった。
 僕の表情からホクトはそれを読み取ったのだろう。何とも言えない笑みを浮かべてみせる。
「退屈だと死んでしまいそうになる」
 ホクトはそう言ってコーヒーを啜った。
「特に――心がね」
   
   
  × × ×
  
  
 ホクトがミミックをやめたと聞いたのは、僕がネガの家出少女を――マヤを拾う少し前のことだった。
 その後、不思議なアンドロイドと同居を始めたとか何とか……相変わらず退屈しない生活を送っているらしい。
 ある日、ホクトはふらりと僕らの住まう家にやってきた。
 出迎えたマヤが目を大きく見開いている。無理もない。
 派手な赤い髪に蜂蜜色の瞳。それがしっくりとくるホクトは、掛け値なしの美青年だと思う。
 あの頃よりも、今の姿の方がずっと彼には相応しい。
「――名前を」
「……え?」
「名前を聞きに来たんだよ」
 僕は思わず隣のマヤを振り返った。ホクトに向けられていた好奇心の瞳は、いつしか僕へと方向を変えている。
 いつだってそう。彼女は僕を見ていてくれる。
 僕が彼女を見ているのと同じように、僕のことを見ていてくれるのだ。
「ユキ、よ」
 マヤは言った。
「この人の名前は、ユキ」
「ユキさん……ですか」
 ホクトは頷く。
「いい名前ですね」
「……ありがとう」
 僕は微笑んだ。我ながらとても自然な笑顔だと思う。
 マヤのくれた笑顔。
「長生きできそうだね」
 ホクトは笑った。
「この世界の寿命よりも――もっと長いかも」
「――――!!」
 マヤがはっと顔を上げた。
 ――そうだ。
 僕は思い出す。
 彼女の望みは、彼女が僕の側で生きていられるうちに世界が滅びること。二度と僕が愛する者に先立たれなくて済むように。
 そして、確かホクトは――。
「世界は……」
 マヤの声が震えた。
「世界は、滅びるの?」
「…………」
 ホクトはその金色の瞳でじっとマヤを見つめる。
 やがてふう、と息をついた。
「僕の家には二千年ほど前からやってきたアンドロイドがいてね」
 僕に対するのとは違う、柔らかい物腰。ホクトは多分、マヤを怖がらせまいと気を遣っているのだろう。うぬぼれているわけではないが、きっとそれは僕のためなのだろうと思う。
「え?」
「彼女がそう言っていたんですよ」
「二千年前?」
 僕は声を上げる。
 確かに、アンドロイドを作る技術など今の世界には残っていない。大昔の人口爆発時代、アンドロイドはエネルギー不足解消のため全て廃棄処分にされたからだ。けれどまさか二千年前とは――。
「でも、どうして滅びるの?」
 僕の問い掛けに、ホクトは肩をすくめる。
「さあ。それが知りたくて彼女はここに来たんだって」
「…………」
 マヤの手が、僕の手を握った。かすかに震えている。恐怖のためなのか、それとも――。
「最近は退屈していない?」
 僕はわざとのんびりした口調で尋ねた。
 ホクトは微笑む。
「ユウが可愛いんだ」
「え?」
「アンドロイドの名前」
「…………」
 僕とマヤは顔を見合わせた。
「今まで会った女たちとは全然違うよ。そうだな……、少しマヤさんに似ているかもしれない」
「そう」
 何となく、彼が言いたいことがわかるような気がした。多分、そのアンドロイドは「きれい」なのだろう。それは見た目などではなくて、つまりこの世界に染まっていないということ。
 僕らがこころを保つためには、きっとそういう存在が必要なのだ。
「僕がこの目で見てきた歴史は、二千年のうちのたった二百年足らずだけれど」
 外見は明らかに二十代前半に過ぎないホクト。彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「それでも、結構色々話せることがあるものだ」
「……そう」
「だから、僕らはたくさん話をしている」
「ねえ」
 マヤが突然振り向いた。
「じゃあユキも話してよ」
「……は?」
 彼女の表情は真剣そのものである。
「ユキもたくさん生きてきたでしょう? だから、話して」
「えーっと」
 困ったようにホクトを見れば、彼は面白そうに笑っていた。――駄目だ、助けにならない。
「夜、ベッドに並んで寝て」
 興味津々で目を輝かせるマヤに、それはまるで悪魔の囁き。
「ユウの小さな頭を腕に乗せて、話し続ける。僕が見たもの、聞いたもの――夜が明けるまで喋って、朝になったら眠ってしまう」
「た、楽しそう!」
 羨ましい、と言わんばかりの表情でマヤは拳を握り締める。
「楽しいですよ」
 ホクトは笑って僕を眺めて――その笑みが消えた。
「……マヤ」
 僕は彼女を呼ぶ。
 僕の表情を見たマヤは、心配そうに眉を翳らせた。
「ユキ?」
「……僕は、過去の話をしたくない」
 マヤと会う前に出会い、別れたたくさんの人たち。
 僕の愛した人、僕の憎んだ人。
 僕を愛してくれた人。僕を憎悪した人。
 マヤの側でなら、忘れていられるのに。思い出したくない。
 ホクトは僕から目をそらし、マヤのいれたお茶を飲み干した。
「…………」
「だけど」
 マヤの柔らかな金髪をくしゃりと撫でた。
「明日のご飯のこととか、天気のこととか、そんな話ならいくらでもできるよ。君が望むなら朝までだって」
 僕をしあわせにする君とのこれからの日々のことなら――いくらでも。
「…………」
 マヤは少し考えた。
「腕枕はついてる?」
 僕は息を呑む。マヤの双眸はきらきらと煌いていた。
「……い、いやそれは」
「腕枕つきなら許してあげる」
「う、ううん……」
「あはははは」
 ホクトは明るく笑って立ち上がった。
「ごちそうさま」
 ――それ、どういう意味。
 見送るために立ち上がる僕に顔を寄せて、ホクトは囁いた。
 
「お互い退屈しませんね?」

「…………」
 僕は曖昧に笑って彼を見送った。
 ――彼の過去には多分、僕のような痛みはないのだろう。
 退屈しのぎだけを考えて生きてきた彼が出会った、過去からの旅行者。アンドロイドの少女。多分、彼は初めて何かに執着することを覚えたのだ。
 けれど……、
 彼が何かを失う痛みを知る機会は、永遠に来ないのかもしれない。
 ――だってその前に、世界が滅びてしまうのだろうから。
 
  × × ×
 
 僕は思う。
 もし、世界が終わる前に僕の側からマヤがいなくなってしまったら。
 その時こそ、僕は心を失ってしまうのかもしれない……と。